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顔淵第十二 21 樊遅從遊於舞雩之下章

299(12-21)
樊遲從遊於舞雩之下。曰、敢問崇德、脩慝、辨惑。子曰、善哉問。先事後得、非崇德與。攻其惡、無攻人之惡、非脩慝與。一朝之忿、忘其身、以及其親。非惑與。
はんしたがいて舞雩ぶうもとあそぶ。いわく、えてとくたっとび、とくおさめ、まどいをべんぜんことをう。いわく、いかないや。ことさきにしてるをのちにするは、とくたかくすることにあらずや。あくめ、ひとあくむることきは、とくおさむるにあらずや。いっちょう忿いかりに、わすれ、もっしんおよぶ。まどいにあらずや。
現代語訳
  • 樊遅(ハンチ)がお供をして雨ごい台のあたりに出かけ、 ―― 「おうかがいしますが、徳を高め、悪意を去り、迷いを解くみちは…。」先生 ――「いい質問だなあ。しごとを先、ソロバンをあとにするのが、徳を高めるみちだろうよ。自分の落ちどをせめ、人の落ちどをせめないのが、悪意を去るみちだろうよ。一時の腹だちに身をも忘れ、肉親まで巻きこむのは、迷いだろうよ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • はんがお供をして雨乞台あまごいだいのほとりを散歩しながら、「どうぞ教えていただきとうござります。おのれの徳を積み、胸の底にかくれた悪を除き、まどう心を明らかにするにはどうしたらよろしゅうござりましょうか。」とおたずねした。孔子様がおっしゃるよう、「いいなあその質問は。自分のなすべき仕事をズンズン行って、損得問題などはあとまわしにするのが徳を高くすることではあるまいか。他人の悪のとがめ立てをするよりはまず自身の悪を責めかえりみるのが、かくれた悪心を除くことではあるまいか。一時の腹立ちまぎれに、たとえば人を殺傷するような事をしでかして、わが身を亡ぼし近親にまで迷惑めいわくをかけるのは、まどいのはなはだしいものではあるまいか。善を行い、悪を改め、いかりを制する、これが徳を高くし、悪心を除き、惑いを去るゆえんである。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • はんが先師のお伴をして舞雩ぶうのほとりを散歩していた。彼はたずねた。――
    「生意気なおたずねをするようですが、徳を高め、心の奥深くひそんでいる悪をのぞき、迷いを解くには、どうしたらよろしゅうございましょうか」
    先師がこたえられた。――
    「大事な問題だ。為すべき事をどしどしかたづけて、損得をあとまわしにする。これが徳を高くする道ではないかね。自分の悪をせめて他人の悪をせめない。これが心に巣喰っている悪をのぞく道ではないかね。一時の腹立ちで自分を忘れ、わざわいを近親にまで及ぼす。これが迷いというものではないかね」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 樊遅 … 前515?~?。孔子の弟子。姓は樊、名はしゅあざな子遅しち。魯の人。孔子より三十六歳(四十六歳)年少。ウィキペディア【樊须】(中文)参照。
  • 従 … 孔子のお供をして。
  • 舞雩 … 雨乞いをするときの、舞を舞う祭壇。「先進第十一25」に見える。
  • 崇徳 … 徳を高める。自分の徳をみがいて充実させる。「崇徳」「弁惑」は「顔淵第十二10」に見える。
  • 脩慝 … 邪心を去る。心中の悪を除く。「慝」は、心の中に隠された悪。「脩」は、治めて除くこと。
  • 弁惑 … 迷いを解く。迷いをはっきり弁別し、明らかにすること。
  • 先事後得 … 為すべきことを優先し、損得を後にする。
  • 非崇徳与 … これが人格を高めるということではなかろうか。
  • 攻其悪、無攻人之悪、非修慝与 … 自分の悪を責め、他人の悪を責めないことが、心中の悪を除く方法ではなかろうか。自分の欠点を批判し、他人の欠点は責めない、これが邪心を去る方法ではなかろうか。
  • 一朝之忿 … 一時の怒り。
  • 以及其親 … その災いを肉親にまで及ぼす。
  • 非惑与 … これが迷いではなかろうか。
補説
  • 『注疏』に「此の章は身を脩むるの事を言うなり」(此章言脩身之事也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 樊遅 … 『孔子家語』七十二弟子解に「樊須はんしゅひとあざな子遅しち。孔子よりわかきこと四十六歳。じゃくにして季氏に仕う」(樊須魯人、字子遲。少孔子四十六歳。弱仕於季氏)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。また『史記』仲尼弟子列伝には「樊須はんしゅあざなは子遅。孔子よりわかきこと三十六歳」(樊須字子遲。少孔子三十六歳)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 樊遅従遊於舞雩之下 … 『集解』に引く包咸の注に「舞雩の処に、壇墠だんせん・樹木有り。故に其の下は遊ぶ可きなり」(舞雩之處、有壇墠樹木。故其下可遊也)とある。壇墠は、祭壇。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「此の舞雩の処、孔子の家に近し。故に孔子往きて其の壇樹の下に游ぶ。而して弟子の樊遅従うなり」(此舞雩之處、近孔子家。故孔子往游其壇樹之下。而弟子樊遲從也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「舞雩の処に、壇墠・樹木有り、故に弟子の樊遅孔子に随従して其の下に遊ぶなり」(舞雩之處、有壇墠樹木、故弟子樊遲隨從孔子遊於其下也)とある。
  • 曰、敢問崇徳、修慝、弁惑 … 『集解』に引く孔安国の注に「慝は、悪なり。修は、治なり。悪を治めて善と為すなり」(慝、惡也。修、治也。治惡爲善也)とある。また『義疏』に「既に従い游びて、此の三事を問うなり。修は、治なり。慝は、悪なり。悪を治むるを善と為すと謂うなり。徳を崇くし、悪を治め、惑いを弁ずるの事を問うなり」(既從游而問此三事也。修、治也。慝、惡也。謂治惡爲善也。問崇德治惡辨惑之事也)とある。また『注疏』に「修は、治なり。慝は、悪なり。此れ樊遅じゅうこうに因りて孔子に問いて曰く、敢えて問う其の徳を充盛し、悪を治めて善を為し、疑惑を袪別きょべつせんと欲するに、何を為して可なるや」(脩、治也。慝、惡也。此樊遲因從行而問孔子曰、敢問欲充盛其德、治惡爲善、袪別疑惑、何爲而可也)とある。また『集注』に引く胡寅の注に「慝の字は心に従いとくに従うなり。蓋し悪の心にかくるる者なり。修は、治めて之を去るなり」(慝之字從心從匿。蓋惡之匿於心者。脩者、治而去之)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子曰、善哉問 … 『義疏』に「将に之に答えんと欲す。故に先ず其の問いの善なるをむるなり」(將欲答之。故先美其問之善也)とある。また『注疏』に「其の問いは皆身を修むるの要なり、故に之を善しとす」(其問皆脩身之要、故善之)とある。また『集注』に「其の己の為にするに切なるを善しとす」(善其切於爲己)とある。
  • 先事後得、非崇徳与 … 『集解』に引く孔安国の注に「先に事に労し、然る後に報を得るなり」(先勞於事、然後得報也)とある。また『義疏』に「徳を崇ぶことに答う。事を先にすは、先に勤労の事を為すを謂うなり。得ることを後にすは、後に禄位を得て労を已むを謂うなり。若し能く此くの如くんば、豈に徳を崇ぶに非ずや。其の是なるを言うなり。故に范寧云う、物の労を避けて逸に処らざるは莫し。今労事を以て先と為し、得る事を後と為す、徳を崇ぶ所以なり、と」(答崇德。先事、謂先爲勤勞之事也。後得、謂後得禄位已勞也。若能如此、豈非崇德與。言其是也。故范寧云、物莫不避勞而處逸。今以勞事爲先、得事爲後、所以崇德也)とある。また『注疏』に「言うこころは先ず事に労し、然る後に報を得るは、是れ徳を崇くするなり」(言先勞於事、然後得報、是崇德也)とある。また『集注』に「事を先にし得るを後にするは、猶お難きを先にし獲るを後にすと言うがごときなり。当に為すべき所を為して、其の功を計らざれば、則ち徳日〻積みて、自ら知らざるなり」(先事後得、猶言先難後獲也。爲所當爲、而不計其功、則德日積、而不自知矣)とある。
  • 攻其悪、無攻人之悪、非修慝与 … 『義疏』に「慝を修むるに答うるなり。攻は、治なり。言うこころは人は但だ自ら己の身の悪を治む。之を改むるを善と為して、須らく他人の悪事を知るべからず。若し能く此くの如くんば、豈に慝を修むるに非ずや」(答修慝也。攻、治也。言人但自治己身之惡。改之爲善、而不須知他人惡事。若能如此、豈非修慝與)とある。また『注疏』に「攻は、治なり。言うこころは其の己の過ちを治め、人の過ちを治むる無きは、是れ悪を治むるなり」(攻、治也。言治其己過、無治人之過、是治惡也)とある。また『集注』に「己を治むるに専らにして、人を責めざれば、則ち己の悪かくるる所無し」(專於治己、而不責人、則己之惡無所匿矣)とある。
  • 無攻人之悪 … 『義疏』では「毋攻人之悪」に作る。
  • 一朝之忿、忘其身、以及其親。非惑与 … 『義疏』に「惑いを弁ずるに答うるなり。君子に九思有り。忿りは則ち難きを思う。故に人の惑いに触るるが若き者は、則ち思いて後患難有り。敢えて遂に我が忿りをほしいままにせずして、以て彼に傷害するなり。遂に忿りを肆にして我が身を忘るるが若し。又た災禍己の親に及ぶ。此れ則ち已に惑いと為る。故に宜しく知を明らかにして為さざるを弁ずべきなり」(答辨惑也。君子有九思。忿則思難。故若人觸惑者、則思後有患難。不敢遂肆我忿、以傷害於彼也。若遂肆忿忘於我身。又災禍及己親。此則已爲惑。故宜辨明知而不爲也)とある。た『注疏』に「言うこころは君子忿るときは則ち難きを思う。若し人己を犯すこと有りて、一朝之を忿り、其の難を思わずんば、則ち身を忘るるなり。其の身をはずかしむれば則ち其の親をはずかしむ。故に以て其の親に及ぼすと曰うなり。惑いに非ずやとは、是れ惑いなるを言うなり」(言君子忿則思難。若人有犯己、一朝忿之、不思其難、則忘身也。辱其身則羞其親。故曰以及其親也。非惑與、言是惑也)とある。また『集注』に「一朝の忿りは甚だ微たれども、禍い其の親に及ぶこと甚だ大たるを知れば、則ち以て惑いを弁じて其の忿りを懲らすこと有り。樊遅は麤鄙そひにして利に近づく。故に之に告ぐるに此の三者を以てす。皆其の失を救う所以なり」(知一朝之忿爲甚微、而禍及其親爲甚大、則有以辨惑而懲其忿矣。樊遲麤鄙近利。故告之以此三者。皆所以救其失也)とある。麤鄙は、荒々しく、品がないこと。粗鄙に同じ。
  • 『集注』に引く范祖禹の注に「事を先にし得るを後にするは、義を上にして利を下にするなり。人惟だ利欲の心有り、故に徳崇からず。惟だ自ら己の過ちを省みずして、人の過ちを知る、故に慝修まらず。物に感じて動き易き者は、忿りにくは莫く、其の身を忘れ以て其の親に及ぼすは、惑いの甚だしき者なり。惑いの甚だしき者は、必ず細微より起こる。能く之を早きに弁ずれば、則ち大惑に至らず。故に忿りを懲らすは惑いを弁ずる所以なり」(先事後得、上義而下利也。人惟有利欲之心、故德不崇。惟不自省己過、而知人之過、故慝不脩。感物而易動者、莫如忿、忘其身以及其親、惑之甚者也。惑之甚者、必起於細微。能辨之於早、則不至於大惑矣。故懲忿所以辨惑也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「此れ樊遅の病に因りて、之を告げたりと雖も、然れども聖人の言は、実に万世の典則、学者のはん、人人の当に佩服すべき所の者なり。而して前に子張に告げし所の者に視れば、其の言切に其の旨はげし。蓋し樊遅の問う所、益〻己が為にするに切なるに由るなり。学者其れ深く之を味わざる可けんや」(此雖因樊遲之病、而告之、然聖人之言、實萬世之典則、學者之懿範、人人所當佩服者也。而視前所告子張者、其言切其旨厲。蓋由樊遲之所問、益切於爲己也。學者其可不深味之哉)とある。懿範は、立派な手本。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「樊遅舞雩の下に従遊し、夫子にいとまありてよろこべるを見る、故に其の問わんと欲する所を問う。師を尊ぶの道なり。且つ古え君子、人の過ちを挙ぐるをにくみて、其の過ちを聞かんと欲す。人の過ちを挙ぐるを悪むや、弟子ちゅうじんうちに問うこと有るときは、則ち師或いは其の過ちをさず。故に弟子其の過ちを聞かんと欲する者は、必ず人無きの処に於いてす。舞雩の下の如き是れなり。己の過ちをあらわすを欲せざるに非ざるなり。君子の之を言うをはばかることを恐るるなり。学の道なり。夫子其の問いをみす。……崇徳・修慝・弁惑は、蓋し古書の文なり。事を先にして得ることを後にす、……大氐たいてい古人の所謂学は、事に応じ物に接するの際に在りて、後世のややもすればこれを心に求むる者の如きに非ず。故に之を事と謂う。以て見る可きのみ」(樊遲從遊於舞雩之下、見夫子之暇而愉也、故問其所欲問。尊師之道也。且古者君子、惡擧人之過、而欲聞其過。惡擧人之過也、弟子有問於稠人之中、則師或不斥其過焉。故弟子欲聞其過者、必於無人之處焉。如舞雩之下是也。非不欲暴己之過也。恐君子之難言之也。學之道也。夫子善其問。……崇德脩慝辨惑、蓋古書之文也。先事後得、……大氐古人所謂學、在應事接物之際、而非如後世動求諸心者。故謂之事。可以見已)とある。稠人は、多くの人。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十