陽貨第十七 8 子曰由也女聞六言六蔽矣乎章
442(17-08)
子曰、由也、女聞六言六蔽矣乎。對曰、未也。居、吾語女。好仁不好學、其蔽也愚。好知不好學、其蔽也蕩。好信不好學、其蔽也賊。好直不好學、其蔽也絞。好勇不好學、其蔽也亂。好剛不好學、其蔽也狂。
子曰、由也、女聞六言六蔽矣乎。對曰、未也。居、吾語女。好仁不好學、其蔽也愚。好知不好學、其蔽也蕩。好信不好學、其蔽也賊。好直不好學、其蔽也絞。好勇不好學、其蔽也亂。好剛不好學、其蔽也狂。
子曰く、由や、女六言六蔽を聞けるか。対えて曰く、未だし。居れ、吾女に語らん。仁を好みて学を好まざれば、其の蔽や愚なり。知を好みて学を好まざれば、其の蔽や蕩なり。信を好みて学を好まざれば、其の蔽や賊なり。直を好みて学を好まざれば、其の蔽や絞なり。勇を好みて学を好まざれば、其の蔽や乱なり。剛を好みて学を好まざれば、其の蔽や狂なり。
現代語訳
- 先生 ――「由くん、きみは六字の六害を聞いたかね。」答え ――「まだです。」 ――「おすわり。話してあげよう。仁(人情)だけで学問ぎらいだと、その害はおろかさだ。知(チエ)だけで学問ぎらいだと、その害は取りとめのなさだ。信(信念)だけで学問ぎらいだと、その害は空おそろしさだ。直(公正)だけで学問ぎらいだと、その害はいきぐるしさだ。勇(勇気)だけで学問ぎらいだと、その害はつつしみのなさだ。剛(強気)だけで学問ぎらいだと、その害はものぐるおしさだ。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 孔子様が子路に向かって、「由よ、お前は『六言の六蔽』すなわち仁・知・信・直・勇・剛の六つの言葉であらわされた美徳に、六つの蔽われる所、いわば暗黒面がある、ということを聞いたか。」と問われたので、子路が起立して、「イエまだ聞いたことがござりません。」と答えた。そこで孔子様がおっしゃるよう、「まあすわれ、話してやろう。いかなる美徳も学問をして義理を弁え本末軽重の見境がつかぬと、せっかくの美徳が蔽われて脱線堕落する。これを『蔽』というのじゃ。そこで、仁を好んで学を好まぬと、蔽われてばか正直になる。知を好んで学を好まぬと、蔽われて誇大妄想になる。信を好んで学を好まぬと、蔽われて過信軽信迷信になり、人を利せんとしてかえって人をそこなう。直を好んで学を好まぬと、蔽われて苛酷非人情杓子定規になる。勇を好んで学を好まぬと、蔽われて乱暴狼藉になる。剛を好んで学を好まぬと、蔽われて狂気のさたになる。これが『六言の六蔽』じゃよ。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 先師がいわれた。――
「由よ、お前は六つの善言に六つの暗い影があるということをきいたことがあるか」
子路がこたえた。――
「まだきいたことがございません」
先師――
「では、おかけなさい。話してあげよう。仁を好んで学問を好まないと、見さかいのない痴愚の愛におちいりがちなものだ。知を好んで学問を好まないと、筋道の立たない妄想をたくましゅうしがちなものだ。信を好んで学問を好まないと、小信にこだわって自他の幸福を害しがちなものだ。直を好んで学問を好まないと、杓子定規になり、無情非礼をあえてしがちなものだ。勇を好んで学問を好まないと、血気にはやって秩序をみだしがちなものだ。剛を好んで学問を好まないと、理非をわきまえない狂気じみた自己主張をやりがちなものだ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
- 由 … 前542~前480。姓は仲、名は由。字は子路、または季路。孔子より九歳年下。門人中最年長者。孔門十哲のひとり。政治的才能があり、また正義感が強く武勇にも優れていた。ウィキペディア【子路】参照。
- 六言 … 六つの言葉。六つの善言。六つの美徳。「言」は、語の意。六つの言葉とは、仁・知・信・直・勇・剛を指す。
- 六蔽 … 六つの弊害。
- 未也 … 「いまだし」と読み、「まだです」「まだ聞いていません」と訳す。否定の意を示す。
- 居 … 座りなさい。子路は礼に従い、起立して答えていたため。
- 愚 … 愚かになる。
- 知 … 知識。
- 蕩 … デタラメになる。
- 信 … 信義。
- 賊 … 損なう。
- 直 … 真っ直ぐなこと。正直さ。
- 絞 … 窮屈。
- 勇 … 勇気。
- 乱 … 無秩序。
- 剛 … 剛毅さ。
- 狂 … 無鉄砲。
補説
- 『注疏』に「此の章は学を勧むるなり」(此章勸學也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 子曰、由也 … 『義疏』に「子路の名を呼びて之に問うなり」(呼子路名而問之也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 由(子路) … 『孔子家語』七十二弟子解に「仲由は卞人、字は子路。一の字は季路。孔子より少きこと九歳。勇力才芸有り。政事を以て名を著す。人と為り果烈にして剛直。性、鄙にして変通に達せず。衛に仕えて大夫と為る。蒯聵と其の子輒と国を争うに遇う。子路遂に輒の難に死す。孔子之を痛む。曰く、吾、由有りてより、悪言耳に入らず、と」(仲由卞人、字子路。一字季路。少孔子九歳。有勇力才藝。以政事著名。爲人果烈而剛直。性鄙而不達於變通。仕衞爲大夫。遇蒯聵與其子輒爭國。子路遂死輒難。孔子痛之。曰、自吾有由、而惡言不入於耳)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「仲由、字は子路、卞の人なり。孔子よりも少きこと九歳。子路性鄙しく、勇力を好み、志伉直にして、雄鶏を冠し、豭豚を佩び、孔子を陵暴す。孔子、礼を設け、稍く子路を誘う。子路、後に儒服して質を委し、門人に因りて弟子たるを請う」(仲由字子路、卞人也。少孔子九歳。子路性鄙、好勇力、志伉直、冠雄鷄、佩豭豚、陵暴孔子。孔子設禮、稍誘子路。子路後儒服委質、因門人請爲弟子)とある。伉直は、心が強くて素直なこと。豭豚は、オスの豚の皮を剣の飾りにしたもの。委質は、はじめて仕官すること。ここでは孔子に弟子入りすること。ウィキソース「史記/卷067」参照。
- 由也 … 『義疏』に「也」の字なし。
- 女聞六言六蔽矣乎 … 『集解』の何晏の注に「六言・六蔽とは、下の六事、仁・智・信・直・勇・剛を謂うなり」(六言六蔽者、下六事、謂仁智信直勇剛也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「夫れ子路に問わんと欲する所、汝曾て六言にして言毎に以て蔽塞の事有るを聞くや。言既に六有り。故に蔽も亦た六有り。故に六言・六蔽の事、下文に在るを云う。王弼云う、自らは其の過ちを見ざるなり、と」(夫所欲問子路、汝曾聞六言而毎言以有蔽塞之事乎。言既有六。故蔽亦有六。故云六言六蔽之事、在下文。王弼云、不自見其過也)とある。また『注疏』に「蔽は、蔽塞して自らは其の過ちを見ざるを謂うなり。孔子子路を呼びて之に問いて曰く、汝嘗て学ばずして皆蔽塞するを六言せし者を聞けるや、と」(蔽、謂蔽塞不自見其過也。孔子呼子路而問之曰、汝嘗聞六言不學而皆蔽塞者乎)とある。また『集注』に「蔽は、遮り掩うなり」(蔽、遮掩也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 女 … 『義疏』では「汝」に作る。
- 対曰、未也 … 『義疏』に「子路対えて曰く、未だ曾て之を聞かず、と」(子路對曰、未曾聞之)とある。また『注疏』に「子路対えて言う、未だ曾て聞かざるなり、と」(子路對言、未曾聞也)とある。
- 居、吾語女 … 『集解』に引く孔安国の注に「子路起ちて対う。故に座に還らしむるなり」(子路起對。故使還座也)とある。また『義疏』に「居は、猶お座に復るがごときなり。子路は孔子の問うを得て、席を避けて対えて云う、未だし、と。故に孔子之を呼びて座に復らしむるなり。吾当に汝に語るべきなり」(居、猶復座也。子路得孔子問、避席而對云、未也。故孔子呼之使復座也。吾當語汝也)とある。また『注疏』に「居は、猶お坐のごときなり。礼に、君子問うこと端を更むれば、則ち起つ。子路起ちて対う、故に還た坐せしむ。吾将に女に語らんとするなり」(居、猶坐也。禮、君子問更端、則起。子路起對、故使還坐。吾將語女也)とある。また『集注』に「礼に、君子問うこと端を更むれば、則ち起ちて対う。故に孔子は子路を諭すに、坐に還らしめて之に告ぐ」(禮、君子問更端、則起而對。故孔子諭子路、使還坐而告之)とある。
- 居 … 『義疏』では「曰居」に作る。
- 好仁不好学、其蔽也愚 … 『集解』に引く孔安国の注に「仁者は物を愛すれども、之を裁する所以を知らざれば、則ち愚なり」(仁者愛物、不知所以裁之、則愚)とある。また『義疏』に「一なり。然して此れ以下の六事、以て人に中るを謂うなり。夫れ事中適を得れば、学に資せざるは莫し。若し学ばずして事を行えば、猶お燭無くして夜行くがごときなり。仁者は博く施し周く急なり。是れ徳の盛んなるなり。唯だ学者のみ能く其の中を裁す。若し学ばずして施せば、施し必ず所を失う。是れ愚人と同じ。故に其に蔽塞愚に在るなり。江熙云う、仁を好む者は、其の風を聞きて之を悦ぶ者を謂うなり。学ばずんば其の道を深源する能わず、其の一を知りて未だ其の二を識らず。所以に蔽するなり。聖人に非ざるより、必ず偏する所有らん。偏才かに美なりと雖も、必ず蔽する所有らん。学者教えを仮り以て其の性を節し、教えを観て変ずるを知れば、則ち遇う所を見るなり、と」(一也。然此以下六事、以謂中人也。夫事得中適、莫不資學。若不學而行事、猶無燭夜行也。仁者博施周急。是德之盛也。唯學者能裁其中。若不學而施、施必失所。是與愚人同。故其蔽塞在於愚也。江熙云、好仁者、謂聞其風而悦之者也。不學不能深源乎其道、知其一而未識其二。所以蔽也。自非聖人、必有所偏。偏才雖美、必有所蔽。學者假教以節其性、觀教知變、則見所遇也)とある。また『注疏』に「此の下六言・六蔽の事を歴説するなり。学とは、覚なり。未だ知らざることを覚寤する所以なり。仁の行たる、学べば則ち固ならず。是を以て物を愛し与うるを好むを仁と曰う。若し但だ仁を好むのみにて、之を裁する所以を知らず、施す所当たらずんば、則ち愚人の如きなり」(此下歴説六言六蔽之事也。學者、覺也。所以覺寤未知也。仁之爲行、學則不固。是以愛物好與曰仁。若但好仁、不知所以裁之、所施不當、則如愚人也)とある。また『集注』に「六言は皆美徳なり。然れども徒らに之を好みて、学びて以て其の理を明らかにせざれば、則ち各〻蔽わるる所有り。愚は、陥る可く罔う可きの類の若し」(六言皆美德。然徒好之、而不學以明其理、則各有所蔽。愚、若可陷可罔之類)とある。
- 好知不好学、其蔽也蕩 … 『集解』に引く孔安国の注に「蕩は、適き守る所無きなり」(蕩、無所適守也)とある。また『義疏』に「二なり。智は運動するを以て用を為す。若し学んで之を裁すれば、則ち智動き理に会う。若し学ばずして運動すれば、則ち蔽塞して蕩に在りて、的守する所無きなり」(二也。智以運動爲用。若學而裁之、則智動會理。若不學而運動、則蔽塞在於蕩、無所的守也)とある。また『注疏』に「事に明照なるを知と曰う。若し学ばずして以て之を裁すれば、則ち其の蔽は蕩逸に在りて、適き守る所無きなり」(明照於事曰知。若不學以裁之、則其蔽在於蕩逸、無所適守也)とある。また『集注』に「蕩は、高きを窮め広きを極めて止まる所無きを謂う」(蕩、謂窮高極廣而無所止)とある。
- 好信不好学、其蔽也賊 … 『集解』に引く孔安国の注に「父子相為に隠すを知らざるの輩なり」(父子不知相爲隱之輩)とある。また『義疏』に「三なり。信とは、欺かずして用を為す。若し学んで信を為せば、信は則ち宜に合す。学ばずして信ならば、信は宜に合せず。宜に合せざれば、則ち蔽塞して其の身を賊害するに在るなり。江熙云う、尾生女子と期し、梁下に死す。宋の襄楚人と期し、泓に傷つく。度らざるは信の害なり、と」(三也。信者、不欺爲用。若學而爲信、信則合宜。不學而信、信不合宜。不合宜、則蔽塞在於賊害其身也。江熙云、尾生與女子期、死於梁下。宋襄與楚人期、傷泓。不度信之害也)とある。また『注疏』に「人言の欺かざるを信と為せば、則ち当に義を信ずべし。若し但だ信を好むのみにして、学ばずして以て之を裁すれば、其の蔽は賊害に在り。父子相為に隠すを知らざるの輩なり」(人言不欺爲信、則當信義。若但好信、而不學以裁之、其蔽在於賊害。父子不知相爲隱之輩也)とある。また『集注』に「賊は、物に傷害せらるるを謂う」(賊、謂傷害於物)とある。
- 好直不好学、其蔽也絞 … 『義疏』に「四なり。直とは、曲らずして用を為す。若し学んで之を行えば、中適を得。若し学ばずして直ならば、則ち蔽塞して絞めるに在り。絞は、猶お刺のごときなり。好んで人の非を譏刺して、己の直を成すなり」(四也。直者、不曲爲用。若學而行之、得中適。若不學而直、則蔽塞在於絞。絞、猶刺也。好譏刺人之非、成己之直也)とある。また『注疏』に「絞は、切なり。人の曲を正すを直と曰う。若し直を好みて学を好まずんば、則ち譏刺に失すること太だ切なり」(絞、切也。正人之曲曰直。若好直不好學、則失於譏刺太切)とある。
- 好勇不好学、其蔽也乱 … 『義疏』に「五なり。勇は是れ多力なり。多力若し学べば、則ち能く勇を用う。敬して廟廊に拝し、難を辺疆に捍ぐ。若し勇にして学ばざれば、則ち必ず蔽塞して乱を作すに在るなり」(五也。勇是多力。多力若學、則能用勇。敬拜於廟廊、捍難於邊壃。若勇不學、則必蔽塞在於作亂也)とある。また『注疏』に「勇は、果敢を謂う。当に学びて以て義を知るべし。若し勇を好みて学を好まずんば、則ち是れ勇有れども義無く、則ち賊乱を為すなり」(勇、謂果敢。當學以知義。若好勇而不好學、則是有勇而無義、則爲賊亂)とある。また『集注』に「勇とは、剛の発なり」(勇者、剛之發)とある。
- 好剛不好学、其蔽也狂 … 『集解』に引く孔安国の注に「狂は、妄りに人に抵触す」(狂、妄抵觸人)とある。また『義疏』に「六なり。剛なる者は無欲にして、曲に求むるを為さざるなり。若し復た学んで剛なれば、則ち中適して美と為る。若し剛にして学ばずんば、則ち必ず蔽狂に在り。狂は、人に抵触して廻避すること無き者を謂うなり」(六也。剛者無欲、不爲曲求也。若復學而剛、則中適爲美。若剛而不學、則必蔽在於狂。狂、謂抵觸於人無廻避者也)とある。また『注疏』に「狂は、猶お妄のごときなり。剛なる者は無欲にして、曲げて求むるを為さず。若し好みて其の剛を恃み、学ばずして以て之を制すれば、則ち其の蔽や妄りに人に抵触す」(狂、猶妄也。剛者無欲、不爲曲求。若好恃其剛、不學以制之、則其蔽也妄抵觸人)とある。また『集注』に「剛とは、勇の体なり。狂は、躁率なり」(剛者、勇之體。狂、躁率也)とある。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「仁者は人を愛す、然れども学以て之を照さざれば、則ち柔にして断無く、婦人の仁の如き是れなり。……此れ学問の功甚だ大なることを言うなり。蓋し六つの者は皆天下の美徳なり。然れども或いは気質の稟に原づき、或いは好尚の偏に出でて、其の正を得ること能わず。必ず学問を待ちて、而る後に偏を救い弊を補い、能く其の徳を成せば、則ち天下豈に学問の功より大なり者有らんや」(仁者愛人、然不學以照之、則柔而無斷、如婦人之仁是也。……此言學問之功甚大也。蓋六者皆天下之美德。然或原于氣質之稟、或出於好尚之偏、而不能得其正。必待學問、而後救偏補弊、能成其德、則天下豈有大於學問之功者哉)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』に「六言六蔽は、蓋し古語なり。其の它の、其の目を請い問う、五つの者を天下に行う、三楽、三友、三畏、三愆の如き、古人は条目を以て之を教え、条目を以て之を守る。其の実学たること、以て知る可きのみ。後人は輒ち一槩の論を以て之を通ぜんと欲す。実を務めざるが故なり。是れ蓋し其の意に一貫を以て大小の大事と為し、自ら謂えらく我をして孔子の時に在らしめば、必ず之を与り聞き、而うして其の自得する所の一貫の説を発して、以て学者に教えんのみと。豈に妄ならずや。六言の蔽は、皆学を好まざるに在り。而うして泰伯篇の、直の絞、勇の乱は、皆礼無きを以て之を言う。蓋し古えの学は、詩書礼楽以て先王の道を学ぶことを謂う。而うして詩書は義の府、礼楽は徳の則なれば、則ち其の徳を成す所以の者は、専ら礼楽に在り。故に曰く、礼楽身に得、之を徳と謂う、と。是を以て此は学を好まずというを以てし、彼は礼無しというを以てす。其の旨は一なり。仁の愚、朱子曰く、陥る可く罔う可きの類の若し、と。之を得たり。蓋し子産の其の乗輿を以て人を溱洧に済し、文帝の笞杖を以て肉刑に易えしが如き、是れなり。何となれば肉刑は猶お生くることを得るに、乃ち杖下に死する者有り。豈に愚に非ずや。仁斎曰く、仁者は人を愛す。然れども学んで以て之を照らさずんば、則ち柔にして断無く、婦人の仁の如し、と。是れ専ら学を以て知の事と為し、仁を以て慈愛と為す。仁を知らず、又た学を知らずと謂う可きのみ。知の蕩、朱子曰く、高きを窮め広きを極めて止まる所無しと謂う。之を得たり。後儒は礼楽鬼神を掃いて一に理に帰す。亦た蕩なるのみ。大氐知者は天に象り、仁者は地に象る。故に其の蔽や此くの如し。信の賊は、任俠の輩を謂うなり。説者徒らに道を害し事を敗るというを以て解を為す。其の解を得ずと謂う可きのみ。剛の狂、孔安国曰く、狂は妄りに人に抵触するなり、と。之を得たり。朱子曰く、勇なる者は剛の発、剛なる者は勇の体、と。則ち勇剛は一なり。殊に知らず六言は本と六種の徳を言うのみ。徳は性を以て殊なり。故に多品有り。然れども必ず学んで以て之を成し、然る後以て徳と為す可し。其の未だ徳と成さざるに当たりては、則ち性の近き所、之を好むのみ。勇は其の勇往の気を謂い、剛は性の柔順ならざるを謂う。本と自ずから同じからざるなり。仁斎曰く、六つの者は必ず学問を待ち、而る後偏を救い弊を補い、能く其の徳を成す、と。此れ後世の議論のみ。殊に知らず学は則ち身を先王陶冶の中に納るることなるを。人苟くも能く身を先王陶冶の中に納れ、以て其の徳を養うときは、則ち仁・知・信・直・勇・剛は皆其の材を成し、以て用うること有るに足る。必ずしも其の偏を救い其の弊を補わざるなり。辟えば椎鑿刀鋸、各〻其の用有るが如きのみ」(六言・六蔽、蓋古語也。其它如請問其目、行五者於天下、三樂、三友、三畏、三愆、古人以條目教之、以條目守之。其爲實學、可以知已。後人輙欲以一槩之論通之。不務實故也。是蓋其意以一貫爲大小大事、自謂使我在孔子時、必與聞之、而發其所自得一貫之説、以教學者耳。豈不妄哉。六言之蔽、皆在不好學。而泰伯篇、直之絞、勇之亂、皆以無禮言之。蓋古之學、謂詩書禮樂以學先王之道。而詩書義之府、禮樂德之則、則其所以成德者、專在禮樂焉。故曰、禮樂得於身謂之德。是以此以不好學、彼以無禮。其旨一也。仁之愚、朱子曰、若可陷可罔之類。得之。蓋如子產之以其乘輿濟人於溱洧、文帝之以笞杖易肉刑、是也。何則肉刑猶得生、乃有死於杖下者。豈非愚哉。仁齋曰、仁者愛人。然不學以照之、則柔而無斷、如婦人之仁。是專以學爲知之事、以仁爲慈愛。可謂不知仁、又不知學已。知之蕩、朱子曰、謂窮高極廣而無所止。得之。後儒掃禮樂鬼神而一歸于理。亦蕩已。大氐知者象天、仁者象地。故其蔽也如此。信之賊、謂任俠之輩也。説者徒以害道敗事爲解。可謂不得其解已。剛之狂、孔安國曰、狂妄抵觸人。得之。朱子曰、勇者剛之發、剛者勇之體。則勇剛一也。殊不知六言本言六種德耳。德以性殊。故有多品。然必學以成之、然後可以爲德。當其未成德、則性之所近、好之已。勇謂其勇徃之氣、剛謂性不柔順。本自不同也。仁齋曰、六者必待學問、而後救偏補弊、能成其德。此後世議論已。殊不知學則納身於先王陶冶之中矣。人苟能納身於先王陶冶之中、以養其德、則仁知信直勇剛皆成其材、足以有用焉。不必救其偏補其弊也。辟如椎鑿刀鋸、各有其用已)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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