述而第七 18 葉公問孔子於子路章
165(07-18)
葉公問孔子於子路。子路不對。子曰、女奚不曰、其爲人也、發憤忘食、樂以忘憂、不知老之將至云爾。
葉公問孔子於子路。子路不對。子曰、女奚不曰、其爲人也、發憤忘食、樂以忘憂、不知老之將至云爾。
葉公、孔子を子路に問う。子路対えず。子曰く、女奚ぞ曰わざる、其の人と為りや、憤りを発して食を忘れ、楽しみて以て憂いを忘れ、老いの将に至らんとするを知らずと爾云う、と。
現代語訳
- 葉(知事)さまが孔先生のことを子路にきく。子路はだまっていた。先生 ――「なぜいわなかった ―― 『あの人ときたら、意気ごむと食事もわすれ、おもしろくて心配もわすれ、年をとるのも気がつかないしまつです。』と。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 葉公が孔子様の人物を子路にたずねたところ、子路は何と言葉にあらわしてよいかわからなかったとみえて、返事をしなかった。孔子様がそれを聞いておっしゃるよう、「お前はなぜこう言わなかったのか。私の師匠はうまれつき学問がすきでござりまして、学理を了解し得ないときは発憤して食事も忘れるほどにその研究思索に熱中し、真理を会得すると心から喜び楽しんで心配事も忘れてしまいまする。かく勉学修養に一身を打ち込んで寄る年波にも気がつきません。まずはさような人物でござりますると。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 葉公が先師のことを子路にたずねた。子路はこたえなかった。先師はそのことを知って、子路にいわれた。――
「おまえはなぜこういわなかったのか。学問に熱中して食事を忘れ、道を楽しんで憂いを忘れ、そろそろ老境にはいろうとするのも知らないような人がらでございます、と」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
- 葉公 … 春秋時代、楚の重臣。姓は沈、名は諸梁、字は子高。「葉」は、人名・地名のときは「しょう」と読む。
- 子路 … 前542~前480。姓は仲、名は由。字は子路、または季路。魯の卞の人。孔門十哲のひとり。孔子より九歳年下。門人中最年長者。政治的才能があり、また正義感が強く武勇にも優れていた。ウィキペディア【子路】参照。
- 対 … 目上の人にていねいに答えるときに用いる。
- 女 … おまえ。「汝」に同じ。
- 奚不 … 「なんぞ~せざる」と読み、「どうして~しないのか」と訳す。
- 其為人也 … 「そのひととなりや」と読み、「その人柄は」と訳す。「其」は孔子を指す。「為人」は「ひととなり」と読む。「也」は「や」と読み、「~は」と訳す。
- 発憤 … 心を奮い起こして励むこと。「憤」は、怒りの意ではない。吉川幸次郎は「人間の将来を憂えての心情の興奮がおこる」と解釈している(『論語 上』朝日選書)。
- 楽 … 自らの楽しみとするものを楽しむ。
- 以 … ここでは返読しない。「もって」と読み、「そうして」と訳す。
- 忘憂 … 心配事も忘れてしまう。
- 不知 … 気にかけない。
- 老之将至 … 老いが今にもやってこようとしていること。「老之」は「おいの」と読む。「将」は再読文字。「まさに~せんとす」と読み、「やがて~になろうとする」「いまにも~しそうである」と訳す。
- 云爾 … 「~のみ」「しかいう」と読み、「~というわけである」と訳す。
補説
- 『注疏』に「此の章は孔子の人と為りを記するなり」(此章記孔子之爲人也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 葉公問孔子於子路 … 『集解』に引く孔安国の注に「葉公の名は諸梁、楚の大夫なり。菜を葉に食み、公を僭称す」(葉公名諸梁、楚大夫也。食菜於葉、僭稱公)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「葉公は、楚の臣なり。葉を食采す。楚は王を僭称す。故に臣も公と称し、自ら諸侯に比するなり。子路に問うに孔子を論ずるの事を以てするなり。但だ問う所何事なるかを知らざるなり」(葉公、楚臣也。食采於葉。楚僭稱王。故臣稱公、自比諸侯也。問子路以論孔子之事也。但不知所問何事也)とある。食采は、領地とすること。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「葉公の名は諸梁、楚の大夫なり。菜を葉に食み、公を僭称す。孔子の人と為り・志行を子路に問う」(葉公名諸梁、楚大夫。食菜於葉、僭稱公。問孔子爲人志行於子路)とある。また『集注』に「葉公は、楚の葉県の尹、沈諸梁、字は子高、僭して公と称す」(葉公、楚葉縣尹、沈諸梁、字子高、僭稱公也)とある。尹は、長官。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 子路 … 『孔子家語』七十二弟子解に「仲由は卞人、字は子路。一の字は季路。孔子より少きこと九歳。勇力才芸有り。政事を以て名を著す。人と為り果烈にして剛直。性、鄙にして変通に達せず。衛に仕えて大夫と為る。蒯聵と其の子輒と国を争うに遇う。子路遂に輒の難に死す。孔子之を痛む。曰く、吾、由有りてより、悪言耳に入らず、と」(仲由卞人、字子路。一字季路。少孔子九歳。有勇力才藝。以政事著名。爲人果烈而剛直。性鄙而不達於變通。仕衞爲大夫。遇蒯聵與其子輒爭國。子路遂死輒難。孔子痛之。曰、自吾有由、而惡言不入於耳)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「仲由、字は子路、卞の人なり。孔子よりも少きこと九歳。子路性鄙しく、勇力を好み、志伉直にして、雄鶏を冠し、豭豚を佩び、孔子を陵暴す。孔子、礼を設け、稍く子路を誘う。子路、後に儒服して質を委し、門人に因りて弟子たるを請う」(仲由字子路、卞人也。少孔子九歳。子路性鄙、好勇力、志伉直、冠雄鷄、佩豭豚、陵暴孔子。孔子設禮、稍誘子路。子路後儒服委質、因門人請爲弟子)とある。伉直は、心が強くて素直なこと。豭豚は、オスの豚の皮を剣の飾りにしたもの。委質は、はじめて仕官すること。ここでは孔子に弟子入りすること。ウィキソース「史記/卷067」参照。
- 子路不対 … 『集解』に引く孔安国の注に「対えずとは、未だ答うる所以を知らざるなり」(不對者、未知所以答也)とある。また『義疏』に「問う所の事、当に孔子の徳に乖くべし。故に子路は之に対えざるなり、故に江熙曰く、葉公、夫子に見えんとして数〻応聘すれども遇わず。尚お其の問いの近なるを以て、故に答えざるなり、と。李充曰く、凡そ諸聖師を弟子に問う者を観るに、道を諮うや、則ち称して之を近づく、徳を誣うるや、必ず揚げて之を抑う、未だ黙然として答えざる者有らざるなり。疑うらくは葉公之を問いて、必ず将に之を致して政を為さしめんと欲せんとす。子路夫子の屈す可からざることを知る、故に未だ其の説を許さざるのみ、と」(所問之事、當乖孔子之德。故子路不對之也、故江熙曰、葉公見夫子數應聘而不遇。尚以其問近、故不答也。李充曰、凡觀諸問聖師於弟子者、諮道也、則稱而近之、誣德也、必揚而抑之、未有默然而不答者也。疑葉公問之、必將欲致之爲政。子路知夫子之不可屈、故未許其説耳)とある。応聘は、招聘に応ずること。また『注疏』に「子路は未だ答うる所以を知らず、故に対えず」(子路未知所以答、故不對)とある。また『集注』に「葉公は孔子を知らず。必ず問う所に非ずして問う者有らん。故に子路対えず。抑〻亦た聖人の徳、実に未だ名言し易からざる者有るを以てせしか」(葉公不知孔子。必有非所問而問者。故子路不對。抑亦以聖人之德、實有未易名言者與)とある。
- 子曰、女奚不曰、其為人也、発憤忘食、楽以忘憂、不知老之将至云爾 … 『義疏』に「孔子は子路対えざるを聞く。故に此の言を以て子路に語ぐるなり。奚は、何なり。其は、孔子を其とするなり。孔子は世道の行われざるを慨くを謂う。故に憤りを発して飡食を忘るるなり。又た水を飲み肱を曲ぐるも楽しみ其の中に在り。貧賤の憂いを忘るるなり。又た年耆朽すと雖も、而れども天を信じ命に任じ、老いの将に至らんとするを知らざるなり。言うこころは葉公汝に問う。汝何ぞ我此くの如きの徳有ることを曰わざるのみ、以て之に示すなり。然らば此の諸語は当に是れ葉公を斥くべきなり。李充曰く、夫子乃ち儒業を抗論し、大いに其の志を明らかにして、此くの如きの徒をして、望みを覬覦に絶せしむ。亦た弘にして広めざらんや、と。江熙曰く、葉公は唯だ政を執るの貴きことを知りて、天下に復た勝遠有ることを識らず、故に子路をして素業を抗明して、時に嫌うこと無くして、清波を以て彼の穢心を濯ぐことを得しめんと欲するなり、と」(孔子聞子路不對。故以此言語子路也。奚、何也。其、其孔子也。謂孔子慨世道之不行。故發憤而忘於飡食也。又飮水曲肱樂在其中。忘於貧賤之憂也。又年雖耆朽、而信天任命、不知老之將至也。言葉公問汝。汝何不曰我有如此之德云爾、以示之也。然此諸語當是斥於葉公也。李充曰、夫子乃抗論儒業、大明其志、使如此之徒、絶望於覬覦。不亦弘而廣乎。江熙曰、葉公唯知執政之貴、不識天下復有勝遠、故欲令子路抗明素業、無嫌於時、得以清波濯彼穢心也)とある。覬覦は、身分不相応なことを望むこと。また『注疏』に「孔子子路の答うること能わざるを聞き、故に之に教う。奚は、何なり。言うこころは女何ぞ曰わざる、其れ孔子の人と為りや、憤りを発し学を嗜みて食を忘れ、道を楽しみて以て憂いを忘れ、老いの将に至らんとするを覚らずと爾云う」(孔子聞子路不能答、故教之。奚、何也。言女何不曰、其孔子之爲人也、發憤嗜學而忘食、樂道以忘憂、不覺老之將至云爾乎)とある。また『集注』に「未だ得ざれば、則ち憤を発して食を忘れ、已に得れば、則ち之を楽しみて憂を忘る。是の二者を以て、俛焉として日〻孳孳すること有りて、年数の足らざるを知らず。但だ自ら其の学を好むの篤きを言うのみ。然れども深く之を味わえば、則ち其の全体至極にして、純にして亦た已まざるの妙、聖人に非ざれば及ぶ能わざる者有るを見る。蓋し凡そ夫子の自ら言うは、類ね此くの如し。学者宜しく思いを致すべし」(未得、則發憤而忘食、已得、則樂之而忘憂。以是二者、俛焉日有孳孳、而不知年數之不足。但自言其好學之篤耳。然深味之、則見其全體至極、純亦不已之妙、有非聖人不能及者。蓋凡夫子之自言、類如此。學者宜致思焉)とある。俛焉は、無理をして努力するさま。孳孳は、休みなく努めるさま。
- 云爾 … 『義疏』では「也云爾」に作る。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「道の窮まり無くして得難きを知る、故に憤りを発す。道の安んず可くして佗に求むる所無きを知る、故に楽しむ。憤りを発す、故に愈〻力む。楽しむ、故に倦まず。此れ食と憂いとを忘れて、老いの将に至らんとするを知らざる所以なり」(知道之無窮而難得、故發憤。知道之可安而佗無所求、故樂。發憤故愈力。樂故不倦。此所以忘食與憂、而不知老之將至也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』に「表記に、小雅に曰く、高山は仰ぎ、景行は行く、と。子曰く、詩の仁を好むこと此くの如し。道に郷いて行く。中道にして廃む。身の老ゆるを忘るるなり。年数の足らざることを知らざるなり。俛焉として日〻孳孳たること有り、斃れて后に已む、と。正に此れと相発す。知命の言なり」(表記、小雅曰、高山仰止、景行行止。子曰、詩之好仁如此。郷道而行。中道而廢。忘身之老也。不知年數之不足也。俛焉日有孳孳、斃而后已。正與此相發。知命之言也)とある。止は、助辞。句末にそえる。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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