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微子第十八 11 周有八士章

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周有八士。伯達・伯适・仲突・仲忽・叔夜・叔夏・季隨・季騧。
しゅうはっり。伯達はくたつ伯适はくかつちゅうとつちゅうこつしゅくしゅくずい季騧きか
現代語訳
  • 周には八人の学者家族があった。それは伯達・伯适(カツ)・仲突・仲忽(コツ)・叔夜・叔夏・季随・季騧(カ)だ。(がえり善雄『論語新訳』)
  • 昔の周には、一家に伯達・伯适・仲突・仲忽・叔夜・叔夏・季随・季騧という八人の英才が生れた。盛んなことかな。今ではさような人物のはいしゅつが望めない。(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 周に八人の人物がいた。伯達はくたつ伯适はくかつちゅうとつちゅうこつしゅくしゅくずい季騧きかがそれである。(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 周 … 周の初めの盛んな時。
  • 士 … 立派な人。賢人。
  • 伯達 … 一家から八人の人材が生れたうちの一人。人物については不詳。伯适と最初の双子であったという。
  • 伯适 … 一家から八人の人材が生れたうちの一人。人物については不詳。伯适と最初の双子であったという。
  • 仲突 … 一家から八人の人材が生れたうちの一人。人物については不詳。仲忽と二番目の双子であったという。
  • 仲忽 … 一家から八人の人材が生れたうちの一人。人物については不詳。仲突と二番目の双子であったという。
  • 叔夜 … 一家から八人の人材が生れたうちの一人。人物については不詳。叔夏と三番目の双子であったという。
  • 叔夏 … 一家から八人の人材が生れたうちの一人。人物については不詳。叔夜と三番目の双子であったという。
  • 季随 … 一家から八人の人材が生れたうちの一人。人物については不詳。季騧と最後の双子であったという。
  • 季騧 … 一家から八人の人材が生れたうちの一人。人物については不詳。季随と最後の双子であったという。
  • 伯・仲・叔・季 … 兄弟の順序を示す言葉。長男が伯、次男が仲、三男が叔、四男が季。
補説
  • 『注疏』に「此の章は異を記するなり」(此章記異也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 周有八士 … 『集解』に引く包咸の注に「周の時、四乳して八子を得、皆顕仕と為る。故に記すなり」(周時、四乳得八子、皆爲顯仕。故記也)とある。四乳は、一人の母親が四度双子を生むこと。顕仕は、高官。とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「旧に云う、周世に一母有り、身四乳にして此の八子を生む。八子並びに賢なり。故に之を記録するなり、と」(舊云、周世有一母、身四乳而生於此八子。八子竝賢。故記録之也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「周時に人四たび徧く子を生みて之ににゅうし、乳ごとに皆二子なる有り。凡て八子は皆顕士と為る、故に之を記するのみ。鄭玄は以て成王の時と為し、劉向・馬融は皆以て宣王の時と為す」(周時有人四徧生子而乳之、毎乳皆二子。凡八子皆爲顯士、故記之耳。鄭玄以爲成王時、劉向馬融皆以爲宣王時)とある。また『集注』に「或ひと曰く、成王の時の人、と。或ひと曰く、宣王の時の人、と。蓋し一母四乳して八子を生むなり。然れども考う可からず」(或曰、成王時人。或曰、宣王時人。蓋一母四乳而生八子也。然不可考矣)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に引く張載の注に「善人の多きを記すなり」(記善人之多也)とある。
  • 伯達・伯适・仲突・仲忽・叔夜・叔夏・季隨・季騧 … 『義疏』に「侃案ずるに、師説に云う、一人四乳と謂うに非ず。乳は、猶お倶生のごときなり。一母四過生有り。生まるればすなわち二子を双す。四たび生む。故に八子なり。何を以て其の然るを知らん。其の名両両相随うに就いて、是れ双生に似たる者なり、と」(侃案、師説云、非謂一人四乳。乳、猶倶生也。有一母四過生。生輒雙二子。四生。故八子也。何以知其然。就其名兩兩相隨、似是雙生者也)とある。
  • 『集注』に「愚按ずるに、此の篇孔子の三仁・逸民・師・八士に於ける、既に皆称賛して之を品列し、接輿でき・丈人に於いて、又た毎に惓惓として接引するの意有り。皆衰世の志なり、其の感ずる所の者深し。陳に在るの歎も、蓋し亦た此くの如し。三仁は則ち間然すること無し。其の余の数君子の者も、亦た皆一世の高士なり。若し聖人の道を聞くことを得て、以て其の過ぐる所を裁して、其の及ばざる所を勉めしめば、則ち其の立つ所、豈に此に止むるのみならんや」(愚按、此篇孔子於三仁・逸民・師摯・八士、既皆稱贊而品列之、於接輿・沮・溺・丈人、又毎有惓惓接引之意。皆衰世之志也、其所感者深矣。在陳之歎、蓋亦如此。三仁則無間然矣。其餘數君子者、亦皆一世之高士。若使得聞聖人之道、以裁其所過、而勉其所不及、則其所立、豈止於此而已哉)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「四乳して八子を生む、其の事甚だあやし、恐らくは信ず可からず。只だ是れ当時人物の盛んなるを言うのみ。陳氏れき曰く、魯の末、賢人の隠遯いんとんを記して、終うるに周の盛んなる時賢人の衆多なるを以てす。其れ今を傷み古えを思うの心有るか、と」(四乳生八子、其事甚異、恐不可信。只是言當時人物之盛耳。陳氏櫟曰、記魯末賢人之隠遯、而終以周盛時賢人之衆多。其有傷今思古之心乎)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「……然れども是れ論語に於いてかかわること無し。おもうに、古人偶〻たまたま古人の一二言を得て之を記せんと欲し、乃ちこれを論語篇末の空処に記す。……且つ今の俗双生をにくみ、必ず其の一を殺す。これを人情にもとづくるに、古えと雖も亦た然らん。此を観れば則ち其のふう少しくまんか。君子の博物を貴ぶ所以なり」(……然是於論語無干。意者古人偶得古人一二言欲記之。乃記諸論語篇末空處。……且今俗惡雙生。必殺其一。原諸人情。雖古亦然。觀於此則其風少弭邪。君子之所以貴博物也)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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