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雍也第六 6 季康子問仲由可使從政也與章

125(06-06)
季康子問、仲由可使從政也與。子曰、由也果。於從政乎何有。曰、賜也可使從政也與。曰、賜也達。於從政乎何有。曰、求也可使從政也與。曰、求也藝。於從政乎何有。
こうう、ちゅうゆうまつりごとしたがわしむきか。いわく、ゆうなり。まつりごとしたがうにいてかなにらん。いわく、まつりごとしたがわしむきか。いわく、たつなり。まつりごとしたがうにいてかなにらん。いわく、きゅうまつりごとしたがわしむきか。いわく、きゅうげいあり。まつりごとしたがうにいてかなにらん。
現代語訳
  • 季孫さんがきく、「仲由(子路)には、政治をやらせていいでしょうか。」先生 ――「由くんは度胸があるから、政治も問題ないです。」また「賜(子貢)には、政治をやらせていいでしょうか。」先生 ――「賜くんはさばけているから、政治も問題ないです。」また「求(冉求)には、政治をやらせていいでしょうか。」先生 ――「求くんは腕ききだから、政治も問題ないです。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • こうが「子路しろは政治に当らせ得ますか。」と問うた。孔子答えて申すよう、「ゆうは決断力がありますから、政治に当るくらい何でもありません。」「子貢は政治に当らせ得ますか。」「事理じりに明らかですから、政治に当るくらい何でもありません。」「ぜんきゅうは政治に当らせ得ますか。」「求は才能がゆたかですから、政治に当るくらい何でもありません。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 大夫の季康きこう子が先師にたずねた。――
    ちゅうゆうは政治の任にたえうる人物でしょうか」
    先師がこたえられた。――
    ゆうには決断力があります。決して政治ができないことはありません」
    季康子――
    は政治の任にたえうる人物でしょうか」
    先師――
    は聡明です。決して政治ができないことはありません」
    季康子――
    きゅうは政治の任にたえうる人物でしょうか」
    先師――
    「求は多才多能です。決して政治ができないことはありません」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 季康子 … 魯の国の大夫、季孫氏。名は肥、康は諡号。父・季桓子の後を継ぎ、筆頭家老となったのは孔子六十歳頃であったと言われている。ウィキペディア【三桓氏】参照。
  • 仲由 … 前542~前480。姓はちゅう、名は由。あざなは子路、または季路。孔子より九歳年下。門人中最年長者。孔門十哲のひとり。政治的才能があり、また正義感が強く武勇にも優れていた。ウィキペディア【子路】参照。
  • 従政 … 大夫として政治に携わらせる。大夫に任命して政務を執り行わせる。「じゅうせい」に対し、君主の場合は「為政」という。
  • 果 … 果敢。果断。決断力のあること。
  • 於従政乎何有 … 「まつりごとしたがうにいてかなにらん」と読む。政治に当たるくらいのことは何でもない。「何有」は、何の困難もないの意。
  • 賜 … 子貢の名。姓は端木たんぼく。子貢はあざな。衛の人。孔子より三十一歳年少の門人。孔門十哲のひとり。弁舌・外交に優れていた。ウィキペディア【子貢】参照。
  • 達 … 物の道理に達していること。
  • 求 … 冉有ぜんゆうのこと。前522~?。冉求、冉子とも。求は名。あざなは子有。孔門十哲のひとり。「政事には冉有・季路」と評され、政治的才能があった。孔子より二十九歳年少。ウィキペディア【冉有】参照。
  • 芸 … 多才多芸である。
補説
  • 『注疏』に「此の章は子路・子貢・冉有の才を明らかにするなり」(此章明子路子貢冉有之才也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 仲由(子路) … 『孔子家語』七十二弟子解に「仲由は卞人べんひと、字は子路。いつの字は季路。孔子よりわかきこと九歳。勇力ゆうりき才芸有り。政事を以て名を著す。人と為り果烈にして剛直。性、にして変通に達せず。衛に仕えて大夫と為る。蒯聵かいがいと其の子ちょうと国を争うに遇う。子路遂に輒の難に死す。孔子之を痛む。曰く、吾、由有りてより、悪言耳に入らず、と」(仲由卞人、字子路。一字季路。少孔子九歳。有勇力才藝。以政事著名。爲人果烈而剛直。性鄙而不達於變通。仕衞爲大夫。遇蒯聵與其子輒爭國。子路遂死輒難。孔子痛之。曰、自吾有由、而惡言不入於耳)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「仲由、字は子路、べんの人なり。孔子よりもわかきこと九歳。子路性いやしく、勇力を好み、志こうちょくにして、雄鶏を冠し、とんび、孔子を陵暴す。孔子、礼を設け、ようやく子路をいざなう。子路、後に儒服してし、門人に因りて弟子たるを請う」(仲由字子路、卞人也。少孔子九歳。子路性鄙、好勇力、志伉直、冠雄鷄、佩豭豚、陵暴孔子。孔子設禮、稍誘子路。子路後儒服委質、因門人請爲弟子)とある。伉直は、心が強くて素直なこと。豭豚は、オスの豚の皮を剣の飾りにしたもの。委質は、はじめて仕官すること。ここでは孔子に弟子入りすること。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 季康子問、仲由可使従政也与 … 『義疏』に「仲由は子路なり。魯の卿季康子、孔子に問いて曰く、子路は政に従わしめて、諸侯に官長たる可きやいなや、と」(仲由子路也。魯卿季康子、問孔子曰、子路可使從政、爲官長諸侯不也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「康子は、魯の卿季孫肥なり。孔子に問いて曰く、仲由の才は、一官に従いて政治を為さしむ可きか、と」(康子、魯卿季孫肥也。問於孔子曰、仲由之才、可使從一官而爲政治也與)とある。また『集注』に「政に従うは、大夫と為すを謂うなり」(從政、謂爲大夫)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子曰、由也果 … 『集解』に引く包咸の注に「果は、果敢にして決断するを謂うなり」(果、謂果敢決斷也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「康子に答うるに、子路の才行さいこう政を為すに可なるを説くなり。言うこころは子路の才性果敢にして、能く決断するなり」(答康子、説子路才行可爲政也。言子路才性果敢、能決斷也)とある。才行は、才智と品行。また『注疏』に「果は、果敢にして決断するを謂う」(果、謂果敢決斷)とある。また『集注』に「果は、決断有り」(果、有決斷)とある。
  • 於従政乎何有 … 『義疏』に「既に決断すれば、則ち必ず能く政に従うを解するなり。何か有らんは、言うこころは有るに足らざらんなり。故に衛瓘曰く、何か有らんとは、余力有るなり」(既解決斷、則必能從政也。何有、言不足有也。故衞瓘曰、何有者、有餘力也)とある。また『注疏』に「何か有らんは、難からざるを言うなり。孔子言う、仲由の才は、果敢にして決断すれば、其の政に従うに於いて、何の難きことか有らん、と。言うこころは仲由は政に従わしむ可きなり」(何有、言不難也。孔子言、仲由之才、果敢決斷、其於從政、何有難乎。言仲由可使從政也)とある。
  • 賜(子貢) … 『史記』仲尼弟子列伝に「端木賜は、衛人えいひとあざなは子貢、孔子よりわかきこと三十一歳。子貢、利口巧辞なり。孔子常に其の弁をしりぞく」(端木賜、衞人、字子貢、少孔子三十一歳。子貢利口巧辭。孔子常黜其辯)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『孔子家語』七十二弟子解に「端木賜は、あざなは子貢、衛人。口才こうさい有りて名を著す」(端木賜、字子貢、衞人。有口才著名)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。
  • 曰、賜也可使従政也与 … 『義疏』に「又た孔子に問いて曰く、子貢をば政に従わしむ可きや不や、と」(又問孔子曰、子貢可使從政不也)とある。また『注疏』に「季康子又た子貢に問うなり」(季康子又問子貢也)とある。
  • 曰、賜也達 … 『義疏』では「子曰、賜也達」に作る。
  • 賜也達 … 『集解』に引く孔安国の注に「達は、物の理に通ずるを謂うなり」(達、謂通於物理也)とある。また『義疏』に「亦た才能に答うるなり。言うこころは賜能く物の理に達するなり」(亦答才能也。言賜能達於物理也)とある。また『注疏』に「達は、物の理に通ずるを謂う」(達、謂通於物理)とある。また『集注』に「達は、事理に通ず」(達、通事理)とある。
  • 於従政乎何有 … 『義疏』に「既に物の理に達す、故に亦た何か有らんと云うなり」(既達物理、故亦云何有也)とある。また『注疏』に「孔子答えて言う、子貢の才は、物の理に通達すれば、亦た政に従う可きを言うなり」(孔子答言、子貢之才、通達物理、亦言可從政也)とある。
  • 求(冉有) … 『孔子家語』七十二弟子解に「冉求は字は子有。仲弓の宗族なり。孔子よりわかきこと二十九歳。才芸有り。政事を以て名を著す。仕えて季氏の宰と為る。進めば則ち其の官職をおさめ、退けば則ち教えを聖師に受く。性たること多く謙退す。故に子曰く、求や退、故に之を進ましむ、と」(冉求字子有。仲弓之宗族。少孔子二十九歳。有才藝。以政事著名。仕爲季氏宰。進則理其官職、退則受教聖師。爲性多謙退。故子曰、求也退、故進之)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「冉求、字は子有。孔子よりわかきこと二十九歳。季氏の宰と為る」(冉求字子有。少孔子二十九歳。爲季氏宰)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 曰、求也可使従政也与 … 『義疏』に「又た孔子に問いて曰く、冉求は何如、と」(又問孔子曰、冉求何如)とある。また『注疏』に「康子又た冉有を問うなり」(康子又問冉有也)とある。
  • 曰、求也芸 … 『集解』に引く孔安国の注に「芸は、才能多きを謂うなり」(藝、謂多才能也)とある。また『義疏』に「又た才能を答うるなり。言うこころは求は才能多きなり」(又答才能也。言求多才能也)とある。また『注疏』に「芸は、才芸多きを謂う」(藝、謂多才藝)とある。また『集注』に「芸は、才能多し」(藝、多才能)とある。
  • 於從政乎何有 … 『義疏』に「才能有り、故に亦た何か有らんと云うなり」(有才能、故亦云何有也)とある。また『注疏』に「孔子答えて言う、冉求は才芸多ければ、亦た政に従わしむ可きなり、と」(孔子答言、冉求多才藝、亦可從政也)とある。
  • 『集注』に引く程頤の注に「季康子、三子の才、以て政に従う可きかを問う。夫子答うるに各〻長ずる所有るを以てす。惟だ三子のみに非ず、人各〻長ずる所有り。能く其の長ずるを取れば、皆用う可きなり」(季康子問三子之才、可以從政乎。夫子答以各有所長。非惟三子、人各有所長。能取其長、皆可用也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「此れ政に従うに各〻其の才有りて、一節を以て限る可からざるを言うなり。蓋し果なれば則ち能く疑いを断ち事を定む。達なれば則ち能く繁を理め劇を治む。芸あれば則ち能く機に随い変に応ず。故に皆以て政に従う可し」(此言從政各有其才、而不可以一節限也。蓋果則能斷疑定事。達則能理繁治劇。藝則能隨機應變。故皆可以從政)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「賜や達なりは、孔安国曰く、物理に通ずるを謂う、と。朱子曰く、事理に通ず、と。蓋し国体人情に通じ、滞礙たいがい有ること莫き、所謂疎通知遠は書の教えなりの如きは、是れ達のみ。だ宋儒の窮理の学に従事し、而うして事理に通ずるを以て称せらるるがごとき、之に授くるに政を以てするは、難いかな」(賜也達、孔安國曰、謂通於物理。朱子曰、通事理。蓋通於國體人情、莫有滯礙、如所謂疎通知遠書教也、是達已。若徒從事宋儒窮理之學、而以通事理見称、授之以政、難矣夫)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十