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哥舒歌(西鄙人)

哥舒歌
哥(か)舒(じょ)の歌(うた)
西(せい)鄙(ひ)人(じん)
  • ウィキソース「哥舒歌」参照。
  • この詩は、西方の辺地の人が唐の将軍、哥(か)舒(じょ)翰(かん)の武功を称(たた)えて詠んだもの。
  • 詩題 … 哥舒は、唐の将軍、哥(か)舒(じょ)翰(かん)(?~757)のこと。名将の誉れ高かったが、最後は安禄山の反乱軍に敗れ、捕虜となって殺された。ウィキペディア【哥舒翰】参照。『全唐詩』には、題下に「天宝中、哥舒翰、安西節度使と為り、地を控うること数千里、甚だ威令を著わす。故に西鄙人此れを歌う」(天寶中、哥舒翰爲安西節度使、控地數千里、甚著威令。故西鄙人歌此)と注する。また『新唐書』哥舒翰伝に「哥舒翰、……王忠嗣に事えて、衙(が)将(しょう)に署(しょ)せらる。……吐蕃、辺りを盗み、翰と苦抜海に遇う。吐蕃、其の軍を枝(わか)ちて三行と為し、山より差池(しち)して下る。翰、半段の槍を持ちて迎え撃ち、向かう所輒(すなわ)ち披靡(ひび)し、名、軍中を蓋(おお)う。……年を逾(こ)え、神威軍を青海上に築く。吐蕃攻めて之を破る。更に竜(りょう)駒(く)島(とう)に築くに、白竜の見(あら)わるる有り、因りて応竜城と号す。翰、其の川原の畜牧に宜しきを相し、罪人二千を謫(たく)して之を戍(まも)らしむ。是(ここ)に由りて吐蕃敢えて青海に近づかず」(哥舒翰、……事王忠嗣、署衙將。……吐蕃盜邊、與翰遇苦拔海。吐蕃枝其軍爲三行、從山差池下。翰持半段槍迎撃、所向輒披靡、名蓋軍中。……逾年、築神威軍青海上。吐蕃攻破之。更築于龍駒島、有白龍見、因號應龍城。翰相其川原宜畜牧、謫罪人二千戍之。由是吐蕃不敢近青海)とある。衙将は、守備警護の武将。牙将に同じ。差池は、ちぐはぐになるさま。披靡は、恐れてひれ伏すこと。竜駒島は、島の名。青海の中にある。謫は、遠方へ流すこと。ウィキソース「新唐書/卷135」参照。また『旧唐書』に「哥舒翰は、突(とっ)騎施(きし)の首領、哥舒部落の裔(えい)なり。蕃人(ばんじん)多く部落を以て姓と称し、因って以て氏と為す」(哥舒翰、突騎施首領、哥舒部落之裔也。蕃人多以部落稱姓、因以爲氏)とある。蕃人は、未開人。ウィキソース「舊唐書/卷104」参照。
  • 西鄙人 … 西方の片田舎の人という意味で、作者は不詳。
北斗七星高
北(ほく)斗(と) 七星(しちせい)高(たか)く
  • 北斗七星 … 大熊座にある七つの星。ウィキペディア【北斗七星】参照。『史記』天官書に「北斗の七星は、所謂(いわゆる)旋(せん)・璣(き)・玉(ぎょっ)衡(こう)、以て七政を斉(ととの)うるものなり」(北斗七星、所謂旋璣玉衡、以齊七政)とある。旋・璣は、北斗七星の第二・第三星。一説に、第一星から第四星とも。玉衡は、北斗七星の第五星。一説に、第五星から第七星とも。七政は、太陽・月と、水星・火星・金星・木星・土星の五星のこと。ウィキソース「史記/卷027」参照。また『太平御覧』巻五、天部五に引く『春秋運斗枢』に「北斗は七星なり。第一は天枢、第二は璇(せん)、第三は機、第四は権、第五は玉衡、第六は開陽、第七は揺光なり。第一より第四に至るを魁とし、第五より第七に至るを杓と為し、合して斗と為す」(北斗七星。第一天樞、第二璇、第三機、第四權、第五玉衡、第六開陽、第七搖光。第一至第四爲魁、第五至第七爲杓、合爲斗)とある。ウィキソース「太平御覽 (四部叢刊本)/卷第五」参照。
  • 高 … 空高く輝いている。
哥舒夜帶刀
哥(か)舒(じょ) 夜(よる) 刀(とう)を帯(お)ぶ
  • 哥舒 … 哥(か)舒(じょ)翰(かん)は。哥(か)舒(じょ)将軍は。
  • 帯刀 … 刀を帯びて警備についておられる。刀を帯びて警護にあたって下さる。『史記』淮陰侯伝に「淮陰(わいいん)の屠(と)中(ちゅう)の少年に、信を侮(あなど)る者有り、曰く、若(なんじ)長大にして、好みて刀剣を帯ぶと雖も、中情は怯(きょう)なるのみ、と」(淮陰屠中少年、有侮信者、曰、若雖長大、好帶刀劍、中情怯耳)とある。屠中は、屠殺業者の仲間。信は、韓信。中情は、心の中。怯は、おびえているさま。ウィキソース「史記/淮陰侯列傳」参照。
至今窺牧馬
今(いま)に至(いた)るまで馬(うま)を牧(ぼく)せんと窺(うかが)うも
  • 至今 … 今日に至るまで。今までずっと。三国魏の武帝(曹操)の楽府「短歌行」(『文選』巻二十七)に「但だ君が為の故に、沈吟(ちんぎん)して今に至る」(但爲君故、沈吟至今)とある。沈吟は、思いに沈むこと。ウィキソース「短歌行其一 (曹操)」参照。また、南朝梁の蕭子顕の楽府「燕歌行」(『玉台新詠』巻九)に「思う君が昔去りしとき柳依依(いい)たりしを、今に至って八月暑を避けて帰らんという」(思君昔去柳依依、至今八月避暑歸)とある。依依は、木の枝がしなやかな様子。ウィキソース「燕歌行 (蕭子顯)」参照。
  • 牧馬 … 馬を放牧する。吐(と)蕃(ばん)など北方の異民族が侵入しようとすること。遊牧民族は侵入した土地を放牧地にするため。ウィキペディア【吐蕃】参照。前漢の賈誼「過秦論」(『新書』巻一、『史記』秦始皇本紀、『文選』巻五十一)に「乃ち蒙恬(もうてん)をして北のかた長城を築きて藩(はん)籬(り)を守らしめ、匈奴を却(しりぞ)くること七百余里、胡人、敢えて南に下りて馬を牧せず」(乃使蒙恬北築長城而守藩籬、卻匈奴七百餘里、胡人不敢南下而牧馬)とある。藩籬は、垣根。転じて国境のこと。ウィキソース「過秦論」参照。
  • 窺 … 侵入の機会を窺(うかが)っていたが。
不敢過臨洮
敢(あ)えて臨洮(りんとう)を過(す)ぎず
  • 不敢 … 「あえて~せず」と読み、「進んで~しようとしない」「決して~しない」「思い切って~することができない」と訳す。強い否定の意を示す。
  • 臨洮 … 地名。秦置く。隴西郡に属す。今の甘粛省岷(びん)県。ウィキペディア【岷県】参照。臨洮とは、黄河支流の洮水(とうすい)に臨むの意。万里の長城の西の起点。のちに吐(と)蕃(ばん)に占領された。『史記』蒙恬伝に「始皇二十六年(前221)、蒙恬、家(か)世(せい)に因って、秦の将と為るを得、斉を攻めて大いに之を破り、拝せられて内(ない)史(し)と為る。秦已に天下を幷(あわ)せ、乃ち蒙恬をして三十万の衆に将(しょう)として、北のかた戎(じゅう)狄(てき)を逐い、河南を収めしむ。長城を築き、地形に因り、用いて険塞を制す。臨洮より起こり、遼東に至る。延袤(えんぼう)万余里」(始皇二十六年、蒙恬因家世、得爲秦將、攻齊大破之、拜爲内史。秦已幷天下、乃使蒙恬將三十萬衆、北逐戎狄、收河南。築長城、因地形、用制險塞。起臨洮、至遼東。延袤萬餘里)とある。家世は、家柄。拝は、任命すること。内史は、官名。秦漢時代、都のあった長安地方をおさめる長官。衆は、ここでは兵の意。戎狄は、中国の西方と北方の遊牧民族の蔑称。西(せい)戎(じゅう)北狄(ほくてき)。河南は、黄河以南。現在の内蒙古オルドス市一帯を指す。延袤は、長く連なること。ウィキソース「史記/卷088」参照。
  • 過 … 通り過ぎる。通り越して来る。突破して来る。侵入して来る。
  • 不敢過臨洮 … あえて臨洮(りんとう)の町を越えて侵入して来ようとはしないのだ。
詩型・韻字
  • 五言絶句。
  • 高・刀・洮(下平声豪韻)。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻六(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
  • 『全唐詩』巻七百八十四(排印本、中華書局、1960年)
  • 『万首唐人絶句』五言・巻二十(明嘉靖本影印、文学古籍刊行社、1955年)
  • 『唐詩三百首注疏』巻六上・五言絶句(廣文書局、1980年)
  • 『唐詩解』巻二十四(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
  • 『唐詩品彙』巻四十五([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
  • 『唐詩別裁集』巻十九([清]沈徳潜編、乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
  • 『古今詩刪』巻二十(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、汲古書院)
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