雍也第六 17 子曰人之生也直章
136(06-17)
子曰、人之生也直。罔之生也、幸而免。
子曰、人之生也直。罔之生也、幸而免。
子曰く、人の生くるや直し。之を罔みして生くるや、幸いにして免る。
現代語訳
- 先生 ――「人生はまっすぐなもの。よこしまな生活は、ただまぐれハズれ。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 孔子様がおっしゃるよう、「人がこの世に生きていられるのはまっすぐなからだ。まがったことをして生きている者があるではないかというかも知れぬが、それは『まぐれざいわい』というものじゃ。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 先師がいわれた。――
「人間というものは、本来、正直に生れついたものだ。それを無視して生きていられるのは、決して天理にかなっていることではない。偶然に天罰を免れているに過ぎないのだ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
- 直 … まっすぐ。正直。
- 罔 … 無い。
- 幸 … 僥倖。
- 免 … 禍を免れる。
補説
- 『注疏』に「此の章は人の正直を以て徳と為すを明らかにす」(此章明人以正直爲德)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 人之生也直 … 『集解』に引く馬融の注に「言うこころは人の世に生まれて自ら終うる所以の者は、其の正直の道たるを以てなり」(言人之所以生於世而自終者、以其正直之道也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「言うこころは人、生を得て世に居るは、必ず直行に由るが故なり。故に李充曰く、人の生くるの道は、唯だ人の身直くせん、と。自ら終うるは、道を用うるが故に夭殤を横にせざるを謂うなり」(言人得生居世者、必由直行故也。故李充曰、人生之道、唯人身直乎。自終、謂用道故不横夭殤也)とある。夭殤は、負傷や急病で若死にすること。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「言うこころは人の世に生まれて自ら寿もて終わり横夭せざる所以は、其の正直の故を以てなり」(言人之所以生於世而自壽終不橫夭者、以其正直故也)とある。
- 人之生也 … 『義疏』では「人生也」に作る。
- 直 … 劉宝楠『論語正義』に「蓋し直は、誠なり」(蓋直者、誠也)とある。
- 罔之生也、幸而免 … 『集解』に引く包咸の注に「正直の道を誣罔して而も亦た生くるは、是れ幸いにして免るるなり」(誣罔正直之道而亦生、是幸而免也)とある。誣罔は、ないことをあるように偽って言うこと。また『義疏』に「罔は、邪曲を為して誣罔する者を謂うなり。応に死すべくして生くるを幸と曰う。生は即ち直に由る。若し誣罔の人有って、亦た生を世に得る者は、是れ幸いにして死を免るるを獲たるのみ。故に李充曰く、平生の道を失う者は、則ち之を死地に動かす。必ず或いは之を免るるは、善く幸いに由るのみ。故に君子は幸いにして不幸有ること無く、小人は幸いにして不幸無きこと有るなり、と」(罔、謂爲邪曲誣罔者也。應死而生曰幸。生即由直。若有誣罔之人亦得生世者、是獲幸而免死耳。故李充曰、失平生之道者、則動之死地矣。必或免之、善由於幸耳。故君子無幸而有不幸、小人有幸而無不幸也)とある。また『注疏』に「罔は、誣罔なり。言うこころは人正直の道を誣罔して亦た生くる者有るは、是れ幸いにして免るるを獲るなり」(罔、誣罔也。言人有誣罔正直之道而亦生者、是幸而獲免也)とある。
- 『集注』に引く程顥の注に「生の理は本と直し。罔は、直からざるなり。而るに亦た生くる者は、幸いにして免るるのみ」(生理本直。罔、不直也。而亦生者、幸而免爾)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「言うこころは人の生まれて斯の世に有る、姦詐巧偽至らざる所靡きが若しと雖も、然れども人心甚だ直し。善は以て善と為し、悪は以て悪と為し、君子は以て君子と為し、小人は以て小人と為すは、直道に非ざること莫ければなり。其の直道に誣罔し、人理を蔑棄する者は、宜しく其れ刑戮に陥り、咎殃に罹りて、斯の世に生存することを得ざるべきなり。而も亦た死せざることを得る者は、是れ幸いにして免るることを獲るのみ、当然に非ざるなり」(言人之生有乎斯世、雖若姦詐巧僞靡所不至、然人心甚直。善以爲善、惡以爲惡、君子以爲君子、小人以爲小人、莫非直道也。其誣罔直道、蔑棄人理者、宜其陷于刑戮、罹于咎殃、而不得生存于斯世也。而亦得不死者、是幸而獲免耳、非當然也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』に「韓愈の筆解に、直は徳字の誤りなり、古書には徳を悳に作ると、是とす。言うこころは人皆其の徳有り、……罔は、無なり。徳無きを言うなり。辞に於いて協えりと為す。何となれば則ち直は無しと謂う可からず、徳は無しと謂う可し。直ならずということを聞けり、未だ直無しということを聞かざればなり。……且つ孔子曰く、直其の中に在り、と。直の執す可からざることを謂えり。且つ徳なる者は性の徳なり。徳あれば則ち誠有り、誠とは内外一なるを謂うなり。後儒の所謂直なる者は、皆誠を指して之を言う、後儒の所謂誠なる者は、皆大至誠を指して之を言う、皆古言の明らかならざるに由れり」(韓愈筆解、直德字之誤、古書德作悳、爲是。言人皆有其德、……罔、無也。言無德也。於辭爲協。何則直不可謂無矣、德可謂無矣。聞不直也、未聞無直也。……且孔子曰、直在其中矣。謂直之不可執也。且德者性之德。德則有誠、誠者謂内外一也。後儒所謂直者、皆指誠言之、後儒所謂誠者、皆指大至誠言之、皆由古言不明)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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