衛霊公第十五 6 子曰直哉史魚章


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子曰、直哉史魚。邦有道如矢、邦無道如矢。君子哉蘧伯玉、邦有道則仕、邦無道則可卷而懷之。
子曰、直哉史魚。邦有道如矢、邦無道如矢。君子哉蘧伯玉、邦有道則仕、邦無道則可卷而懷之。
子曰く、直なるかな史魚。邦に道有れば矢の如く、邦に道無きも矢の如し。君子なるかな蘧伯玉、邦に道有れば則ち仕え、邦に道無ければ則ち巻きて之を懐にす可し。
現代語訳
- 先生 ――「まっすぐだな、史魚は。平和な世には矢のようで、乱れた世にも矢のようだ。人物だな、蘧(キョ)伯玉は。平和な世には職につき、乱れた世にはクルリとひっこめる。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 孔子様がおっしゃるよう、「剛直なるかな史魚は。国に道があって治まれる時に矢のように真っ直ぐなのはもちろん、国に道なくして乱れているときにも矢のごとくまがらない。君子であるかな蘧伯玉は。国に道が行われれば出でて仕え、国に道が行われなければ才智を巻いて懐にかくしている。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 先師がいわれた。――
「史魚はなんという真っ直ぐな人だろう。国に道があっても矢のように真っ直ぐであり、国に道がなくても矢のように真っ直ぐだ」
またいわれた。――
「蘧伯玉はなんという見事な君子だろう。国に道があれば出て仕え、国に道がなければただちに才能を巻いて懐におさめる」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
- 直 … 真っ直ぐな性格。剛直な性格。
- 史魚 … 衛の大夫。名は鰌。字は子魚。「史」は官名。ウィキペディア【史魚 (衛)】参照。
- 邦 … 国。
- 如矢 … 矢のように。真っ直ぐな性格の比喩。『詩経』小雅・大東の詩に「其の直きこと矢の如し」(其直如矢)とあるのに基づく。ウィキソース「詩經/大東」参照。
- 君子哉 … 君子だなあ。
- 蘧伯玉 … 衛の大夫。姓は蘧。名は瑗。伯玉は字。「五十にして四十九年の非を知る」は蘧伯玉の言葉として有名。ウィキペディア【蘧伯玉】参照。
- 仕 … 出仕する。仕官する。
- 巻而懐之 … 布帛に巻いて懐中にしまうように、才能を隠して世に出ないこと。
補説
- 『注疏』に「此の章は衛の大夫史鰌・蘧瑗の行いを美むるなり」(此章美衞大夫史鰌蘧瑗之行也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 子曰 … 『義疏』(大阪懐徳堂の校定本)では「民曰」に作る。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 直哉史魚 … 『集解』に引く孔安国の注に「衛の大夫史鰌なり」(衞大夫史鰌也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』及び『注疏』に「史魚の行いの正直なるを美むるなり」(美史魚之行正直也)とある。また『集注』に「史は、官名。魚は、衛の大夫、名は鰌」(史、官名。魚、衞大夫、名鰌)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 邦有道如矢、邦無道如矢 … 『集解』に引く孔安国の注に「道有るも道無きも、行いの直なること矢の如し。曲がらざるなり」(有道無道、行直如矢。不曲也)とある。また『義疏』に「其の直たるを証す。矢箭に譬うるなり。性唯だ直のみにして曲ならず。言うこころは史魚の徳、恒に直なること箭の如し。国に道有るも道無きも曲に変ずるを為すに以ざるなり」(證其爲直。譬矢箭也。性唯直而不曲。言史魚之德恆直如箭。不以國有道無道爲變曲也)とある。また『注疏』に「此れ其の直の行いなり。矢は、箭なり。史鰌の徳、其の性は惟れ直なり。国の有道・無道も、行いの直なること箭の如きは、世に随いて変曲せざるを言うなり」(此其直之行也。矢、箭也。史鰌之德、其性惟直。國之有道無道、行直如箭、言不隨世變曲也)とある。また『集注』に「矢の如しは、直なるを言うなり。史魚自ら賢を進め不肖を退くこと能わざるを以て、既に死するも猶お尸を以て諫む。故に夫子其の直を称す。事は家語に見ゆ」(如矢、言直也。史魚自以不能進賢退不肖、既死猶以尸諫。故夫子稱其直。事見家語)とある。
- 君子哉蘧伯玉 … 『義疏』に「又た蘧瑗を美むるなり。進退時に随い時の変に合す。故に曰く、君子なるかな、と」(又美蘧瑗也。進退隨時合時之變。故曰、君子哉也)とある。また『注疏』に「伯玉に君子の徳有るを美むるなり」(美伯玉有君子之德也)とある。また『集注』に「伯玉の出処は、聖人の道に合す。故に君子と曰う」(伯玉出處、合於聖人之道。故曰君子)とある。
- 邦有道則仕 … 『義疏』に「其の君子の事に出づるなり。国に若し道有れば、則ち其の聡明を肆にして以て時を佐くるなり」(出其君子之事也。國若有道、則肆其聰明以佐時也)とある。また『注疏』に「此れ其の君子の行いなり。国に若し道有れば、則ち其の聡明を肆にして位に在るなり」(此其君子之行也。國若有道、則肆其聦明而在位也)とある。
- 邦無道則可巻而懐之 … 『集解』に引く包咸の注に「巻きて懐にすは、時政に与らず、柔順にして人に忤わざるを謂うなり」(卷而懷、謂不與時政、柔順不忤於人也)とある。また『義疏』に「国に若し道無ければ、則ち光を韞め智を匿して、懐蔵して以て世の害を避くるなり」(國若無道、則韞光匿智、而懷藏以避世之害也)とある。また『注疏』に「国に若し道無ければ、則ち光を韜み知を晦まし、時政に与らず、亦た常に柔順にして人に忤逆せず。是を以て之を君子と謂うなり」(國若無道、則韜光晦知、不與時政、亦常柔順不忤逆於人。是以謂之君子也)とある。また『集注』に「巻は、収なり。懐は、蔵なり。孫林父、甯殖の放弑の謀に於いて、対えずして出づるが如きも、亦た其の事なり」(卷、收也。懷、藏也。如於孫林父甯殖放弑之謀、不對而出、亦其事也)とある。
- 『集注』に引く楊時の注に「史魚の直は、未だ君子の道を尽くさず。蘧伯玉の若くにして、然る後に乱世を免るる可く、史魚の矢の如くなるが若きは、則ち巻きて之を懐にせんと欲すと雖も、得可からざること有るなり」(史魚之直、未盡君子之道。若蘧伯玉、然後可免於亂世、若史魚之如矢、則雖欲卷而懷之、有不可得也)とある。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「此れ二子皆衛の賢臣にして、其の行い自ずから同じからざるを言うなり。史魚の若きは、能く伸びて屈すること能わず。己を成すことを知りて、物を成すことを知らず。惟れ之を直と謂う可し。伯玉時に因りて屈伸し、巻舒宜しきに随う。以て己を成す可く、以て物を成す可し。故に之を君子と謂うなり」(此言二子皆衞賢臣、而其行自不同也。若史魚、能伸而不能屈。知成己、而不知成物。惟可謂之直。伯玉因時屈伸、卷舒隨宜。可以成己、可以成物。故謂之君子也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』に「楊氏曰く、史魚の矢の如くなるが若きは、則ち巻きて之を懐にせんと欲すと雖も、得可からざること有るなり、と。是れ固より爾り。然れども孔子伯玉を称して云うこと爾る所以の者は、其の道有るや其の道を巻きて之を懐にするを謂うなり。是れ正に用舎行蔵と同意なり」(楊氏曰、若史魚之如矢、則雖欲卷而懷之、有不可得也。是固爾。然孔子所以稱伯玉云爾者、謂其有道也卷其道而懷之也。是正與用舍行藏同意)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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