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季氏第十六 14 邦君之妻章

434(16-14)
邦君之妻、君稱之曰夫人。夫人自稱曰小童。邦人稱之曰君夫人。稱諸異邦曰寡小君。異邦人稱之、亦曰君夫人。
邦君ほうくんつまきみこれ称ししょうじんう。じんみずかしょうしてしょうどうう。邦人ほうじんこれしょうしてくんじんう。これほうしょうしてしょうくんう。ほうひとこれしょうして、くんじんう。
現代語訳
  • 殿さまの妻を、殿さまは「奥」という。奥がたは自分を「わらわ」という。人民がよぶときは「奥がたさま」という。ほかの国にたいしていうときは、「小殿さま」という。ほかの国の人がよぶときにも、「奥がたさま」という。(がえり善雄『論語新訳』)
  • 国君の妻は、国君はこれを「夫人」ととなえ、夫人は自身を「小童」という。国人はこれを「君夫人」と称し、外国に対しては「寡小君」と呼ぶ。外国人はこれを国人と同様「君夫人」ととなえる。(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 国君の妻は、国君が呼ぶ時には「夫人」といい、夫人みずから呼ぶ時には「小童」といい、国内の人が呼ぶ時には「君夫人」といい、外国に対しては「寡小君」といい、外国の人が呼ぶ時にはやはり「君夫人」という。(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 邦君 … 諸侯。一国の君主。
  • 小童 … 諸侯の夫人が自分を謙遜していう言葉。
  • 異邦 … 外国。
  • 寡小君 … 外国に対し、自分の君主の夫人を謙遜していう言葉。
  • この章について、宮崎市定は「この條は論語の他の部分と比べて異質の内容をもつ。論語を記した門人のメモが誤って混入したか、或いは後世になって別の斷簡が混入したものであろう。強いて孔子の言葉としてそこから教訓を引き出そうと努めるにも及ぶまい」と言っている。『論語の新研究』349頁参照。
補説
  • 『注疏』に「此の章は夫人の名称を正すなり」(此章正夫人之名稱也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 邦君之妻、君稱之曰夫人 … 『義疏』に「当時礼乱れ、しょう明らかならず。故に此れ之を正すなり。邦君自ら其の妻を呼びて夫人と曰うなり」(當時禮亂、稱謂不明。故此正之也。邦君自呼其妻曰夫人也)とある。称謂は、人や物に関する決まった呼び方。名称。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「邦君の妻とは、諸侯の夫人なり。妻とは、斉なり、夫と体を斉しくするを言う、上下の通称なり、故に邦君の妻と曰うなり。君之を称して夫人と曰うとは、夫人の言たる扶なり、能く人君の徳をたすけ成すなり。邦君自ら其の妻を称するときは、則ち夫人と曰うなり」(邦君之妻者、諸侯之夫人也。妻者、齊也、言與夫齊體、上下之通稱、故曰邦君之妻也。君稱之曰夫人者、夫人之言扶也、能扶成人君之德也。邦君自稱其妻、則曰夫人也)とある。
  • 夫人自称曰小童 … 『義疏』に「此れ夫人夫に向かいて自ら称すれば、則ち小童と曰う。小童は、幼少の目なり。謙して敢えて自らは以て成人に比せざるなり」(此夫人向夫自稱、則曰小童。小童、幼少之目也。謙不敢自以比於成人也)とある。また『注疏』に「自ら称するにへりくだりて己は小弱の童稚と言うなり」(自稱謙言己小弱之童稚也)とある。
  • 邦人称之曰君夫人 … 『義疏』に「邦人は、其の国の民人なり。若し其の国の民、君の妻を呼べば、則ち君夫人と曰うなり。君自ら称して云えば単に夫人と曰う。故に夫人、民人称するに、君の言を之れ帯ぶるなり」(邦人、其國民人也。若其國之民呼君妻、則曰君夫人也。君自稱云單曰夫人。故夫人民人稱、帶君言之也)とある。また『注疏』に「国中の臣民の言は則ち君に繫けて之を称するを謂う。是れ君の夫人を言う、故に君夫人と曰うなり」(謂國中之臣民言則繫君而稱之。言是君之夫人、故曰君夫人也)とある。
  • 称諸異邦曰寡小君 … 『義疏』に「我が国の臣民より、他の邦人に向かいて、我が君の妻を称するには、則ち寡小君と曰うなり。君自ら称して寡人と曰う。故に臣民君を称して寡君と為す。君の妻を称して寡小君と為すなり」(自我國臣民、向他邦人、稱我君妻、則曰寡小君。君自稱曰寡人。故臣民稱君爲寡君。稱君妻爲寡小君也)とある。また『注疏』に「諸は、於なり。己の国の臣民、己の君の夫人を他国の人に称するときは、則ち寡小君と曰い、異邦に対して謙るを謂うなり。異邦に対して君を称して寡君と曰い、謙りて寡徳の君と言い、夫人は君に対して小と為すを以て、故に寡小君と曰うなり」(諸、於也。謂己國臣民稱己君之夫人於他國之人、則曰寡小君、對異邦謙也。以對異邦稱君曰寡君、謙言寡德之君、夫人對君爲小、故曰寡小君也)とある。また『集注』に「寡は、寡徳にして、謙辞なり」(寡、寡德、謙辭)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 異邦人称之、亦曰君夫人 … 『集解』に引く孔安国の注に「小君は、君夫人の称なり。異邦にむかいてへりくだる。故に寡小君と曰う。此の時に当たり、諸侯の嫡妾は正しからず、称号はつまびらかならず、故に孔子は正しく其の礼を言うなり」(小君、君夫人之稱也。對異邦謙。故曰寡小君。當此之時、諸侯嫡妾不正、稱號不審、故孔子正言其禮也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「若し異邦の臣来たらば、即ち主国君の妻を称するには、則ち亦た同じく君夫人と曰うなり」(若異邦臣來、即稱主國君之妻、則亦同曰君夫人也)とある。また『注疏』に「他国の君の妻を称して亦た君夫人と曰うを謂うなり。此の時に当たり、諸侯の嫡妾は正しからず、称号は審らかならざるを以て、故に孔子其の礼を正言するなり」(謂稱他國君妻亦曰君夫人也。以當此之時、諸侯嫡妾不正、稱號不審、故孔子正言其禮也)とある。
  • 亦曰君夫人 … 『義疏』では「亦曰君夫人也」に作る。
  • 『集注』に引く呉棫の注に「凡そ語中に載する所、此の類の如き者、何のいいなるかを知らず。或いは古えに之有り、或いは夫子嘗て之を言う、考う可からざるなり」(凡語中所載、如此類者、不知何謂。或古有之、或夫子嘗言之、不可考也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「孔氏曰く、是の時嫡妾正しからず、称号審らかならず。故に孔子其の礼を正すなり、と」(孔氏曰、是時嫡妾不正、称号不審。故孔子正其礼也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「邦君の妻、君之を称して夫人と曰う。呉棫曰く、或いは古え之れ有るか、或いは夫子嘗て之を言うか、かんがう可からざるなり、と。陋なるかな。載せて礼記に在るときは、則ち其の所をと謂い、載せて論語に在るときは、則ち云うことしかり。凡そ周の礼、戴記諸書の載する所は、皆孔子之を言いて、而るのち門人之を書することを得し者のみ。孔子よりして前は、何ぞ嘗て書有らん。且つや孔子の道は先王の道なり。吾行うとして二三子と与にせざる者無し、と。先王の道を隠すこと無きを謂うなり。故に当時の門人は、先王の礼に於いて、孔子の言行に於いて、復た其の間に差別すること無し。豈に後世の是れを謂う某の語録たるが如き者の比ならんや」(邦君之妻、君稱之曰夫人。呉棫曰、或古有之、或夫子嘗言之、不可攷也。陋矣哉。載在禮記、則謂得其所焉、載在論語、則云爾。凡周之禮、戴記諸書所載、皆孔子言之、而後門人得書之者耳。孔子而前、何嘗有書。且也孔子之道先王之道也。吾無行而不與二三子者。謂無隱先王之道也。故當時門人、於先王之禮、於孔子之言行、無復差別於其間焉。豈如後世謂是爲某語錄者比乎)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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