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呉子 れい第六

01 武侯問曰、嚴刑明賞、足以勝乎。
こういていわく、けいげんにししょうあきらかにするは、もっつにるか。
  • ウィキソース「吳子」参照。
  • 厳刑 … 刑罰を厳格にする。
  • 明賞 … ほうしょうを明確にする。
起對曰、嚴明之事、臣不能悉。雖然非所恃也。夫發號施令、而人樂聞、興師動衆、而人樂戰、交兵接刃、而人樂死。此三者、人主之所恃也。
こたえていわく、厳明げんめいことしんつくすことあたわず。しかりといえどたのところあらざるなり。ごうはっれいきて、ひとかんことをたのしみ、おこしゅううごかして、ひとたたかわんことをたのしみ、へいまじやいばせっして、ひとせんことをたのしむ。三者さんしゃは、人主じんしゅたのところなり。
武侯曰、致之奈何。對曰、君擧有功、而進饗之、無功而勵之。
こういわく、これいたすこと奈何いかんこたえていわく、きみこうるをげて、すすめてこれきょうし、こうきはこれはげませ。
於是武侯設坐廟庭、爲三行饗士大夫。上功坐前行、餚席兼重器上牢。次功坐中行、餚席器差減。無功坐後行、餚席無重器。
ここいてこうびょうていもうけ、三行さんこうつくりてたいきょうす。じょうこう前行ぜんこうせしめ、餚席こうせきじゅうじょうろうぬ。こうちゅうこうせしめ、餚席こうせきややげんず。こうきは後行こうこうせしめ、餚席こうせきじゅうし。
饗畢而出。又頒賜有功者父母妻子於廟門外。亦以功爲差。有死事之家、歳遣使者勞賜其父母、著不忘於心。
きょうおわりてづ。又有功ゆうこうもの父母ふぼさいびょうもんそとはんす。こうもっす。ことするのいえれば、としごとに使しゃをして父母ふぼろうせしめ、こころわすれざるをあらわす。
行之三年、秦人興師臨於西河。魏士聞之、不待吏令、介冑而奮撃之者、以萬數。
これおこなうこと三年さんねん秦人しんひとおこして西せいのぞむ。これき、れいたずして、かいちゅうしてこれ奮撃ふんげきするものまんもっかぞう。
武侯召呉起而謂曰、子前日之教行矣。
こう呉起ごきしていていわく、前日ぜんじつおしおこなわる。
起對曰、臣聞、人有短長、氣有盛衰。君試發無功者五萬人。臣請、率以當之。脱其不勝、取笑於諸侯、失權於天下矣。
こたえていわく、しんく、ひとたんちょうり、盛衰せいすいり、と。きみこころみにこうものまんにんはっせよ。しんう、ひきいてもっこれあたらん。たずんば、わらいを諸侯しょこうり、けんてんうしなわん。
今使一死賊伏於壙野、千人追之、莫不梟視狼顧。何者、恐其暴起而害己也。是以一人投命、足懼千夫。
いまいちぞくをしてこうせしめば、千人せんにんこれうも、きょうろうせざるからん。なんとなれば、にわかにおこりておのれがいせんことをおそるればなり。ここもっ一人いちにんいのちとうぜば、せんおそれしむるにる。
  • 恐 … 「忌」に作るテキストもある。
今臣以五萬之衆、而爲一死賊、率以討之、固難敵矣。
いましんまんしゅうもって、いちぞくし、ひきいてもっこれたば、まことてきがたからん。
於是武侯從之。兼車五百乘、騎三千匹、而破秦五十萬衆。此勵士之功也。
ここいてこうこれしたがう。くるまひゃくじょう三千さんぜんぴきねて、しんじゅうまんしゅうやぶれり。れいこうなり。
先戰一日、呉起令三軍曰、諸吏士、當從受敵車騎與徒。
たたかいにさきだつこと一日いちじつ呉起ごき三軍さんぐんれいしていわく、諸〻もろもろ吏士りしまさしたがいててきしゃとをくべし。
  • 敵 … 「馳」に作るテキストもある。
若車不得車、騎不得騎、徒不得徒、雖破軍皆無功。故戰之日、其令不煩、而威震天下。
くるまくるまず、ず、ざれば、ぐんやぶるといえどみなこうし、と。ゆえたたかいのれいわずらわしからずして、てんふるわせり。
序章 図国第一
料敵第二 治兵第三
論将第四 応変第五
励士第六