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見京兆韋参軍量移東陽(李白)

見京兆韋參軍量移東陽
けいちょう参軍さんぐん東陽とうようりょうせらるるを
はく
  • 五言絶句。呉・珠(平声虞韻)。
  • ウィキソース「見京兆韋參軍量移東陽 (潮水還歸海)」参照。
  • 詩題 … 二首連作の第一首。『万首唐人絶句』(両種とも)では「見韋參軍量移東陽」に作る。『宋本』『繆本』『蕭本』『郭本』『許本』『劉本』には、題下に「呉中」とある。
  • 京兆 … 京兆府。長安(現在の西安市)一帯のこと。『旧唐書』地理志、関内道、京兆府の条に「隋の京兆郡、……武徳元年(618)、改めて雍州と為す。……開元元年(713)、雍州を改めて京兆府と為す、隋の旧名に復す」(隋京兆郡、……武德元年、改爲雍州。……開元元年、改雍州爲京兆府、復隋舊名)とある。ウィキソース「舊唐書/卷38」参照。
  • 韋 … 韋は姓。韋某。人物については不明。
  • 参軍 … 官名。参軍事の略称。府や県の属官。軍事の相談にあたる。軍事参議官。
  • 東陽 … 現在の浙江省金華市東陽市。『元和郡県図志』江南道、州、東陽県の条に「もと漢の烏傷県の地、すいきょう二年(686)、義烏県を分ちて置く、もとの東陽郡の名を取るなり」(本漢烏傷縣地、垂拱二年分義烏縣置、取舊東陽郡名也)とある。ウィキソース「元和郡縣圖志/卷26」参照。
  • 量移 … 罪のために辺地に左遷されていた役人が、情状を酌量されて近い所に転任させられること。『旧唐書』玄宗紀、開元二十年十一月の条に「しょう、天下に大赦し、左降の官、近処に量移す」(上、大赦天下、左降官量移近處)とある。ウィキソース「舊唐書/卷8」参照。また清の顧炎武『日知録』巻三十二、量移の条に「唐朝の人、罪を得て遠方に貶竄へんざんせられ、赦に遇い近地に改めらる、之を量移と謂う」(唐朝人、得罪貶竄遠方、遇赦改近地、謂之量移)とある。ウィキソース「日知錄/卷32」参照。
  • 京兆府の参軍事をしていた韋某が、何かの罪で嶺南に流されていたが、罪を減ぜられて東陽に転任となって帰ってきた。この詩は、当時呉の地方にいた作者が彼に会って贈ったもの。安旗主編『新版 李白全集編年注釋』(巴蜀書社、2000年)によると、開元二十七年(739)、三十九歳の作。
  • 李白 … 701~762。盛唐の詩人。あざなは太白。蜀の隆昌県青蓮郷(四川省江油市青蓮鎮)の人。青蓮居士と号した。科挙を受験せず、各地を遊歴。天宝元年(742)、玄宗に召されて翰林かんりん供奉ぐぶ(天子側近の文学侍従)となった。しかし、玄宗の側近で宦官の高力士らに憎まれて都を追われ、再び放浪の生活を送った。杜甫と並び称される大詩人で「詩仙」と仰がれた。『李太白集』がある。ウィキペディア【李白】参照。
潮水還歸海
ちょうすい めぐりてうみかえ
  • 潮水 … 海水。うしお
  • 還 … めぐりめぐって。「た」「かえって」と読んでもよい。
  • 帰海 … 海に帰ってゆく。『尚書大伝』に「大水・小水は、東流して海に帰す」(大水小水、東流歸海也)とある。ウィキソース「尚書大傳/卷1」参照。
流人卻到吳
りゅうじん かえっていた
  • 流人 … 流刑に処せられた罪人。ここでは韋氏を指す。『荘子』徐無鬼篇に「子、夫の越の流人を聞かざるか」(子不聞夫越之流人乎)とあり、その注に「流人は、罪有りて自らりゅうする者なり」(流人、有罪自流徙者也)とある。流徙は、あちこちとさまようこと。ウィキソース「莊子/徐無鬼」「荘子注 (四庫全書本)/卷08」参照。
  • 却 … かえって。予期に反して。ここでは京兆(長安)に帰るはずが東陽までしか帰ることができなかったことを指す。『唐詩選』『全唐詩』(中華書局点校本)『王本』『万首唐人絶句』(万暦刊本)では「卻」に作る。異体字。
  • 呉 … 春秋時代の国の一つ。今の江蘇省のうち長江以南の地を中心とし、浙江省の北の一部までを指す。東陽は「越」の地に属すが、ここでは押韻の関係もあり、「呉越」の地という意から単に「呉」といったものと思われる。ウィキペディア【呉 (春秋)】参照。
相逢問愁苦
あいうてしゅうえば
  • 相逢 … 君に出会って。
  • 愁苦 … 配所での愁いや苦しみ。『楚辞』九歌の「少司命」に「ひとにはおのずから美子びしり、そんなにもっしゅうする」(夫人自有兮美子、蓀何以兮愁苦)とある。美子は、よき配偶者。蓀は、香草の名。ここでは相手の美称。あなた。ウィキソース「九歌」参照。
  • 問 … 尋ねたら。
淚盡日南珠
なみだく 日南にちなんしゅ
  • 尽 … 「ことごとく」と副詞的に読んでもよい。
  • 日南 … 漢代の郡名。現在のベトナムの首都ハノイの南。『読史方輿紀要』歴代州域形勢、前漢、交州刺史部、日南郡の条に「秦の象郡の地、後に南越に属す、元鼎六年(前111)、郡を置く」(秦象郡地、後屬南越、元鼎六年置郡)とある。ウィキソース「讀史方輿紀要/卷二」参照。ここでは日南を含む嶺南の地(広東省、広西チワン族自治区とベトナム北部)を指す。
  • 珠 … 真珠。
  • 日南珠 … 日南でとれる真珠。南海に住む鮫人こうじん(人魚)の涙が真珠になったという伝説を踏まえる。『別国洞冥記』巻二(『漢魏叢書』所収)に「吠勒はいろく国……長安を去ること九千里、日南に在り。人たけ七尺、はつきびすに至る。犀象さいぞうの車に乗り、象に乗りて海底に入り宝を取る。鮫人の舎に宿しゅくせば、涙珠るいしゅ。則ち鮫の泣く所の珠なり。亦たきゅうしゅと曰う」(吠勒國……去長安九千里、在日南。人長七尺、被髮至踵。乘犀象之車、乘象入海底取寶。宿於鮫人之舍、得淚珠。則鮫所泣之珠也。亦曰泣珠)とある。被髪は、ざんばら髪。ウィキソース「洞冥記/卷第二」参照。また『述異記』巻下に「南海の中に鮫人の室有り。水に居ること魚の如く、しょくせきを廃せず。其の眼は泣けば則ち珠をいだす」(南海中有鮫人室。水居如魚、不廢機織。其眼泣則出珠)とある。織績は、糸を紡いだり、布を織ったりすること。ウィキソース「述異記」参照。また「呉都の賦」(『文選』巻五)に「淵客慷慨して珠をなみだす」(淵客慷慨而泣珠)とあり、その注に「鮫人は水底に居るなり。俗に伝うるに、鮫人水中より出でて、曾て人家に寄寓し、日を積みて綃を売る。綃とは、竹孚俞なり。鮫人去るに臨み、主人より器を索め、泣いて珠を出し盤に満てて、以て主人に与う」(鮫人水底居也。俗傳鮫人從水中出、曾寄寓人家、積日賣綃。綃者、竹孚俞也。鮫人臨去、從主人索器、泣而出珠滿盤、以與主人)とある。ウィキソース「六臣註文選 (四部叢刊本)/卷第五」参照。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻六(『漢文大系 第二巻』冨山房、1910年)
  • 『全唐詩』巻一百六十八(揚州詩局本縮印、上海古籍出版社、1985年)
  • 『全唐詩』巻一百六十八(点校本、中華書局、1960年)
  • 『李太白文集』巻八(静嘉堂文庫蔵宋刊本影印、平岡武夫編『李白の作品』所収、略称:宋本)
  • 『李太白文集』巻八(ぼくえつ重刊、雙泉草堂本、略称:繆本)
  • 『分類補註李太白詩』巻九(しょういん補注、内閣文庫蔵、略称:蕭本)
  • 『分類補註李太白詩』巻九(蕭士贇補注、郭雲鵬校刻、『四部叢刊 初篇集部』所収、略称:郭本)
  • 『分類補註李太白詩』巻九(蕭士贇補注、許自昌校刻、『和刻本漢詩集成 唐詩2』所収、略称:許本)
  • 『李翰林集』巻六(景宋咸淳本、劉世珩刊、江蘇広陵古籍刻印社、略称:劉本)
  • 『李太白全集』巻九(王琦編注、『四部備要 集部』所収、略称:王本)
  • 『万首唐人絶句』五言・巻一(明嘉靖刊本影印、文学古籍刊行社、1955年)
  • 趙宦光校訂/黄習遠補訂『万首唐人絶句』巻三(万暦三十五年刊、内閣文庫蔵)
  • 『唐詩品彙』巻三十九(汪宗尼本影印、上海古籍出版社、1981年)
  • 『古今詩刪』巻二十(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、50頁)
  • 『唐詩解』巻二十一(清順治十六年刊、内閣文庫蔵)
  • 『唐宋詩醇』巻五(乾隆二十五年重刊、紫陽書院、内閣文庫蔵)
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