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子罕第九 1 子罕言利章

206(09-01)
〔集解・集注〕 子罕言利與命與仁。
〔荻生徂徠〕 子罕言利。與命與仁。
〔集解・集注〕 まれめいじんとをう。
〔荻生徂徠〕 まれう。めいともにしじんともにす。
現代語訳
  • 先生はめったに利益や、運命や、人道を語らない。(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様はまれに利のことを言われた。そしてそれを言う場合にも、利だけを言うと誤解が起ることをおそれて、常に天命のことまたは仁のことと組み合わせて言われた。(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師はめったに利益の問題にはふれられなかった。たまたまふれられると、必ず天命とか仁とかいうことと結びつけて話された。(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 此の章を荻生徂徠は「まれう。めいともにしじんともにす」(子罕言利、與命與仁)と読み、「利益の問題はまれにしか言われなかったが、それを言うときは、天命あるいは仁とを結びつけて言われた」と解釈している。
  • 罕 … まれ。ごくたまに。
  • 利 … 利益。
  • 命 … 運命。天命。
  • 仁 … 最高の道徳。仁徳。
補説
  • 子罕第九 … 『集解』に「凡そ卅一章、皇は卅章」(凢卅一章、皇卅章)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「子は、孔子なり。罕は、希なり。此の篇は明時に感ずる者既に少なし。故に聖応も亦た希なり。前に次する所以の者は、外、富貴に遠ざかりて既に粃糠と為る。故に還って凝寂に反る、所以に希に言う。故に子罕は泰伯に次ぐなり」(子、孔子也。罕、希也。此篇明時感者既少。故聖應亦希也。所以次前者、外遠富貴既爲粃糠。故還反凝寂、所以希言。故子罕次泰伯也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「此の篇は皆孔子の徳行を論ずるなり。故に以て泰伯・堯・禹の至徳に次ぐ」(此篇皆論孔子之德行也。故以次泰伯堯禹之至德)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「凡そ三十章」(凡三十章)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 『注疏』に「此の章は孔子及び難きの事を希に言うを論ずるなり」(此章論孔子希言難及之事也)とある。
  • 子罕言利与命与仁 … 『集解』の何晏の注に「罕とは、希なり。利とは、義の和なり。命とは、天の命なり。仁とは、行いの盛んなるなり。能く之に及ぶもの寡なし、故に希に言うなり」(罕者、希也。利者、義之和也。命者、天之命也。仁者、行之盛也。寡能及之、故希言也)とある。また『義疏』に「子は、孔子なり。罕とは、希なり。言とは、説なり。利とは、天道元亨げんこう、万物を利する者なり。与とは、言語之をきょするなり。命は、天の命、夭寿ようじゅの目を窮通するなり。仁とは、惻隠済衆の行の盛んなる者なり。弟子孔子の教化の為に希に言う所を記し、希に人を許与する所の者に及ぶなり。然る所以の者は、利は是れ元亨げんこうていの道なり。百姓の日用にして知らず。其の理玄絶す。故に孔子希に言うなり。命は是れ人天にけて生ずるも、其の道測り難し。又た好悪同じからず。若し逆いて人に向かいて説かば、則ち人情を傷動す。故に孔子希に人に説与するなり。仁は是れ行いの盛んなるなり。中人の能くする所に非ず。故に亦た希に説き人を許与するなり。然るに希にとは、都絶の称に非ず、亦た時有りて言いて人にゆるすなり。周易の文言は是れ利を説くの時なり。謂えらく伯牛なんか之れ命なるかな、と。及び云く、由の若きは其の死然を得ず、と。是れ説きて人に命をゆるすなり。又た孟武伯子路に問う、冉求のたぐいは仁ありや、と。子曰く、知らず、と。及び云く、楚の令尹、陳文子焉んぞ仁を得ん、と。並びに是れ人に仁をゆるさざるなり。而して云く、顔回三月までに仁に違わず、と。及び云く、管仲其の仁をかんや、と。則ち是れ説いて人に仁をゆるす時なり。故に云く、子罕に利をき命をゆるし仁をゆるすなり、と」(子、孔子也。罕者、希也。言者、説也。利者、天道元亨、利萬物者也。與者、言語許與之也。命、天命、窮通夭壽之目也。仁者、惻隱濟衆行之盛者也。弟子記孔子爲教化所希言、及所希許與人者也。所以然者、利是元亨利貞之道也。百姓日用而不知。其理玄絶。故孔子希言也。命是人稟天而生、其道難測。又好惡不同。若逆向人説、則傷動人情。故孔子希説與人也。仁是行盛。非中人所能。故亦希説許與人也。然希者、非都絶之稱、亦有時而言與人也。周易文言是説利之時也。謂伯牛亡之命矣夫。及云、若由也不得其死然。是説與人命也。又孟武伯問子路、冉求之屬仁乎。子曰、不知。及云、楚令尹、陳文子焉得仁。竝是不與人仁也。而云、顏回三月不違仁。及云管仲如其仁。則是説與人仁時也。故云、子罕言利與命與仁也)とある。また『注疏』に「罕は、希なり。与は、及なり。利とは、義の和なり。命とは、天の命なり。仁とは、行いの盛んなるものなり。孔子其の利・命・仁の三者は、常人能く之に及ぶもの寡なきを以て、故にまれに言うなり。……言うこころは天能く庶物を利益し、物をして各〻其の宜しきを得て和同せしむるなり」(罕、希也。與、及也。利者、義之和也。命者、天之命也。仁者、行之盛也。孔子以其利命仁三者、常人寡能及之、故希言也。……言天能利益庶物、使物各得其宜而和同也)とある。また『集注』に「罕は、少なり」(罕、少也)とある。
  • 『集注』に引く程頤の注に「利を計れば則ち義を害す。命の理は微にして、仁の道は大なり。皆夫子の罕に言う所なり」(計利則害義。命之理微、仁之道大。皆夫子所罕言也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「利を言えば則ち義を害す。然れども国を利し民を利するの事は、則ち言わざる可からず。命の理は微なり、にわかに之を語れば則ち必ず人事の近きをゆるがせにす。仁の徳大なり、にわかに之を告ぐれば則ち必ず軽忽の心を生ず。故に皆まれに之を言うなり。夫子の教えを謹みて徳を尊ぶや此くの如し。或ひと曰く、論語の諸章、言うこころは仁に及ぶ者、甚だ多し。今罕に言うと称する者は何ぞやと。蓋し詩・書・執礼、皆夫子つねに言う所にして、今存する者すくなきを観れば、則ち其の嘗てけずり去る者、亦た多からん。仁を言うに至りては、則ち門人弟子、謹み録してつぶさに之を記すること知る可きなり」(言利則害義。然利國利民之事、則不可不言焉。命之理微矣、遽語之則必忽人事之近。仁之德大矣、驟告之則必生輕忽之心。故皆罕言之也。夫子之謹教而尊德也如此。或曰、論語諸章、言及於仁者、甚多矣。今稱罕言者何也。蓋觀詩書執禮、皆夫子所雅言、而今存者鮮、則其嘗刪去者、亦多矣。至於言仁、則門人弟子、謹錄而備記之可知也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「子まれに利を言う、絶句し、命とともにし仁と与にす、と。蓋し孔子利を言えば、則ち必ず命とともにし、必ず仁と倶にす、其のひとえに利を言う者は、いくばくもし。旧註に、利・命・仁は、皆孔子の罕に言う所なり、と。是れ八字一句、中間に絶せず、辞に失す。且つ聖人の道は、民を安んずるの道なり。而うして天を敬するをもととす。……後王こうおう後賢は、道にしたがって行い、必ずしも利を求めず、而うして利は其のうちに在り。……夫れ心そうなれば則ち命を知らず、短なれば則ち仁を知らず。命と仁とをてて、唯だ利を是れ視る、わざわいをむ所以なり。故に孔子の命とともにし仁と与にするは、之が防を立つるなり。原思・琴張の徒は、熟視して深く之を識れり。録する所此の章の如きは、豈に後世の能く及ぶ所ならんや。……孔子の罕に之を言う所以の者は、争う所は見る所の大小に在りて、而うして聖人の利をにくむに非ざるなり」(子罕言利、絶句、與命與仁。蓋孔子言利、則必與命倶、必與仁倶、其單言利者、幾希也。舊註、利命仁、皆孔子所罕言。是八字一句、中間不絶、失於辭矣。且聖人之道、安民之道也。而敬天爲本。……後王後賢、遵道而行、不必求利、而利在其中。……夫心躁則不知命、知短則不知仁。舍命與仁、唯利是視、所以蹈禍。故孔子與命與仁、立之防也。原思琴張之徒、熟視而深識之。所錄如此章、豈後世所能及哉。……孔子所以罕言之者、所爭在所見大小、而非聖人之惡利也)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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