為政第二 5 孟懿子問孝章
021(02-05)
孟懿子問孝。子曰、無違。樊遲御。子告之曰、孟孫問孝於我。我對曰、無違。樊遲曰、何謂也。子曰、生事之以禮、死葬之以禮、祭之以禮。
孟懿子問孝。子曰、無違。樊遲御。子告之曰、孟孫問孝於我。我對曰、無違。樊遲曰、何謂也。子曰、生事之以禮、死葬之以禮、祭之以禮。
孟懿子、孝を問う。子曰く、違うこと無かれ、と。樊遅御たり。子之に告げて曰く、孟孫、孝を我に問う。我対えて曰く、違うこと無かれ、と。樊遲曰く、何の謂ぞや、と。子曰く、生きては之に事うるに礼を以てし、死しては之を葬るに礼を以てし、之を祭るに礼を以てす、と。
現代語訳
- 孟孫さんが孝行についてきく。先生 ――「ほどを知ることです。」樊遅(ハンチ)のやる馬車で、先生が言われた、「孟孫が孝行をきいたから、わしは『ほどを知れ』といったよ。」樊遅 ―― 「どういう意味ですか。」先生 ――「親には、ほどよくつかえる。死んだら、ほどよくとむらい、供養もほどよくすること。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 孔子様が魯の大夫の孟孫家を訪問されたとき、主人の孟懿子が孝について質問したので、「違うことなかれ」と答えられた。その帰り道に、馬車の御者をつとめていた門人樊遅に、「孟孫家の主人が孝のことをたずねたので、わしは『違うことなかれ』と答えたよ。」と話された。すると樊遅が「それはどういう意味でござりますか。」とおたずねしたので、孔子様がおっしゃるよう、「親の存命中は礼をもって事え、親が死んだら礼をもって葬り、その後の祭も礼をもって執り行え、すなわち『違うことなかれ』とは、礼に違うな、という意味だったのじゃ。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 大夫の孟懿子が孝の道を先師にたずねた。すると先師はこたえられた。――
「はずれないようになさるがよろしいかと存じます」
そのあと、樊遅が先師の車の御者をつとめていた時、先師が彼にいわれた。――
「孟孫が孝の道を私にたずねたので、私はただ、はずれないようになさるがいい、とこたえておいたよ」
樊遅がたずねた。――
「それはどういう意味でございましょう」
先師がこたえられた。――
「親の存命中は礼をもって仕え、その死後は礼をもって葬り、礼をもって祭る。つまり、礼にはずれないという意味だ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
補説
- 『注疏』に「此の章は孝には必ず礼を以てするを明らかにするなり」(此章明孝必以禮)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 孟懿子問孝 … 『集解』に引く孔安国の注に「魯の大夫の仲孫何忌なり。懿は、諡なり」(魯大夫仲孫何忌。懿、諡也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「孟懿子は魯の大夫なり。孝を問うは、孔子に孝を為すの法を問うなり。仲孫は是れ氏なり。何忌は是れ名なり。然るに孟懿子と曰いて仲孫と云わざるは、魯に三卿有り、八佾に至りて自ずから釈するなり」(孟懿子魯大夫也。問孝問於孔子爲孝之法也。仲孫是氏也。何忌是名也。然曰孟懿子而不云仲孫者、魯有三卿、至八佾自釋也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「魯の大夫の仲孫何忌、孝道を孔子に問うなり」(魯大夫仲孫何忌問孝道於孔子也)とある。また『集注』に「孟懿子は、魯の大夫の仲孫氏、名は、何忌」(孟懿子、魯大夫仲孫氏、名、何忌)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 子曰、無違 … 『義疏』に「孔子の答えなり。言うこころは孝を行うとは、毎事須らく違逆する所無きに従うべきなり」(孔子答也。言行孝者、每事須從無所違逆也)とある。また『注疏』に「此れ夫子の答辞なり。孝を行うの道は、礼に違うを得ること無きを言うなり」(此夫子答辭也。言行孝之道、無得違禮也)とある。また『集注』に「違うこと無しとは、理に背かざるを謂う」(無違、謂不背於理)とある。
- 樊遅 … 『孔子家語』七十二弟子解に「樊須は魯人、字は子遅。孔子より少きこと四十六歳。弱にして季氏に仕う」(樊須魯人、字子遲。少孔子四十六歳。弱仕於季氏)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。また『史記』仲尼弟子列伝には「樊須、字は子遅。孔子より少きこと三十六歳」(樊須字子遲。少孔子三十六歳)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
- 樊遅御 … 『義疏』に「樊遅は、孔子の弟子の樊須なり。字は子遅。御は、車を御するなり。樊遅時に孔子の為に車を御するを謂う」(樊遲、孔子弟子樊須也。字子遲。御、御車也。謂樊遲時爲孔子御車也)とある。また『注疏』に「弟子の樊須夫子の為に車を御するなり」(弟子樊須爲夫子御車也)とある。また『集注』に「樊遅は、孔子の弟子、名は須。御は、孔子の為に車を御するなり」(樊遲、孔子弟子、名須。御、爲孔子御車也)とある。
- 子告之曰、孟孫問孝於我。我対曰、無違 … 『集解』に引く鄭玄の注に「孟孫違うこと無かれの意を暁らず、将に樊遅に問わんとす。故に之に告ぐ。樊遅は、弟子の樊須なり」(孟孫不曉無違之意、將問於樊遲。故告之。樊遲、弟子樊須也)とある。また『義疏』に「孟孫は即ち懿子なり。孔子前に懿子の問いに答えて云う、違うこと無かれ、と。懿子の解せざるを恐る。而して他日樊遅は孔子の御車と為る、孔子は樊遅をして孟孫違うこと無かれの旨を解するを為さしめんを欲す。故に樊遅に語げて云う、孟孫は孝を我に問う、我対えて曰く、違うこと無かれ、と」(孟孫即懿子也。孔子前答懿子之問云、無違。恐懿子不解。而他日樊遲爲孔子御車、孔子欲使樊遲爲孟孫解無違之旨。故語樊遲云、孟孫問孝於我、我對曰、無違也)とある。また『注疏』に「孟孫は、即ち懿子なり。孔子孟孫違うこと無かれの意を暁らず、而して懿子と樊遅とは友として善ければ、必ず将に樊遅に問わんとするを恐れ、故に夫子之に告ぐ」(孟孫、即懿子也。孔子恐孟孫不曉無違之意、而懿子與樊遲友善、必將問於樊遲、故夫子告之)とある。また『集注』に「孟孫は、即ち仲孫なり。夫子、懿子の未だ達せずして問うこと能わざるを以て、其の指を失いて、親の令に従うを以て孝と為すを恐る。故に樊遅に語げ、以て之を発す」(孟孫、即仲孫也。夫子以懿子未達而不能問、恐其失指、而以從親之令爲孝。故語樊遲以發之)とある。
- 樊遅曰、何謂也 … 『義疏』に「樊遅も亦た違うこと無かれの旨を暁らず。故に之を何の謂ぞやと反問するなり」(樊遲亦不曉無違之旨。故反問之何謂也)とある。また『注疏』に「樊遅も亦た未だ違うこと無かれの旨に達せず、故に復た問いて曰く、何の謂ぞや、と」(樊遲亦未達無違之旨、故復問曰、何謂也)とある。
- 子曰、生事之以礼、死葬之以礼、祭之以礼 … 『義疏』に「樊遅に向かって旨に違うこと無きを釈するなり。孟孫三家、偕に濫れて礼に違う。故に孔子事毎に須らく礼すべきを以て答えと為すなり。此の三事は人子の大礼たり。故に特だ之を挙ぐるのみ。故に衛瓘曰く、三家僭侈にして、皆礼を以てせざるなり、故に礼を以て之に答うるなり、と。或ひと問いて曰く、孔子何ぞ即ち孟孫に告げずして、乃ち還りて樊遅に告ぐるや、と。答えて曰く、孟孫を厲まさんと欲す、言うこころは其の人委曲にして即ち亦た示すに足らざるなり。独り樊遅に告ぐる所以は、旧説に云く、樊遅孟孫と親狎す、必ず之に問うなり、と。一に云う、孟孫問う時、樊遅側に在り、孔子孟孫暁らずして、後に必ず樊遅に問わんことを知れり、故に後、遅御たる時にして遅に告ぐるなり、と」(向樊遲釋無違旨也。孟孫三家、偕濫違禮。故孔子以每事須禮爲答也。此三事爲人子之大禮。故特舉之也。故衞瓘曰、三家僭侈、皆不以禮也、故以禮答之也。或問曰、孔子何不即告孟孫、乃還告樊遲耶。答曰、欲厲於孟孫、言其人不足委曲即亦示也。所以獨告樊遲者、舊説云、樊遲與孟孫親狎、必問之也。一云、孟孫問時、樊遲在側、孔子知孟孫不曉、後必問樊遲、故後遲御時而告遲也)とある。また『注疏』に「此れ夫子為に違うこと無かれの事を説くなり。生けるときには之に事うるに礼を以てすとは、冬は温かくし、夏は清しくし、昏には定めて、晨には省みるの属を謂うなり。死せるときには之を葬むるに礼を以てすとは、之が棺椁・衣衾を為りて之を挙げ、其の宅兆を卜して、之を安措するの属を謂うなり。之を祭るに礼を以てすとは、春秋に祭祀して時を以て之を思い、其の簠簋を陳べて之を哀戚するの属を謂うなり。此の礼に違わざるは、是れ違うこと無かれの理なり。即ち孟孫に告げざるは、初時の意は簡略に在れば、思いて之を得しめんと欲すればなり。必ず樊遅に告ぐるは、孟孫の父の令に従うは是れ違うこと無かれと以為うを恐れ、故に既に与に別かれ、後に樊遅に告げ、将に復た孟孫に告げしめんとするなり」(此夫子爲説無違之事也。生事之以禮、謂冬溫、夏清、昏定、晨省之屬也。死葬之以禮、謂爲之棺椁衣衾而舉之、卜其宅兆、而安措之之屬也。祭之以禮、謂春秋祭祀以時思之、陳其簠簋而哀戚之之屬也。不違此禮、是無違之理也。不即告孟孫者、初時意在簡略、欲使思而得之也。必告樊遲者、恐孟孫以爲從父之令是無違、故既與別、後告於樊遲、將使復告孟孫也)とある。また『集注』に「生事葬祭は、親に事うるの始終具われり。礼は、即ち理の節文なり。人の親に事うるは、始めより終わりに至るまで、礼に一にして苟めにせず。其の親を尊ぶや至れり。是の時三家礼を僣す。故に夫子是を以て之を警む。然れども語意渾然として、又た専ら三家の為にのみ発せざる者の若し。聖人の言たる所以なり」(生事葬祭、事親之始終具矣。禮、即理之節文也。人之事親、自始至終、一於禮而不苟。其尊親也至矣。是時三家僭禮。故夫子以是警之。然語意渾然、又若不專爲三家發者。所以爲聖人之言也)とある。
- 『集注』に引く胡寅の注に「人の其の親に孝せんと欲するや、心窮まり無しと雖も、而して分は則ち限り有り。為すことを得て為さざると、為すことを得ずして之を為すとは、不孝に均し。所謂礼を以てすとは、其の為すことを得る所の者を為すのみ」(人之欲孝其親、心雖無窮、而分則有限。得爲而不爲、與不得爲而爲之、均於不孝。所謂以禮者、爲其所得爲者而已矣)とある。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「夫子又た懿子違うこと無かれの旨を達せざるを恐る。故に樊遅に語げて以て其の意を発す。……懿子は魯の世卿にして民の具に瞻る所なり。故に夫子此を以て之に告ぐ」(夫子又恐懿子不達無違之旨。故語樊遲以發其意。……懿子魯之世卿。而民所具瞻。故夫子以此告之)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』に「違うこと無しとは、親の心に違うこと無きなり。……後儒は識浅く性急なり。烏くんぞ之を知らんや」(無違者、無違於親之心也。……後儒識淺性急。烏知之哉)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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