微子第十八 10 周公謂魯公曰章
470(18-10)
周公謂魯公曰、君子不施其親。不使大臣怨乎不以。故舊無大故、則不棄也。無求備於一人。
周公謂魯公曰、君子不施其親。不使大臣怨乎不以。故舊無大故、則不棄也。無求備於一人。
周公、魯公に謂いて曰く、君子は其の親を施てず。大臣をして以いられざるを怨ましめず。故旧は大故無ければ、則ち棄てざるなり。備わらんことを一人に求むること無かれ。
現代語訳
- 周公さまが(子の魯公こと)伯禽(キン)にむかって ――「りっぱな人は身内の者をすてておかず、おもな家来にとりあわないでうらませたりしない。古いなじみはよほどわるくないかぎり、見すてないもの。ひとりの人に完全をもとめないこと。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 周公がその子魯公に封ぜられて入国した時、訓戒して、『人の上に立つ者は、親族を見捨てるな。大臣が不適任ならば免職するもやむを得ぬが、在職中は十分に信任して、その言の聴かれざるを怨ましめるようなことをするな。古なじみの者は重大な理由がなければ棄てるな。また人には能不能、長所短所があるもの故、人を使用するには、その能くする長所を活かし、能くせざる短所を責めず、すべてのことが一人に揃うことを求めるな。』と言われた。これが魯の国の始まりじゃ。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 周公が魯公にいわれた。――
「君主たるものは親族を見捨てるものではない。大臣をして信任のうすきをかこたせてはならぬ。古くからの臣下は、重大な理由がなければ棄てないがいい。一人の人に何もかも備わるのを求めてはならぬ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
補説
- 『注疏』に「此の一章は周公の魯公を戒むるの語を記するなり」(此一章記周公戒魯公之語也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 周公謂魯公 … 『集解』に引く孔安国の注に「魯公は、周公の子の伯禽、魯に封ぜらる」(魯公、周公之子伯禽、封於魯)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「周公旦なり。魯公は、周公の子伯禽なり。周公之に教えんと欲す。故に云う、魯公に謂う、と。孫綽云う、此れは是れ周公魯公に顧命し、之く所以の辞なり、と」(周公旦也。魯公、周公之子伯禽也。周公欲教之。故云、謂魯公也。孫綽云、此是周公顧命魯公、所以之辭也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「魯公は、周公の子の伯禽、魯に封ぜらる。将に国に之かんとし、周公之を戒むるなり」(魯公、周公之子伯禽、封於魯。將之國、周公戒之也)とある。また『集注』に「魯公は、周の公子伯禽なり」(魯公、周公子伯禽也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 謂 … 『義疏』では「語」に作る。
- 君子不施其親 … 『集解』に引く孔安国の注に「施は、易なり。他人の親を以て其の親を易也」(施、易也。不以他人親易其親也)とある。また『義疏』に「此れ周公の命ずる所の辞なり。施は、猶お易のごときなり。言うこころは君子の人、他人を以て己の親に易えず。是れ固に其の親を失わざるなり」(此周公所命之辭也。施、猶易也。言君子之人、不以他人易己之親。是固不失其親也)とある。また『注疏』に「施は、猶お易のごときなり。言うこころは君子の国を為むるや、他人の親を以て、己の親に易えず、当に博愛・広敬を行うべきなり」(施、猶易也。言君子爲國、不以他人之親、易己之親、當行博愛廣敬也)とある。また『集注』に「施は、陸氏本は、弛に作る。……弛は、遺棄なり」(施、陸氏本、作弛。……弛、遺棄也)とある。
- 不使大臣怨乎不以 … 『集解』に引く孔安国の注に「以は、用なり。聴用せられざるを怨むなり」(以、用也。怨不見聽用也)とある。また『義疏』に「以は、用うるなり。君たるの道は、当に大いなる臣を委用すべし。大いなる臣若し君の用いざるを怨むれば、則ち是れ君の失なり」(以、用也。爲君之道、當委用大臣。大臣若怨君不用、則是君之失也)とある。また『注疏』に「以は、用なり。既に仕えて大臣と為さば、則ち当に之を聴用し、大臣をして聴用せられざることを怨ましむるを得ざるべきなり」(以、用也。既仕爲大臣、則當聽用之、不得令大臣怨不見聽用)とある。また『集注』に「以は、用うるなり。大臣其の人に非ざれば則ち之を去るも、其の位に在れば、則ち用いざる可からず」(以、用也。大臣非其人則去之、在其位、則不可不用)とある。
- 故旧無大故、則不棄也 … 『集解』に引く孔安国の注に「大故は、悪逆の事を謂うなり」(大故、謂惡逆之事也)とある。また『義疏』に「故旧は、朋友なり。大故は、悪逆を謂うなり。朋友の道若し大悪逆の事無ければ、則ち相遺棄するを得ざるなり」(故舊、朋友也。大故、謂惡逆也。朋友之道若無大惡逆之事、則不得相遺棄也)とある。また『注疏』に「大故は、悪逆の事を謂う。言うこころは故旧・朋友は、此の悪逆の事無くんば、則ち遺棄す可からざるなり」(大故、謂惡逆之事。言故舊朋友、無此惡逆之事、則不可遺棄也)とある。また『集注』に「大故は、悪逆を謂う」(大故、謂惡逆)とある。
- 無求備於一人 … 『義疏』に「具足すること無きに、必ず備わらんことを責むるを得ず、是れ君子の事え易きの徳なり」(無具足、不得責必備、是君子易事之德也)とある。また『注疏』に「求は、責なり。人を任ずるには当に其の才に随い、備わるを一人に責むるを得ること無かるべきなり」(求、責也。任人當隨其才、無得責備於一人也)とある。
- 『集注』に引く李郁の注に「四者は皆君子の事、忠厚の至りなり」(四者皆君子之事、忠厚之至也)とある。
- 『集注』に引く胡寅の注に「此れ伯禽の封を受け国に之くに、周公の訓戒するの辞なり。魯人伝誦すること久しけれども忘れざるなり。其れ或いは夫子嘗て門弟子と之を言えるか」(此伯禽受封之國、周公訓戒之辭。魯人傳誦久而不忘也。其或夫子嘗與門弟子言之歟)とある。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「此の章の四者は、皆君子の事、忠厚の至りなり」(此章四者、皆君子之事、忠厚之至也)(『集注』に引く李郁の注)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』に「韓愈の筆解に、施当に弛に作るべし、と。朱註に曰く、陸氏本に弛に作る。福本同じ、と。今且く之に従う。祗だ其の解に曰く、弛は遺棄なり、と。非なり。韓愈曰く、弛慢せず、と。是と為す」(韓愈筆解、施當作弛。朱註曰、陸氏本作弛。福本同。今且從之。祗其解曰、弛遺棄也。非矣。韓愈曰、不弛慢。爲是)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
こちらの章もオススメ!
学而第一 | 為政第二 |
八佾第三 | 里仁第四 |
公冶長第五 | 雍也第六 |
述而第七 | 泰伯第八 |
子罕第九 | 郷党第十 |
先進第十一 | 顔淵第十二 |
子路第十三 | 憲問第十四 |
衛霊公第十五 | 季氏第十六 |
陽貨第十七 | 微子第十八 |
子張第十九 | 堯曰第二十 |