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微子第十八 7 子路從而後章

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子路從而後。遇丈人以杖荷蓧。子路問曰、子見夫子乎。丈人曰、四體不勤、五穀不分。孰爲夫子。植其杖而芸。子路拱而立。止子路宿、殺雞爲黍而食之、見其二子焉。明日子路行以告。子曰、隱者也。使子路反見之。至則行矣。子路曰、不仕無義。長幼之節、不可廢也。君臣之義、如之何其可廢之。欲絜其身而亂大倫。君子之仕也、行其義也。道之不行、已知之矣。
子路しろしたがいておくる。じょうじんつえもっあじかになうにう。子路しろいていわく、ふうたるか。じょうじんいわく、たいつとめず、こくわかたず、たれをかふうすと。つえててくさぎる。子路しろきょうしてつ。子路しろとどめて宿しゅくせしめ、にわとりころしょつくりてこれくらわしめ、二子にしまみえしむ。明日めいじつ子路しろきてもっぐ。いわく、隠者いんじゃなりと。子路しろをしてかえりてこれせしむ。いたればすなわれり。子路しろいわく、つかえざればし。ちょうようせつは、はいからざるなり。君臣くんしんは、これ如何いかんこれはいせん。いさぎよくせんとほっして大倫たいりんみだる。くんつかうるや、おこなうなり。みちおこなわれざるは、すでこれれり。
現代語訳
  • 子路がお供をしていておくれた。ツエでカゴをかついだ老人に出あう。子路がきく ――「先生を見ませんでしたか。」老人 ――「骨折りしごともせず、五穀の見わけもつかないで、だれが先生なんだ…。」ツエを立てておいて草をかる。子路はおじぎをしていた。子路をひきとめて泊らせ、ニワトリを殺し飯をたいてくわせ、ふたりの子どもに引きあわせる。あくる日子路がもどって、それを告げる。先生 ――「世すてびとだな。」子路にもどっていってたずねさせた。いってみるともういない。子路 ――「役につかねばスジが通らぬ。年上・年下のけじめは、すてられないもの。殿と家来の関係も、なんですれられよう。わが身だけ清くしても、だいじな関係が乱れる。人が役人になるのは、スジを通すためだ。世が世でないのは、わかっていたはず。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 子路しろが孔子様のお供をしての旅行中、道におくれて孔子様を見失った。たまたまつえの先にアジカ(モッコの類)を引っかけてかついだ老人に出会ったので、「あなたは私の先生を見かけませんでしたか。」とたずねた。老人は、「口ばかり動かしてからだを働かせず、いね・むぎ・きび・ひえ・まめのこくの区別も知らぬくせに、先生もないものじゃ。」と言いはなち、杖を地に突き立てて草刈くさかりを始めた。子路のことだから定めしムッとしたろうが、相手が老人なので、手を組み合せて敬意を表しながら、なおも答を待って立っていた。老人もそれに好感をもったか、もう日も暮れるから今から追いかけてもだめだろうと、家に連れ帰って一泊させ、鶏を料理し、きび飯をいてもてなし、二人ふたりむすを呼び出して、長者を拝する礼を行わせた。翌日子路が孔子様に追いついてそのことを申し上げたら、孔子様が、「世をけた賢人けんじんだろう。わしのほんを知らせたいものじゃ。」とおっしゃって、子路に今一度引返して様子を見させた。行ってみると老人は留守るすだったので、子路はふたりの息子に向かい、こう言いおいて帰った。「人たる者でてつかえなければ君臣の義がないことになる。昨夜ご尊父が両君に拙者せっしゃを拝させたのは、ちょうようじょを重んじられたのでござろうが、長幼の序さえててならぬのに、それよりもさらに大事な君臣の義をどうして廃することができましょうや。ただ乱世らんせいにけがされざらんことのみを欲し、一身だけをいさぎよくしようと思って君臣の大義をみだすべきではありますまい。君子がでてつかえるのは、みょうもんろくのためではなく、全く君臣の大義を行わんためでござる。今日の天下に正しい道の行われぬことは、とくに承知かくいたしております。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 子路が先師の随行をしていて、道におくれた。たまたま一老人が杖に草籠をひっかけてかついでいるのに出あったので、彼はたずねた。――
    「あなたは私の先生をお見かけではありませんでしたか」
    老人がこたえた。――
    「なに? 先生だって? お見かけするところ、その手足では百姓仕事をなさるようにも見えず、五穀の見分けもつかない方のようじゃが、それでいったいお前さんの先生というのはどんな人じゃな」
    老人はそれだけいって杖を地につき立てて、草を刈りはじめた。――
    子路は手を胸に組んで敬意を表し、そのそばにじっと立っていた。
    すると老人はなんと思ったか、子路を自分の家に案内して一泊させ、鶏をしめたり、黍飯きびめしをたいたりして彼をもてなしたうえに、自分の二人の息子を彼にひきあわせ、丁寧にあいさつさせた。
    翌日、子路は先師に追いついて、その話をした。すると先師はいわれた。――
    「隠者だろう」
    そして、子路に、もう一度引きかえして会ってくるように命じられた。
    子路が行って見ると、老人はもういなかった。子路は仕方なしに、二人の息子にこういって先師の心をつたえた。――
    「出でて仕える心がないのは義とはいえませぬ。もし、長幼の序が大切でありますなら、君臣の義をすてていいという道理はありますまい。道が行われないからといって自分の一身をいさぎよくすれば、大義をみだすことになります。君子が出でて仕えるのは、君臣の義を行なうためでありまして、道が行われないこともあるということは、むろん覚悟のまえであります」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 子路 … 前542~前480。姓はちゅう、名は由。あざなは子路、または季路。魯のべんの人。孔門十哲のひとり。孔子より九歳年下。門人中最年長者。政治的才能があり、また正義感が強く武勇にも優れていた。ウィキペディア【子路】参照。
  • 従 … お供をして。
  • 丈人 … 老人。
  • 蓧 … あじか。竹などで編んだかご。畑の収穫物や草などを入れるのに使う。
  • 荷 … 担ぐ。
  • 四体不勤 … 手足を動かさない。働かないこと。
  • 五穀 … 稲(米)・しょ(きび)・しょく(あわ)・麦・しゅく(豆)のこと。諸説有り。
  • 孰 … 「誰」に同じ。
  • 植 … 木を植えるように、まっすぐ立てる。
  • 芸 … 「くさぎる」と読む。音は「ウン」。草を刈る。草むしりをする。
  • 拱 … 両手を胸の前で組み合わせる。こまねく。
  • 止 … 引き留める。
  • 黍 … キビ飯。
  • 二子 … 二人の息子。
  • 至則行矣 … (子路が)行ってみると、(老人は)不在だった。
  • 子路曰 … 新注によると、福州の写本には「路」の下に「反子」の二字があったという。それならば「子路反る。子曰く」(子路反。子曰)となり、より自然な文章になる。「補説」参照。
  • 不仕無義 … 仕官しなければ、君臣の義を果たせません。
  • 長幼之節 … 年長者と年少者との間に行われる道徳上の秩序。長幼の序。
  • 不可廃也 … 無くしてはならない。
  • 如之何其可廃之 … どうして君臣の義を無くすことができましょうか、いやできない。
  • 如~何 … 「如~何…」は「~をいかんぞ…せん」と読み、「どうして~を…しようか(いやそうしない)」と訳す。反語の意を示す。
  • 絜 … 「潔」と同義。
  • 大倫 … 人が守らなければならない倫理的規範。ここでは「君臣の義」を指す。
補説
  • 『注疏』に「此の章は隠者と子路と相譏るの語を記するなり」(此章記隱者與子路相譏之語也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子路 … 『孔子家語』七十二弟子解に「仲由は卞人べんひと、字は子路。いつの字は季路。孔子よりわかきこと九歳。勇力ゆうりき才芸有り。政事を以て名を著す。人と為り果烈にして剛直。性、にして変通に達せず。衛に仕えて大夫と為る。蒯聵かいがいと其の子ちょうと国を争うに遇う。子路遂に輒の難に死す。孔子之を痛む。曰く、吾、由有りてより、悪言耳に入らず、と」(仲由卞人、字子路。一字季路。少孔子九歳。有勇力才藝。以政事著名。爲人果烈而剛直。性鄙而不達於變通。仕衞爲大夫。遇蒯聵與其子輒爭國。子路遂死輒難。孔子痛之。曰、自吾有由、而惡言不入於耳)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「仲由、字は子路、べんの人なり。孔子よりもわかきこと九歳。子路性いやしく、勇力を好み、志こうちょくにして、雄鶏を冠し、とんび、孔子を陵暴す。孔子、礼を設け、ようやく子路をいざなう。子路、後に儒服してし、門人に因りて弟子たるを請う」(仲由字子路、卞人也。少孔子九歳。子路性鄙、好勇力、志伉直、冠雄鷄、佩豭豚、陵暴孔子。孔子設禮、稍誘子路。子路後儒服委質、因門人請爲弟子)とある。伉直は、心が強くて素直なこと。豭豚は、オスの豚の皮を剣の飾りにしたもの。委質は、はじめて仕官すること。ここでは孔子に弟子入りすること。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 子路從而後 … 『義疏』に「孔子は子路とともに行く。孔子先に発し、子路後に在り。之に随うも未だ相及ぶを得ず。故に云う、従いて後る、と」(孔子與子路同行。孔子先發、子路在後。隨之未得相及。故云、從而後也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「子路夫子に随従し、行くに相及ばずして独り後に在り」(子路隨從夫子、行不相及而獨在後)とある。
  • 遇丈人以杖荷蓧 … 『集解』に引く包咸の注に「丈人は、老者なり。蓧は、竹器の名なり」(丈人、老者也。蓧、竹器名也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「遇とは、期せずして之に会するなり。丈人とは、長宿の称なり。荷は、担掲するなり。篠は、竹器の名なり。子路は孔子の後に在りて、未だ孔子に及ばず。而して此の丈人と相遇う。此の丈人杖を以て一器の籮簾の属を担うを見る。故に云う、杖を以て篠をになう、と」(遇者、不期而會之也。丈人者、長宿之稱也。荷、擔掲也。篠、竹器名。子路在孔子後、未及孔子。而與此丈人相遇。見此丈人以杖擔一器籮簾之屬。故云、以杖荷篠也)とある。長宿は、年たけて年功を積んだ人。また『注疏』に「老人の杖を以て竹器を担荷するに逢う」(逢老人以杖擔荷竹器)とある。また『集注』に「丈人も亦た隠者なり。蓧は、竹器なり」(丈人亦隱者。蓧、竹器)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 蓧 … 『義疏』では「篠」に作る。
  • 子見夫子乎 … 『義疏』に「子路既に後に在るを見る。故に借問す、丈人夫子を見るやいなや、と」(子路既見在後。故借問、丈人見夫子不乎)とある。また『注疏』に「夫子は、孔子なり」(夫子、孔子也)とある。
  • 四体不勤、五穀不分。孰為夫子 … 『集解』に引く包咸の注に「丈人云う、四体を勤労せず、五穀を分殖せず、誰か夫子と為して之をもとめんや、と」(丈人云、不勤勞四體、不分殖五穀、誰爲夫子而索之耶)とある。また『義疏』に「四体は、手足なり。勤は、勤労するなり。五穀は、黍稷の属なり。分は、種をくなり。孰は、誰なり。子路既に丈人に借問す。丈人故に子路に答うるなり。言うこころは当今は乱世、汝四体を勤労して以て五穀を播かず。而して周流して遠く走る。誰をか汝の夫子と為すと問い、而して我に之を索めんやと問う。袁氏云う、其の人已に委曲にして孔子を識る。故に之を譏る。四体勤めず、禹・稷の如くみずから五穀を殖うる能わず。誰をか夫子と為して索めんや、と」(四體、手足也。勤、勤勞也。五穀、黍稷之屬也。分、播種也。孰、誰也。子路既借問丈人。丈人故答子路也。言當今亂世、汝不勤勞四體以播五穀。而周流遠走。問誰爲汝之夫子、而問我索之乎。袁氏云、其人已委曲識孔子。故譏之。四體不勤、不能如禹稷躬殖五穀。誰爲夫子而索耶)とある。また『注疏』に「丈人子路を責めて云う、四体を勤労せず、五穀を分殖せず、誰をか夫子と為して、来たりて我に問いて之をきゅうさくするや、と」(丈人責子路云、不勤勞四體、不分殖五穀、誰爲夫子、而來問我求索之邪)とある。また『集注』に「分は、弁なり。五穀分たずとは、猶おしゅくばくを弁ぜずと言うがごときのみ。其の農業を事とせずして、師に従いて遠く遊ぶを責むるなり」(分、辨也。五穀不分、猶言不辨菽麥爾。責其不事農業、而從師遠遊也)とある。
  • 植其杖而芸 … 『集解』に引く孔安国の注に「植は、倚なり。草を除くをうんと曰うなり」(植、倚也。除草曰芸也)とある。また『義疏』に「植は、つるなり。うんは、除草するなり。丈人子路に答え竟わり、草田に至りて其の篠を荷う所の杖を竪つ。当に篠を杖頭に掛くべくして之を植竪す。竟わりて田中の穢草を芸除うんじょするなり」(植、堅也。芸、除草也。丈人答子路竟、至草田而竪其所荷篠之杖。當掛篠於杖頭而植竪之。竟而芸除田中穢草也)とある。また『注疏』に「植は、倚りて立つなり。うんは、草を除くなり。丈人既に子路を責め、田中に至り、其の蓧をになえるの杖に倚りて其の苗をくさぎる」(植、倚立也。芸、除草也。丈人既責子路、至於田中、倚其荷蓧之杖而芸其苗)とある。また『集注』に「植は、之を立つるなり。うんは、草を去るなり」(植、立之也。芸、去草也)とある。
  • 子路拱而立 … 『集解』の何晏の注に「未だ答うる所以を知らざるなり」(未知所以答也)とある。また『義疏』に「拱は、手をかさぬるなり。子路未だ答うる所以を知らず。故に手を沓ねてりて立ち、以て丈人のくさぎるを観るなり」(拱、沓手也。子路未知所以答。故沓手倚立、以觀丈人之芸也)とある。また『注疏』に「子路は未だ答うる所以を知らず、故に随いて田中に至り、拱手して立つなり」(子路未知所以答、故隨至田中、拱手而立也)とある。また『集注』に「其の隠者なるを知り之を敬するなり」(知其隱者敬之也)とある。
  • 止子路宿 … 『義疏』に「子路とどまり倚ること当に久しかるべし。已に日暮に至る。故に丈人は子路を留止し、停住して己に就いて宿せしむるなり」(子路住倚當久。已至日暮。故丈人留止子路、使停住就己宿也)とある。また『注疏』に「丈人子路を留めて宿せしむ」(丈人留子路宿)とある。
  • 殺雞爲黍而食之 … 『義疏』に「子路停まり宿す。故に丈人家の雞を殺してあつものつくり、黍飯きびめしを作りて子路に食わしむるなり」(子路停宿。故丈人家殺雞爲臛、作黍飯而食子路也)とある。また『注疏』に「雞を殺し黍をつくりて之に食わしむ」(殺雞爲黍而食之)とある。
  • 見其二子焉 … 『義疏』に「丈人は子路是れ賢なるを知る。故に又た丈人の二児を以て、子路にまみえしむるなり」(丈人知子路是賢。故又以丈人二兒、見於子路也)とある。また『注疏』に「丈人子路の賢なるを知る。故に又た二子を以て子路にまみえしむるなり」(丈人知子路賢。故又以二子見於子路也)とある。
  • 明日子路行以告 … 『義疏』に「明日の旦に至りて、子路行きて孔子を逐うを得たり。行きて孔子に及び、而してつぶさきのうの丈人言う所を以て、雞黍・見子の事に及び、孔子に告げて之を道うなり」(至明日之旦、子路得行逐孔子也。行及孔子、而具以昨丈人所言、及雞黍見子之事、告孔子道之也)とある。また『注疏』に「既に宿するの明日、子路行き去り、遂いて夫子に及び、丈人の言う所及び雞黍・見子の事を以て之に告ぐるなり」(既宿之明日、子路行去、遂及夫子、以丈人所言及雞黍見子之事告之也)とある。
  • 隠者也 … 『義疏』に「孔子子路の丈人の事を告ぐるを聞く。故に云う、此の丈人は是れ隠処の士なり、と」(孔子聞子路告丈人之事。故云、此丈人是隱處之士也)とある。また『注疏』に「夫子言う、此の丈人は必ずや賢人の隠者なり、と」(夫子言、此丈人必賢人之隱者也)とある。
  • 使子路反見之 … 『義疏』に「孔子既に云う、丈人は是れ隠者なり、と。而して又た子路をして丈人の家に反還せしめ、須らく丈人と相見えて己の事を以て之に説くべきなり。其の事下文に在り」(孔子既云、丈人是隱者。而又使子路反還丈人家、須與丈人相見以己事説之也。其事在下文)とある。また『注疏』に「子路をして反りて之に見ゆるを求めしめ、語るに己の道を以てせんと欲す」(使子路反求見之、欲語以己道)とある。
  • 至則行矣 … 『集解』に引く孔安国の注に「子路反りて其の家に至るも、丈人出でりて在らざるなり」(子路反至其家、丈人出行不在也)とある。また『義疏』に「子路反りて丈人の家に至る。而して丈人已に復た出でりて在らざるなり」(子路反至丈人家。而丈人已復出行不在也)とある。また『注疏』に「子路反りて其の家に至れば、則ち丈人は出でりて在らざるなり」(子路反而至其家、則丈人出行不在也)とある。また『集注』に「孔子、子路をして反りて之を見せしむ。蓋し之に告ぐるに君臣の義を以てせんと欲す。而して丈人は子路の必ず将に復た来たらんことをおもう。故に先に之を去りて以て其の跡を滅す。亦た接輿の意なり」(孔子使子路反見之。蓋欲告之以君臣之義。而丈人意子路必將復來。故先去之以滅其跡。亦接輿之意也)とある。
  • 子路曰 … 『集注』に「福州に国初の時の写本有り。路の下に反子の二字有り。此を以て子路反りて、夫子之を言うと為すなり。未だ是否を知らず」(福州有國初時寫本。路下有反子二字。以此爲子路反、而夫子言之也。未知是否)とある。また宮崎市定は「路」を衍文と見ている。詳しくは『論語の新研究』98頁以下参照。
  • 不仕無義 … 『集解』に引く鄭玄の注に「言を留めて以て丈人の二子にぐるなり」(留言以語丈人之二子也)とある。また『義疏』に「丈人既に在らず。而して子路は此の語を留めて以て丈人の二子に与え、其れをして父還りしとき之を述べしむるなり。此れ以下の言は、悉く是れ孔子子路をして丈人の言を語げしむるなり。言うこころは人生きざれば則ち已む。既に生くれば便ち三つの義、父母の恩、君臣の義有り。人若し仕うれば則ち義を職とす。故に云う、仕えざれば義無きなり、と」(丈人既不在。而子路留此語以與丈人之二子、令其父還述之也。此以下之言、悉是孔子使子路語丈人之言也。言人不生則已。既生便有三之義、父母之恩、君臣之義。人若仕則職於義。故云、不仕無義也)とある。また『注疏』に「丈人既に在らざれば、言を留めて以て丈人の二子に語り、其の父の還るときに則ち之を述べしむ。此の下の言は、皆孔子の意なり。言うこころは父子の道は、天性なり。君臣の義や、人の生くるや則ち皆当に之をたもつべし。若し其れ仕えずんば、是れ君臣の義無きなり」(丈人既不在、留言以語丈人之二子、令其父還則述之。此下之言、皆孔子之意。言父子之道、天性也。君臣之義也、人生則皆當有之。若其不仕、是無君臣之義也)とある。
  • 長幼之節、不可廢也。君臣之義、如之何其可廢之 … 『集解』に引く孔安国の注に「言うこころは汝は父子相養いて廃す可からざるを知る。反りて君臣の義を廃す可けんや」(言汝知父子相養不可廢。反可廢君臣之義邪)とある。また『義疏』に「既に長幼の恩有り、又た君臣の義有り。汝は汝の二子を見えしむるを知る。是れ長幼の節の廃闕す可からざるを識る。而るに如何ぞ君臣の義を廃して仕えざらんや」(既有長幼之恩、又有君臣之義。汝知見汝二子。是識長幼之節不可廢闕。而如何廢於君臣之義而不仕乎)とある。また『注疏』に「言うこころはなんじ父子の相養うを知るは、是れ長幼の節の廃す可からざるを知るに、反りて君臣の義を廃して仕えざる可けんや」(言女知父子相養、是知長幼之節不可廢也、反可廢君臣之義而不仕乎)とある。
  • 廃之 … 『義疏』では「廃也」に作る。
  • 欲絜其身而乱大倫 … 『集解』に引く包咸の注に「倫は、道なり、理なり」(倫、道也、理也)とある。また『義疏』に「大倫は、君臣の道理を謂うなり。又た言う、汝濁世に仕えず、乃ち是れ自ら汝の身を清潔にせんと欲するのみ。君臣の大倫を乱るを如何せん、と」(大倫、謂君臣之道理也。又言、汝不仕濁世、乃是欲自清潔汝身耳。如亂君臣之大倫何也)とある。また『注疏』に「倫は、道理なり。言うこころはなんじ濁世に仕えざるは、其の身を清絜にせんと欲し、則ち君臣の義の大道理を乱るなり」(倫、道理也。言女不仕濁世、欲清絜其身、則亂於君臣之義大道理也)とある。
  • 欲絜 … 『義疏』では「欲潔」に作る。
  • 君子之仕也、行其義也 … 『義疏』に「又た言う、君子の仕うる所以の者は、栄禄・富貴を貪るに非ず。政に是れ大義を行わんと欲するが故なり、と」(又言、君子所以仕者、非貪榮祿富貴。政是欲行大義故也)とある。また『注疏』に「言うこころは君子の仕うるは、苟くも利禄のみに非ず。君臣の義を行う所以にして、亦た自己の道をば行うを得るを必とせず」(言君子之仕、非苟利祿而已。所以行君臣之義、亦不必自己道得行)とある。
  • 道之不行、已知之矣 … 『集解』に引く包咸の注に「言うこころは君子の仕うるや、君臣の義を行う所以なり。自ら必ずしも道もて行うを得ず。孔子の道用いられざるは、自ら已に之を知るなり」(言君子之仕、所以行君臣之義也。不自必道得行也。孔子道不見用、自已知之也)とある。また『義疏』に「義を行わんことを為す。故に仕うるのみ。濁世は我が道を用いず。而して我も亦た反って自ら之を知るなり」(爲行義。故仕耳。濁世不用我道。而我亦反自知之也)とある。また『注疏』に「孔子の道の用いられざること、自ら已に之を知るなり」(孔子道不見用、自已知之也)とある。また『集注』に「子路夫子の意を述ぶること此くの如し。蓋し丈人の子路に接すること甚だおごれり。而して子路は益〻恭し。丈人因りて其の二子を見えしむれば、則ち長幼の節に於いて、固より其の廃す可からざるを知る。故に其の明なる所に因りて以て之をさとす。倫は、序なり。人の大倫五有り。父子親有り、君臣義有り、夫婦別有り、長幼序有り、朋友信有るは、是れなり。仕うるは君臣の義を行う所以なり。故に道の行われざるを知ると雖も、而れども廃す可からず。然れども之を義と謂えば、則ち事の可否、身の去就も、亦た自ら苟くもす可からざる者有り。ここを以て身を潔くして以て倫を乱さずと雖も、亦た義を忘れて以て禄にしたがうに非ざるなり」(子路述夫子之意如此。蓋丈人之接子路甚倨。而子路益恭。丈人因見其二子焉、則於長幼之節、固知其不可廢矣。故因其所明以曉之。倫、序也。人之大倫有五。父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信、是也。仕所以行君臣之義。故雖知道之不行、而不可廢。然謂之義、則事之可否、身之去就、亦自有不可苟者。是以雖不潔身以亂倫、亦非忘義以徇祿也)とある。
  • 道之不行 … 『義疏』では「道之不行也」に作る。
  • 『集注』に引く范祖禹の注に「隠者は高きを為す。故に往きて返らず。仕うる者は通ずるを為す。故に溺れてまず。鳥獣と群を同じくせざれば、則ち性命の情を決して、以て富貴をむさぼる。此の二者は皆惑えり。ここを以て中庸に依る者を難しと為す。惟だ聖人のみ君臣の義を廃せずして、必ず其の正しきを以てす。或いは出で或いは処りて、終に道を離れざる所以なり」(隱者爲高。故往而不返。仕者爲通。故溺而不止。不與鳥獸同群、則決性命之情、以饕富貴。此二者皆惑也。是以依乎中庸者爲難。惟聖人不廢君臣之義、而必以其正。所以或出或處、而終不離於道也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「論に曰く、隠者は仕えざるを以て義と為す。聖人は仕うるを以て義と為す。蓋し義とは天下の大路なり。之を舎つれば則ち以て一日に行う可からず。君子の仕うるや、以て禄をもとめんとするに非ざるなり。将に以て其の道を天下に達せんとするなり。聖人豈にむ可くして止まざる者ならんや。若し此の時を以てして止むときは、則ち是れ義無きなり。故に曰く、道の行われざるは、已に之を知れり、と。後世儒者の義を論ずるや、蓋し亦た隠者のけんのみ、と」(論曰、隱者以不仕爲義。聖人以仕爲義。蓋義者天下之大路也。舍之則不可以一日行焉。君子之仕也、非以干祿也。將以達其道於天下也。聖人豈可止而不止者乎。若以此時而止焉、則是無義也。故曰、道之不行、已知之矣。後世儒者之論義也、蓋亦隱者之見焉耳)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「四体勤めず、五穀分かたず、たれをか夫子と為す、と。朱註に、其の農業を事とせずして師に従いて遠遊するを責むるなり、と。之を失す。蓋し言うこころは四体勤めず五穀分かたざる者は、皆夫子たり、子何人なんぴとを以て夫子と称するやと。子路曰く、鄭玄曰く、言を留めて以て丈人の二子にぐ、と。朱註之に因り、而うして又た曰く、福州に国初の時の写本有り、路の下に反子の二字有り。此れを以て子路反りて夫子之を言うと為すなり。未だなるや否やを知らず、と。窃かに疑うらく孔子子路をして其の意を述べしむとは、何ぞ必ずしも然らんや。福本に似たり」(四體不勤、五穀不分、孰爲夫子。朱註、責其不事農業而從師遠遊也。失之。蓋言四體不勤五穀不分者、皆爲夫子、子以何人稱夫子也。子路曰、鄭玄曰、留言以語丈人之二子。朱註因之、而又曰、福州有國初時寫本、路下有反子二字。以此爲子路反而夫子言之也。未知是否。竊疑孔子使子路述其意、何必然也。福本似是)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十