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季氏第十六 4 孔子曰益者三友章

424(16-04)
孔子曰、益者三友、損者三友。友直、友諒、友多聞、益矣。友便辟、友善柔、友便佞、損矣。
こういわく、益者えきしゃ三友さんゆう損者そんしゃ三友さんゆうあり。ちょくともとし、りょうともとし、ぶんともとするは、えきなり。便辟べんぺきともとし、ぜんじゅうともとし、便佞べんねいともとするは、そんなり。
現代語訳
  • 孔先生 ――「よい友だちが三つ、わるい友だちが三つある。まっすぐな人、すなおな人、チエのある人は、よい友だち。ずるい人、にやけた人、知ったかぶりの人は、わるい友だちだ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子の申すよう、「益友が三種類、損友が三種類あります。直言してかくすところなき者を友とし、信実にして裏表なき者を友とし、博学多識な者を友とするのは、益であります。体裁ていさいばかり飾ってそっちょくでない者を友とし、顔つきだけをよくするへつらい者を友とし、口先ばかりで腹のない者を友とするのは、損であります。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「益友に三種、損友に三種ある。直言する人、信実な人、多識な人、これが益友である。形式家、盲従者、口上手、これが損友である」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 益者三友 … 交際して有益となる三種類の友。「益」は、有益になる。
  • 損者三友 … 交際して有害となる三種類の友。「損」は、有害になる。
  • 直 … 直言する。正直な人。
  • 諒 … 思いやりがある。誠実な人。
  • 多聞 … 見聞が広い。物知り。
  • 便辟 … こびへつらう人。
  • 善柔 … 誠実さのない人。
  • 便佞 … 口先のうまい人。
補説
  • 『注疏』に「此の章は人の友を択ぶを戒むるなり」(此章戒人擇友也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 益者三友、損者三友 … 『義疏』に「朋友と益者に三事有るを明らかにす。故に云う、益者三友、と。又た朋友と損者に只だ三事有るを明らかにす。故に云う、損者三友、と」(明與朋友益者有三事。故云、益者三友。又明與朋友損者只有三事。故云、損者三友)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「人を以て友と為して、己に損益する、其の類に各〻三なり」(以人爲友、損益於己、其類各三也)とある。
  • 友直、友諒、友多聞、益矣 … 『義疏』に「一の益なり。友とする所、正直の人を得るなり。二の益なり。友とする所、信有るの人を得るなり。諒は、信なり。三の益なり。友とする所、能く多く聞く所、解するの人を得るなり。益なりは、上に言う所の三事、皆是れ益有るの朋友なり」(一益也。所友得正直之人也。二益也。所友得有信之人也。諒、信也。三益也。所友得能多所聞解之人也。益矣、上所言三事、皆是有益之朋友也)とある。なお、底本では「解人之也」に作るが、諸本に従い改めた。また『注疏』に「直は正直を謂い、諒は誠信を謂い、多聞は博学を謂う。此の三種の人を以て友と為さば、則ち己に益すること有るなり」(直謂正直、諒謂誠信、多聞謂博學。以此三種之人爲友、則有益於己也)とある。また『集注』に「直を友とすれば、則ち其の過ちを聞く。諒を友とすれば、則ち誠に進む。多聞を友とすれば、則ち明に進む」(友直、則聞其過。友諒、則進於誠。友多聞、則進於明)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 友便辟 … 『集解』に引く馬融の注に「便辟は、巧みに人の忌む所をけて、以てようを求むるなり」(便辟、巧辟人之所忌、以求容媚也)とある。容媚は、とりいり、へつらうこと。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「此れ一の損なり。便辟の人と朋友と為る者を謂うなり。語巧みに能く人の忌む所の者を辟くるを便辟を為すと謂うなり」(此一損也。謂與便辟之人爲朋友者也。謂語巧能辟人所忌者爲便辟也)とある。また『注疏』に「便辟は、巧みに人の忌む所を辟けて、以て容媚を求むる者なり」(便辟、巧辟人之所忌、以求容媚者也)とある。また『集注』に「便は、習熟なり。便辟は、威儀に習いて直ならざるを謂う」(便、習熟也。便辟、謂習於威儀而不直)とある。
  • 友善柔 …『集解』に引く馬融の注に「面柔なり」(面柔也)とある。面柔は、顔色を和らげて人を誘うこと。また『義疏』に「二の損なり。友とする所の者、善柔なる者を謂うなり。善柔は、面従して背毀する者を謂うなり」(二損也。謂所友者善柔者也。善柔、謂面從而背毀者也)とある。また『注疏』に「善柔は、面柔にして顔を和らげ、色を悦ばせて以て人を誘う者を謂うなり」(善柔、謂面柔和顏、悅色以誘人者也)とある。また『集注』に「善柔は、えつに工にして諒ならざるを謂う」(善柔、謂工於媚悦而不諒)とある。
  • 友便佞、損矣 … 『集解』に引く鄭玄の注に「便は、弁なり。ねいにして弁なるを謂うなり」(便、辯也。謂佞而辨也)とある。また『義疏』に「三の損なり。便佞と友と為るを謂うなり。便佞は、弁にして佞なる者なり。上の三事は皆是れ損と為るの朋友なり」(三損也。謂與便佞爲友也。便佞、辨而佞者也。上三事皆是爲損之朋友也)とある。また『注疏』に「便は、弁なり。佞にして復た弁なるを謂う。此の三種の人を以て友と為さば、則ち己を損うこと有るなり」(便、辨也。謂佞而復辨。以此三種之人爲友、則有損於己也)とある。また『集注』に「便佞は、口語に習いて聞見の実無きを謂う。三者損益は、正に相反するなり」(便佞、謂習於口語而無聞見之實。三者損益、正相反也)とある。
  • 『集注』に引く尹焞の注に「天子より庶人に至るまで、未だ友をちて以て成らざる者有らず。而れども其の損益くの如き者有り。謹まざる可けんや」(自天子至於庶人、未有不須友以成者。而其損益有如是者。可不謹哉)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「人の朋友に於ける、関係する所甚だ大なり。益する所ここに在り、損する所も亦たここに在り。益友は常情のはばかる所、然れども之を友とすれば則ち益有り。損友は常情の悦ぶ所、然れども之を友とすれば必ず損有り。慎まざる可けんや」(人之於朋友、所關係甚大矣。所益在茲、所損亦在茲。益友常情之所憚、然友之則有益。損友常情之所悦、然友之必有損。可不愼乎)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「諒を友とす、諒・良同じ。子諒の諒のごとし。直を友とするときは則ち其の過ちを聞く。直を友とするときは則ち其の材を観る。多聞を友とするときは則ち其の知を広む。便辟、馬融曰く、巧みに人の忌む所を辟けて、以て容媚を求む、と。善柔、馬融曰く、面柔なり、と。便佞、鄭玄曰く、便は弁なり。佞にして弁なるを謂うなり、と。古文辞は必ず古註をちて明らかなり。便辟は当に去声なるべし。便佞、説文に論語を引きて諞佞べんねいに作る」(友諒、諒良同。如子諒之諒。友直則聞其過。友直則觀其材。友多聞則廣其知。便辟、馬融曰、巧辟人之所忌、以求容媚。善柔、馬融曰、面柔也。便佞、鄭玄曰、便辨也。謂佞而辨也。古文辭必須古註而明矣。便辟當去聲。便佞、説文引論語作諞佞)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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