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先進第十一 25 子路曾晳冉有公西華侍坐章(2)

2)子路率爾對曰、千乘之國、攝乎大國之間、加之以師旅、因之以饑饉。由也爲之、比及三年、可使有勇且知方也。夫子哂之。
子路しろそつとしてこたえていわく、せんじょうくに大国たいこくあいだはさまれ、これくわうるにりょもってし、これるにきんもってす。ゆうこれおさめ、三年さんねんおよころおい、ゆうりてほうらしむきなり。ふうこれわらう。
現代語訳
  • 子路がいきなりお答えした、「兵車千台の国が、大国のあいだにはさまれ、そのうえ戦争がおこり、おまけに不作があったとして、わたくしが政治をすれば、三年くらいで、人民に勇気をあたえ方向を知らせるでしょう。」先生は笑われた。(がえり善雄『論語新訳』)
  • するは子路がイキナリ口を開いて遠慮えんりょに、「えいていのごとき兵車千乗程度の諸侯の国が、せいしんのごときばんじょうにも近い大国の間にはさまり、それだけでも形勢困難なところへ戦争が始まり、おまけにきんで食糧難が重なるというようなこく艱難かんなんな場合に、由がその難局に当ってその国政をりましたらば、三年たつかたたぬに、その人民の勇気を回復させ、かつ国民の義務をわきまえ、君国のために身命をなげうつようにさせてご覧に入れましょう。」と言った。例の子路らしい大言たいげんそうなので、孔子様も思わずがんいっしょうされた。(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • すると、子路がいきなりこたえた。――
    「千乗の国が大国の間にはさまって圧迫をうけ、しかも戦争、饑饉といったような難局におちいった場合、私がその国政の任に当るとしましたら、三年ぐらいで、人民を勇気づけ、かつ彼等に正しい行動の基準を与えることができますか」
    先師は微笑された。(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 子路 … 前542~前480。姓はちゅう、名は由。あざなは子路、または季路。魯のべんの人。孔門十哲のひとり。孔子より九歳年下。門人中最年長者。政治的才能があり、また正義感が強く武勇にも優れていた。ウィキペディア【子路】参照。
  • 率爾 … いきなり。にわかに。突然に。「卒爾」も同じ。
  • 対 … 目上の人にていねいに答えるときに用いる。
  • 千乗之国 … 諸侯の国。大国。「千乗」は、兵車千台。
  • 摂 … はさまれる。
  • 加 … 圧迫をくわえる。
  • 師旅 … 戦争のこと。一師は二千五百人、一旅は五百人の軍隊。
  • 因 … かさねて。
  • 饑饉 … 凶作。
  • 為 … 「治」に同じ。
  • 比 … 「ころ」「ころおい」と読む。「頃」に同じ。
  • 且 … その上。
  • 方 … 道義にかなった道。正しい人間の生き方。
  • 可使 … ~させることができる。
  • 夫子 … 賢者・先生・年長者を呼ぶ尊称。ここでは孔子の弟子たちが孔子を呼ぶ尊称。
  • 哂 … 笑う。微笑する。
補説
  • 子路 … 『孔子家語』七十二弟子解に「仲由は卞人べんひと、字は子路。いつの字は季路。孔子よりわかきこと九歳。勇力ゆうりき才芸有り。政事を以て名を著す。人と為り果烈にして剛直。性、にして変通に達せず。衛に仕えて大夫と為る。蒯聵かいがいと其の子ちょうと国を争うに遇う。子路遂に輒の難に死す。孔子之を痛む。曰く、吾、由有りてより、悪言耳に入らず、と」(仲由卞人、字子路。一字季路。少孔子九歳。有勇力才藝。以政事著名。爲人果烈而剛直。性鄙而不達於變通。仕衞爲大夫。遇蒯聵與其子輒爭國。子路遂死輒難。孔子痛之。曰、自吾有由、而惡言不入於耳)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「仲由、字は子路、べんの人なり。孔子よりもわかきこと九歳。子路性いやしく、勇力を好み、志こうちょくにして、雄鶏を冠し、とんび、孔子を陵暴す。孔子、礼を設け、ようやく子路をいざなう。子路、後に儒服してし、門人に因りて弟子たるを請う」(仲由字子路、卞人也。少孔子九歳。子路性鄙、好勇力、志伉直、冠雄鷄、佩豭豚、陵暴孔子。孔子設禮、稍誘子路。子路後儒服委質、因門人請爲弟子)とある。伉直は、心が強くて素直なこと。豭豚は、オスの豚の皮を剣の飾りにしたもの。委質は、はじめて仕官すること。ここでは孔子に弟子入りすること。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 子路率爾対曰 … 『集解』の何晏の注に「率爾として三人に先んじて対うるなり」(率爾先三人對也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「礼(記)に、君子に侍坐するときに、君子問うこと端をあらたむれば、則ち起ちて対う。及び宜しく顧望して対うべし。而るに子路起たず。又た顧望せず。故に云う、卒爾として対う、と。卒爾は、礼儀無きを謂うなり」(禮、侍坐於君子、君子問更端則起而對。及宜顧望而對。而子路不起。又不顧望。故云、卒爾對也。卒爾、謂無禮儀也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「子路の性は剛、故に率爾として三人に先んじて対うるなり」(子路性剛、故率爾先三人而對也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「率爾は、軽遽の貌」(率爾、輕遽之貌)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 千乗之国、摂乎大国之間 … 『集解』に引く包咸の注に「摂は、大国の間に摂迫するなり」(攝、攝迫乎大國之閒也)とある。また『義疏』に「此れ子路志を言うなり。千乗は、大国なり。摂は、迫なり。大国は、又た千乗より大なる者なり。言うこころは己願わくは大国を治め得ん。而して此の大国、又た他の大国の間に迫近すること有り。所謂他の大国、己の国を中に挟むなり」(此子路言志也。千乘、大國也。攝、迫也。大國、又大於千乘者也。言己願得治於大國。而此大國又有迫近他大國之閒。所謂他大國挾己國於中也)とある。また『注疏』に「此れ子路の志す所なり。千乗の国は、公侯の六国なり。摂は、迫なり」(此子路所志也。千乘之國、公侯之六國也。攝、迫也)とある。また『集注』に「摂は、管束なり」(攝、管束也)とある。
  • 加之以師旅、因之以饑饉 … 『義疏』に「穀に乏しきを饑と為し、菜に乏しきを饉と為す。言うこころは己の国既に四方の大国の兵にしのがれん、又た自ずから国中因りて大いに荒餓せん」(乏穀爲饑、乏菜爲饉。言己國既被四方大國兵陵、又自國中因大荒餓也)とある。また『注疏』に「穀の熟せざるを饑と為し、蔬の熟せざるを饉と為す」(穀不熟爲饑、蔬不熟爲饉)とある。また『集注』に「二千五百人を師と為し、五百人を旅と為す。因は、じょうなり。穀の熟せざるを饑と曰い、菜の熟せざるを饉と曰う」(二千五百人爲師、五百人爲旅。因、仍也。穀不熟曰饑、菜不熟曰饉)とある。仍は、かさねての意。
  • 饑饉 … 『義疏』では「飢饉」に作る。
  • 由也為之 … 『義疏』に「為は、猶お治のごときなり。言うこころは己の国以て他兵の加うる所と為り、又たこうの日〻久しくして、ゆう願わくは此の国を得て之を治めん」(爲、猶治也。言己國以爲他兵所加、又荒饑日久、而由願得此國治之)とある。
  • 比及三年、可使有勇且知方也 … 『集解』の何晏の注に「方は、義方なり」(方、義方也)とある。また『義疏』に「比は、至なり。言うこころはゆう此の国を治め、三年に至りて、民人をして皆勇健にし、又た皆義方を知りらしむるなり」(比、至也。言由治此國、至於三年、而使民人皆勇健、又皆知識義方也)とある。また『注疏』に「方は、義方なり。言うこころは若し公侯の国、大国の間に迫られ、又た之に加うるに師旅の侵伐するを以てし、復た之に因りて飢饉ありて民の困するを以てし、而して由や之を治むること有らば、三年以来に至るころおい、其の民をして勇敢有りて且つ義方を知らしむる可きなり」(方、義方也。言若有公侯之國、迫於大國之間、又加之以師旅侵伐、復因之以飢饉民困、而由也治之、比至三年以來、可使其民有勇敢且知義方也)とある。また『集注』に「方は、向なり。義に向かうを謂うなり。民義に向かえば、則ち能く其の上に親しみ、其の長に死す」(方、向也。謂向義也。民向義、則能親其上、死其長矣)とある。
  • 夫子哂之 … 『集解』に引く馬融の注に「哂は、笑うなり」(哂、笑也)とある。また『義疏』に「哂は、笑うなり。孔子子路の言を聞きて之を笑うなり」(哂、笑也。孔子聞子路之言而笑之也)とある。また『注疏』に「哂は、笑なり。夫子之を笑うなり」(哂、笑也。夫子笑之也)とある。また『集注』に「哂は、微笑なり」(哂、微笑也)とある。
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