丹青引贈曹将軍覇(杜甫)
丹靑引贈曹將軍霸
丹青の引 曹将軍覇に贈る
丹青の引 曹将軍覇に贈る
- 七言古詩。
- ウィキソース「丹青引贈曹霸將軍」参照。
- 詩題 … 『唐詩三百首』『宋本』『九家集注本』『杜陵詩史』『分門集注本』『銭注本』『詳注本』『唐詩別裁集』では「丹青引」に作り、「贈曹將軍霸」を原注とする。『心解本』には「下五字諸本作小注」とある。
- 丹青 … 朱色と青色の絵の具。転じて彩色した絵画。
- 引 … 「歌」「曲」の意。
- 曹将軍霸 … 曹覇(約694~?)将軍のこと。魏の武帝曹操の曾孫曹髦の末裔に当たる。絵の名手で、たびたび詔を受けて御馬や功臣を描いたという。『歴代名画記』巻九に「曹覇は、魏の曹髦の後なり。髦の画は後代に称せらる。覇は開元中に在りて已に名を得たり。天宝の末、毎に詔して御馬及び功臣を画かしむ。官は左武衛将軍に至る」(曹霸、魏曹髦之後。髦畫稱于後代。霸在開元中已得名。天寶末、每詔畫御馬及功臣。官至左武衛將軍)とある。ウィキソース「歷代名畫記/卷第九」参照。ウィキペディア【曹霸】(中文)参照。
- 贈 … 詩を直接手渡すこと。「寄」は、詩を人に託して送り届けること。
- この詩は、作者が成都で零落した曹覇将軍に偶然出逢い、彼に贈ったもの。広徳二年(764)、五十三歳の作。
- 杜甫 … 712~770。盛唐の詩人。襄陽(湖北省)の人。字は子美。祖父は初唐の詩人、杜審言。若い頃、科挙を受験したが及第できず、各地を放浪して李白らと親交を結んだ。安史の乱では賊軍に捕らえられたが、やがて脱出し、新帝粛宗のもとで左拾遺に任じられた。その翌年左遷されたため官を捨てた。四十八歳の時、成都(四川省成都市)の近くの浣花渓に草堂を建てて四年ほど過ごしたが、再び各地を転々とし一生を終えた。中国最高の詩人として「詩聖」と呼ばれ、李白とともに「李杜」と並称される。『杜工部集』がある。ウィキペディア【杜甫】参照。
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- 逐段換韻格(八句を一段といい、その一段ごとに換韻すること)。
- 孫・門・存(平声元韻)、軍・雲(平声文韻)通押。
01 將軍魏武之子孫
将軍は魏武の子孫
- 将軍 … 曹霸将軍。
- 魏武 … 魏の武帝、曹操のこと。155~220。沛国譙(安徽省)の人。字は孟徳。幼名は阿瞞。184年、黄巾の乱を平定して名を挙げ、196年、献帝を擁して大将軍となった。200年、官渡の戦いで袁紹を破り、華北を統一した。208年、赤壁の戦いに敗れ、三国が併存することとなった。216年、魏王に封ぜられた。死後、武帝と称された。『三国志』魏書・武帝紀に「太祖武皇帝は、沛国譙の人なり。姓は曹、諱は操、字は孟徳、漢の相国参の後なり」(太祖武皇帝、沛國譙人也。姓曹、諱操、字孟德、漢相國參之後)とある。参は、曹参。後は、子孫。ウィキソース「三國志/卷01」参照。ウィキペディア【曹操】参照。
- 子孫 … 曹霸将軍は、曹操の曾孫曹髦の末裔に当たる。
02 於今爲庶爲淸門
今に於いて庶と為るも清門為り
- 於今 … 今では。現在は。
- 庶 … 庶人。庶民。平民。『草堂詩箋』蔡夢弼の注に「玄宗の末年、罪を得て籍を削られ、庶人を為るなり」(玄宗末年得罪削籍爲庶人也)とある。また『春秋左氏伝』昭公三十二年に「三后の姓も、今に於いて庶と為るは、主の知る所なり」(三后之姓、於今爲庶、主所知也)とある。三后は、虞・夏・商の王のこと。后は、君主。ウィキソース「春秋左氏傳/昭公」参照。
- 清門 … 立派な家柄。名門。
03 英雄割據雖已矣
英雄の割拠は已みぬと雖も
- 英雄割拠 … 割拠は、めいめいが土地を分けとって本拠地とし、勢力を張ること。三国時代、魏の曹操、蜀の劉備、呉の孫権が天下を三分して争ったことを指す。
- 英雄 … すぐれた人。普通の人にはできないような大事業を成し遂げる人。劉劭『人物志』英雄篇に「夫れ草の精秀なる者を英と為し、獣の特群なる者を雄と為す」(夫草之精秀者爲英、獸之特羣者爲雄)とある。ウィキソース「人物志/英雄」参照。
- 據 … 『文苑英華』では「」に作る。異体字。
- 已矣 … おしまいになった。矣は、置き字。読まない。断定・完了などの意を示す。
- 雖 … 『全唐詩』『銭注本』『詳注本』『心解本』には「一作皆」とある。『文苑英華』では「皆」に作り、「集作雖」とある。
04 文彩風流今尙存
文彩風流 今尚お存す
- 文彩 … 文学や芸術などに秀でること。曹操は文学にすぐれ、その子の曹丕・曹植の兄弟も詩人として一流であった。司馬遷「任少卿に報ずるの書」(『文選』巻四十一)に「隠忍して苟くも活き、糞土の中に幽せられて辞せざる所以の者は、私心の尽くざる所有り、鄙陋にして世を没し、文彩の後世に表れざるを恨めばなり」(所以隱忍苟活、幽於糞土之中而不辭者、恨私心有所不盡、鄙陋沒世、而文彩不表於後世也)とある。ウィキソース「報任少卿書」参照。
- 彩 … 『唐詩選』『唐詩三百首』『草堂詩箋』『詳注本』『鏡銓本』『唐詩品彙』『古今詩刪』『唐詩解』では「采」に作る。
- 風流 … 先人の遺風。『後漢書』王暢伝に「黔首は風流を仰ぐ」(黔首仰風流)とある。黔首は、人民の意。ウィキソース「後漢書/卷56」参照。
- 今尚存 … 今もなお将軍に伝わっている。
- 今 … 『詳注本』『心解本』には「一作猶」とある。『全唐詩』では「猶」に作り、「一作今」とある。『文苑英華』でも「猶」に作り、「集作今尚存」とある。『銭注本』でも「猶」に作り、「荆作今」とある。『草堂詩箋』『唐詩別裁集』『唐宋詩醇』では「猶」に作る。
05 學書初學衞夫人
書を学んで初め衛夫人を学び
- 学書初学衛夫人 … (将軍は)初め書道を志し、衛夫人の書風を学んだが。
- 衛夫人 … 東晋の書家。272~349。名は鑠。字は茂猗。汝陰郡の太守から江州刺史となった李矩の妻であったため、衛夫人と通称する。隷書の達人で、王羲之が幼少の頃、彼女に師事したという。張懐瓘『書断』巻中に「衛夫人、名は鑠、字は茂猗、廷尉展の女弟、恒の従女。汝陰の太守李矩の妻なり。隸書尤も善し。……右軍少くして常に之を師とす。永和五年卒す、年七十八」(衞夫人名鑠、字茂猗、廷尉展之女弟、恆之從女。汝陰太守李矩之妻也。隸書尤善。……右軍少常師之。永和五年卒、年七十八)とある。右軍は、王羲之のこと。ウィキソース「書斷/卷中」参照。ウィキペディア【衛鑠】(中文)参照。
06 但恨無過王右軍
但だ恨む 王右軍に過ぐる無きを
- 但恨 … ただ~なことだけが残念である。ただ~なことだけが惜しまれる。
- 王右軍 … 東晋の書家、王羲之。303~361。字は逸少。琅邪郡臨沂県(山東省)の人。元帝のとき、右軍将軍であったので王右軍ともいわれる。書聖と称された。『晋書』王羲之伝に「王羲之、字は逸少、……尤も隸書を善くし、古今の冠たり。……家より起り秘書郎たり。……乃ち以て右軍将軍、会稽の内史と為る」(王羲之、字逸少、……尤善隸書、爲古今之冠。……起家秘書郎。……乃以爲右軍將軍、會稽内史)とある。ウィキソース「晉書/卷080」参照。ウィキペディア【王羲之】参照。
- 無過 … (王羲之を)超えることができなかった。すなわち、王羲之に次ぐほどの名手となったことを述べている。
- 無 … 『全唐詩』『鏡銓本』には「一作未」とある。『銭注本』『詳注本』には「晉作未」とある。
07 丹靑不知老將至
丹青知らず 老いの将に至らんとするを
08 富貴於我如浮雲
富貴は我に於いて浮雲の如し
- 富貴於我如浮雲 … 金持ちになることや高い地位などは、私にとって浮き雲のように儚いものである。『論語』述而篇15に「不義にして富み且つ貴きは、我に於いて浮雲の如し」(不義而富且貴、於我如浮雲)とあるのに基づく。ウィキソース「論語/述而第七」参照。また南朝梁の江淹「阮公に效う詩十五首 其二」(『古詩紀』巻八十六)に「富貴は浮雲の如し、金玉も宝と為らず」(富貴如浮雲、金玉不爲寳)とある。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷086」参照。
- 富貴 … 金持ちや高い地位。
- 浮雲 … 儚いもの、無関係なものの喩え。
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- 見・殿・面・箭・戰(去声霰韻)。
09 開元之中常引見
開元の中 常に引見せられ
- 開元之中 … 玄宗の開元年間(713~741)の二十九年間。「開元の治」と呼ばれ、政治の安定期の一つであった。
- 中 … 『全唐詩』『銭注本』『詳注本』には「一作年」とある。『文苑英華』では「年」に作る。
- 常 … いつも。『唐詩選』『草堂詩箋』では「嘗」に作る。
- 引見 … 天子が召し出して会うこと。ここでは曹霸将軍が玄宗に召し出されたことをいう。『漢書』王商伝に「単于来朝し、白虎殿に引見す」(單于來朝、引見白虎殿)とある。ウィキソース「漢書/卷082」参照。
10 承恩數上南薰殿
恩を承けて数〻上る 南薫殿
- 承恩 … 天子の御恩寵を受けて。六朝梁・陳の徐陵「侍宴」(『古詩紀』巻一百十)に「恩を承けて下席を予かる」(承恩豫下席)とある。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷110」参照。
- 数 … たびたび。
- 南薫殿 … 興慶宮内の宮殿の名。舜の歌と伝えられる「南風の歌」(『古詩源』巻一 古逸)に「南風の薫ずる、以て吾が民の慍りを解く可し」(南風之薫兮、可以解吾民之慍兮)から採っている。ウィキソース「南風歌」参照。また『長安志』に「宮内の正殿を興慶殿と曰う。其の後ろを文泰殿と曰う。前に瀛州門有り。内に南薫殿有り。北に竜池有り」(宮内正殿曰興慶殿。其後曰文泰殿。前有瀛州門。内有南薫殿。北有龍池)ウィキソース「長安志 (四庫全書本)/卷09」参照。また李白「宮中行楽詞八首 其八」に「水は緑なり南薫殿、花は紅なり北闕楼」(水綠南薰殿、花紅北闕樓)とある。ウィキソース「宮中行樂詞 (水綠南薰殿)」参照。
- 薫 … 『唐詩選』では「熏」に作る。同義。
11 凌煙功臣少顏色
凌煙の功臣 顔色少くも
- 凌煙功臣 … 凌煙は、凌煙閣。長安太極宮(西内)の西南、三清殿の傍らにあった小楼。ウィキペディア【凌烟阁】(中文)、ウィキメディア・コモンズ「長安宮城図」(『陝西通志』巻七十二)参照。『唐両京城坊考』に「神竜の北、功臣閣・凌煙閣と曰う。其の北に海池有り、凝雲閣・球場亭子、之を環る」(神龍之北曰功臣閣凌煙閣。其北有海池、凝雲閣球場亭子環之)とある。ウィキソース「唐兩京城坊考/01」参照。貞観十七年(643)、太宗は画家の閻立本に命じて、凌煙閣に長孫無忌ら建国の功臣二十四人の肖像を描かせた。ウィキペディア【凌煙閣二十四功臣】参照。『旧唐書』長孫無忌伝に「(貞観)十七年、無忌等二十四人を凌煙閣に図画せしむ」(十七年、令圖畫無忌等二十四人於凌煙閣)とある。ウィキソース「舊唐書/卷65」参照。また『歴代名画記』巻九に「貞観十七年、又た詔して凌煙閣に功臣二十四人の図を画かしめ、上自ら讃を為る」(貞觀十七年、又詔畫凌煙閣功臣二十四人圖、上自爲讚)とある。ウィキソース「歷代名畫記/卷第九」参照。
- 煙 … 『唐詩選』『九家集注本』『詳注本』『鏡銓本』『古今詩刪』『唐詩解』『唐宋詩醇』では「烟」に作る。異体字。
- 少顔色 … 功臣の肖像画が色褪せてしまった。
- 顔色 … 色彩。
- 少 … 足りない。
12 將軍下筆開生面
将軍筆を下せば生面を開く
13 良相頭上進賢冠
良相の頭上には進賢冠
14 猛將腰閒大羽箭
猛将の腰間には大羽箭
- 猛将 … 勇猛な将軍。ここでは尉遅恭・段志玄・屈突通らを指す。『史記』留侯世家に「黥布は天下の猛将なり」(黥布天下猛將也)とある。ウィキソース「史記/卷055」参照。また李陵「蘇武に答うるの書」(『文選』巻四十一)に「猛将雲の如く、謀臣雨の如し」(猛將如雲、謀臣如雨)とある。ウィキソース「答蘇武書」参照。
- 腰間 … 腰のあたり。
- 腰 … 『宋本』では「」に作る。異体字。
- 大羽箭 … 太宗が作った四枚羽根の大きな矢。普通の矢の倍の大きさで、武功のあった者にこれを与え、賞したという。『酉陽雑俎』に「太宗虬鬚なり。嘗て戯れに弓を張り矢を掛く。好んで四羽の大笴を用い、常の箭より長し。一膚して射て門闔に洞る」(太宗虬鬚。嘗戲張弓掛矢。好用四羽大笴、長常箭。一膚射洞門闔)とある。ウィキソース「酉陽雜俎/卷一」参照。
15 褒公鄂公毛髮動
褒公 鄂公 毛髪動き
- 褒公 … 唐の太宗の功臣、段志玄。?~642。褒国公に封ぜられたので、こういう。ウィキペディア【段志玄】参照。
- 褒 … 『唐詩選』『宋本』『杜陵詩史』では「襃」に作る。異体字。
- 鄂公 … 唐の太宗の功臣、尉遅恭。585~658。字は敬徳。鄂国公に封ぜられたので、こういう。ウィキペディア【尉遅敬徳】参照。
- 毛髪動 … (肖像は)髪の毛が動くかと思われるほどである。『淮南子』俶真訓に「夫れ疾風は木を㪍けども、毛髪を抜く能わず」(夫疾風㪍木、而不能拔毛髮)とある。ウィキソース「淮南子 (四部叢刊本)/卷第二」参照。
16 英姿颯爽來酣戰
英姿颯爽として酣戦より来る
- 英姿 … 堂々として立派な姿。雄姿。「後漢書二十八将伝論」(『文選』巻五十)に「議者、多く光武の功臣を以て職に任ぜず、英姿茂績をして、委てて用うる勿からしむるに至るを非とす」(議者多非光武不以功臣任職、至使英姿茂績、委而勿用)とある。茂績は、立派な業績。ウィキソース「後漢書二十八將傳論」参照。
- 颯爽 … きりっとして勇ましいさま。『銭注本』『詳注本』には「一作颯颯」とある。
- 颯爽來 … 『文苑英華』では「颯颯猶」に作り、「集作颯爽來」とある。
- 爽 … 『全唐詩』には「一作颯」とある。
- 酣戦 … 戦闘の真っ最中。激戦のさなか。『韓非子』十過篇に「酣戦の時、司馬子反渇きて飲を求む」(酣戰之時、司馬子反渇而求飮)とある。ウィキソース「韓非子/十過」参照。
- 來 … 『全唐詩』『心解本』には「一作猶」とある。『銭注本』には「樊作猶」とある。『唐詩三百首』『草堂詩箋』では「猶」に作る。『詳注本』では「猶」に作り、「樊作猶、一作來」とある。
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- 驄・同・風・中・空(平声東韻)。
17 先帝天馬玉花驄
先帝の天馬 玉花驄
- 先帝 … 玄宗を指す。
- 天馬 … すぐれた馬。ここでは大宛(天山山脈中のフェルガナ地方にあった国)地方で産する駿馬を指す。
- 天 … 『全唐詩』『銭注本』『心解本』には「一作御」とある。『唐詩三百首』『鏡銓本』では「御」に作る。『詳注本』では「御」に作り、「一作天」とある。
- 玉花驄 … 玄宗の愛馬の名。『明皇雑録』逸文に「上の乗る所の馬、玉花驄・照夜白有り」(上所乘馬、有玉花驄、照夜白)とある。ウィキソース「明皇雜錄/逸文」参照。また『歴代名画記』巻九に「時主、芸を好み、韓君間に生まる。遂に命じて悉く其の駿を図せしむ。則ち玉花驄・照夜白等有り」(時主好藝、韓君間生。遂命悉圖其駿。則有玉花驄、照夜白等)とある。ウィキソース「歷代名畫記/卷第九」参照。
18 畫工如山貌不同
画工山の如きも貌同じからず
19 是日牽來赤墀下
是の日牽き来る 赤墀の下
- 是日 … この日。その日。ここでは曹霸将軍が活躍した当時を指す。
- 牽来 … (玉花驄を)引き連れて来た。
- 赤墀 … 宮殿の階段を上った所の、赤く塗り固めた土間。丹漆(赤うるし)で地面を塗ったので丹墀ともいう。墀は、ぬりづち。南朝梁の劉孝標「弁命篇」(『文選』巻五十四)に「時に赤墀の下に在りて、斯の議を予り聞くもの有り、帰りて以て余に告ぐ」(時有在赤墀之下、豫聞斯議、歸以告余)とある。ウィキソース「辯命論」参照。
20 迥立閶闔生長風
迥かに閶闔に立てば 長風生ず
- 迥 … はるか遠くに。はるか彼方に。『全唐詩』『銭注本』『心解本』には「一作敻」とある。『草堂詩箋』『文苑英華』では「廻」に作る。『詳注本』には「郭作迥、一作敻」とある。
- 閶闔 … もとは天上界の紫微宮にあるという門のこと。ここでは宮中の門をいう。『楚辞』離騒に「吾、帝閽をして関を開かしめんとすれば、閶闔に倚りて予を望む」(吾令帝閽開關兮、倚閶闔而望予)とある。帝閽は、天帝の門番。ウィキソース「楚辭/離騷」参照。また『淮南子』原道訓に「扶揺に抮し、羊角を抱いて上り、山川を経紀し、崑崙を蹈騰し、閶闔を排き、天門に淪る」(抮扶搖、抱羊角而上、經紀山川、蹈騰崑崙、排閶闔、淪天門)とある。ウィキソース「淮南子/原道訓」参照。また『三輔黄図』に「(建章)宮の正門を閶闔と曰う」(宮之正門曰閶闔)とある。ウィキソース「三輔黃圖/卷之二」参照。
- 長風 … 遠くから吹いてくる風。西晋の陸機「前緩声歌」(『文選』巻二十八、『玉台新詠』巻三)に「長風は万里に挙がり、慶雲は鬱として嵯峨たり」(長風萬里舉、慶雲鬱嵯峨)とある。ウィキソース「前緩聲歌」参照。
21 詔謂將軍拂絹素
詔して将軍に謂う 絹素を払えと
- 詔謂将軍 … 曹覇将軍に皇帝から詔が下り、側近から伝えられた。詔は、天子の命令。
- 払絹素 … 巻いてある絵絹を広げて塵を払い、この馬を描け。絹素は、白い絹。絵絹(絵画を描くために使う絹の布)のこと。払は、塵を払うこと。
22 意匠慘澹經營中
意匠惨澹たり 経営の中
- 意匠 … 絵の構図などを工夫すること。
- 意 … 『全唐詩』には「一作法」とある。
- 匠 … 『文苑英華』では「匹」に作る。
- 惨澹 … 心を悩まし、苦労する様子。苦心惨憺。西晋の陸機「文の賦」(『文選』巻十七)に「辞は才を程りて以て伎を効し、意は契を司りて匠と為る」(辭程才以效伎、意司契而爲匠)とある。ウィキソース「文賦」参照。
- 澹 … 『唐詩三百首』『宋本』『銭注本』『文苑英華』『唐詩品彙』『古今詩刪』『唐詩解』『唐宋詩醇』では「淡」に作る。同義。
- 経営 … 絵の位置や構図などを按排すること。『歴代名画記』巻一、「画の六法を論ず」に「昔、謝赫云う、画に六法有り、一に気韻生動と曰い、二に骨法用筆、三に応物象形と曰い、四に随類賦彩と曰い、五に経営位置と曰い、六に伝模移写と曰う。古より画人の能く之を兼ぬるは罕なり」(昔謝赫云、畫有六法、一曰氣韻生動、二曰骨法用筆、三曰應物象形、四曰隨類賦彩、五曰經營位置、六曰傳模移寫。自古畫人罕能兼之)とある。ウィキソース「歷代名畫記/卷第一」参照。
23 斯須九重眞龍出
斯須にして九重に真竜出で
- 斯須 … しばらく。ひと時。暫時。須臾に同じ。『孟子』告子上篇に「斯須の敬は郷人に在り」(斯須之敬在郷人)とある。ウィキソース「孟子/告子上」参照。『唐詩三百首』『詳注本』『心解本』『鏡銓本』では「須臾」に作る。
- 九重 … 宮廷・宮中を指す。宮殿の門を九つ重ねて作ってあることから。『楚辞』の「九弁」に「君の門九重を以てす」(君之門以九重)とある。ウィキソース「楚辭/九辯」参照。
- 真竜 … 真の竜馬。すぐれた馬。駿馬。『周礼』夏官に「馬八尺以上を竜と為し、七尺以上を騋と為し、六尺以上を馬と為す」(馬八尺以上爲龍、七尺以上爲騋、六尺以上爲馬)とある。ウィキソース「周禮/夏官司馬」参照。また王充『論衡』乱竜篇に「楚の葉公は竜を好み、牆壁・盤盂、皆竜を画けり。必ず象類を以て真の若しと為さば、是れ則ち葉公の国、常に雨有るなり」(楚葉公好龍、牆壁盤盂皆畫龍。必以象類爲若眞、是則葉公之國、常有雨也)とある。ウィキソース「論衡/47」参照。
24 一洗萬古凡馬空
万古の凡馬を一洗して空し
- 万古 … 昔から今に至るまでの。
- 凡馬 … 平凡な馬。『抱朴子』外篇に「彼の凡馬野鷹と、本と実に一類、此れは飾を以て貴く、彼は質を以て賤し」(與彼凡馬野鷹、本實一類、此以飾貴、彼以質賤)とある。ウィキソース「抱朴子/外篇/卷03」参照。
- 凡 … 『文苑英華』では「凢」に作る。異体字。
- 一洗 … すっかり洗い流すこと。一掃に同じ。
- 空 … 何もなくなること。
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- 上・向・悵・相・喪(去声漾韻)。
25 玉花卻在御榻上
玉花却って御榻の上に在り
- 玉花 … 玄宗皇帝の愛馬、玉花驄のこと。上記の注釈参照。
- 却 … かえって。予期に反して。なんと。
- 御榻 … 天子の腰かけ。天子の長椅子。『釈名』釈床帳篇に「人、坐臥する所を牀と曰う。牀は装なり。自ら装載する所以なり。長く狭くして卑しきを榻と曰う」(人所坐臥曰牀。牀裝也。所以自裝載也。長狹而卑曰榻)とある。ウィキソース「釋名/卷六」参照。
26 榻上庭前屹相向
榻上庭前 屹として相向う
- 榻上 … 長椅子の上(の馬)。
- 庭前 … 庭先(の馬)。
- 屹 … 高く動かずに立つさま。ここでは、すっくと立つさま。
- 相向 … 向かい合っている。
27 至尊含笑催賜金
至尊笑みを含んで金を賜うを催し
- 至尊 … 天子。ここでは玄宗皇帝を指す。『春秋穀梁伝』定公元年に「君は至尊なり」(君至尊也)とある。ウィキソース「春秋穀梁傳註疏/卷19」参照。また『荀子』正論篇に「天子なる者は、埶位至尊にして、天下に敵無し、夫れ有誰と与に譲らん」(天子者、埶位至尊、無敵於天下、夫有誰與讓矣)とある。ウィキソース「荀子/正論篇」参照。また賈誼「過秦論」(『新書』巻一、『史記』秦始皇本紀、『文選』巻五十一)に「至尊を履みて六合を制す」(履至尊而制六合)とある。ウィキソース「過秦論/上」「史記/卷006」参照。
- 含笑 … 笑みを浮かべて。
- 催賜金 … 速やかに褒美の黄金を取らせよと催促された。
28 圉人太僕皆惆悵
圉人太僕 皆惆悵たり
- 圉人 … 馬の飼育をつかさどる役人。『周礼』夏官に「圉人は、馬を養い芻牧するの事を掌って、以て圉師に役せらる」(圉人、掌養馬芻牧之事、以役圉師)とある。芻牧は、牛馬などを飼うこと。ウィキソース「周禮/夏官司馬」参照。
- 太僕 … 朝廷の車馬や牧畜をつかさどる役人。『漢書』百官表に「太僕は、秦の官。輿馬を掌る」(太僕、秦官。掌輿馬)とある。輿馬は、車と、それをひく馬。ウィキソース「漢書/卷019」参照。
- 惆悵 … 嘆き悲しむこと。傷み悲しむこと。後漢の秦嘉「婦に贈る詩三首 其二」(『玉台新詠』巻一)に「路に臨みて惆悵を懐き、駕に中りて正に躑躅す」(臨路懷惆悵、中駕正躑躅)とある。躑躅は、行っては止まり、行っては止まって進まないこと。ウィキソース「贈婦詩」参照。
29 弟子韓幹早入室
弟子の韓幹 早く室に入り
- 弟子 … 弟子。門弟。
- 韓幹 … 706?~783。盛唐の画家。大梁(河南省開封市)、または藍田県(陝西省西安市)の人。曹覇に師事した。馬の絵を最も得意とした。ウィキペディア【韓幹】参照。『歴代名画記』巻九に「韓幹は大梁の人なり。王右丞維は其の画を見て、遂に之を推奨す。官は太府寺丞に至る。写貌・人物を善くす。尤も鞍馬に工なり。初め曹霸を師とし、後自ら独り擅にす」(韓幹大梁人。王右丞維見其畫、遂推獎之。官至太府寺丞。善寫貌人物。尤工鞍馬。初師曹霸、後自獨擅)とある。ウィキソース「歷代名畫記/卷第九」参照。
- 入室 … 学問・芸術の奥義に達すること。室は、一番奥の部屋。『論語』先進篇14に「由や堂に升れり、未だ室に入らざるなり」(由也升堂矣、未入於室也)とあるのに基づく。ウィキソース「論語/先進第十一」参照。また『揚子法言』吾子篇に「如し孔子の門に賦を用うるならば、則ち賈誼は堂を升り、相如は室に入らん」(如孔子之門用賦也、則賈誼升堂、相如入室矣)とある。ウィキソース「法言/02」参照。
30 亦能畫馬窮殊相
亦た能く馬を画いて殊相を窮む
- 亦能画馬 … また上手に馬を描いて。
- 殊相 … 他と変わってすぐれた姿。南朝宋の顔延之「赭白馬の賦」(『文選』巻十四)に「異体峰生し、殊相逸発す」(異體峰生、殊相逸發)とある。ウィキソース「赭白馬賦」参照。
- 相 … 『全唐詩』『銭注本』には「一作狀」とある。『詳注本』には「英華作狀」とある。『文苑英華』では「狀」に作り、「集作相」とある。
31 幹惟畫肉不畫骨
幹は惟だ肉を画いて骨を画かず
- 幹 … 韓幹。
- 惟 … ただ。『宋本』『九家集注本』『杜陵詩史』『分門集注本』『文苑英華』では「唯」に作る。同義。
- 画肉不画骨 … 馬の肉を描くことはできたが、馬の骨までは描くことができなかった。肉は、体付き。骨は、からだの骨組み。韓幹の描いた馬は肥えて大きかったので、「肉を画く」と悪口を言われたという。『歴代名画記』巻九に「徒だ幹の馬の肥大なるを以て、遂に肉を画くの誚り有り」(徒以幹馬肥大、遂有畫肉之誚)とある。ウィキソース「歷代名畫記/卷第九」参照。
32 忍使驊騮氣凋喪
忍んで驊騮をして気凋喪せしむ
- 忍 … むざんにも。また「~に忍びんや」と読み、「~させるのに忍びない」と反語に訳してもよい。
- 驊騮 … 周の穆王が持っていた八匹の駿馬のうちの一つ。『荀子』性悪篇に「驊騮・騹驥・繊離・緑耳は、此れ皆古の良馬なり」(驊騮騹驥纖離綠耳、此皆古之良馬也)とある。ウィキソース「荀子/性惡篇」参照。また『穆天子伝』巻四に「右服は騮にして左は緑耳、右驂は亦蘎にして左は白なり」(右服騮而左綠耳、右驂亦蘎而左白)とある。の異体字は驊。ウィキソース「穆天子傳/卷四」参照。また『穆天子伝』巻一の郭璞の注に「(驊騮は)色華の如くにして赤し」(色如華而赤)とある。ウィキソース「穆天子傳/卷一」参照。
- 凋喪 … 元気がなくなる。意気消沈する。西晋の陸機「門有車馬客行」(『文選』巻二十八、『楽府詩集』巻四十・相和歌辞)に「親友は多くは零落し、旧歯は皆彫喪す」(親友多零落、舊齒皆彫喪)とある。ウィキソース「昭明文選/卷28」「樂府詩集/040卷」参照。
5
- 神・眞・人・貧・身(平声真韻)。
33 將軍善畫蓋有神
将軍の画の善きは蓋し神有ればなり
- 将軍善画 … 将軍の絵が素晴らしいのは。
- 善畫 … 『鏡銓本』には「一作盡善」とある。
- 善 … 『全唐詩』『銭注本』『詳注本』では「畫」に作り、「一作盡」とある。『草堂詩箋』『心解本』『文苑英華』『唐宋詩醇』では「畫」に作る。『宋本』『九家集注本』『杜陵詩史』『分門集注本』『唐詩別裁集』では「盡」に作る。
- 畫 … 『全唐詩』『詳注本』では「善」に作り、「一作妙、一作善畫」とある。『銭注本』『心解本』でも「善」に作り、「一作妙」とある。『宋本』『九家集注本』『杜陵詩史』『分門集注本』『草堂詩箋』『文苑英華』『唐詩別裁集』『唐宋詩醇』では「善」に作る。
- 蓋 … 「~はけだし…」と読み、「~は要するに…」「~はつまり…である」と訳す。後節の文頭におかれ、前節の理由・原因を説明する。
- 有神 … 神霊が乗り移ったかのようである。
34 必逢佳士亦寫眞
必ず佳士に逢わば亦た真を写さん
- 必 … 『全唐詩』『銭注本』には「一作偶」とある。『唐詩三百首』『鏡銓本』では「偶」に作る。『詳注本』『心解本』では「偶」に作り、「一作必」とある。
- 佳士 … 立派な人物。
- 写真 … 真の姿を描き出すだろう。真は、もと肖像画の意。梁の簡文帝「美人画を観るを詠ず」(『玉台新詠』巻七)に「憐れむ可し倶に是れ画、誰か能く偽真を弁ぜん」(可憐俱是畫、誰能辨僞眞)とある。ウィキソース「詠美人觀畫 (蕭綱)」参照。また『顔氏家訓』雑芸篇に「武烈太子は偏に能く真を写す」(武烈太子偏能寫眞)とある。ウィキソース「顏氏家訓/卷第7」参照。
35 卽今飄泊干戈際
即今飄泊す 干戈の際
36 屢貌尋常行路人
屢〻貌く 尋常行路の人
- 屢 … しばしば。たびたび。何度も。
- 貌 … 肖像を描く。『宋本』『草堂詩箋』では「皃」に作る。異体字。
- 尋常 … ごく普通の。ありふれた。
- 行路人 … 行きずりの人。蘇武「詩四首 其一」(『文選』巻二十九)に「四海皆兄弟、誰か行路の人と為さん」(四海皆兄弟、誰爲行路人)とある。ウィキソース「昭明文選/卷29」参照。
37 途窮反遭俗眼白
途窮まって反って俗眼の白きに遭う
- 途窮 … 人生の方策が行き詰まること。『晋書』阮籍伝に「時に率意独り駕し、径路に由らず。車跡の窮まる所、輒ち慟哭して反る」(時率意獨駕、不由徑路。車跡所窮、輒慟哭而反)とある。ウィキソース「晉書/卷049」参照。また顔延之「五君の詠五首 其一 阮歩兵」(『文選』巻二十一)に「物故りては論ず可からず、途窮まりて能く慟する無からんや」(物故不可論、途窮能無慟)とある。ウィキソース「五君詠 (顏延之)」参照。
- 反 … 逆に。『宋本』『九家集注本』『杜陵詩史』『分門集注本』『草堂詩箋』『文苑英華』では「返」に作る。同義。
- 遭俗眼白 … (曹覇将軍が)世俗の人々から白眼視された。世の俗物どもから軽蔑された。魏の阮籍が気に入らない客に対しては白眼で、親友に対しては青眼で応対したという故事に基づく。『晋書』阮籍伝に「籍は又能く青白眼を為す。礼俗の士を見れば、白眼を以て之に対す。嵇喜来たり弔するに及び、籍白眼を作す。喜懌ばずして退く。喜の弟康之を聞き、乃ち酒を齎し琴を挟みて造る。籍大いに悦び、乃ち青眼を見す。是れに由って礼法の士、之を疾むこと讎の若し。而して帝毎に之を保護す」(籍又能爲靑白眼。見禮俗之士、以白眼對之。及嵇喜來弔、籍作白眼。喜不懌而退。喜弟康聞之、乃齎酒挾琴造焉。籍大悅、乃見靑眼。由是禮法之士、疾之若讎。而帝毎保護之)とある。ウィキソース「晉書/卷049」参照。
38 世上未有如公貧
世上未だ公の如く貧しきは有らず
- 世上未有如公貧 … 『全唐詩』には「一作他富至今我徒貧」とある。『銭注本』『詳注本』にも「英華作他富至今我徒貧」とある。『文苑英華』には「一作他富至今吾徒貧」とある。
- 世上 … 世の中。世間。『古今詩刪』では「世世」に作る。
- 世 … 『宋本』『杜陵詩史』『分門集注本』『草堂詩箋』では「丗」に作る。異体字。
- 未有如公貧 … あなたほど貧乏な人はいない。
39 但看古來盛名下
但だ看よ 古来盛名の下
- 但看 … だが見たまえ。
- 古来 … 昔から。
- 盛名下 … 高い名声を持つ人は。『後漢書』黄瓊伝に「盛名の下には、其の実副い難し」(盛名之下、其實難副)とある。ウィキソース「後漢書/卷61」参照。
40 終日坎壈纏其身
終日 坎壈 其の身に纏うを
テキスト
- 『箋註唐詩選』巻二(『漢文大系 第二巻』冨山房、1910年)
- 『唐詩三百首注疏』巻二(廣文書局、1980年)
- 『全唐詩』巻二百二十(揚州詩局本縮印、上海古籍出版社、1985年)
- 『宋本杜工部集』巻四(影印本、台湾学生書局、1967年)
- 『九家集注杜詩』巻八(『哈佛燕京學社引得特刊 14 杜詩引得』第二冊、1966年)
- 『杜陵詩史』巻十八(王状元集注、『杜詩又叢』所収、中文出版社、1977年)
- 『分門集注杜工部詩』巻十六(『四部叢刊 初編集部』所収)
- 『草堂詩箋』巻二十(蔡夢弼注、『古逸叢書(中)』所収、江蘇廣陵古籍刻印社、1997年)
- 『銭注杜詩』巻五(銭謙益箋注、上海古籍出版社、1979年)
- 『杜詩詳注』巻十三(仇兆鰲注、中華書局、1979年)
- 『読杜心解』巻二之二(浦起龍著、中華書局、1961年)
- 『杜詩鏡銓』巻十一(楊倫箋注、上海古籍出版社、1980年)
- 『文苑英華』巻三百三十九(影印本、中華書局、1966年)
- 『唐詩品彙』巻二十八(汪宗尼本影印、上海古籍出版社、1981年)
- 『唐詩別裁集』巻七(乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
- 『古今詩刪』巻十二(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、11頁)
- 『唐詩解』巻十五(清順治十六年刊、内閣文庫蔵)
- 『唐宋詩醇』巻十一(乾隆二十五年重刊、紫陽書院、内閣文庫蔵)
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