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先進第十一 25 子路曾晳冉有公西華侍坐章(6)

6)三子者出。曾晳後。曾晳曰、夫三子者之言何如。子曰、亦各言其志也已矣。曰、夫子何哂由也。曰、爲國以禮。其言不讓。是故哂之。唯求則非邦也與。安見方六七十、如五六十、而非邦也者。唯赤則非邦也與。宗廟會同、非諸侯而何。赤也爲之小、孰能爲之大。
さんしゃづ。曾晳そうせきおくる。曾晳そうせきいわく、さんしゃげん何如いかんいわく、各〻おのおのこころざしうのみ。いわく、ふうなんゆうわらうや。いわく、くにおさむるにはれいもってす。げんゆずらず。ゆえこれわらう。きゅうすなわくにあらざるか。いずくんぞほう六七ろくしちじゅうしくはろくじゅうにして、くにあらざるものんや。せきすなわくにあらざるか。そうびょう会同かいどうは、諸侯しょこうあらずしてなんぞ。せきこれしょうらば、たれこれだいらん。
現代語訳
  • 三人は出かけて、曽晳がのこった。曽晳 ―― 「あの三人のいったことはいかがです…。」先生 ――「めいめい希望をのべただけじゃ。」曽晳 ―― 「先生はなぜ子路を笑われました…。」先生 ――「国をおさめるには礼儀がいる。かれはホラをふくから、それで笑った。」「ところで求さんのも、国じゃないでしょうか…。」「どうして十里四方、または八、九里四方で、国でないことがあろう。」「また赤さんのも、国じゃないでしょうか…。」「お宮や儀式は、殿さまがたにきまっている。赤くんがその下まわりなら、だれが上役になれるのか。」(魚返おがえり善雄『論語新訳』)
  • さてほかに三人は引きさがって曾晳だけが残ったところで、曾晳が、「あの三人の申したことをどう思召おぼしめしますか。」とおたずねしたので、孔子様がおっしゃるよう、「めいめいの平生へいぜいの志を言った次第で、いずれも適切なことと思う。」「それでは先生はなぜ由をお笑いになったのでありますか。」「国を治めるには礼が根本なのに、由の言葉には少しもれいじょうの気味がないので、じゅんを感じてつい笑ったのだよ。」「それでは求のは国を治めるというほうではなかったのでござりますか。」「六七十里四方または五六十里四方でも、もちろん国に相違ない。求なら由と同じく千乗の国でも治め得るのだが、謙遜けんそんして小国の物質方面だけと言ったところがしんみょうじゃ。」「しかし赤のは国政ではござりますまい。」「イヤイヤそうびょう会同かいどうは諸侯の重大事で、りっぱな国政だが、赤ならば十分につとめ得る。赤が式部次長と謙遜したら、だれが式部長官をつとめ得ようぞ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • まもなく三人は室を出て、曾晳だけがあとに残った。彼はたずねた。――
    「あの三人のいったことを、どうお考えになりますか」
    先師はこたえられた。――
    「みんなそれぞれに自分相応の抱負をのべたに過ぎないさ」
    曾晳――
    「では、なぜ先生はゆうをお笑いになりましたか」
    先師――
    「国を治むるには礼を欠いではならないのに、由の言葉は高ぶり過ぎていたので、ついおかしくなったのだ」
    曾晳――
    「求は謙遜して一国の政治ということにはふれなかったようですが……」
    先師――
    「方六、七十里、あるいは五、六十里といえば、小さいながらも国だ。やはり求も一国の政治のことを考えていたのだよ。謙遜はしていたが」
    曾晳――
    せきのいったのは、いかがでしょう。ああいうことも一国の政治といえるでしょうか」
    先師――
    「宗廟のことや国際会談の接伴というようなことは、諸侯にとっての重大事で、やはり一国の政治だよ。しかもせきはその適任者だ。謙遜して、補佐役ぐらいなところを引き受けたいといっていたが、彼が補佐役だったら、彼の上に長官になれる人はないだろう」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 出 … 退出する。
  • 曾晳 … 前546~?。孔子の弟子。曾子の父。姓はそう、名はてん、またてんあざなは晳。子晳ともいう。ウィキペディア【曾点】(中文)参照。
  • 後 … あとに残る。
  • 夫 … 「かの」と読み、「あの」と訳す。
  • 何如 … いかがでしょうか。どうお考えになったのでしょうか。
  • 也已矣 … 「のみ」と読み、「~なのだ」と訳す。強い断定をあらわす助辞。「也已」よりも強い。
  • 夫子 … 賢者・先生・年長者を呼ぶ尊称。ここでは孔子の弟子たちが孔子を呼ぶ尊称。
  • 何哂由也 … どうして由のことを笑われたのですか。「何~也」は「なんぞ~や」と読み、「どうして~(する)のか」と訳す。
  • 由 … 孔子の門人、子路の名。前542~前480。姓はちゅう。名はゆうあざなは子路、または季路。魯のべんの人。孔門十哲のひとり。孔子より九歳年下。門人中最年長者。政治的才能があり、また正義感が強く武勇にも優れていた。ウィキペディア【子路】参照。
  • 譲 … 礼譲。礼儀をつくし、人にへりくだること。
  • 是故 … 「ゆえに」と読む。それゆえ。それだから。こういうわけで。「ゆえに」に同じ。
  • 求 … 冉有(冉求)の名。前522~?。姓はぜんあざなは子有。孔門十哲のひとり。孔子より二十九歳年少。政治的才能があった。ウィキペディア【冉有】参照。
  • 唯赤則非邦也与 … そもそも赤の抱負は国を治めることではなかったのでしょうか。
  • 唯 … ここでは「そもそも」「いったい」と訳す。
  • 赤 … 孔子の弟子、公西華の名。前509~?。姓は公西こうせいあざなは子華。公西赤とも。魯の人。儀式に通じていた。ウィキペディア【公西赤】(中文)参照。
  • 邦 … 諸侯の国。
  • 与 … 「か」と読み、「~であろうか」と訳す。疑問の意を示す。
  • 安 … 「いずくんぞ~ん(や)」と読み、「どうして~(する)のか、いや~ない」と訳す。反語の意を示す。
  • 宗廟 … 国君の先祖の霊をまつったみたまやの祭り。
  • 会同 … 諸侯の会合。
  • 小 … 小相。君主が儀式を行なうときの補佐役。
  • 孰能為之大 … 誰が上役になれようか、誰もなれない。
補説
  • 三子者出 … 『義疏』に「子路・求・赤の三人は孔子に点とまみゆ。故に已に並びに先に出で去るなり」(子路求赤三人見孔子與點。故已並先出去也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 曾晳 … 『孔子家語』七十二弟子解に「曾点は曾参の父、字は子晳。時に礼教の行われざるをにくみ、之を修めんと欲す。孔子これよしとす。論語の所謂、に浴し、舞雩ぶうもとふうせんと」(曾點曾參父、字子晳。疾時禮教不行、欲修之。孔子善焉。論語所謂浴乎沂、風乎舞雩之下)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「曾蒧そうてん、字は晳。孔子に侍す。孔子曰く、爾の志を言え、と。蒧曰く、春服既に成り、冠者五六人、童子六七人、沂に浴し、舞雩に風し、詠じて帰らん、と。孔子喟爾きじとして歎じて曰く、吾は蒧にくみせん、と」(曾蒧字晳。侍孔子。孔子曰、言爾志。蒧曰、春服既成、冠者五六人、童子六七人、浴乎沂、風乎舞雩、詠而歸。孔子喟爾歎曰、吾與蒧也)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 曾晳後 … 『義疏』に「後に在りて未だ去らず」(在後未去)とある。
  • 曾晳曰、夫三子者之言何如 … 『義疏』に「晳既に後に留む、故に孔子に問うなり。言うこころはさきには三子の言う所の者、其の理は如何」(晳既留後、故問孔子也。言向者三子所言者、其理如何也)とある。
  • 子曰、亦各言其志也已矣 … 『義疏』に「孔子答えて言う、三子の言は各〻同じからずと雖も、然れども亦た各〻是れ其の心志す所なり、と」(孔子答言、三子之言雖各不同、然亦各是其心所志也)とある。
  • 由(子路) … 『孔子家語』七十二弟子解に「仲由は卞人べんひと、字は子路。いつの字は季路。孔子よりわかきこと九歳。勇力ゆうりき才芸有り。政事を以て名を著す。人と為り果烈にして剛直。性、にして変通に達せず。衛に仕えて大夫と為る。蒯聵かいがいと其の子ちょうと国を争うに遇う。子路遂に輒の難に死す。孔子之を痛む。曰く、吾、由有りてより、悪言耳に入らず、と」(仲由卞人、字子路。一字季路。少孔子九歳。有勇力才藝。以政事著名。爲人果烈而剛直。性鄙而不達於變通。仕衞爲大夫。遇蒯聵與其子輒爭國。子路遂死輒難。孔子痛之。曰、自吾有由、而惡言不入於耳)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「仲由、字は子路、べんの人なり。孔子よりもわかきこと九歳。子路性いやしく、勇力を好み、志こうちょくにして、雄鶏を冠し、とんび、孔子を陵暴す。孔子、礼を設け、ようやく子路をいざなう。子路、後に儒服してし、門人に因りて弟子たるを請う」(仲由字子路、卞人也。少孔子九歳。子路性鄙、好勇力、志伉直、冠雄鷄、佩豭豚、陵暴孔子。孔子設禮、稍誘子路。子路後儒服委質、因門人請爲弟子)とある。伉直は、心が強くて素直なこと。豭豚は、オスの豚の皮を剣の飾りにしたもの。委質は、はじめて仕官すること。ここでは孔子に弟子入りすること。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 夫子 … 『義疏』では「吾子」に作る。
  • 夫子何哂由也 … 『義疏』に「点、孔子を呼んで吾子と為すなり。点又た云う、若し各〻親しく是れ志を言わば、則ち孔子何ぞ独り子路を笑うや。故に何ぞと云うなり、と」(點呼孔子爲吾子也。點又云、若各親是言志、則孔子何獨笑子路乎。故云何也)とある。また『集注』に「点は子路の志は、乃ちゆうする所なれども、夫子之を哂うを以て、故に其の説を請う」(點以子路之志、乃所優爲、而夫子哂之、故請其説)とある。優為は、力に余裕があること。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 為国以礼。其言不譲。是故哂之 … 『集解』に引く包咸の注に「国をおさむるには礼を以てす。礼は譲を貴ぶも、子路の言は譲ならず。故に之を笑う」(爲國以禮。禮貴讓、子路言不讓。故笑之)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「子路を笑うのる所を答うるなり。言うこころは我子路を笑うは、其の志を笑うに非ざるなり。政に是れ其の卒爾として譲らざるが故を笑うのみ。夫れ国を為むる者は、必ず応に礼譲をもちうべし。而るに子路既に国を治むるを願いて、其の言を卒爾にして、謙譲する所無し。故に之を笑うのみ」(答笑子路之所由也。言我笑子路、非笑其志也。政是笑其卒爾不讓故耳。夫爲國者、必應須禮讓。而子路既願治國、而卒爾其言、無所謙讓。故笑之耳)とある。また『集注』に「夫子蓋し其の能を許すも、だ其のゆずらざるを哂う」(夫子蓋許其能、特哂其不遜)とある。
  • 求(冉有) … 『孔子家語』七十二弟子解に「冉求は字は子有。仲弓の宗族なり。孔子よりわかきこと二十九歳。才芸有り。政事を以て名を著す。仕えて季氏の宰と為る。進めば則ち其の官職をおさめ、退けば則ち教えを聖師に受く。性たること多く謙退す。故に子曰く、求や退、故に之を進ましむ、と」(冉求字子有。仲弓之宗族。少孔子二十九歳。有才藝。以政事著名。仕爲季氏宰。進則理其官職、退則受教聖師。爲性多謙退。故子曰、求也退、故進之)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「冉求、字は子有。孔子よりわかきこと二十九歳。季氏の宰と為る」(冉求字子有。少孔子二十九歳。爲季氏宰)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 唯求則非邦也与。安見方六七十、如五六十、而非邦也者 … 『義疏』に「孔子あらためて我笑うは、子路の志を笑うに非ざるを証するなり。若し子路の国を為むるの志有るを笑わば、則ち冉求も亦た是れ国を為むるに志す。吾何ぞ独り笑わざらんや。既に求を笑わず、豈に独り子路のみを笑わんや。故に云う、唯だ邦に非ざるを求むるか、と。是れ邦を言うなり。安くんぞ方六七十、如しくは五六十にして、邦に非ざる者を見んは、亦た是れ邦を云うなり」(孔子更證我笑非笑子路之志也。若笑子路有爲國之志、則冉求亦是志於爲國。吾何獨不笑耶。既不笑求、豈獨笑子路乎。故云、唯求非邦也與。言是邦也。安見方六七十如五六十非邦也者、亦云是邦也)とある。また『集注』に「曾点、冉求も亦た国をおさめんと欲して哂われざるを以て、故に微かに之を問う。而して夫子の答えに貶辞無し。蓋し亦た之を許さん」(曾點以冉求亦欲爲國而不見哂、故微問之。而夫子之答無貶辞。蓋亦許之)とある。
  • 赤(公西華) … 『孔子家語』七十二弟子解に「公西赤はひと、字は子華。孔子よりわかきこと四十二歳。束帯してちょうに立ち、賓主の儀にならう」(公西赤魯人、字子華。少孔子四十二歳。束帶立於朝、閑賓主之儀)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「公西赤、字は子華。孔子よりわかきこと四十二歳」(公西赤字子華。少孔子四十二歳)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 唯赤則非邦也与。宗廟会同、非諸侯而何 … 『集解』に引く孔安国の注に「明らかに皆諸侯の事、子路と同じ。ただに子路の譲ならざるを笑うのみ」(明皆諸侯之事、與子路同。徒笑子路不讓也)とある。また『義疏』に「又た赤を引きて、我子路の志を笑わざるを証するなり。赤、宗廟会同を云う。宗廟会同は、即ち是れ諸侯の事なり。豈に邦に非ずと曰わんや。而して我何ぞ独り笑わざらんや。又た笑うは、志を笑うに非ざるを明らかにするなり」(又引赤證我不笑子路志也。赤云宗廟會同。宗廟會同即是諸侯之事。豈曰非邦。而我何獨不笑乎。又明笑非笑志也)とある。また『集注』に「此も亦た曾晳問いて、夫子答うるなり。孰か能く之が大為らんとは、能く其の右に出づる者無きを言う。亦た之を許すの辞なり」(此亦曾晳問、而夫子答也。孰能爲之大、言無能出其右者。亦許之之辞)とある。
  • 宗廟會同… 『義疏』では「宗廟之事如會同」に作る。
  • 非諸侯而何… 『義疏』では「非諸侯如之何」に作る。
  • 赤也為之小、孰能為之大 … 『集解』に引く孔安国の注に「赤謙にして小相を言うのみ。たれか能く大相なる者と為さんや」(赤謙言小相耳。孰能爲大相者也)とある。また『義疏』に「又た因りて赤の謙を許さざるなり。言うこころは赤の才徳之れ自ら小相たるを願う。若し赤小たらんことを以てせば、誰か大なる者に堪えんや。赤又た是れ己の之を笑わざることを明らかにする有り。故に因りて之を美むるなり」(又因不許赤謙也。言赤也才德之自願爲小相。若以赤爲小、誰堪大者乎。赤又是有明己不笑之。故因美之也)とある。
  • 赤也爲之小… 『義疏』では「赤也爲之小相」に作る。
  • 孰能爲之大 … 『義疏』では「孰能爲之大相」に作る。
  • 『集注』に引く程頤の注に「古えの学者は、優柔えん、先後の序有り。子路・冉有・公西赤の如きは、志を言うこと此の如く、夫子之を許すも、亦た此れ自ら是れ実事なるを以てす。後の学者の高きを好むは、人の心を千里の外に游ばせるも、然れども自身は却って只だ此に在るが如し」(程子曰、古之學者、優柔厭飫、有先後之序。如子路冉有公西赤、言志如此、夫子許之、亦以此自是實事。後之學者好高、如人游心千里之外、然自身卻只在此)とある。
  • 『集注』に引く程顥の注に「孔子の点にくみすは、蓋し聖人の志と同じく、便ち是れ堯・舜の気象なり。誠に三子者の撰に異なれども、だ行いにこれを掩わざること有るのみ。此れ所謂狂なり。子路等の見る所の者は小なり。子路は只だ国を為むるに礼を以てするの道理に達せざるが為に、ここを以て之を哂う。若し達すれば、却って便ち是れの気象なり」(孔子與點、蓋與聖人之志同、便是堯舜氣象也。誠異三子者之撰、特行有不掩焉耳。此所謂狂也。子路等所見者小。子路只爲不達爲國以禮道理、是以哂之。若達、卻便是這氣象也)とある。
  • 『集注』に引く程顥または程頤の注に「三子は皆国を得て之を治めんと欲す。故に夫子取らず。曾点は狂者なり。未だ必ずしも能く聖人の事を為さずして、能く夫子の志を知る。故に曰く、に浴し、舞雩に風じ、詠じて帰らん、と。楽しみて其の所を得るを言うなり。孔子の志は、老者は之を安んじ、朋友は之を信じ、少者は之をなつけんに在り。万物をして其の性を遂げざること莫からしむ。曾点は之を知る。故に孔子ぜんとして歎じて曰く、吾は点にくみせん、と」(三子皆欲得國而治之。故夫子不取。曾點狂者也。未必能爲聖人之事、而能知夫子之志。故曰、浴乎沂、風乎舞雩、詠而歸。言樂而得其所也。孔子之志、在於老者安之、朋友信之、少者懷之。使萬物莫不遂其性。曾點知之。故孔子喟然歎曰、吾與點也)とある。
  • 『集注』に引く程顥または程頤の注に「曾点・漆雕開は、已に大意を見る」(曾點漆雕開、已見大意)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「論に曰く、聖人の学は、有用の学なり。苟くも経済の務めに於いて、足らざる所有れば、則ち書を読むこと多しと雖も、理を弁ずること明らかなりと雖も、貴しと為るに足らざるなり。三子の言、後世より之を観れば、まこと事為じいの末に規規として、其の極を要せざる者に似たり。然れども志す所言う所、皆其の実事にして、後世の空文にせ、実用をわする者の比に非ず。乃ち有用の実材なり。若し夫れ点の志を言うは、悠然自得、従容暇予かよ、実に井をうがって飲み、田を耕して食らい、帝力何ぞ我に有らんの気象有り。夫子嘗て曰く、老者は之を安じて、朋友は之を信にし、少者は之を懐けん、と。礼記に夫子の語を載せて亦た曰く、三代の英は、丘未だ之れおよばざるなり、而も志有り、と。点の若きは、蓋し中行の事に非ずと雖も、而も亦た夫の物外に放浪たる者と、まことに同じからず、暗に聖人の意に合うこと有り。故に夫子覚えず歎を発して深く之にくみす」(論曰、聖人之學、有用之學也。苟於經濟之務、有所不足、則讀書雖多、辨理雖明、不足爲貴也。三子之言、自後世觀之、固似規規于事爲之末、而不要其極者。然所志所言、皆其實事、而非後世騖空文、遺實用者比。乃有用之實材也。若夫點之言志、悠然自得、從容暇豫、實有鑿井而飮、耕田而食、帝力何有於我之氣象。夫子嘗曰、老者安之、朋友信之、少者懷之。禮記載夫子之語亦曰、三代之英、丘未之逮也、而有志焉。若點者、蓋雖非中行之事、而亦與夫放浪物外者、固不同矣、暗有合於聖人之意。故夫子不覺發歎而深與之)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「按ずるに曾点よくの答えは、微言なり。後世詩学明らかならず、故に儒者微言を識らず、其の解を得る者すくなし。按ずるに曾点は礼楽の治に志有ること、家語に見ゆ。是れ必ず伝授する所有り。孟子に点を狂者と称す。其の言に曰く、古えの人、古えの人、と。其の志極めて大にして、礼楽を制作し、天下を陶冶するに志有り。……然れども礼楽を制作すとは、天下の事、革命のときなり。故に君子は之を言うをむ。……而して曾点其の後をけたれば、則ち礼楽を言うからず。且つ其の意三子が諸侯の治を志すを小とするなり。而して之を言うをはばかる。故に志を言わずして、こんの時を言うなり。是れ微言なるのみ。夫子其の意の在る所を識る。故に深く之を嘆ずるなり。……莫春には春服既に成るの数語は、高朗爽快、超然として高視し、狂者のしょうなり。……蓋し曾点の志す所は、乃ちりょの事にして、其の未だ出でざるにあたりては、則ちに釣りししんに耕し、其の身を終えんと欲する者のごときなり。明王の興るを待ちて出づ。出づれば則ち道大いに天下に行われ、礼楽を制作し、以て天下を陶冶す。是れ其の志いずくんぞ言う可けんや」(按曾點浴沂之答。微言也。後世詩學不明。故儒者不識微言。尠得其解者。按曾點有志於禮樂之治。見于家語。是必有所傳授矣。孟子稱點狂者。其言曰、古之人、古之人。其志極大、有志於制作禮樂、陶冶天下。……然制作禮樂者、天下之事、革命之秋也。故君子諱言之。……而曾點承其後、則不容言禮樂。且其意小三子志諸侯之治也。而難言之。故不言志、而言已今之時也。是微言耳。夫子識其意所在。故深嘆之也。……莫春者春服既成數語、高朗爽快、超然高視、狂者之象也。……蓋曾點所志。乃伊呂之事。方其未出。則釣渭耕莘。若欲終其身者也。待明王興而出。出則道大行於天下。制作禮樂。以陶冶天下焉。是其志安可言哉)とある。伊は、伊尹。呂は、太公望呂尚。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十