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韋諷録事宅観曹将軍画馬図引(杜甫)

韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖引
ふうろくたくにてそうしょうぐんうまえがいん
杜甫とほ
  • 七言古詩。
  • ウィキソース「韋諷錄事宅觀曹將軍畫馬圖」参照。
  • 詩題 … 『唐詩三百首』『宋本』『九家集注本』『草堂詩箋補遺』『銭注本』『唐詩別裁集』『唐宋詩醇』には「引」の字はない。『全唐詩』にも「引」の字はなく、題下に「一本下に歌の字有り、一本引の字有り」(一本下有歌字、一本有引字)とある。『心解本』にも「引」の字はなく、題下に「一有歌字」とある。『詳注本』では「……畫馬圖歌」に作り、題下に「一本歌の字無し、黄鶴引に作る、今英華に従う」(一本無歌字、黄鶴作引、今從英華)とある。『鏡銓本』でも「……畫馬圖歌」に作り、題下に「一本無歌字」とある。『文苑英華』でも「……畫馬圖歌」に作り、題下に「集作引」とある。
  • 韋諷 … 人物については不明。
  • 録事 … 官名。録事参軍の略。地方官庁の事務官。杜甫には他に「韋諷がろう州の録事参軍に上るを送る」(送韋諷上閬州錄事參軍)という詩があるので、韋諷は閬州(四川省北東部)の録事であったことがわかる。ウィキソース「全唐詩/卷220」参照。
  • 宅 … 自宅。居宅。
  • 曹将軍 … そう(約694~?)将軍のこと。魏の武帝曹操の曾孫曹髦そうぼうの末裔に当たる。絵の名手で、たびたびみことのりを受けて御馬や功臣を描いたという。『歴代名画記』巻九に「曹覇は、魏の曹髦ののちなり。髦の画は後代に称せらる。覇は開元中に在りて已に名を得たり。天宝の末、つねみことのりして御馬及び功臣を画かしむ。官は左武衛将軍に至る」(曹霸、魏曹髦之後。髦畫稱于後代。霸在開元中已得名。天寶末、每詔畫御馬及功臣。官至左武衛將軍)とある。ウィキソース「歷代名畫記/卷第九」参照。ウィキペディア【曹霸】(中文)参照。
  • 画馬図 … 「九馬図」を指す。
  • 引 … 「歌」「曲」の意。
  • この詩は、作者が閬州(四川省北東部)の録事であった韋諷の居宅を訪れ、曹覇将軍の描いた「九馬図」を見ながら詠んだもの。広徳二年(764)、五十三歳の作。
  • 杜甫 … 712~770。盛唐の詩人。じょうよう(湖北省)の人。あざな子美しび。祖父は初唐の詩人、杜審言。若い頃、科挙を受験したが及第できず、各地を放浪して李白らと親交を結んだ。安史の乱では賊軍に捕らえられたが、やがて脱出し、新帝しゅくそうのもとで左拾遺に任じられた。その翌年左遷されたため官を捨てた。四十八歳の時、成都(四川省成都市)の近くのかんけいに草堂を建てて四年ほど過ごしたが、再び各地を転々とし一生を終えた。中国最高の詩人として「詩聖」と呼ばれ、李白とともに「李杜りと」と並称される。『杜工部集』がある。ウィキペディア【杜甫】参照。
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  • 王・黄(平声陽韻)。
01 國初已來畫鞍馬
国初こくしょらい あんえが
  • 国初已来 … 唐の建国の初め以来。武徳元年(618)から広徳二年(764)までを指す。
  • 已 … 『唐詩選』『唐詩品彙』『古今詩刪』では「以」に作る。
  • 鞍馬 … くらをつけた馬。ここでは、単に馬の意。
02神妙獨數江都王
しんみょうひとかぞう こうおう
  • 神妙 … 神わざのような見事さ。西晋の左思「呉都の賦」(『文選』巻五)に「まことに神妙の響象きょうしょうなり、ああ覼縷らるがたし」(斯實神妙之響象、嗟難得而覼縷)とある。覼縷は、仔細に見極めること。ウィキソース「吳都賦」参照。
  • 妙 … 『唐詩別裁集』では「玅」に作る。異体字。
  • 独数 … ただひとり数えられる。ただひとり讃えられる。
  • 江都王 … 霍王かくおう元軌の子で、唐の高祖李淵の孫、太宗李世民の甥にあたるしょのこと。高宗の上元年間(674~676)に江都王に封ぜられた。『歴代名画記』巻十に「江都王のしょは、霍王元軌の子、太宗皇帝の猶子なり。才芸多く、書画を善くし、鞍馬は名をほしいままにす。すいきょう中(685~688)、官は金州の刺史に至る」(江都王緒、霍王元軌之子、太宗皇帝猶子也。多才藝、善書畫、鞍馬擅名。垂拱中、官至金州刺史)とある。猶子は甥。ウィキソース「歷代名畫記/卷第十」参照。
03 將軍得名三十載
しょうぐん ること三十載さんじっさい
  • 将軍 … 曹覇将軍を指す。
  • 得名 … 絵の名人としての名声を得る。
  • 三十載 … 三十年。載は、年に同じ。
  • 三 … 『全唐詩』『心解本』『鏡銓本』には「一作四」とある。『銭注本』『詳注本』には「樊作四」とある。
04 人閒又見眞乘黃
人間じんかんまたる しんじょうこう
  • 人間 … 「じんかん」と読む。人が住む世。世間。俗世間。李白の「山中問答」に「とうりゅうすい窅然ようぜんとしてる、べつてん人間じんかんあらざるり」(桃花流水窅然去、別有天地非人間)とある。ウィキソース「山中問荅」参照。
  • 又見 … 再び見ることができた。
  • 又 … 『詳注本』には「英華作不」とある。『文苑英華』では「不」に作り、「作入」とある。
  • 真 … まことの。本物の。
  • 乗黄 … 舜帝の時の神馬(霊妙な馬)の名。狐に似て、背に二つのつのがあり、これに乗れば二千歳の寿命を得るという。『管子』小匡篇に「地、乗黄をいだす」(地出乘黃)とあり、その注に「乗黄とは、神馬なり」(乘黃、神馬也)とある。ウィキソース「管子 (四庫全書本)/卷08」参照。また『竹書紀年』帝舜元年の条に「地、乗黄の馬をいだす」(地出乗黃之馬)とある。ウィキソース「竹書紀年 (四部叢刊本)/卷上」参照。また『山海経』海外西経に「白民の国、竜魚の北に在り。白身にして披髪す。乗黄有り。其のかたちは狐の如く、其の背上につの有り。之に乗れば寿よわい二千歳なり」(白民之國、在龍魚北。白身披髮。有乘黃。其狀如狐、其背上有角。乘之壽二千歲)とある。ウィキソース「山海經/海外西經」参照。
2
  • 白・索(入声陌韻)、靂(入声錫韻)通押。
05 曾貌先帝照夜白
かつ先帝せんていしょうはくえがくに
  • 曾 … 「かつて」と読み、「かつて」「以前」と訳す。
  • 先帝 … 唐の第六代皇帝玄宗を指す。在位712~756。はじめは善政を行なったが、晩年は楊貴妃を寵愛し、政治を怠った。ウィキペディア【玄宗 (唐)】参照
  • 照夜白 … 玄宗の愛した白馬の名。ウィキペディア【照夜白圖】(中文)参照。『明皇雑録』逸文に「しょうの乗る所の馬、ぎょくそう・照夜白有り」(上所乘馬、有玉花驄、照夜白)とある。ウィキソース「明皇雜錄/逸文」参照。また『歴代名画記』巻九に「時主、芸を好み、韓君間に生まる。遂に命じて悉く其の駿を図せしむ。則ち玉花驄・照夜白等有り」(時主好藝、韓君間生。遂命悉圖其駿。則有玉花驄、照夜白等)とある。ウィキソース「歷代名畫記/卷第九」参照。また『画鑑』に「人馬図。紅衣ぜん奚官けいかん、玉面せいき、緑衣の閹官えんかん、照夜白を牽く」(人馬圖。紅衣美髯奚官、牽玉面騂、緑衣閹官、牽照夜白)とある。美髯は、見事なほおひげ。奚官は、召使。閹官は、宦官。ウィキソース「畫鑒 (四庫全書本)」参照。
  • 貌 … 肖像を描く。形を似せて書き写すこと。『宋本』では欠字となっている。
06 龍池十日飛霹靂
りょうじゅうじつ 霹靂へきれき
  • 竜池 … 長安興慶宮内にあった池の名。『長安志』に「常に雲気有り。或いは黄竜の其の中より出ずるを見る。……之を竜池と謂う」(常有雲氣。或見黄龍出其中。……謂之龍池)とある。ウィキソース「長安志 (四庫全書本)/卷09」参照。また『唐会要』興慶宮の条に「宅内に竜池の湧出する有り」(宅內有龍池湧出)とある。ウィキソース「唐會要/卷030」参照。
  • 十日 … 十日間。
  • 霹靂 … 激しい雷鳴。畳韻語。『爾雅』釈天篇に「疾雷を霆霓ていげいと為す」(疾雷爲霆霓)とあり、その注に「雷の急に撃つ者を霹靂と謂う」(雷之急擊者謂霹靂)とある。ウィキソース「爾雅註疏/卷06」参照。
  • 飛 … ここではとどろく。
07 內府殷紅瑪瑙盤
ない 殷紅あんこうのうばん
  • 内府 … 宮中の宝庫。『史記』淮陰侯伝に「夫れ鋭気は険塞にくじかれて糧食は内府にき、百姓つかれ極まりて怨望するも、容容としてる所無し」(夫銳氣挫於險塞、而糧食竭於內府、百姓罷極怨望、容容無所倚)とある。ウィキソース「史記/卷092」参照。
  • 殷紅 … 黒みがかった赤色。殷は、ここでは「アン」と読む。
  • 瑪瑙 … 宝石の名。ウィキペディア【メノウ】参照。『芸文類聚』に引く『玄中記』に「瑪瑙は月氏国に出ず」(瑪瑙出月氏國)とある。ウィキソース「藝文類聚 (四庫全書本)/卷084」参照。『全唐詩』『宋本』『九家集注本』『杜陵詩史』『分門集注本』『草堂詩箋補遺』『銭注本』『心解本』『唐詩品彙』『唐宋詩醇』では「馬脳」に作る。『唐詩解』では「馬瑙」に作る。いずれも同義。
  • 盤 … 大皿。『新唐書』はい行倹こうけん伝に「瑪瑙盤広さ二尺有り、文彩粲然たり」(有瑪瑙盤廣二尺、文彩粲然)とある。ウィキソース「新唐書/卷108」参照。『心解本』には「一作盌」とある。『文苑英華』には「作盌」とある。『全唐詩』『銭注本』『詳注本』では「盌」に作り、「一作盤」とある。
08 婕妤傳詔才人索
しょう みことのりつたえて才人さいじんもと
  • 婕妤 … 女官の官名。『新唐書』百官志に「婕妤九人、正三品」とある。ウィキソース「新唐書/卷047」参照。『全唐詩』では「倢妤」に作る。
  • 伝詔 … 宮中の蔵から瑪瑙の大皿を取り出せとの天子の命令を婕妤が取り次いだ。
  • 才人 … 女官の官名。『新唐書』百官志に「才人五人、正五品」とある。ウィキソース「新唐書/卷047」参照。
  • 索 … 探し出してきた。
3
  • 歸・飛・輝(平声微韻)。
09 盤賜將軍拜舞歸
ばん しょうぐんたまわりてはいしてかえ
  • 盤 … 瑪瑙の大皿。『全唐詩』『宋本』『九家集注本』『杜陵詩史』『分門集注本』『銭注本』『心解本』では「盌」に作る。『文苑英華』では「盌」に作り、「作盤」とある。
  • 賜 … 下賜される。
  • 拝舞 … 任官や昇進または禄を賜ったときなどに天子に感謝する拝礼。礼を述べ、勇み喜んで舞う。『呉越春秋』勾践帰国外伝に「群臣拝舞して天顔ぶ、我が王何ぞ憂い、能く移さざらんや」(群臣拜舞天顏舒、我王何憂能不移)とある。ウィキソース「吳越春秋/第008卷」参照。
  • 帰 … 帰宅する。
10 輕紈細綺相追飛
軽紈けいがんさい あいうて
  • 軽紈 … 軽くて上質な白絹。紈は、白い練り絹(ぎぬを灰の汁で煮て、柔らかく白くした絹布)。南朝宋の劉鑠りゅうしゃく「行き行き重ねて行き行くに代わる」(『玉台新詠』巻三、『文選』巻三十一)に「臥して明鐙めいとうくらきを看、坐して軽紈けいがんくろきを見る」(臥看明鐙晦、坐見輕紈緇)とある。明鐙は、灯火。ウィキソース「代行行重行行」参照。
  • 細綺 … 目の細かい上質な綾絹あやぎぬ。綾絹は、綾織り(横糸と縦糸を各々数本おきに交わらせて、斜めの模様を表す織り方)の絹。綺は、模様のある絹織物。
  • 相追飛 … 将軍の後を追って、飛ぶように届けられた。
  • 飛 … 『全唐詩』『銭注本』『詳注本』『心解本』『鏡銓本』には「一作隨」とある。『文苑英華』では「隨」に作り、「集作飛」とある。
11 貴戚權門得筆跡
せき権門けんもん 筆跡ひっせき
  • 貴戚 … 貴族や外戚(皇后の一族)。『漢書』息夫躬伝に「皆貴戚と交遊し、権門におもむいて、名を為す」(皆交遊貴戚、趨權門、爲名)とある。ウィキソース「漢書/卷045」参照。
  • 権門 … 地位などが高く、権力のある家柄。権力者。
  • 筆跡 … ここでは曹覇将軍の描いた絵を指す。西晋の陸機「平原内史を謝する表」(『文選』巻三十七)に「しょう筆跡、皆推校すいこうす可し」(事蹤筆跡、皆可推校)とある。ウィキソース「謝平原內史表」参照。
  • 得 … 手に入れる。
12 始覺屛障生光輝
はじめておぼゆ へいしょうこうしょうずるを
  • 始覚 … 始めて感じたものである。
  • 屛障 … 屛風。衝立。
  • 生光輝 … 輝きが生じたように。古楽府「長歌行」(『文選』巻二十七、『楽府詩集』巻第三十・相和歌辞)に「陽春徳沢を布き、万物光輝を生ず」(陽春布德澤、萬物生光輝)とある。ウィキソース「長歌行 (漢樂府)」参照。
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  • 騧・花・嗟・沙(平声麻韻)。
13 昔日太宗拳毛騧
昔日せきじつ 太宗たいそう拳毛けんもう
  • 昔日 … むかし。
  • 昔 … 『唐詩解』では「㫺」に作る。異体字。
  • 太宗 … 唐の第二代皇帝、李世民。在位626~649。太宗は廟号。高祖李淵の次子。彼の治世を「貞観の治」(貞観はその年号)といい、立派な政治の模範とされた。ウィキペディア【太宗 (唐)】参照。
  • 拳毛騧 … 太宗の六頭の愛馬「六駿」のうちの一頭の名。拳毛は、ちぢれている毛。騧は、口先が黒くて毛色が黄色い馬。『格致鏡原』に引く『金石録』に「太宗の六馬、其の一を拳毛騧と曰う。黄馬黒喙こくかいりゅう黒闥こくたつを平らぐる時に乗る所なり」(太宗六馬、其一曰拳毛騧。黄馬黒喙。平劉黒闥時所乘)とある。黒喙は、黒いくちばし。ウィキソース「格致鏡原 (四庫全書本)/卷084」参照。また『長安志図』巻中に「六駿、石を北闕の下にきざむ。……五に曰く、拳毛騧と」(六駿、刻石于北闕之下。……五曰拳毛騧)とある。ウィキソース「長安志圖 (四庫全書本)/卷中」参照。
14 近時郭家獅子花
きん かく獅子花ししか
  • 近時 … 近頃では。
  • 郭家 … 唐の名将、郭子儀を指す。ウィキペディア【郭子儀】参照。
  • 獅子花 … 郭子儀が吐蕃を撃退した功績により、代宗から名馬きゅうきゅうを賜った。獅子花は、その九花虬のこと。『杜陽雑編』巻上に「九花虬は、即ち范陽の節度李徳山の貢する所、額高きこと九寸、毛拳麟の如し、頭頸そうりょう、真の虬竜きゅうりょうなり。一嘶いっせいするごとに則ち群馬耳をそばだつ。身に九花文を被るを以て、故に号して九花虬と為す。亦た獅子そう有り、皆其の類なり」(九花虬、即范陽節度李德山所貢、額高九寸、毛拳如麟、頭頸鬃鬛、眞虬龍也。每一嘶則羣馬聳耳。以身被九花文、故號爲九花虬。亦有獅子驄、皆其類)とある。鬃鬛は、馬のたてがみ。虬竜は、想像上の動物。みずち。小形の竜。ウィキソース「杜陽雜編」参照。
  • 獅 … 『全唐詩』『宋本』『九家集注本』『杜陵詩史』『分門集注本』『草堂詩箋補遺』『銭注本』『心解本』『文苑英華』『唐詩別裁集』『唐詩解』『唐宋詩醇』では「師」に作る。
15 今之新圖有二馬
いましん二馬にば
  • 今之新図 … いま韋諷の自宅にある曹覇将軍が新たに描いた絵には。
  • 新 … 『全唐詩』『銭注本』『詳注本』『鏡銓本』には「一作畫」とある。『文苑英華』には「集作盡」とある。「畫」の誤りか。
  • 二馬 … 二頭の馬。拳毛騧と獅子花を指す。
16 復令識者久嘆嗟
識者しきしゃをしてひさしくたんせしむ
  • 識者 … 絵を識っている者。
  • 久 … 『宋本』『杜陵詩史』『分門集注本』『草堂詩箋補遺』『文苑英華』『唐詩別裁集』『古今詩刪』では「乆」に作る。異体字。
  • 嘆嗟 … 感嘆させる。
  • 嘆 … 『全唐詩』『九家集注本』『杜陵詩史』『分門集注本』『草堂詩箋補遺』『銭注本』『心解本』『鏡銓本』『唐詩品彙』『唐詩別裁集』『唐詩解』『唐宋詩醇』では「歎」に作る。同義。
17 此皆騎戰一敵萬
みなせんすれば いち まんてき
  • 此皆 … この二頭の馬はどちらも。
  • 騎戦 … それにって戦えば。『六韜』均兵篇に「しゃもったたかわば、一車いっしゃいくあたり、いく一車いっしゃあたる」(以車與騎戰、一車當幾騎、幾騎當一車)とある。ウィキソース「六韜」参照。『心解本』『鏡銓本』では「戦騎」に作り、「一作騎戦」とある。
  • 一敵万 … 一騎で一万騎を相手にできる。一騎で一万騎に敵対できる。
18 縞素漠漠開風沙
こう漠漠ばくばくとしてふうひら
  • 縞素 … 白い絵絹。『史記』留侯世家に「夫れ天下の為に残賊を除く、宜しく縞素して資と為すべし」(夫爲天下除殘賊、宜縞素爲資)とある。ただし、ここの縞素は、白色の喪服の意。ウィキソース「史記/卷055」参照。
  • 漠漠 … 広々として果てしないさま。
  • 開風沙 … 大風が吹いて砂が舞い上がる砂漠の光景が展開する。
5
  • 絕・雪・列(入声屑韻)。
19 其餘七匹亦殊絕
七匹しちひき殊絶しゅぜつ
  • 其余七匹亦 … ほかに描かれている七頭の馬もまた。
  • 匹 … 『唐詩品彙』『古今詩刪』『唐詩解』では「疋」に作る。同義。
  • 殊絶 … 普通と違って特に優れている。非常に素晴らしい。楊修の「りんこうこたうるのせん」(『文選』巻四十)に「聖賢せいけん卓犖たくらくたる、もとより凡庸ぼんよう殊絶しゅぜつする所以ゆえんなり」(聖賢卓犖、固所以殊絕凡庸也)とある。卓犖は、非常に優れていること。ウィキソース「答臨淄侯牋」参照。
20 迥若寒空動煙雪
はるかに寒空かんくう煙雪えんせつうごかすがごと
  • 迥 … はるかに遠いさま。『唐詩三百首』では「迴」に作る。『杜陵詩史』『分門集注本』『草堂詩箋補遺』『唐詩品彙』『唐詩別裁集』『古今詩刪』『唐詩解』では「逈」に作る。『文苑英華』では「廻」に作る。
  • 寒空 … 寒空さむぞら。唐の太宗「過温湯」(『文苑英華』巻一百七十)に「寒空碧霧軽し」(寒空碧霧輕)とある。ウィキソース「文苑英華 (四庫全書本)/卷0170」参照。
  • 動煙雪 … 煙のように細かい雪が舞っている。
  • 動煙 … 『唐詩三百首』では「雜霞」に作る。従って「雜霞雪」は「せつまじうる」と読む。『詳注本』でも「雜霞」に作り、「英華に従う。一に動烟に作る」(從英華。一作動烟)とある。『文苑英華』でも「雜霞」に作り、「集作動煙」とある。『心解本』『鏡銓本』にも「一作雜霞」とある。
  • 煙 … 『銭注本』『鏡銓本』『唐詩別裁集』『古今詩刪』『唐詩解』『唐宋詩醇』では「烟」に作る。異体字。
21 霜蹄蹴踏長楸閒
霜蹄そうていしゅくとうす 長楸ちょうしゅうかん
  • 霜蹄 … 霜を踏むひづめ。白い蹄。『荘子』馬蹄篇に「馬は、ひづめは以て霜雪をむ可く、毛は以て風寒をふせぐ可し」(馬、蹄可以踐霜雪、毛可以禦風寒)とある。ウィキソース「莊子/馬蹄」参照。
  • 蹴踏 … 蹴ったり、踏みつけたりする。後漢の張衡「南都の賦」(『文選』巻四)に「咸陽をしゅくとうす」(蹵蹈咸陽)とある。ウィキソース「南都賦」参照。また『維摩詰所説経』(T475, 14, 547a25-26)に「譬えば竜象の蹴踏は驢の堪うる所に非ざるが如し」(譬如龍象蹴踏非驢所堪)とある。ウィキソース「維摩詰所說經/06」参照。
  • 踏 … 『全唐詩』では「蹋」に作る。同義。
  • 長楸間 … 長いひさぎの並木道。楸は、ノウゼンカズラ科の落葉高木。並木として植えられる。魏の曹植「名都篇」(『文選』巻二十七)に「鶏を東郊の道に闘わし、馬を長楸の間に走らす」(鬪雞東郊道、走馬長楸間)とあり、その注に「古人ひさぎを道にう。故に長楸と曰う」(古人種楸於道。故曰長楸)とある。ウィキソース「六臣註文選 (四部叢刊本)/卷第二十七」参照。
22 馬官厮養森成列
かんよう しんとしてれつ
  • 馬官 … 馬の飼育をつかさどる役人。
  • 厮養 … 馬の世話をする身分の低い者。馬丁。『漢書』路温舒伝に「願わくは厮養を給うて、骨を方外にさらし、以て臣節を尽くさん」(願給厮養、暴骨方外、以盡臣節)とある。ウィキソース「漢書/卷051」参照。また『史記』陳余伝の注に「韋昭曰く、薪をくを厮と為し、炊烹すいほうを養と為す」(韋昭曰、析薪爲厮、炊烹爲養)とある。「史記三家註/卷089」参照。
  • 厮 … 「廝」の異体字。
  • 森 … 立ち並ぶことの形容。
  • 成列 … ずらりと列を成している。『春秋左氏伝』僖公二十二年に「寡人、亡国の余と雖も、列を成さざるに鼓せず」(寡人雖亡國之餘、不鼓不成列)とある。ウィキソース「春秋左氏傳/僖公」参照。
6
  • 穩・遁(上声阮韻)。
23 可憐九馬爭神駿
あわれむし きゅう しん駿しゅんあらそうを
  • 可憐 … 深い感動を表す言葉。ああ。
  • 九馬 … 九頭の馬。
  • 神駿 … きわめてすぐれた馬。神馬。『世説新語』言語篇に「支道林、常に数匹の馬を養う。あるひと言う、道人の馬をやしなうは韻ならず、と。支曰く、貧道は其の神駿を重んず、と」(支道林常養數匹馬。或言、道人畜馬不韻。支曰、貧道重其神駿)とある。ウィキソース「世說新語/言語」参照。
  • 駿 … 『文苑英華』には「集作俊」とある。
  • 争 … 競い合う。
24 顧視清高氣深穩
顧視こし清高せいこうにして 深穏しんおん
  • 顧視 … 振り返って見ること。漢の武帝「秋風の辞」の序(『文選』巻四十五)に「帝京ていけいを顧視して欣然たり」(顧視帝京欣然)とある。ウィキソース「秋風辭 (劉徹)」参照。
  • 清高 … 清らかで気高い。西晋の皇甫謐『高士伝』巻中に「鄭樸は、字は子真、谷口の人なり。道を修めて静黙し、世、其の清高に服す」(鄭樸、字子眞、谷口人也。修道靜默、世服其淸髙)とある。ウィキソース「高士傳」参照。
  • 深穏 … 奥深く、穏やかである。
25 借問苦心愛者誰
借問しゃもんす しん あいするものたれぞと
  • 借問 … ちょっとお尋ねしますが。ここでは自問自答の形。
  • 苦心 … 熱心に。「古詩十九首 其の十二」(『文選』巻二十九、『玉台新詠』巻一)に「晨風しんぷう苦心を懐き、しつしゅつきょくそくいたむ」(晨風懷苦心、蟋蟀傷局促)とある。こちらの苦心は、心を使って苦労するの意。ウィキソース「東城高且長」参照。
26 後有韋諷前支遁
のちにはふうり さきにはとん
  • 後 … 後世では。今では。
  • 前 … 過去には。昔は。
  • 支遁 … 東晋の高僧。314~366。あざなは道林。数頭の馬を飼っていたという。『剡録』に引く『高逸沙門伝』に「遁、姓は関氏、だい林慮の人、或いは陳留の人と曰う」(遁姓關氏、河内林慮人、或曰陳留人)とある。ウィキソース「剡録 (四庫全書本)/卷03」参照。また『世説新語』言語篇に「支道林、常に数匹の馬を養う」(支道林常養數匹馬)とある。ウィキソース「世說新語/言語」参照。ウィキペディア【支遁】参照。
7
  • 宮・東・同・中・風(平声東韻)。
27 憶昔巡幸新豐宮
おもむかし 新豊しんぽうきゅうじゅんこうせしことを
  • 憶昔 … 思えば昔。
  • 昔 … 『唐詩解』では「㫺」に作る。異体字。
  • 新豊宮 … 長安の東郊、驪山のふもとにあった離宮。新豊は、漢代の県名。唐の初めに太宗が造営し、温泉宮と名づけられた。玄宗によって華清宮と改名された。『長安志』巻十五に「貞観十八年、左屯衛大将軍姜行本に詔して、将に少匠閻立徳をして宮殿を営建することを作さしめんとす。御賜して湯泉宮と名づく。太宗幸するに因って碑を製す。咸亨二年湯泉宮と名づく」(貞觀十八年、詔左屯衞大將軍姜行本、將作少匠閻立德營建宮殿。御賜名溫泉宮。太宗因幸製碑。咸亨二年名溫泉宮)とある。ウィキソース「長安志 (四庫全書本)/卷15」参照。また『元和郡県図志』関内道、京兆府、昭応県の条に「華清宮は、驪山の上に在り。開元十一年、初めに温泉宮を置く。天宝六年改めて華清宮と為す」(華淸宮、在驪山上。開元十一年、初置溫泉宮。天寶六年改爲華淸宮)とある。ウィキソース「元和郡縣圖志/卷01」参照。
  • 巡幸 … 天子が諸国を巡ること。ここでは、先帝玄宗が新豊の離宮に行幸されたことを指す。
28 翠華拂天來向東
すい てんはらってきたりてひがしむか
  • 翠華 … 翡翠かわせみの羽で飾った旗。天子の儀仗。後漢の張衡「南都の賦」(『文選』巻四)に「翠華のずいたるを望む」(望翠華兮葳蕤)とある。葳蕤は、なびくこと。ウィキソース「南都賦」参照。
  • 払天 … 天をも払うほどに高く掲げられるさま。後漢の班固「東都の賦」(『文選』巻一)に「旌旗天を払う」(旌旗拂天)とある。ウィキソース「東都賦」参照。
  • 来向東 … 東へと向かって進んだ。
29 騰驤磊落三萬匹
とうじょう磊落らいらく 三万匹さんまんびき
  • 騰驤 … 馬が躍り上がるように勢いよく走ること。張衡「西京の賦」(『文選』巻二)に「乃ちつばさを奮って騰驤す」(乃奮翅而騰驤)とあり、その注に「騰は、ゆなり。驤は、すなり」(騰、超也。驤、馳也)とある。ウィキソース「西京賦」「六臣註文選 (四部叢刊本)/卷第二」参照。
  • 驤 … 『文苑英華』には「一作躍」とある。
  • 磊落 … 数が多いさま。双声語。西晋の潘岳「閑居の賦」(『文選』巻十六)に「せきりゅうどうの珍、其のかたわらに磊落蔓衍まんえんたり」(石榴蒲陶之珍、磊落蔓衍乎其側)とあり、その注に「磊落蔓衍は、衆多の貌」(磊落蔓衍、衆多貌)とある。ウィキソース「閑居賦」「六臣註文選 (四部叢刊本)/卷第十六」参照。
  • 三万匹 … 三万頭の馬。南朝梁の蕭子顕の楽府「日は東南の隅に出ずるの行」(『玉台新詠』巻八)に「漢馬三万匹、婿せいひょうようつかう」(漢馬三萬匹、夫婿仕嫖姚)とある。嫖姚は、前漢の名将霍去病のこと。ウィキソース「日出東南隅行 (蕭子顯)」参照。
  • 匹 … 『唐詩品彙』『古今詩刪』『唐詩解』では「疋」に作る。同義。
30 皆與此圖筋骨同
みな筋骨きんこつおな
  • 皆与此図 … 三万頭の馬は、すべてこの絵の馬と。
  • 筋骨同 … 同じく筋骨たくましい馬だった。『列子』説符篇に「伯楽対えて曰く、良馬は形容筋骨もてそうす可きなり」(伯樂對曰、良馬可形容筋骨相也)とある。ウィキソース「列子/說符篇」参照。
31 自從獻寶朝河宗
たからけんじてそうちょうせしより
  • 献宝朝河宗 … 周の穆王が西方へ行幸したとき、黄河の神である河宗に宝物を献上して謁見した。帰国後、穆王はまもなく崩御したという故事を踏まえる。ここでは玄宗の崩御に喩えたもの。『穆天子伝』に「天子は西に征く。こうようの山に至る。河伯無夷の都居する所にして、是れは惟れ河宗氏なり。……天子は河宗にへきを授け、河宗伯夭はくよう璧を受けて、西向して璧を河に沈め、再拝稽首す」(天子西征。鶩行至于陽紆之山。河伯無夷之所都居、是惟河宗氏。……天子授河宗璧、河宗伯夭受璧、西向沉璧于河、再拜稽首)とある。ウィキソース「穆天子傳/卷一」参照。
  • 河宗 … 黄河の神。河伯。『荘子』秋水篇に「河伯欣然として自ら喜び、天下の美を以て尽く己に在りと為す」(河伯欣然自喜、以天下之美爲盡在己)とある。ウィキソース「莊子/秋水」参照。
  • 朝 … 天子に謁見すること。
  • 自従 … 「より」と読み、「~から」「~より」と訳す。時間の起点を表す。
32 無復射蛟江水中
みずち江水こうすいうち
  • 無復射蛟江水中 … 長江の水中に棲むみずちを射止めるような勇ましい遊びも行なわれなくなった。ここでは漢の武帝の故事に基づき、玄宗が崩御したことをいう。『漢書』武帝紀、元封五年の条に「尋陽より江に浮び、みずから蛟を江中に射て、之を獲たり」(自尋陽浮江、親射蛟江中、獲之)とある。ウィキソース「漢書/卷006」参照。
  • 蛟 … みずち。想像上の動物。蛇に似て長く、つのと四本の足がある。小形の竜。
33 君不見金粟堆前松柏裏
きみずや 金粟堆きんぞくたいぜん しょうはくうち
  • 君不見 … 見たまえ。御覧なさい。読者に呼びかける言葉。
  • 金粟堆 … 現在の陝西省蒲城県の東北、金粟山にある玄宗の陵墓、泰陵のこと。堆は、分厚く盛った土、墳墓の意。『旧唐書』玄宗紀、上元二年の条に「初め、上皇親しく五陵を拝し、橋陵に至り、金粟山のおかを見るに、竜盤鳳翥ほうしょの勢い有り、復た先塋せんえいに近し。侍臣に謂いて曰く、吾れ千秋の後、宜しく此の地に葬るべし。先陵を奉ずるを得、孝敬を忘れざらん、と。是に至って、先旨を追奉し、以て寝園を創り、以て広徳元年三月辛酉、泰陵に葬る」(初、上皇親拜五陵、至橋陵、見金粟山崗、有龍盤鳳翥之勢、復近先塋。謂侍臣曰、吾千秋後、宜葬此地。得奉先陵、不忘孝敬矣。至是、追奉先旨、以創寢園、以廣德元年三月辛酉、葬於泰陵)とある。ウィキソース「舊唐書/卷9」参照。
  • 前 … 金粟堆の陵墓の前。『文苑英華』では「邉」に作り、「集作前」とある。
  • 松柏 … 松と柏(コノテガシワ)。墓地に植えられる木。天子の陵墓には松を植え、諸侯の陵墓には柏を植えたという。コノテガシワについては、ウィキペディア【コノテガシワ】参照。『詩経』商頌・殷武の詩に「景山けいざんのぼれば、しょうはく丸丸がんがんたり、うつし、まさ(けず)りる」(陟彼景山、松柏丸丸、是斷是遷、方是虔)とある。景山は、商の都に近くにある山の名。陟は、登る。丸丸は、すらりとよく伸びている様子。断は、切り取ること。遷は、運搬すること。は、斧で削ること。虔は、木を伐ること。ウィキソース「詩經/殷武」参照。また、「古詩十九首」(『文選』巻二十九、『古詩源』巻四 漢詩)の第十三首に「白楊はくようなん蕭蕭しょうしょうたる、しょうはくこうはさむ」(白楊何蕭蕭、松栢夾廣路)とある。ウィキソース「驅車上東門」参照。同じく第十四首に「古墓こぼかれてり、しょうはくくだかれてたきぎる」(古墓犁爲田、松柏摧爲薪)とある。ウィキソース「去者日以疎」参照。
  • 柏 … 『九家集注本』『杜陵詩史』『分門集注本』『草堂詩箋補遺』『文苑英華』『唐詩品彙』『唐詩解』では「栢」に作る。異体字。
  • 裏 … (松柏の)林の中で。『唐詩解』では「裡」に作る。異体字。
34 龍媒去盡鳥呼風
りょうばいくして とりかぜぶを
  • 竜媒 … 竜の出現の仲立ちをするという空想上の天馬。転じて駿馬のことをいう。『漢書』礼楽志に「天馬きたる、竜のなかだちなり」(天馬徠、龍之媒)とある。ウィキソース「漢書/卷022」参照。
  • 去尽 … 消えせて。
  • 鳥呼風 … 鳥だけが風に向かって悲しく鳴くばかり。『楚辞』九歎の「憂苦」に「もうしたがいて以て風に呼び、して山廋さんそうに従容す」(遵野莽以呼風兮、歩従容於山廋)とある。野莽は、野の草。山廋は、山の隈。ウィキソース「九歎」参照。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻二(『漢文大系 第二巻』冨山房、1910年)
  • 『唐詩三百首注疏』巻二(廣文書局、1980年)
  • 『全唐詩』巻二百二十(揚州詩局本縮印、上海古籍出版社、1985年)
  • 『宋本杜工部集』巻四(影印本、台湾学生書局、1967年)
  • 『九家集注杜詩』巻八(『哈佛燕京學社引得特刊 14 杜詩引得』第二冊、1966年)
  • 『杜陵詩史』巻十七(王状元集注、『杜詩又叢』所収、中文出版社、1977年)
  • 『分門集注杜工部詩』巻十六(『四部叢刊 初編集部』所収)
  • 『草堂詩箋補遺』巻五(蔡夢弼注、『古逸叢書(中)』所収、江蘇廣陵古籍刻印社、1997年)
  • 『銭注杜詩』巻五(銭謙益箋注、上海古籍出版社、1979年)
  • 『杜詩詳注』巻十三(仇兆鰲注、中華書局、1979年)
  • 『読杜心解』巻二之二(浦起龍著、中華書局、1961年)
  • 『杜詩鏡銓』巻十一(楊倫箋注、上海古籍出版社、1980年)
  • 『文苑英華』巻三百三十九(影印本、中華書局、1966年)
  • 『唐詩品彙』巻二十八(汪宗尼本影印、上海古籍出版社、1981年)
  • 『唐詩別裁集』巻七(乾隆二十八年教忠堂重訂本縮印、中華書局、1975年)
  • 『古今詩刪』巻十二(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、10頁)
  • 『唐詩解』巻十五(清順治十六年刊、内閣文庫蔵)
  • 『唐宋詩醇』巻十一(乾隆二十五年重刊、紫陽書院、内閣文庫蔵)
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