先進第十一 25 子路曾晳冉有公西華侍坐章(5)
5)點爾何如。鼓瑟希。鏗爾舍瑟而作。對曰、異乎三子者之撰。子曰、何傷乎。亦各言其志也。曰、莫春者、春服既成。冠者五六人、童子六七人、浴乎沂、風乎舞雩、詠而歸。夫子喟然歎曰、吾與點也。
点、爾は何如。瑟を鼓すること希なり。鏗爾として瑟を舎きて作つ。対えて曰く、三子者の撰に異なり。子曰く、何ぞ傷まんや。亦た各〻其の志を言うなり。曰く、莫春には、春服既に成る。冠者五六人、童子六七人、沂に浴し、舞雩に風し、詠じて帰らん。夫子喟然として歎じて曰く、吾は点に与せん。
現代語訳
- 「点くん、きみはどう…。」琴をひきやめ、ボロンと手ばなしで立つと、お答えした、「三人のかたとはちがいますので…。」先生 ――「なあに平気さ。めいめいの希望をいうだけだもの。」答え ―― 「三月には春着もととのいますから、おとな五、六人、こども六、七人で、沂(キ)の川の湯にはいり、雨ごい台で涼んでから、歌って帰りましょう。」先生はウームと感心して ―― 「わしも点くんの同類じゃ。」(魚返善雄『論語新訳』)
- そこで最後に曾晳に向かって、「点よ、お前はどうじゃな。」と問われた。曾晳はその時右の問答を聞きながら二十五絃琴をジャマにならぬ程度にポツンポツンとひいていたが、カチャンと音をさせて、琴を置き起立して、「私のは三君の抱負とはおよそ種類ちがいでござりますから。」と遠慮したところ「めいめいに思ったことを言うだけだから、何のさしつかえがあろうや。」と孔子様がおっしゃるので、「それでは申し上げますが、晩春の寒からず暑からぬ好季節に、仕立おろしの春着をき、五六人の若い者や六七人の少年たちをつれて、沂水のほとりの温泉に入浴し、舞雩の雨乞台でひとすずみして、鼻歌でもうたいながらブラブラ帰って来とうござります。」と言った。すると孔子様がああと歎息されて、「わしも点の仲間入りがしたいものじゃ。」とおっしゃった。(穂積重遠『新訳論語』)
- 先師、――
「点よ、お前はどうだ」
曾晳は、それまで、みんなのいうことに耳をかたむけながら、ぽつん、ぽつんと瑟を弾じていたが、先師にうながされると、がちゃりとそれをおいて立ちあがった。そしてこたえた。――
「私の願いは、三君とはまるでちがっておりますので……」
先師、――
「なに、かまうことはない。みんなめいめいに自分の考えていることをいってみるまでのことだ」
曾晳――
「では申しますが、私は、晩春のいい季節に、新しく仕立てた春着を着て、青年五、六人、少年六、七人をひきつれ、沂水で身を清め、舞雩でひと涼みしたあと、詩でも吟じながら帰って来たいと、まあそんなことを考えております」
すると先師は深い感嘆のため息をもらしていわれた。――
「私も点の仲間になりたいものだ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
- 点 … 孔子の弟子、曾晳の名。前546~?。曾子の父。姓は曾、名は点、また蒧。字は晳。子晳ともいう。ウィキペディア【曾点】(中文)参照。
- 瑟 … おおごと。二十五弦。
- 鼓 … 弾く。
- 希 … ポツンポツンと途切れ途切れに音を出す。
- 鏗爾 … 琴を下に置くときに出る音の形容。
- 舎 … 置く。
- 作 … 立つ。立ち上がる。
- 三子者 … 三人のかた。三君。
- 撰 … 選んで述べた言葉。ここでは抱負。
- 何傷乎 … どうして心を傷めることがあろうか、いや何も気にすることはない。何も遠慮することはない。かまわないじゃないか。反語形。
- 莫春 … 晩春。季春。陰暦の三月。「莫」は「暮」に同じ。
- 春服 … 春着。
- 既成 … 新しく仕立て上がる。
- 冠者 … 元服をして冠をつけた二十歳ぐらいの青年。
- 童子 … 元服していない、十五、六歳の少年。
- 浴乎沂 … 沂水(きすい・ぎすい)のほとりの温泉に入浴する。「沂」は、曲阜の南を流れる川。そのほとりに温泉があったという。「乎」は「於」に同じ。
- 舞雩 … 天をまつって雨乞いをするとき、舞を舞う祭壇。雨乞い台。
- 風 … 涼しい風にふかれる。涼む。
- 詠 … 歌をうたう。
- 喟然 … 嘆息するさま。
- 歎 … 感嘆する。
- 与 … 「くみす」と読む。賛成する。仲間になる。
補説
- 点(曾晳) … 『孔子家語』七十二弟子解に「曾点は曾参の父、字は子晳。時に礼教の行われざるを疾み、之を修めんと欲す。孔子焉を善とす。論語の所謂、沂に浴し、舞雩の下に風せんと」(曾點曾參父、字子晳。疾時禮教不行、欲修之。孔子善焉。論語所謂浴乎沂、風乎舞雩之下)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「曾蒧、字は晳。孔子に侍す。孔子曰く、爾の志を言え、と。蒧曰く、春服既に成り、冠者五六人、童子六七人、沂に浴し、舞雩に風し、詠じて帰らん、と。孔子喟爾として歎じて曰く、吾は蒧に与せん、と」(曾蒧字晳。侍孔子。孔子曰、言爾志。蒧曰、春服既成、冠者五六人、童子六七人、浴乎沂、風乎舞雩、詠而歸。孔子喟爾歎曰、吾與蒧也)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
- 点爾何如。鼓瑟希 … 『集解』に引く孔安国の注に「対うる所以を思い、故に音希なり」(思所以對、故音希也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「赤の答うること既に竟う。又た曾晳に問うなり。鼓は、猶お弾のごときなり。希は、疎なり。点政に瑟を弾く。既に孔子の問いを得、将に対うる所以の言を思わんとす。故に瑟を弾くこと手遅くして声希なり」(赤答既竟。又問曾晳也。鼓、猶彈也。希、疎也。點政彈瑟。既得孔子之問、將思所以對之言。故彈瑟手遲而聲希也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「又た曾晳に問うなり。時に曾晳方に瑟を鼓し、師の問いを承け、対うる所以を思う、故に音希なり」(又問曾晳也。時曾晳方鼓瑟、承師之問、思所以對、故音希也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「四子侍坐するに、歯を以て序と為さば、則ち点は当に次に対うべし。方に瑟を鼓するを以て、故に孔子先ず求と赤に問い、而る後に点に及ぶなり。希は、間歇なり」(四子侍坐、以齒爲序、則點當次對。以方鼓瑟、故孔子先問求赤、而後及點也。希、間歇也)とある。歯は、年齢。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 鏗爾舎瑟而作。対曰、異乎三子者之撰 … 『集解』に引く孔安国の注に「瑟を置き起ちて対うるなり。撰は、具なり。政を為すの具なり。鏗爾とは、瑟を投ずるの声なり」(置瑟起對也。撰、具也。爲政之具也。鏗爾者、投瑟之聲也)とある。また『義疏』に「鏗は、瑟を投ずるの声なり。捨投なり。作は、起なり。点、之に対うる所以の辞を思い、将に仰ぎ答えんと欲せんとす。故に瑟を投じて起ちて対うるなり。起ちて対うるとは、礼なり。点独り起ちて云うは、則ち求・赤の起つこと知る可きなり。撰は、具なり。点、起ちて対えて云う、己の志す所の者は、路・求・赤三子の志の具うる所に異なれり。具うる所は、即ち千乗の国等、是れなり、と」(鏗、投瑟聲也。捨投也。作、起也。點思所以對之辭、將欲仰答。故投瑟而起對也。起對者、禮也。點獨云起、則求赤起可知也。撰、具也。點起而對云、己所志者、異於路求赤三子之志所具。所具、即千乘之國等是也)とある。また『注疏』に「作は、起なり。舎は、置なり。鏗は、瑟を投ずるの声なり。思いて其の対うるを得れば、故に瑟を置きて起ちて対え、其の瑟を投置して声鏗然なるなり。撰は、具なり。未だ敢えて其の志を言わず、先ず此の辞を対え、言うこころは己の志す所は、三子者の陳ぶる所の為政の具に異なるなり」(作、起也。舍、置也。鏗、投瑟聲也。思得其對、故置瑟起對、投置其瑟而聲鏗然也。撰、具也。未敢言其志、先對此辭、言己之所志、異乎三子者所陳爲政之具也)とある。また『集注』に「作は、起なり。撰は、具なり」(作、起也。撰、具也)とある。
- 子曰、何傷乎。亦各言其志也 … 『集解』に引く孔安国の注に「各〻己の志を言い、義に於いて之を傷むこと無かれ」(各言己志、於義無傷之)とある。また『義疏』に「孔子、点の志異なれるを聞く。故に云う、人性志す所各〻異なれり。亦た何ぞ傷まんや、と。汝但だ当に之を言うべし」(孔子聞點志異。故云、人性所志各異。亦何傷乎。汝但當言之)とある。また『注疏』に「孔子曾晳の謙を持し、其の対うるを難るを見、故に此の言を以て之を誘いて曰く、義に於いて何ぞ傷まんや。亦た各〻其の志を言えるなり、と。其の志す所に任じて言わしめんと欲するなり」(孔子見曾晳持謙、難其對、故以此言誘之曰、於義何傷乎。亦各言其志也。欲令任其所志而言也)とある。
- 曰、莫春者、春服既成 … 『集解』に引く包咸の注に「莫春とは、季春三月なり。春服既に成るは、単袷を衣るの時なり。我冠者五六人、童子六七人を得て、沂水の上に浴し、舞雩の下に風涼し、先王の道を歌詠して、夫子の門に帰らんと欲するなり」(莫春者、季春三月也。春服既成、衣單袷之時也。我欲得冠者五六人、童子六七人、浴乎沂水之上、風涼於舞雩之下、歌詠先王之道、而歸夫子之門也)とある。単袷は、ひとえやあわせの衣。また『義疏』に「此れ点志を言うなり。暮春は、辰を建つるを謂う。夏の三月なり。年に四時有り、時に三月有り。初月を孟と為し、次なる者を仲と為し、後の者を季と為す。季春は是れ三月なり。季春と云わずして暮春と云えるは、月末に近ければなり。月末其の時已に暖かなり。春服成るとは、天時暖かにして衣服単袷の者成るなり」(此點言志也。暮春、謂建辰。夏之三月也。年有四時、時有三月。初月爲孟、次者爲仲、後者爲季。季春是三月也。不云季春而云暮春者、近月末也。月末其時已暖也。春服成者、天時暖而衣服單袷者成也)とある。また『注疏』に「此れ曾点の志す所なり。莫春は、季春なり。春服既に成り、単袷を衣るの時なり」(此曾點所志也。莫春、季春也。春服既成、衣單袷之時也)とある。また『集注』に「莫春は、和煦の時。春服は、単袷の衣。浴は、盥濯なり。今の上巳の祓除、是れなり」(莫春、和煦之時。春服、單袷之衣。浴、盥濯也。今上巳祓除、是也)とある。和煦は、春の日の暖かなこと。盥濯は、手足を洗うこと。上巳は、陰暦三月の最初の巳の日。この日、川のほとりで禊ぎをした。祓除は、神に祈って、穢れや災いを祓い除く儀式。
- 莫春 … 『義疏』では「暮春」に作る。
- 冠者五六人 … 『義疏』に「已に加冠するは成人者なり。五六とは、其の数を趣挙するなり」(已加冠成人者也。五六者、趣舉其數也)とある。
- 冠者 … 『義疏』では「得冠者」に作る。
- 童子六七人 … 『義疏』に「童子は、未だ冠せざるの称なり。又た未だ冠せざる者六七人有るなり。或いは云う、冠者五六は、冠者三十人なり。童子六七は、六七四十二人なり。四十二に三十を就し合して、七十二人と為すなり。孔子、堂に升る者七十二人なり、と」(童子、未冠之稱也。又有未冠者六七人也。或云、冠者五六、冠者三十人也。童子六七、六七四十二人也。四十二就三十合、爲七十二人也。孔子升堂者七十二人也)とある。
- 浴乎沂 … 『義疏』に「沂は、水名なり。暮春は既に暖かなり。故に諸朋友と相随いて、沂水に往きて浴するなり」(沂、水名也。暮春者既暖。故與諸朋友相隨、往沂水而浴也)とある。また『集注』に「沂は、水の名、魯の城南に在り。地志以て温泉有りと為す。理或いは然らん」(沂、水名、在魯城南。地志以爲有温泉焉。理或然也)とある。
- 風乎舞雩 … 『義疏』に「風は、風涼なり。舞雩は、請雨の壇の処なり。請雨の祭り、之を雩と謂う。雩は、吁なり。民雨を得ず、故に吁嗟するなり。祭りて巫舞す。故に舞雩を為すと謂うなり。沂水の上に請雨の壇有り。壇上に樹木有り。故に沂に入りて浴し、出でて壇に登り、樹下を庇い、風涼を逐うなり。故に王弼云う、沂水は孔子の宅に近し。舞雩の壇其の上に在り。壇に樹木有り。遊ぶ者託するなり、と」(風、風涼也。舞雩、請雨之壇處也。請雨祭、謂之雩。雩、吁也。民不得雨、故吁嗟也。祭而巫舞。故謂爲舞雩也。沂水之上有請雨之壇。壇上有樹木。故入沂浴、出登壇、庇于樹下、逐風涼也。故王弼云、沂水近孔子宅。舞雩壇在其上。壇有樹木。遊者託焉也)とある。また『集注』に「風すは、涼に乗るなり。舞雩は、天を祭り雨を禱るの処、壇墠樹木有るなり」(風、乘涼也。舞雩、祭天禱雨之處、有壇墠樹木也)とある。
- 詠而帰 … 『義疏』に「浴竟わり涼罷み、日の光既に稍〻晩れぬ。是に於いて朋友先王の道を詠歌して、孔子の門に帰還するなり」(浴竟涼罷、日光既稍晩。於是朋友詠歌先王之道、歸還孔子之門也)とある。また『注疏』に「我二十以上の冠者の五六人、十九以下の童子の六七人と与に、沂水の上に浴し、舞雩の下に風涼し、先王の道を歌詠して、夫子の門に帰らんことを得んと欲するなり」(我欲得與二十以上冠者五六人、十九以下童子六七人、浴乎沂水之上、風涼於舞雩之下、歌詠先王之道、而歸夫子之門也)とある。また『集注』に「詠は、歌なり」(詠、歌也)とある。
- 夫子喟然歎曰、吾与点也 … 『集解』に引く周生烈の注に「点の独り時を知るを善す」(善點獨知時)とある。善すは、褒めること。また『義疏』に「孔子は点の願いを聞く。是を以て喟然として歎ずるなり。既に歎じて云う、吾は点に与せん、と。言うこころは我が志は点と同じきなり。同じとする所以の者は、当時道消く世乱れ、馳せ競う者衆し。故に諸弟子皆仕進を以て心と為す。唯だ点のみ独り時の変を識る。故に之に与するなり。故に李充云く、其の能く道を楽しみ時を知り、逍遥游詠の至りを善みするなり。夫れ人各〻能有り、性各〻尚ぶこと有り、能く其の長とする所を舎てて、其の短とする所を為すこと鮮なし。彼の三子者の云く、誠に各〻其の志を言う可し。然るに此の諸賢、既已に漸くに風流に染み、道化を喰服して、親しく聖師を仰ぐ、之を誨えて倦むこと無し、先王の門、豈に執政の先とする所ならんや。嗚呼、遽かに一たび鄙願を忘るること能わずして、暫く雅好に同じきかな。諒に知んぬ情は中より来たる、仮とす可からず。已に唯だ曾て生超然として、独り徳音を対揚して、予が風儀を起こす。其の辞は精にして遠し、其の指高くして適えり、亹亹乎たるかな、固に盛徳の同じうする所なり。三子の談、茲に於いて陋し、と」(孔子聞點之願。是以喟然而歎也。既歎而云、吾與點也。言我志與點同也。所以與同者、當時道消世亂、馳競者衆。故諸弟子皆以仕進爲心。唯點獨識時變。故與之也。故李充云、善其能樂道知時、逍遙游詠之至也。夫人各有能、性各有尚、鮮能舍其所長、而爲其所短。彼三子者之云、誠可各言其志矣。然此諸賢、既已漸染風流、喰服道化、親仰聖師、誨之無倦、先王之門、豈執政之所先乎。嗚呼、遽不能一忘鄙願、而暫同于雅好哉。諒知情從中來、不可假。已唯曾生超然、獨對揚德音、起予風儀。其辭精而遠、其指高而適、亹亹乎、固盛德之所同也。三子之談、於茲陋矣)とある。「超然」は底本では「起然」に作るが、諸本に従い改めた。また『注疏』に「喟然は、歎ずるの貌なり。夫子其の道を楽しむを聞き、故に喟然として歎じて曰く、吾点の志に与せん、と。其の独り時を知りて、為政を求めざるを善みするなり」(喟然、歎之貌。夫子聞其樂道、故喟然而歎曰、吾與點之志。善其獨知時、而不求爲政也)とある。
- 『集注』に「曾点の学、蓋し以て夫の人欲尽くる処、天理流行し、随処に充満して、少しの欠闕無きを見ること有り。故に其の動静の際、従容たること此くの如し。而して其の志を言うこと、則ち又た其の居る所の位に即きて、其の日用の常を楽しむに過ぎず、初めより己を舎て人の為にするの意無し。而して其の胸次は悠然、直ちに天地万物と、上下流れを同じくす。各〻其の所を得るの妙、隠然として自ら言外に見わる。三子の事為の末に規規たる者に視ぶれば、其の気象侔しからず。故に夫子歎息して深く之を許して、門人其の本末を記すに、独り詳を加う。蓋し亦た以て此を識ること有らん」(曾點之學、蓋有以見夫人欲盡處、天理流行、隨處充滿、無少欠闕。故其動靜之際、從容如此。而其言志、則又不過即其所居之位、樂其日用之常、初無舍己爲人之意。而其胸次悠然、直與天地萬物、上下同流。各得其所之妙、隱然自見於言外。視三子之規規於事爲之末者、其氣象不侔矣。故夫子歎息而深許之、而門人記其本末、獨加詳焉。蓋亦有以識此矣)とある。欠闕は、欠けて足らないもの。
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