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丹青引贈曹将軍覇(杜甫)

丹靑引贈曹將軍霸
丹青たんせいいん そうしょうぐんおく
杜甫とほ
  • 七言古詩。
  • ウィキソース「丹青引贈曹霸將軍」参照。
  • 詩題 … 『唐詩三百首』『宋本』『九家集注本』『杜陵詩史』『分門集注本』『銭注本』『詳注本』『唐詩別裁集』では「丹青引」に作り、「贈曹將軍霸」を原注とする。『心解本』には「下五字諸本作小注」とある。
  • 丹青 … 朱色と青色の絵の具。転じて彩色した絵画。
  • 引 … 「歌」「曲」の意。
  • 曹将軍霸 … そう(約694~?)将軍のこと。魏の武帝曹操の曾孫曹髦そうぼうの末裔に当たる。絵の名手で、たびたびみことのりを受けて御馬や功臣を描いたという。『歴代名画記』巻九に「曹覇は、魏の曹髦ののちなり。髦の画は後代に称せらる。覇は開元中に在りて已に名を得たり。天宝の末、つねみことのりして御馬及び功臣を画かしむ。官は左武衛将軍に至る」(曹霸、魏曹髦之後。髦畫稱于後代。霸在開元中已得名。天寶末、每詔畫御馬及功臣。官至左武衛將軍)とある。ウィキソース「歷代名畫記/卷第九」参照。ウィキペディア【曹霸】(中文)参照。
  • 贈 … 詩を直接手渡すこと。「寄」は、詩を人に託して送り届けること。
  • この詩は、作者が成都で零落した曹覇将軍に偶然出逢い、彼に贈ったもの。広徳二年(764)、五十三歳の作。
  • 杜甫 … 712~770。盛唐の詩人。じょうよう(湖北省)の人。あざな子美しび。祖父は初唐の詩人、杜審言。若い頃、科挙を受験したが及第できず、各地を放浪して李白らと親交を結んだ。安史の乱では賊軍に捕らえられたが、やがて脱出し、新帝しゅくそうのもとで左拾遺に任じられた。その翌年左遷されたため官を捨てた。四十八歳の時、成都(四川省成都市)の近くのかんけいに草堂を建てて四年ほど過ごしたが、再び各地を転々とし一生を終えた。中国最高の詩人として「詩聖」と呼ばれ、李白とともに「李杜りと」と並称される。『杜工部集』がある。ウィキペディア【杜甫】参照。
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  • 逐段換韻格(八句を一段といい、その一段ごとに換韻すること)。
  • 孫・門・存(平声元韻)、軍・雲(平声文韻)通押。
01 將軍魏武之子孫
しょうぐん魏武ぎぶそん
  • 将軍 … 曹霸将軍。
  • 魏武 … 魏の武帝、曹操のこと。155~220。はいこくしょうあん省)の人。あざなは孟徳。幼名はまん。184年、黄巾の乱を平定して名を挙げ、196年、献帝を擁して大将軍となった。200年、官渡の戦いで袁紹を破り、華北を統一した。208年、赤壁の戦いに敗れ、三国が併存することとなった。216年、魏王に封ぜられた。死後、武帝と称された。『三国志』魏書・武帝紀に「太祖武皇帝は、沛国譙の人なり。姓は曹、いみなは操、あざなは孟徳、漢のしょうこくしんあとなり」(太祖武皇帝、沛國譙人也。姓曹、諱操、字孟德、漢相國參之後)とある。参は、曹参そうしん。後は、子孫。ウィキソース「三國志/卷01」参照。ウィキペディア【曹操】参照。
  • 子孫 … 曹霸将軍は、曹操の曾孫曹髦そうぼうの末裔に当たる。
02 於今爲庶爲淸門
いまいてしょるも清門せいもん
  • 於今 … 今では。現在は。
  • 庶 … 庶人。庶民。平民。『草堂詩箋』さい夢弼ぼうひつの注に「玄宗の末年、罪を得て籍を削られ、庶人を為るなり」(玄宗末年得罪削籍爲庶人也)とある。また『春秋左氏伝』昭公三十二年に「三后の姓も、今に於いて庶と為るは、主の知る所なり」(三后之姓、於今爲庶、主所知也)とある。三后は、虞・夏・商の王のこと。后は、君主。ウィキソース「春秋左氏傳/昭公」参照。
  • 清門 … 立派な家柄。名門。
03 英雄割據雖已矣
英雄えいゆう割拠かっきょみぬといえど
  • 英雄割拠 … 割拠は、めいめいが土地を分けとって本拠地とし、勢力を張ること。三国時代、魏の曹操、蜀の劉備、呉の孫権が天下を三分して争ったことを指す。
  • 英雄 … すぐれた人。普通の人にはできないような大事業を成し遂げる人。劉劭りゅうしょう『人物志』英雄篇に「夫れ草の精秀なる者を英と為し、獣の特群なる者を雄と為す」(夫草之精秀者爲英、獸之特羣者爲雄)とある。ウィキソース「人物志/英雄」参照。
  • 據 … 『文苑英華』では「」に作る。異体字。
  • 已矣 … おしまいになった。矣は、置き字。読まない。断定・完了などの意を示す。
  • 雖 … 『全唐詩』『銭注本』『詳注本』『心解本』には「一作皆」とある。『文苑英華』では「皆」に作り、「集作雖」とある。
04 文彩風流今尙存
文彩ぶんさいふうりゅう いまそん
  • 文彩 … 文学や芸術などに秀でること。曹操は文学にすぐれ、その子の曹丕・曹植の兄弟も詩人として一流であった。司馬遷「じんしょうけいほうずるのしょ」(『文選』巻四十一)に「隠忍していやしくも活き、糞土の中に幽せられて辞せざる所以の者は、私心の尽くざる所有り、ろうにして世を没し、文彩の後世に表れざるを恨めばなり」(所以隱忍苟活、幽於糞土之中而不辭者、恨私心有所不盡、鄙陋沒世、而文彩不表於後世也)とある。ウィキソース「報任少卿書」参照。
  • 彩 … 『唐詩選』『唐詩三百首』『草堂詩箋』『詳注本』『鏡銓本』『唐詩品彙』『古今詩刪』『唐詩解』では「采」に作る。
  • 風流 … 先人の遺風。『後漢書』王暢伝に「黔首けんしゅは風流を仰ぐ」(黔首仰風流)とある。黔首は、人民の意。ウィキソース「後漢書/卷56」参照。
  • 今尚存 … 今もなお将軍に伝わっている。
  • 今 … 『詳注本』『心解本』には「一作猶」とある。『全唐詩』では「猶」に作り、「一作今」とある。『文苑英華』でも「猶」に作り、「集作今尚存」とある。『銭注本』でも「猶」に作り、「荆作今」とある。『草堂詩箋』『唐詩別裁集』『唐宋詩醇』では「猶」に作る。
05 學書初學衞夫人
しょまなんではじえいじんまな
  • 学書初学衛夫人 … (将軍は)初め書道を志し、衛夫人の書風を学んだが。
  • 衛夫人 … 東晋の書家。272~349。名はしゃくあざな茂猗もい。汝陰郡の太守から江州刺史となった李矩りくの妻であったため、衛夫人と通称する。隷書の達人で、王羲之が幼少の頃、彼女に師事したという。張懐瓘『書断』巻中に「衛夫人、名は鑠、字は茂猗、廷尉展の女弟、恒の従女。汝陰の太守李矩の妻なり。隸書もっとも善し。……右軍わかくして常に之を師とす。永和五年しゅっす、年七十八」(衞夫人名鑠、字茂猗、廷尉展之女弟、恆之從女。汝陰太守李矩之妻也。隸書尤善。……右軍少常師之。永和五年卒、年七十八)とある。右軍は、王羲之のこと。ウィキソース「書斷/卷中」参照。ウィキペディア【衛鑠】(中文)参照。
06 但恨無過王右軍
うらむ おう右軍ゆうぐんぐるきを
  • 但恨 … ただ~なことだけが残念である。ただ~なことだけが惜しまれる。
  • 王右軍 … 東晋の書家、王羲之。303~361。あざなは逸少。琅邪郡臨沂県(山東省)の人。元帝のとき、右軍将軍であったので王右軍ともいわれる。書聖と称された。『晋書』王羲之伝に「王羲之、字は逸少、……尤も隸書を善くし、古今の冠たり。……家より起り秘書郎たり。……乃ち以て右軍将軍、会稽の内史と為る」(王羲之、字逸少、……尤善隸書、爲古今之冠。……起家秘書郎。……乃以爲右軍將軍、會稽内史)とある。ウィキソース「晉書/卷080」参照。ウィキペディア【王羲之】参照。
  • 無過 … (王羲之を)超えることができなかった。すなわち、王羲之に次ぐほどの名手となったことを述べている。
  • 無 … 『全唐詩』『鏡銓本』には「一作未」とある。『銭注本』『詳注本』には「晉作未」とある。
07 丹靑不知老將至
丹青たんせいらず いのまさいたらんとするを
  • 丹青 … 上記注釈を参照。
  • 不知老将至 … 年を取るのも気付かない。ここでは絵画の制作に没頭しているさまをいう。『論語』述而篇18に「ひとりや、いきどおりをはっしてしょくわすれ、たのしみてもっうれいをわすれ、いのまさいたらんとするをらざるのみ」(其爲人也、發憤忘食、樂以忘憂、不知老之將至云爾)とあるのに基づく。ウィキソース「論語/述而第七」参照。
08 富貴於我如浮雲
ふうわれいてうんごと
  • 富貴於我如浮雲 … 金持ちになることや高い地位などは、私にとって浮き雲のようにはかないものである。『論語』述而篇15に「不義ふぎにしてたっときは、われいてうんごとし」(不義而富且貴、於我如浮雲)とあるのに基づく。ウィキソース「論語/述而第七」参照。また南朝梁の江淹「阮公にならう詩十五首 其二」(『古詩紀』巻八十六)に「富貴は浮雲の如し、金玉も宝と為らず」(富貴如浮雲、金玉不爲寳)とある。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷086」参照。
  • 富貴 … 金持ちや高い地位。
  • 浮雲 … はかないもの、無関係なものの喩え。
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  • 見・殿・面・箭・戰(去声霰韻)。
09 開元之中常引見
開元かいげんうち つね引見いんけんせられ
  • 開元之中 … 玄宗の開元年間(713~741)の二十九年間。「開元の治」と呼ばれ、政治の安定期の一つであった。
  • 中 … 『全唐詩』『銭注本』『詳注本』には「一作年」とある。『文苑英華』では「年」に作る。
  • 常 … いつも。『唐詩選』『草堂詩箋』では「嘗」に作る。
  • 引見 … 天子が召し出して会うこと。ここでは曹霸将軍が玄宗に召し出されたことをいう。『漢書』王商伝に「単于来朝し、白虎殿に引見す」(單于來朝、引見白虎殿)とある。ウィキソース「漢書/卷082」参照。
10 承恩數上南薰殿
おんけて数〻しばしばのぼる 南薫殿なんくんでん
  • 承恩 … 天子の御恩寵を受けて。六朝梁・陳の徐陵「侍宴」(『古詩紀』巻一百十)に「恩を承けて下席をあずかる」(承恩豫下席)とある。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷110」参照。
  • 数 … たびたび。
  • 南薫殿 … 興慶宮内の宮殿の名。舜の歌と伝えられる「南風の歌」(『古詩源』巻一 古逸)に「南風の薫ずる、以て吾が民のいかりを解く可し」(南風之薫兮、可以解吾民之慍兮)から採っている。ウィキソース「南風歌」参照。また『長安志』に「宮内の正殿を興慶殿と曰う。其の後ろを文泰殿と曰う。前にえいしょうもん有り。内に南薫殿有り。北に竜池有り」(宮内正殿曰興慶殿。其後曰文泰殿。前有瀛州門。内有南薫殿。北有龍池)ウィキソース「長安志 (四庫全書本)/卷09」参照。また李白「宮中行楽詞八首 其八」に「水は緑なり南薫殿、花は紅なり北闕楼」(水綠南薰殿、花紅北闕樓)とある。ウィキソース「宮中行樂詞 (水綠南薰殿)」参照。
  • 薫 … 『唐詩選』では「熏」に作る。同義。
11 凌煙功臣少顏色
りょうえん功臣こうしん がんしょくくも
  • 凌煙功臣 … 凌煙は、凌煙閣。長安太極宮(西内せいだい)の西南、三清殿の傍らにあった小楼。ウィキペディア【凌烟阁】(中文)、ウィキメディア・コモンズ「長安宮城図」(『陝西通志』巻七十二)参照。『唐両京城坊考』に「神竜の北、功臣閣・凌煙閣と曰う。其の北に海池有り、凝雲閣・球場亭子、之をめぐる」(神龍之北曰功臣閣凌煙閣。其北有海池、凝雲閣球場亭子環之)とある。ウィキソース「唐兩京城坊考/01」参照。貞観十七年(643)、太宗は画家のえん立本りっぽんに命じて、凌煙閣に長孫無忌ら建国の功臣二十四人の肖像を描かせた。ウィキペディア【凌煙閣二十四功臣】参照。『旧唐書』長孫無忌伝に「(貞観)十七年、無忌等二十四人を凌煙閣に図画せしむ」(十七年、令圖畫無忌等二十四人於凌煙閣)とある。ウィキソース「舊唐書/卷65」参照。また『歴代名画記』巻九に「貞観十七年、又たみことのりして凌煙閣に功臣二十四人の図を画かしめ、しょう自ら讃をつくる」(貞觀十七年、又詔畫凌煙閣功臣二十四人圖、上自爲讚)とある。ウィキソース「歷代名畫記/卷第九」参照。
  • 煙 … 『唐詩選』『九家集注本』『詳注本』『鏡銓本』『古今詩刪』『唐詩解』『唐宋詩醇』では「烟」に作る。異体字。
  • 少顔色 … 功臣の肖像画が色褪せてしまった。
  • 顔色 … 色彩。
  • 少 … 足りない。
12 將軍下筆開生面
しょうぐんふでくだせば生面せいめんひら
  • 将軍 … 曹霸将軍。
  • 下筆 … 筆を下ろす。加筆すること。『漢書』賈捐之伝に「君房筆を下せば、語言天下に妙なり」(君房下筆、語言妙天下)とある。ウィキソース「漢書/卷064下」参照。
  • 生面 … 生き生きとした顔色。『春秋左氏伝』僖公三十三年に「狄人てきひと其のこうべを帰す。おもて生けるが如し」(狄人歸其元。面如生)とある。ウィキソース「春秋左氏傳/僖公」参照。
  • 面 … 『唐詩三百首』では「」に作る。『唐詩品彙』『唐詩別裁集』では「靣」に作る。いずれも異体字。
  • 開 … ここでは現われた。
13 良相頭上進賢冠
良相りょうしょうじょうには進賢冠しんけんかん
  • 良相 … すぐれた宰相。ここでは杜如晦・魏徴・房玄齢らを指す。『資治通鑑』周威烈王二十三年の条に「文侯、李克に謂って曰く、先生嘗て言える有り、曰く、家貧しくして良妻を思い、国乱れて良相を思う、と」(文侯謂李克曰、先生嘗有言曰、家貧思良妻、國亂思良相)とある。ウィキソース「資治通鑑/卷001」参照。
  • 進賢冠 … 黒い布製の冠。もとは儒者の冠であったが、唐代では文官が朝廷に参内する時にかぶった。『後漢書』輿服志下に「進賢冠は、古の緇布冠なり。文儒者の服なり」(進賢冠、古緇布冠也。文儒者之服也)とある。ウィキソース「後漢書/卷120」参照。
14 猛將腰閒大羽箭
もうしょう腰間ようかんにはだいせん
  • 猛将 … 勇猛な将軍。ここでは尉遅恭・段志玄・屈突通らを指す。『史記』留侯世家に「げいは天下の猛将なり」(黥布天下猛將也)とある。ウィキソース「史記/卷055」参照。また李陵「蘇武に答うるの書」(『文選』巻四十一)に「猛将雲の如く、謀臣雨の如し」(猛將如雲、謀臣如雨)とある。ウィキソース「答蘇武書」参照。
  • 腰間 … 腰のあたり。
  • 腰 … 『宋本』では「」に作る。異体字。
  • 大羽箭 … 太宗が作った四枚羽根の大きな矢。普通の矢の倍の大きさで、武功のあった者にこれを与え、賞したという。『酉陽雑俎』に「太宗きゅうしゅなり。嘗て戯れに弓を張り矢を掛く。好んで四羽の大笴を用い、常の箭より長し。一膚して射て門闔もんこうとおる」(太宗虬鬚。嘗戲張弓掛矢。好用四羽大笴、長常箭。一膚射洞門闔)とある。ウィキソース「酉陽雜俎/卷一」参照。
15 褒公鄂公毛髮動
褒公ほうこう 鄂公がくこう 毛髪もうはつうご
  • 褒公 … 唐の太宗の功臣、段志玄。?~642。褒国公に封ぜられたので、こういう。ウィキペディア【段志玄】参照。
  • 褒 … 『唐詩選』『宋本』『杜陵詩史』では「襃」に作る。異体字。
  • 鄂公 … 唐の太宗の功臣、尉遅恭。585~658。あざなは敬徳。鄂国公に封ぜられたので、こういう。ウィキペディア【尉遅敬徳】参照。
  • 毛髪動 … (肖像は)髪の毛が動くかと思われるほどである。『淮南子』俶真訓に「夫れ疾風は木をけども、毛髪を抜く能わず」(夫疾風㪍木、而不能拔毛髮)とある。ウィキソース「淮南子 (四部叢刊本)/卷第二」参照。
16 英姿颯爽來酣戰
えい姿颯爽さっそうとして酣戦かんせんよりきた
  • 英姿 … 堂々として立派な姿。雄姿。「後漢書二十八将伝論」(『文選』巻五十)に「議者、多く光武の功臣を以て職に任ぜず、英姿せきをして、てて用うる勿からしむるに至るを非とす」(議者多非光武不以功臣任職、至使英姿茂績、委而勿用)とある。茂績は、立派な業績。ウィキソース「後漢書二十八將傳論」参照。
  • 颯爽 … きりっとして勇ましいさま。『銭注本』『詳注本』には「一作颯颯」とある。
  • 颯爽來 … 『文苑英華』では「颯颯猶」に作り、「集作颯爽來」とある。
  • 爽 … 『全唐詩』には「一作颯」とある。
  • 酣戦 … 戦闘の真っ最中。激戦のさなか。『韓非子』十過篇に「酣戦の時、司馬子反かわきていんを求む」(酣戰之時、司馬子反渇而求飮)とある。ウィキソース「韓非子/十過」参照。
  • 來 … 『全唐詩』『心解本』には「一作猶」とある。『銭注本』には「樊作猶」とある。『唐詩三百首』『草堂詩箋』では「猶」に作る。『詳注本』では「猶」に作り、「樊作猶、一作來」とある。
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  • 驄・同・風・中・空(平声東韻)。
17 先帝天馬玉花驄
先帝せんていてん ぎょくそう
  • 先帝 … 玄宗を指す。
  • 天馬 … すぐれた馬。ここでは大宛(天山山脈中のフェルガナ地方にあった国)地方で産する駿馬を指す。
  • 天 … 『全唐詩』『銭注本』『心解本』には「一作御」とある。『唐詩三百首』『鏡銓本』では「御」に作る。『詳注本』では「御」に作り、「一作天」とある。
  • 玉花驄 … 玄宗の愛馬の名。『明皇雑録』逸文に「しょうの乗る所の馬、ぎょくそう・照夜白有り」(上所乘馬、有玉花驄、照夜白)とある。ウィキソース「明皇雜錄/逸文」参照。また『歴代名画記』巻九に「時主、芸を好み、韓君間に生まる。遂に命じて悉く其の駿を図せしむ。則ち玉花驄・照夜白等有り」(時主好藝、韓君間生。遂命悉圖其駿。則有玉花驄、照夜白等)とある。ウィキソース「歷代名畫記/卷第九」参照。
18 畫工如山貌不同
こうやまごときもかたちおなじからず
  • 画工 … 絵描き。絵師。
  • 如山 … 山ほども大勢いたが。『詩経』鄘風ようふう・君子偕老の詩に「山の如く河の如し、しょうふく是れよろし」(如山如河、象服是宜)とある。象服は、飾りのある法度の服。ウィキソース「詩經/君子偕老」参照。
  • 貌不同 … 描かれた馬の絵が、どれも実物とは似ていない。南朝梁の沈約「四時白紵歌 春白紵」(『楽府詩集』巻五十六・舞曲歌辞)に「ぶるが如く、怨むが如く狀同じからず」(如嬌如怨狀不同)とある。ウィキソース「樂府詩集/056卷」参照。
  • 貌 … 『宋本』『草堂詩箋』では「皃」に作る。異体字。
19 是日牽來赤墀下
きたる せきもと
  • 是日 … この日。その日。ここでは曹霸将軍が活躍した当時を指す。
  • 牽来 … (玉花驄を)引き連れて来た。
  • 赤墀 … 宮殿の階段を上った所の、赤く塗り固めた土間。丹漆たんしつ(赤うるし)で地面を塗ったのでたんともいう。墀は、ぬりづち。南朝梁の劉孝標「弁命篇」(『文選』巻五十四)に「時に赤墀の下に在りて、斯の議をあずかり聞くもの有り、帰りて以て余に告ぐ」(時有在赤墀之下、豫聞斯議、歸以告余)とある。ウィキソース「辯命論」参照。
20 迥立閶闔生長風
はるかにしょうこうてば ちょうふうしょう
  • 迥 … はるか遠くに。はるか彼方に。『全唐詩』『銭注本』『心解本』には「一作敻」とある。『草堂詩箋』『文苑英華』では「廻」に作る。『詳注本』には「郭作迥、一作敻」とある。
  • 閶闔 … もとは天上界の紫微宮にあるという門のこと。ここでは宮中の門をいう。『楚辞』離騒に「われ帝閽ていこんをして関を開かしめんとすれば、しょうこうりてを望む」(吾令帝閽開關兮、倚閶闔而望予)とある。帝閽は、天帝の門番。ウィキソース「楚辭/離騷」参照。また『淮南子』原道訓に「扶揺にさんし、羊角を抱いて上り、山川をけいし、崑崙を蹈騰とうとうし、閶闔をひらき、天門にる」(抮扶搖、抱羊角而上、經紀山川、蹈騰崑崙、排閶闔、淪天門)とある。ウィキソース「淮南子/原道訓」参照。また『三輔黄図』に「(建章)宮の正門を閶闔と曰う」(宮之正門曰閶闔)とある。ウィキソース「三輔黃圖/卷之二」参照。
  • 長風 … 遠くから吹いてくる風。西晋の陸機「前緩声歌」(『文選』巻二十八、『玉台新詠』巻三)に「長風は万里に挙がり、慶雲は鬱として嵯峨たり」(長風萬里舉、慶雲鬱嵯峨)とある。ウィキソース「前緩聲歌」参照。
21 詔謂將軍拂絹素
みことのりしてしょうぐんう けんはらえと
  • 詔謂将軍 … 曹覇将軍に皇帝からみことのりが下り、側近から伝えられた。詔は、天子の命令。
  • 払絹素 … 巻いてあるぎぬを広げて塵を払い、この馬を描け。絹素は、白い絹。絵絹(絵画を描くために使う絹の布)のこと。払は、塵を払うこと。
22 意匠慘澹經營中
しょう惨澹さんたんたり 経営けいえいうち
  • 意匠 … 絵の構図などを工夫すること。
  • 意 … 『全唐詩』には「一作法」とある。
  • 匠 … 『文苑英華』では「匹」に作る。
  • 惨澹 … 心を悩まし、苦労する様子。苦心惨憺。西晋の陸機「文の賦」(『文選』巻十七)に「辞は才をはかりて以ていたし、意はけいつかさどりて匠と為る」(辭程才以效伎、意司契而爲匠)とある。ウィキソース「文賦」参照。
  • 澹 … 『唐詩三百首』『宋本』『銭注本』『文苑英華』『唐詩品彙』『古今詩刪』『唐詩解』『唐宋詩醇』では「淡」に作る。同義。
  • 経営 … 絵の位置や構図などを按排すること。『歴代名画記』巻一、「画の六法を論ず」に「昔、謝赫しゃかく云う、画に六法有り、一にいん生動と曰い、二に骨法用筆、三に応物象形と曰い、四に随類賦彩と曰い、五に経営位置と曰い、六にでん移写と曰う。古より画人の能く之を兼ぬるはまれなり」(昔謝赫云、畫有六法、一曰氣韻生動、二曰骨法用筆、三曰應物象形、四曰隨類賦彩、五曰經營位置、六曰傳模移寫。自古畫人罕能兼之)とある。ウィキソース「歷代名畫記/卷第一」参照。
23 斯須九重眞龍出
しゅにして九重きゅうちょうしんりょう
  • 斯須 … しばらく。ひと時。暫時。しゅに同じ。『孟子』告子上篇に「斯須の敬は郷人に在り」(斯須之敬在郷人)とある。ウィキソース「孟子/告子上」参照。『唐詩三百首』『詳注本』『心解本』『鏡銓本』では「須臾」に作る。
  • 九重 … 宮廷・宮中を指す。宮殿の門を九つ重ねて作ってあることから。『楚辞』の「九弁」に「君の門九重を以てす」(君之門以九重)とある。ウィキソース「楚辭/九辯」参照。
  • 真竜 … 真の竜馬。すぐれた馬。駿馬。『周礼』夏官に「馬八尺以上を竜と為し、七尺以上をらいと為し、六尺以上を馬と為す」(馬八尺以上爲龍、七尺以上爲騋、六尺以上爲馬)とある。ウィキソース「周禮/夏官司馬」参照。また王充『論衡』乱竜篇に「楚のしょうこうは竜を好み、牆壁・ばんみなりゅうえがけり。必ず象類を以て真の若しと為さば、是れ則ち葉公の国、常に雨有るなり」(楚葉公好龍、牆壁盤盂皆畫龍。必以象類爲若眞、是則葉公之國、常有雨也)とある。ウィキソース「論衡/47」参照。
24 一洗萬古凡馬空
ばんぼん一洗いっせんしてむな
  • 万古 … 昔から今に至るまでの。
  • 凡馬 … 平凡な馬。『抱朴子』外篇に「彼の凡馬ようと、と実に一類、此れは飾を以て貴く、彼は質を以て賤し」(與彼凡馬野鷹、本實一類、此以飾貴、彼以質賤)とある。ウィキソース「抱朴子/外篇/卷03」参照。
  • 凡 … 『文苑英華』では「凢」に作る。異体字。
  • 一洗 … すっかり洗い流すこと。一掃に同じ。
  • 空 … 何もなくなること。
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  • 上・向・悵・相・喪(去声漾韻)。
25 玉花卻在御榻上
ぎょくかえって御榻ぎょとううえ
  • 玉花 … 玄宗皇帝の愛馬、玉花驄のこと。上記の注釈参照。
  • 却 … かえって。予期に反して。なんと。
  • 御榻 … 天子の腰かけ。天子の長椅子。『釈名』釈床帳篇に「人、坐臥する所を牀と曰う。牀は装なり。みずから装載する所以なり。長く狭くして卑しきを榻と曰う」(人所坐臥曰牀。牀裝也。所以自裝載也。長狹而卑曰榻)とある。ウィキソース「釋名/卷六」参照。
26 榻上庭前屹相向
とうじょう庭前ていぜん きつとしてあいむか
  • 榻上 … 長椅子の上(の馬)。
  • 庭前 … 庭先(の馬)。
  • 屹 … 高く動かずに立つさま。ここでは、すっくと立つさま。
  • 相向 … 向かい合っている。
27 至尊含笑催賜金
そんみをふくんできんたまうをうなが
  • 至尊 … 天子。ここでは玄宗皇帝を指す。『春秋穀梁伝』定公元年に「君は至尊なり」(君至尊也)とある。ウィキソース「春秋穀梁傳註疏/卷19」参照。また『荀子』正論篇に「天子なる者は、せい至尊にして、天下に敵無し、夫れまた誰とともに譲らん」(天子者、埶位至尊、無敵於天下、夫有誰與讓矣)とある。ウィキソース「荀子/正論篇」参照。また賈誼「過秦論」(『新書』巻一、『史記』秦始皇本紀、『文選』巻五十一)に「至尊をみて六合を制す」(履至尊而制六合)とある。ウィキソース「過秦論/上」「史記/卷006」参照。
  • 含笑 … 笑みを浮かべて。
  • 催賜金 … 速やかに褒美の黄金を取らせよと催促された。
28 圉人太僕皆惆悵
圉人ぎょじん太僕たいぼく みな惆悵ちゅうちょうたり
  • 圉人 … 馬の飼育をつかさどる役人。『周礼』夏官に「圉人は、馬を養い芻牧するの事を掌って、以て圉師に役せらる」(圉人、掌養馬芻牧之事、以役圉師)とある。芻牧は、牛馬などを飼うこと。ウィキソース「周禮/夏官司馬」参照。
  • 太僕 … 朝廷の車馬や牧畜をつかさどる役人。『漢書』百官表に「太僕は、秦の官。輿馬よばを掌る」(太僕、秦官。掌輿馬)とある。輿馬は、車と、それをひく馬。ウィキソース「漢書/卷019」参照。
  • 惆悵 … 嘆き悲しむこと。傷み悲しむこと。後漢の秦嘉「婦に贈る詩三首 其二」(『玉台新詠』巻一)に「路に臨みて惆悵を懐き、あたりて正にてきちょくす」(臨路懷惆悵、中駕正躑躅)とある。躑躅は、行っては止まり、行っては止まって進まないこと。ウィキソース「贈婦詩」参照。
29 弟子韓幹早入室
てい韓幹かんかん はやしつ
  • 弟子 … 弟子でし。門弟。
  • 韓幹 … 706?~783。盛唐の画家。大梁(河南省開封市)、または藍田県(陝西省西安市)の人。曹覇に師事した。馬の絵を最も得意とした。ウィキペディア【韓幹】参照。『歴代名画記』巻九に「韓幹は大梁の人なり。王右丞維は其の画を見て、遂に之を推奨す。官は太府寺丞に至る。写貌・人物を善くす。尤も鞍馬にたくみなり。初め曹霸を師とし、後自ら独りほしいままにす」(韓幹大梁人。王右丞維見其畫、遂推獎之。官至太府寺丞。善寫貌人物。尤工鞍馬。初師曹霸、後自獨擅)とある。ウィキソース「歷代名畫記/卷第九」参照。
  • 入室 … 学問・芸術の奥義に達すること。室は、一番奥の部屋。『論語』先進篇14に「由や堂にのぼれり、未だ室に入らざるなり」(由也升堂矣、未入於室也)とあるのに基づく。ウィキソース「論語/先進第十一」参照。また『揚子法言』吾子篇に「し孔子の門に賦を用うるならば、則ち賈誼は堂をのぼり、しょうじょは室に入らん」(如孔子之門用賦也、則賈誼升堂、相如入室矣)とある。ウィキソース「法言/02」参照。
30 亦能畫馬窮殊相
うまえがいて殊相しゅそう きわ
  • 亦能画馬 … また上手に馬を描いて。
  • 殊相 … 他と変わってすぐれた姿。南朝宋の顔延之「しゃはくの賦」(『文選』巻十四)に「異体峰生し、殊相逸発す」(異體峰生、殊相逸發)とある。ウィキソース「赭白馬賦」参照。
  • 相 … 『全唐詩』『銭注本』には「一作狀」とある。『詳注本』には「英華作狀」とある。『文苑英華』では「狀」に作り、「集作相」とある。
31 幹惟畫肉不畫骨
かんにくえがいてほねえがかず
  • 幹 … 韓幹。
  • 惟 … ただ。『宋本』『九家集注本』『杜陵詩史』『分門集注本』『文苑英華』では「唯」に作る。同義。
  • 画肉不画骨 … 馬の肉を描くことはできたが、馬の骨までは描くことができなかった。肉は、体付き。骨は、からだの骨組み。韓幹の描いた馬は肥えて大きかったので、「肉を画く」と悪口を言われたという。『歴代名画記』巻九に「だ幹の馬の肥大なるを以て、遂に肉を画くのそしり有り」(徒以幹馬肥大、遂有畫肉之誚)とある。ウィキソース「歷代名畫記/卷第九」参照。
32 忍使驊騮氣凋喪
しのんでりゅうをしてちょうそうせしむ
  • 忍 … むざんにも。また「~に忍びんや」と読み、「~させるのに忍びない」と反語に訳してもよい。
  • 驊騮 … 周の穆王が持っていた八匹の駿馬のうちの一つ。『荀子』性悪篇に「驊騮・騹驥りきせんりょくは、此れ皆いにしえの良馬なり」(驊騮騹驥纖離綠耳、此皆古之良馬也)とある。ウィキソース「荀子/性惡篇」参照。また『穆天子伝』巻四に「右服は騮にして左は緑耳、右驂は亦蘎にして左は白なり」(右服騮而左綠耳、右驂亦蘎而左白)とある。の異体字は驊。ウィキソース「穆天子傳/卷四」参照。また『穆天子伝』巻一の郭璞の注に「(驊騮は)色華の如くにして赤し」(色如華而赤)とある。ウィキソース「穆天子傳/卷一」参照。
  • 凋喪 … 元気がなくなる。意気消沈する。西晋の陸機「門有車馬客行」(『文選』巻二十八、『楽府詩集』巻四十・相和歌辞)に「親友は多くは零落し、旧歯は皆彫喪す」(親友多零落、舊齒皆彫喪)とある。ウィキソース「昭明文選/卷28」「樂府詩集/040卷」参照。
5
  • 神・眞・人・貧・身(平声真韻)。
33 將軍善畫蓋有神
しょうぐんきはけだしんればなり
  • 将軍善画 … 将軍の絵が素晴らしいのは。
  • 善畫 … 『鏡銓本』には「一作盡善」とある。
  • 善 … 『全唐詩』『銭注本』『詳注本』では「畫」に作り、「一作盡」とある。『草堂詩箋』『心解本』『文苑英華』『唐宋詩醇』では「畫」に作る。『宋本』『九家集注本』『杜陵詩史』『分門集注本』『唐詩別裁集』では「盡」に作る。
  • 畫 … 『全唐詩』『詳注本』では「善」に作り、「一作妙、一作善畫」とある。『銭注本』『心解本』でも「善」に作り、「一作妙」とある。『宋本』『九家集注本』『杜陵詩史』『分門集注本』『草堂詩箋』『文苑英華』『唐詩別裁集』『唐宋詩醇』では「善」に作る。
  • 蓋 … 「~はけだし…」と読み、「~は要するに…」「~はつまり…である」と訳す。後節の文頭におかれ、前節の理由・原因を説明する。
  • 有神 … 神霊が乗り移ったかのようである。
34 必逢佳士亦寫眞
かなら佳士かしわばしんうつさん
  • 必 … 『全唐詩』『銭注本』には「一作偶」とある。『唐詩三百首』『鏡銓本』では「偶」に作る。『詳注本』『心解本』では「偶」に作り、「一作必」とある。
  • 佳士 … 立派な人物。
  • 写真 … 真の姿を描き出すだろう。真は、もと肖像画の意。梁の簡文帝「美人画を観るを詠ず」(『玉台新詠』巻七)に「憐れむ可し倶に是れ画、誰か能く偽真を弁ぜん」(可憐俱是畫、誰能辨僞眞)とある。ウィキソース「詠美人觀畫 (蕭綱)」参照。また『顔氏家訓』雑芸篇に「武烈太子はひとえに能く真を写す」(武烈太子偏能寫眞)とある。ウィキソース「顏氏家訓/卷第7」参照。
35 卽今飄泊干戈際
即今そっこんひょうはくす かんさい
  • 即今 … しかし今は。
  • 飄泊 … さまよい歩く。さすらう。流浪すること。
  • 干戈 … 戦争。戦闘。戦乱。「たて」と「ほこ」の意から。ここでは安史の乱を指す。『史記』五帝本紀に「ここいて軒轅けんえんすなわかんもちうることをならい、もっきょうせいす」(於是軒轅乃習用干戈、以征不享)とある。ウィキソース「史記/卷001」参照。
  • 際 … その時。折。時世。
36 屢貌尋常行路人
屢〻しばしばえがく じんじょうこうひと
  • 屢 … しばしば。たびたび。何度も。
  • 貌 … 肖像を描く。『宋本』『草堂詩箋』では「皃」に作る。異体字。
  • 尋常 … ごく普通の。ありふれた。
  • 行路人 … 行きずりの人。蘇武「詩四首 其一」(『文選』巻二十九)に「四海皆兄弟けいてい、誰か行路の人と為さん」(四海皆兄弟、誰爲行路人)とある。ウィキソース「昭明文選/卷29」参照。
37 途窮反遭俗眼白
みちきわまってかえって俗眼ぞくがんしろきに
  • 途窮 … 人生の方策が行き詰まること。『晋書』阮籍伝に「時にそつ独り駕し、径路に由らず。車跡の窮まる所、すなわち慟哭してかえる」(時率意獨駕、不由徑路。車跡所窮、輒慟哭而反)とある。ウィキソース「晉書/卷049」参照。また顔延之「五君の詠五首 其一 阮歩兵」(『文選』巻二十一)に「物りては論ず可からず、途窮まりて能くどうする無からんや」(物故不可論、途窮能無慟)とある。ウィキソース「五君詠 (顏延之)」参照。
  • 反 … 逆に。『宋本』『九家集注本』『杜陵詩史』『分門集注本』『草堂詩箋』『文苑英華』では「返」に作る。同義。
  • 遭俗眼白 … (曹覇将軍が)世俗の人々から白眼視された。世の俗物どもから軽蔑された。魏の阮籍が気に入らない客に対しては白眼で、親友に対しては青眼で応対したという故事に基づく。『晋書』阮籍伝に「籍は又能く青白眼を為す。礼俗の士を見れば、白眼を以て之に対す。けい来たり弔するに及び、籍白眼を作す。喜よろこばずして退く。喜の弟康之を聞き、乃ち酒をもたらし琴を挟みていたる。籍大いに悦び、乃ち青眼をあらわす。是れに由って礼法の士、之をにくむことかたきの若し。而して帝つねに之を保護す」(籍又能爲靑白眼。見禮俗之士、以白眼對之。及嵇喜來弔、籍作白眼。喜不懌而退。喜弟康聞之、乃齎酒挾琴造焉。籍大悅、乃見靑眼。由是禮法之士、疾之若讎。而帝毎保護之)とある。ウィキソース「晉書/卷049」参照。
38 世上未有如公貧
じょういまこうごとまずしきはらず
  • 世上未有如公貧 … 『全唐詩』には「一作他富至今我徒貧」とある。『銭注本』『詳注本』にも「英華作他富至今我徒貧」とある。『文苑英華』には「一作他富至今吾徒貧」とある。
  • 世上 … 世の中。世間。『古今詩刪』では「世世」に作る。
  • 世 … 『宋本』『杜陵詩史』『分門集注本』『草堂詩箋』では「丗」に作る。異体字。
  • 未有如公貧 … あなたほど貧乏な人はいない。
39 但看古來盛名下
よ らい盛名せいめいもと
  • 但看 … だが見たまえ。
  • 古来 … 昔から。
  • 盛名下 … 高い名声を持つ人は。『後漢書』黄瓊こうけい伝に「盛名の下には、其の実い難し」(盛名之下、其實難副)とある。ウィキソース「後漢書/卷61」参照。
40 終日坎壈纏其身
しゅうじつ 坎壈かんらん まとうを
  • 終日 … ここでは一日中ではなく、一生涯。
  • 坎壈 … 落ちぶれて不遇なさま。『楚辞』の「九弁」に「坎廩かんらんたり、貧士職を失いてこころざし平らかならず」(坎廩兮、貧士失職而志不平)とある。廩は壈と同義。ウィキソース「九辯」参照。また「九歎」の「怨思」に「志坎壈かんらんなれどもたがわず」(志坎壈而不違)とある。ウィキソース「九歎」参照。
  • 纏其身 … その身にまつわりつくものだということを。纏は、まつわりつく。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻二(『漢文大系 第二巻』冨山房、1910年)
  • 『唐詩三百首注疏』巻二(廣文書局、1980年)
  • 『全唐詩』巻二百二十(揚州詩局本縮印、上海古籍出版社、1985年)
  • 『宋本杜工部集』巻四(影印本、台湾学生書局、1967年)
  • 『九家集注杜詩』巻八(『哈佛燕京學社引得特刊 14 杜詩引得』第二冊、1966年)
  • 『杜陵詩史』巻十八(王状元集注、『杜詩又叢』所収、中文出版社、1977年)
  • 『分門集注杜工部詩』巻十六(『四部叢刊 初編集部』所収)
  • 『草堂詩箋』巻二十(蔡夢弼注、『古逸叢書(中)』所収、江蘇廣陵古籍刻印社、1997年)
  • 『銭注杜詩』巻五(銭謙益箋注、上海古籍出版社、1979年)
  • 『杜詩詳注』巻十三(仇兆鰲注、中華書局、1979年)
  • 『読杜心解』巻二之二(浦起龍著、中華書局、1961年)
  • 『杜詩鏡銓』巻十一(楊倫箋注、上海古籍出版社、1980年)
  • 『文苑英華』巻三百三十九(影印本、中華書局、1966年)
  • 『唐詩品彙』巻二十八(汪宗尼本影印、上海古籍出版社、1981年)
  • 『唐詩別裁集』巻七(乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
  • 『古今詩刪』巻十二(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、11頁)
  • 『唐詩解』巻十五(清順治十六年刊、内閣文庫蔵)
  • 『唐宋詩醇』巻十一(乾隆二十五年重刊、紫陽書院、内閣文庫蔵)
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初唐 盛唐
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唐詩選
巻一 五言古詩 巻二 七言古詩
巻三 五言律詩 巻四 五言排律
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詩人別
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