奉和聖製早度蒲関(張九齢)
奉和聖製早度蒲關
聖製「早に蒲関を度る」に和し奉る
聖製「早に蒲関を度る」に和し奉る
- 五言排律。廻・開・來・雷・陪・哉(平声灰韻)。
- 『全唐詩』巻四十九所収。ウィキソース「奉和聖製早渡蒲津關」参照。
- 奉和聖製早度蒲関 … 『全唐詩』では「奉和聖製早渡蒲津關」に作る。
- 聖製 … 天子の作られた詩歌。御製。
- 早 … 早朝に。
- 蒲関 … 蒲津関の略称。山西省永済市の西、陝西省渭南市大茘県朝邑鎮の東、黄河の西岸にある関所。
- この詩は、開元十一年(723)の春、玄宗皇帝(在位712~756)が山西地方の巡視を終えて帰途の途中、蒲津関を通過した時に作った詩に、作者が唱和したもの。玄宗皇帝の詩は『全唐詩』巻三に見える。ウィキソース「早度蒲津關」参照。
- 張九齢 … 673~740。初唐の詩人。字は子寿。韶州曲江(広東省)の人。長安二年(702)、進士に及第。玄宗に仕えて中書令(宰相)となったが、李林甫の讒言により荊州(湖北省江陵)に長史(副官)として左遷された。『曲江張先生集』二十巻がある。ウィキペディア【張九齢】参照。
魏武中流處
魏武 流れに中せし処
- 魏武中流処 … 昔、魏の武侯が川の中ほどに舟を浮かべて天険を誇ったところ。魏の武侯が西河の中流に舟を浮かべ、兵法家の呉起に「この山河の堅固な配置は誠に美しいことである。これこそ魏の国の宝である」と言ったところ、呉起は「国の守りは君主の徳にあるもので、山河の険峻さにあるものではない」と窘められたという故事に基づく。『史記』孫子呉起列伝に「武侯、西河に浮びて中流を下る。顧みて呉起に謂いて曰く、美なるかな、山河の固め、此れ魏国の宝なり、と。起、対えて曰く、徳に在りて険に在らず」(武侯浮西河而下中流。顧而謂吳起曰、美哉乎、山河之固、此魏國之寶也。起對曰、在德不在險)とある。ウィキソース「史記/卷065」参照。
- 魏武 … 戦国時代の魏の武侯のこと。ウィキペディア【武侯 (魏)】参照。
軒皇問道廻
軒皇 道を問うて廻る
- 軒皇問道廻 … わが君は、仙人の広成子に道を問われた黄帝のように、行幸の帰り道、ここ(蒲津関)にさしかかった。
- 軒皇 … 古代の伝説上の帝王、黄帝軒轅氏。ウィキペディア【黄帝】参照。
- 問道廻 … 黄帝が空同山に住む仙人広成子に道を問うたという話を踏まえる。『荘子』在宥篇に「黄帝立ちて天子たること十九年、令天下に行わる。広成子の空同の上に在りと聞く。故に往きて之を見て曰く、我吾子の至道に達するを聞く。敢えて至道の精を問わん。……広成子蹶然として起ちて曰く、善きかな問いや。来れ。吾女に至道を語げん。至道の精は、窈窈冥冥たり。至道の極は、昏昏黙黙たり」(黃帝立爲天子十九年、令行天下。聞廣成子在於空同之上。故往見之曰、我聞吾子達於至道。敢問至道之精。……廣成子蹶然而起曰、善哉問乎。來。吾語女至道。至道之精、窈窈冥冥。至道之極、昏昏默默)とある。ウィキソース「莊子/在宥」参照。
- 廻 … 『全唐詩』では「回」に作る。
長堤春樹發
長堤 春樹発き
- 長堤 … 長く続く堤。
- 春樹発 … 春の木々が花を開いている。
高掌曙雲開
高掌 曙雲開く
- 高掌 … 華山にある崖の名。昔、華山は首陽山と一つの山であったが、黄河の神が押し開いて二山とし、その間から黄河を通したという伝説がある。『水経注』巻四に「左丘明『国語』に云く、華岳は本一山なり。河に当り、河水過ぎて曲行す。河神巨霊、手蕩し脚蹋み、開いて両と為す。今掌足の跡、仍お華巌に存す」(左丘明國語云、華岳本一山。當河、河水過而曲行。河神巨靈、手蕩腳蹋、開而爲兩。今掌足之跡、仍存華巖)とある。ウィキソース「水經注/04」参照。後漢の張衡「西京の賦」(『文選』巻二)に「左に崤函の重険、桃林の塞有り。綴するに二華を以てし、巨霊贔屓し、掌を高くし蹠を遠くし、以て河曲を流せり。厥の跡猶お存す」(左有崤函重險、桃林之塞。綴以二華、巨靈贔屓、高掌遠蹠、以流河曲。厥跡猶存)とある。ウィキソース「西京賦」参照。
- 曙雲 … 暁の雲。曙の雲。
- 開 … (雲が)晴れて姿を見せ始める。
龍負王舟度
竜は王舟を負うて度り
- 竜負王舟度 … わが君の舟が渡るとき、黄竜がこれを背負ってお助けするめでたさ。夏の禹王が南方を巡察して長江を渡ったとき、水中から黄竜が現れて舟を背に乗せたという故事に基づく。『淮南子』精神訓に「禹は南のかた方を省んとて、江を済るに、黄竜、舟を負う。舟中の人、五色、主無し。禹乃ち熙笑して称えて曰く、我、命を天に受け、力を竭して万民を労る。生は寄なり、死は帰なり。何ぞ以て和を滑すに足らん、と。竜を視ること猶お蝘蜓のごとく、顔色変ぜず。竜乃ち耳を弭れ尾を掉りて逃ぐ」(禹南省方、濟于江、黃龍負舟。舟中之人、五色無主。禹乃熙笑而稱曰、我受命於天、竭力而勞萬民。生寄也、死歸也。何足以滑和。視龍猶蝘蜓、顏色不變。龍乃弭耳掉尾而逃)とある。ウィキソース「淮南子/精神訓」参照。
- 度 … 『全唐詩』では「渡」に作る。
人占仙氣來
人は仙気の来るを占う
- 人占仙気来 … 蒲津関の関守は神仙の気の近づくのを見て、わが君の行列の到着を予知したという。昔、函谷関の関守の尹喜が、神仙の気が東から近づいてくるのを見て、老子の到来を察知したという故事に基づく。『列仙伝』関令尹に「老子の西遊するや、喜先ず其の気を見、真人有りて当に過るべきを知り、物色して之を遮り、果たして老子を得たり」(老子西遊、喜先見其氣、知有眞人當過、物色而遮之、果得老子)とある。ウィキソース「列仙傳」参照。
河津會日月
河津 日月を会し
- 河津 … 黄河の渡し場。
- 会日月 … 日と月が出会う。暗に天の川に比して言ったもの。また、天子の行列には日の旗と月の旗を立てるので、この渡し場に日月が集まったという表現でもある。
天仗役風雷
天仗 風雷を役す
- 天仗 … 天子の儀仗。
- 役風雷 … 風神や雷神を使役し、先払いさせながら進まれる。
東顧重關盡
東顧すれば重関尽き
- 東顧 … 東の方を振り返ると。
- 重関尽 … 幾重にも重なった関所はここで終わっている。この付近には、南に函谷関、潼関、北に蒲津関がある。
西馳萬國陪
西馳すれば万国陪す
- 西馳 … 西へと馬を走らせれば。
- 万国 … 万国の使臣たち。
- 陪 … 付き従う。随伴する。
還聞股肱郡
還た聞く 股肱の郡
- 還聞 … さらにまた、めでたくも~を聞く機会を得た。
- 股肱郡 … 天子の手足となる大切な土地とその地の人民。ここでは蒲津関のある河東の地をいう。漢の文帝が河東の太守であった季布を呼び寄せたときの言葉に基づく。『史記』季布伝に「河東は吾が股肱の郡なり、故に特に君を召すのみ」(河東吾股肱郡。故特召君耳)とある。ウィキソース「史記/卷100」参照。
元首詠康哉
元首 康哉を詠ずるを
- 元首 … 天子。わが君。
- 康哉 … 天下が安泰であること。
- 詠 … 謳歌し給う。底本では「咏」に作るが、『全唐詩』等に従い改めた。同義。
- 元首詠康哉 … 『書経』益稷篇に、帝舜が「股肱喜ぶ哉、元首起る哉、百工熙まる哉」と歌ったのに対し、その臣の皋陶が唱和して、「元首明なる哉、股肱良なる哉、庶事康らかなる哉」と歌ったとある。ウィキソース「尚書/益稷」参照。
- 最後の二句は、玄宗の御製に近臣たちが唱和したことを踏まえている。
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