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季氏第十六 5 孔子曰益者三樂章

425(16-05)
孔子曰、益者三樂、損者三樂。樂節禮樂、樂道人之善、樂多賢友益矣。樂驕樂、樂佚遊、樂宴樂損矣。
こういわく、益者えきしゃ三楽さんごう損者そんしゃ三楽さんごうあり。礼楽れいがくせっするをたのしみ、ひとぜんうをたのしみ、賢友けんゆうおおきをたのしむはえきなり。驕楽きょうらくたのしみ、佚遊いつゆうたのしみ、宴楽えんらくたのしむはそんなり。
現代語訳
  • 孔先生 ――「ためになる楽しみが三つ、害になる楽しみが三つある。礼儀や音楽をたしなみ、人のよいところをほめ、よい友だちをふやすのは、ためになる。かってな道楽をし、気ままに遊びまわり、ノンベンダラリとくらすのは、害になる。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子の申すよう、「有益な楽しみが三つ、有害な楽しみが三つあります。礼儀音楽をほどよく実行実演するのを楽しみ、人の善言善行をうわさすることを楽しみ、かしこい友人の多いことを楽しむのは、有益な楽しみであります。我がままかってを楽しみ、なまけ遊ぶことを楽しみ、宴会遊興を楽しむのは、有害な楽しみであります」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「有益な楽しみが三つ、有害な楽しみが三つある。礼楽の節度を楽しみ、人の善をいうことを楽しみ、賢友の多いのを楽しむのは有益である。驕慢を楽しみ、遊惰を楽しみ、酒色を楽しむのは有害である」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 益者三楽 … 有益な楽しみが三つ。「楽」は、古くから「ゴウ」と読み慣わしてきた。近年は「ラク」と読むことも多い。なお、「ガク」と読めば「音楽」の意になる。
  • 損者三楽 … 身の損失を受ける楽しみが三つ。
  • 節礼楽 … 礼儀と音楽をほどよく行うこと。
  • 道人之善 … 人の善行を褒め、みんなに話すこと。「道」は、言う。
  • 多賢友 … 賢い友人が多いこと。
  • 驕楽 … わがまま勝手に贅沢をすること。
  • 佚遊 … 怠惰で遊びほうけること。
  • 宴楽 … 酒色にふけること。
補説
  • 『注疏』に「此の章は人心の損益を楽好ごうこうするの事に、各〻三種有るを言うなり」(此章言人心樂好損益之事、各有三種也)とある。楽好は、愛好すること。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 益者三楽 … 『義疏』に「心中に楽の事を受くる所有るを以て、三者人を益すと為す者を謂うなり」(謂以心中有所受樂之事、三者爲益人者也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 損者三楽 … 『義疏』に「又た心中に楽を愛する所、三事有るを以て、人を損すと為す者を謂うなり」(又謂以心中所愛樂有三事、爲損人者也)とある。
  • 楽節礼楽 … 『集解』の何晏の注に「動きては礼楽の節を得るなり」(動得禮樂之節也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「一の益なり。心中愛する所の楽しみを謂う。礼楽の節を得たるを楽しむなり」(一益也。謂心中所愛樂。樂得於禮樂之節也)とある。また『注疏』に「凡そ動作する所、皆礼楽の節を得るを謂うなり」(謂凡所動作、皆得禮樂之節也)とある。また『集注』に「礼楽の楽は、音は岳。……節は、其の制度声容の節を弁ずるを謂う」(禮樂之樂、音岳。……節、謂辨其制度聲容之節)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 楽道人之善 … 『義疏』に「二の益なり。心中愛する所の楽しみ、人の善事を揚ぐるを道説するを楽しむなり」(二益也。心中所愛樂、樂道説揚人之善事也)とある。また『注疏』に「好みて人の美を称するを謂うなり」(謂好稱人之美也)とある。
  • 楽多賢友益矣 … 『義疏』に「三の益なり。心中愛する所の楽しみ、多くの賢を朋友と為すを得たるを楽しむなり。此れ上の三楽、皆是れ益を為すの楽しみなり」(三益也。心中所愛樂、樂得多賢爲朋友也。此上三樂、皆是爲益之樂也)とある。また『注疏』に「多く賢人を得て以て朋友と為すを好むを謂うなり。此の三者を好むは、身に於いて益すること有るを言うなり」(謂好多得賢人以爲朋友也。言好此三者、於身有益也)とある。
  • 楽驕楽 … 『集解』に引く孔安国の注に「尊貴をたのみて以て自らほしいままにするなり」(恃尊貴以自恣也)とある。また『義疏』に「此れ一の損を明らかにするなり。心中愛する所の楽しみ、きょうごうを為して以て自ら楽しむなり」(此明一損也。心中所愛樂、爲驕慠以自樂也)とある。驕慠は、驕り高ぶって勝手なさま。驕傲に同じ。また『注疏』に「尊貴をたのみて以て自らほしいままにするを謂うなり」(謂恃尊貴以自恣也)とある。また『集注』に「驕楽、宴楽の楽は、音は洛。……驕楽なれば、則ち侈肆ししにして節を知らず」(驕樂宴樂之樂、音洛。……驕樂、則侈肆而不知節)とある。
  • 楽佚遊 … 『集解』に引く王粛の注に「佚遊は、出入すること節を知らざるなり」(佚遊、出入不知節也)とある。また『義疏』に「此れ二の損なり。心中愛する所の楽しみ、自ら逸悆を恣にして遨遊し、節度を用いざるなり」(此二損也。心中所愛樂、恣於自逸悆而遨遊、不用節度也)とある。また『注疏』に「出入を好みて節せざるを謂うなり」(謂好出入不節也)とある。また『集注』に「佚遊すれば、則ち惰慢にして善を聞くを悪む」(佚遊、則惰慢而惡聞善)とある。また『経典釈文』に「佚遊、本と亦た逸に作る。音は同じ」(佚遊、本亦作逸。音同)とある。ウィキソース『經典釋文 (四庫全書本)/卷24』参照。
  • 楽宴楽損矣 … 『集解』に引く孔安国の注に「宴楽は、沈荒淫瀆いんとくするなり。三者は、自ら損するの道なり」(宴樂、沈荒淫瀆也。三者、自損之道也)とある。また『義疏』に「三の損なり。心中愛する所の楽しみなり。宴飲酖酤して以て楽しみを為すなり。此れ上の三楽、皆是れ損の楽しみと為すなり」(三損也。心中所愛樂。宴飲酖酤以爲樂也。此上三樂、皆是爲損之樂也)とある。また『注疏』に「沈荒・淫瀆を好むを謂うなり。此の三者を好むは、自ら損うの道なるを言うなり」(謂好沈荒淫瀆也。言好此三者、自損之道也)とある。また『集注』に「宴楽すれば、則ち淫溺にして小人にる。三者の損益、亦た相反するなり」(宴樂、則淫溺而狎小人。三者損益、亦相反也)とある。
  • 『集注』に引く尹焞の注に「君子の好楽に於ける、謹まざる可けんや」(君子之於好樂、可不謹哉)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「人は好楽無きこと能わず。但し善を楽しめば則ち日〻に益し、不善を楽しめば則ち日〻に損す。故に礼楽を節することを楽しめば、則ち身規矩に由りて、徳に進むの基立つ。人の善を道うことを楽しめば、則ち己を守るの心除きて、徳を尚ぶの意篤し。賢友多からんことを楽しめば、則ち敢えて自ら足れりとせずして、徳を成すの輔おおし。故に曰く、益あるなり、と。驕楽を楽しめば、則ち恐懼する所無くして、傲り日〻に長ず。佚遊を楽しめば、則ち惕励てきれいする所無くして、志必ずすさむ。宴楽を楽しめば、則ち貪恋たんれんする所有りて、志溺れ易し。故に曰く、損あるなり、と。人は其の好楽する所を慎まざる可からず。大学に曰く、好楽する所有れば、則ち其の正しきを得ずとは、非なり」(人不能無好樂。但樂善則日益、樂不善則日損。故樂節禮樂、則身由規矩、而進德之基立矣。樂道人之善、則守己之心除、而尚德之意篤矣。樂多賢友、則不敢自足、而成德之輔衆矣。故曰益也。樂驕樂、則無所恐懼、而傲日長矣。樂佚遊、則無所惕勵、而志必荒矣。樂宴樂、則有所貪戀、而志易溺矣。故曰損也。人不可不愼其所好樂焉。大學曰、有所好樂、則不得其正者、非也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「益者三楽、損者三楽、楽は皆おんらくりく氏はおんは五教のかえし。古音に非ず。礼楽を節す。蓋し礼楽は皆節有り、以て我が身を節するなり。あん曰く、動くこと礼楽の節を、と。之を得たり。驕楽、孔安国曰く、尊貴をたのみて以て自恣じしす、と。佚遊、王粛曰く、出入すること節ならず。宴楽、孔安国曰く、沈荒ちんこう淫瀆いんとく、と。朱註に、佚遊すれば則ちまんす、と。是れ遊の字を失す。沈荒ちんこう淫瀆いんとくは、酒色におぼるるを謂うなり。三友・三楽、朱子は必ずあい対せんことを欲す。なずめり」(益者三樂、損者三樂、樂皆音洛。陸氏音五教反。非古音。節禮樂。蓋禮樂皆有節、以節我身也。何晏曰、動得禮樂之節。得之矣。驕楽、孔安國曰、恃尊貴以自恣。佚遊、王肅曰、出入不節。宴樂。孔安國曰、沈荒淫瀆。朱註、佚遊則惰慢。是失遊字矣。沈荒淫瀆、謂湎酒色也。三友三樂、朱子必欲相對。泥矣)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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