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雍也第六 16 子曰質勝文則野章

135(06-16)
子曰、質勝文則野。文勝質則史。文質彬彬、然後君子。
いわく、しつぶんてばすなわなり。ぶんしつてばすなわなり。文質ぶんしつ彬彬ひんぴんとして、しかのちくんなり。
現代語訳
  • 先生 ――「気だてが勝てば、野人。手だてが勝てば、知識人。手だてに気だてがつりあい、りっぱにできた人。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「木地が飾りに勝つといなか者じみるし、飾りが木地に勝つと外交官式になる。木地と飾りがほどよくそろったところが、ほんとうの君子というものぞ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「質がよくてもあやがなければ一個の野人に過ぎないし、あやは十分でも、質がわるければ、気のきいた事務家以上にはなれない。文と質とがしっかり一つの人格のなかに溶けあった人を君子というのだ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 質 … 木地。素朴さ。質朴さ。生まれつき持っている資質。実質。
  • 勝 … まさる。
  • 文 … 装飾。飾り。教養による外面的な美しさ。形式。外観。「質」の反対。
  • 野 … 粗野。いなか者。野人。
  • 史 … 文書をつかさどる役人。表面を飾るだけで誠実さに欠ける。
  • 彬彬 … 「ひんぴん」と読む。外観・内容ともに整って調和がとれている様子。故事成語「文質彬彬」参照。
  • 然後 … 「しかるのち」と読み、「そうしてはじめて」と訳す。ここは「それからあとで」の意ではない。
補説
  • 『注疏』に「此の章は君子を明らかにするなり」(此章明君子也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 質勝文則野 … 『集解』に引く包咸の注に「野は、野人の如し。りゃくなるを言うなり」(野、如野人。言鄙略也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。鄙略は、卑しく、ぞんざいなこと。また『義疏』に「凡そ礼を行い及び言語の儀を謂うなり。質は、実なり。勝は、多なり。文は、華なり。言うこころは実多くして文飾少なければ則ち野人の如し。野人は、鄙略にして大樸なり」(謂凡行禮及言語之儀也。質、實也。勝、多也。文、華也。言實多而文飾少則如野人。野人、鄙略大樸也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「人若し質多く文に勝るときは、則ち野人の言の如く鄙略なるを謂うなり」(謂人若質多勝於文、則如野人言鄙略也)とある。また『集注』に「野は、野人、鄙略を言うなり」(野、野人、言鄙略也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 文勝質則史 … 『集解』に引く包咸の注に「史とは、文多くして質少なきなり」(史者、文多而質少也)とある。また『義疏』に「史は、書史を記すなり。史書は虚華多く実無し。妄りに欺詐きさを語る。言うこころは人若し事を為すに飾り多く実少なければ、則ち書史の如きなり」(史、記書史也。史書多虚華無實。妄語欺詐。言人若爲事多飾少實、則如書史也)とある。また『注疏』に「文多く質に勝るときは、則ち史官の如きを言うなり」(言文多勝於質、則如史官也)とある。また『集注』に「史は、文書を掌る。多く聞き事を習えども、誠或いは足らざるなり」(史、掌文書。多聞習事、而誠或不足也)とある。
  • 文質彬彬、然後君子 … 『集解』に引く包咸の注に「彬彬は、文質相半ばするの貌なり」(彬彬、文質相半之貌也)とある。また『義疏』に「彬彬は、文質相半ばするなり。若し文と質と等半ならば、則ち時に会するの君子たるなり」(彬彬、文質相半也。若文與質等半、則爲會時之君子也)とある。また『注疏』に「彬彬は、文・質相半ばするの貌なり。言うこころは文華・質朴の相半ばして彬彬然たりて、然る後に君子と為す可きなり」(彬彬、文質相半之貌。言文華質朴相半彬彬然、然後可爲君子也)とある。また『集注』に「彬彬は、猶お班班のごとし。物相雑わりて適均するの貌。学者当に余り有るを損じ、足らざるを補うべきを言うなり。成徳に至りては、則ち然るを期せずして然り」(彬彬、猶班班。物相雜而適均之貌。言學者當損有餘、補不足。至於成德、則不期然而然矣)とある。
  • 『集注』に引く楊時の注に「文質以て相勝つ可からず。然れども質の文に勝つは、猶お之れ甘は以て和を受く可く、白は以て采を受く可きがごときなり。文勝ちて質を滅するに至れば、則ち其の本亡ぶ。文有りと雖も、いずくにか施さんや。然らば則ち其れ史ならんよりはむしろ野なれ」(文質不可以相勝。然質之勝文、猶之甘可以受和、白可以受采也。文勝而至於滅質、則其本亡矣。雖有文、將安施乎。然則與其史也寧野)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「蓋し文質偏えに勝つは、本と気質の然らしむるに出でて、野と史との病有ることを免れず。学問の熟して、而る後に能く彬彬たるに至りて、若し徒らに気質に任ずれば、則ち必ず病無きこと能わざることを明らかにするなり」(蓋文質偏勝、本出於氣質使然、而不免有野與史之病。明學問之熟、而後能至於彬彬、若徒任氣質、則必不能無病也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「愚おもえらく文は礼楽を謂う、史は文書を掌る、故に朝廷の制度、朝会聘問へいもんの儀節、通暁せざること莫し、而うして徳行は必ずしも皆有らざるなり。……大氐たいてい君子の君子たる所以の者は、文を以てなり。いやしくも文無くんば、何ぞ以て君子と為すに足らんや。……文質彬彬は、蓋し文質相過ぎざるの義なり」(愚謂文謂禮樂、史掌文書、故朝廷制度、朝會聘問儀節、莫不通曉、而德行不必皆有也。……大氐君子之所以爲君子者、以文。苟無文、何足以爲君子乎。……文質彬彬、蓋文質不相過之義)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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