兵車行(杜甫)
兵車行
兵車行
兵車行
- 〔テキスト〕 『唐詩三百首』楽府、『宋本杜工部集』巻一、『九家集注杜詩』巻一、『杜陵詩史』巻一、『分門集注杜工部詩』巻十四(『四部叢刊 初編集部』所収)、『草堂詩箋』巻二、『銭注杜詩』巻一、『杜詩詳注』巻二、『全唐詩』巻二百十六、『楽府詩集』巻九十一、『文苑英華』巻三百三十三、『唐詩品彙』巻二十八、『古文真宝前集』巻九、他
- 七言古詩(雑言古詩)。蕭・腰・橋・霄(平声蕭韻)/人・頻(平声真韻)、田・邊(平声先韻)通押/水・已・杞(上声紙韻)/犂・西・雞(平声齊韻)/問(去声紙韻)、恨(去声願韻)通押/卒・出(入声質韻)/好・草(上声皓韻)/頭・收・啾(平声尤韻)、換韻。
- ウィキソース「兵車行」参照。
- 兵車行 … 「兵車」は戦車。「行」は楽府体の詩につける名で、歌の意。「兵車行」という題名は、杜甫が新しい楽府題としてつけたもの。天宝九~十一載(750~752)頃、杜甫三十九~四十一歳にかけて、長安に居て不遇の生活を続けていた時の作。戦争に駆り出される兵士の苦しみを詠んだもの。
- 杜甫 … 712~770。盛唐の詩人。襄陽(湖北省)の人。字は子美。祖父は初唐の詩人、杜審言。若い頃、科挙を受験したが及第できず、各地を放浪して李白らと親交を結んだ。安史の乱では賊軍に捕らえられたが、やがて脱出し、新帝粛宗のもとで左拾遺に任じられた。その翌年左遷されたため官を捨てた。四十八歳の時、成都(四川省成都市)の近くの浣花渓に草堂を建てて四年ほど過ごしたが、再び各地を転々とし一生を終えた。中国最高の詩人として「詩聖」と呼ばれ、李白とともに「李杜」と並称される。『杜工部集』がある。ウィキペディア【杜甫】参照。
車轔轔 馬蕭蕭
車轔轔 馬蕭蕭
- 轔轔 … 車がガラガラと音を立てて進む音。車がゴロゴロと軋む音。
- 蕭蕭 … 馬が嘶く声の形容。『詩経』小雅・車攻の詩に「蕭蕭として馬鳴き、悠悠たる旆旌」(蕭蕭馬鳴、悠悠旆旌)とある。旆旌は、旗。旆は、端が二つに分かれた旗。旌は、鳥の羽を竿の先につけた旗。ウィキソース「詩經/車攻」参照。
行人弓箭各在腰
行人の弓箭 各〻腰に在り
- 行人 … 出征兵士。
- 弓箭 … 弓と矢。
- 在腰 … 腰につけている。
耶孃妻子走相送
耶嬢 妻子 走りて相送る
- 耶嬢 … 父と母。唐代の俗語。「耶」は、爺と同じ。
- 妻子 … 妻と子。一説に、妻。
- 相送 … (出征兵士を)見送る。送別する。
- 相 … ここでは「互いに」という意味ではなく、動作に対象があることを示す言葉。
塵埃不見咸陽橋
塵埃に見えず 咸陽橋
- 塵埃 … 土ぼこり。
- 咸陽橋 … 長安郊外の渭水にかかる橋で、咸陽と長安を結ぶ。長安から西へ行く者はここを通過した。
牽衣頓足闌道哭
衣を牽き 足を頓し 道を闌りて哭す
- 牽衣 … 引き止めようとして、衣服を引っ張る。
- 頓足 … 地団駄を踏む。嘆く動作。
- 闌道 … 道をさえぎる。行く手に立ち塞がる。
- 闌 … 『全唐詩』には「一作橋」とある。『唐詩三百首』『九家集注本』『銭注本』『詳注本』『楽府詩集』『古文真宝前集』では「攔」に作り、さらに『銭注本』『詳注本』には「一作橋」とある。『宋本』『草堂詩箋』『杜陵詩史』『文苑英華』では「欄」に作る。
- 哭 … 大声をあげて泣く。
哭聲直上干雲霄
哭声 直ちに上りて雲霄を干す
- 哭声 … その泣き声。
- 直上 … 真っすぐに立ちのぼる。
- 干雲霄 … 大空を突き刺すように響く。天空に突き当たるように響く。「雲霄」は、大空。「干」は、突き進む。
道傍過者問行人
道傍を過ぐる者 行人に問う
- 道傍過者 … 道ばたを通りかかった人。杜甫を指す。「道傍」は、道ばた。
- 傍 … 『唐詩三百首』『九家集注本』『杜陵詩史』『草堂詩箋』『詳注本』では「旁」に作る。同義。
行人但云點行頻
行人 但だ云う 点行頻りなりと
- 但 … 「ただ」と読み、「ただ~だけ」と訳す。限定の意を示す。
- 点行 … 徴兵。召集。名簿に照らして召集する。「点」は、名簿に一つひとつ印をつける。行は、兵士に行かせること。
- 頻 … 何度も繰り返し行われている。
或從十五北防河
或いは十五より 北 河を防ぎ
- 或 … ある人は。
- 十五 … 十五歳。
- 従 … 「より」と読み、「~から」と訳す。「自」と同じ。
- 北防河 … 北方の黄河の守りに連れて行かれた。「河」は、黄河。
便至四十西營田
便ち四十に至りて 西 田を営む
- 便 … そのまま。十五歳で召集され、黄河の守りに行ったまま、引き続き今度は。
- 西 … 西方で。
- 営田 … 屯田兵となる。屯田兵は、平時には農耕に従事しつつ警備にあたる兵士。
去時里正與裹頭
去く時 里正 与に頭を裹み
- 去時 … 出征の時。
- 里正 … 村里の長。「正」は長の意。唐代、百戸を一里と呼び、一里ごとにその長を「里正」と呼んで置いた。
- 与 … (出征する彼のために)~してやる。~してくれる。
- 裹頭 … 黒い布で頭髪を包むこと。出陣の姿。「裹」は、包む。一説に、元服の儀式との解釈もある。
歸來頭白還戍邊
帰り来れば 頭白くして 還た辺を戍る
- 還 … 「また」と読み、「また」「再び」「もう一度」と訳す。「復」と同じ。中世以後の俗語。『全唐詩』には「一作猶」とある。
- 戍辺 … 国境の守りに駆り出される。「辺」は、辺境。「戍」は、守ること。
邊庭流血成海水
辺庭の流血 海水と成るも
- 辺庭 … 国境付近。庭は、その辺り。
- 庭 … 『全唐詩』『銭注本』では「亭」に作り、「一作庭」とある。『宋本』では「亭」に作る。
- 流血 … 流された血。
- 成海水 … 海の水のようになる。ここでは戦死者の多いことを誇張して言ったもの。
武皇開邊意未已
武皇 辺を開く 意未だ已まず
- 武皇 … 漢の武帝。暗に唐の玄宗(685~762)を指す。ウィキペディア【玄宗 (唐)】参照。
- 武 … 『全唐詩』には「一作我」とある。
- 開辺 … 辺境を開拓して、国土を拡張すること。
- 意未已 … そのご意向はいっこうに止みそうもない。
君不聞漢家山東二百州
君聞かずや 漢家 山東の二百州
- 君不聞 … あなたは聞き及んでいるでしょう。読者に呼びかけて同意を求める言葉。楽府体でよく用いられる表現。
- 漢家 … 漢王朝。暗に唐王朝を指す。『史記』梁孝王世家に「梁の孝王は、親愛の故を以て膏腴の地に王たりと雖も、然も漢家隆盛にして百姓殷富なるに会う。故に能く其の財貨を植し、宮室を広め、車服、天子に擬す。然れども亦た僭なり」(梁孝王雖以親愛之故王膏腴之地、然會漢家隆盛百姓殷富。故能植其財貨、廣宮室、車服擬於天子。然亦僭矣)とある。膏腴は、肥沃。殷富は、栄えて豊かなこと。僭は、僭越。ウィキソース「史記/卷058」参照。
- 山東 … 華山(陝西省の東部にある)の東、中原地方を指す。現在の山東省ではない。
- 二百州 … 唐代、函谷関以東に二百十七州あったという。
千村萬落生荊杞
千村万落 荊杞を生ずるを
- 千村万落 … どこの村も、どこの集落も。多くの村々のこと。
- 荊杞 … イバラとクコ。荒れ地に生える雑草の総称。
縱有健婦把鋤犂
縦い健婦の鋤犂を把る有るも
- 縦 … 「たとい~(と)も」と読み、「たとえ~とも」と訳す。逆接の仮定条件の意を示す。
- 健婦 … しっかりしたけなげな嫁。
- 鋤犂 … 鋤や鍬。「鋤」は、すき。「犂」は、からすき。牛に引かせて使う農具。
- 把 … 手に取る。
禾生隴畝無東西
禾は隴畝に生じて東西無し
- 禾 … いね。穂を出す穀物の総称。
- 隴畝 … 田畑の畝や畦。田畑のこと。
- 無東西 … あぜ道がわからないほど、作物が無秩序に乱雑に育っている様子。畑のあぜ道を「阡陌」といい、「阡」は、南北、「陌」は、東西に通るあぜ道のこと。
況復秦兵耐苦戰
況んや復た 秦兵 苦戦に耐うるをや
- 況復 … そのうえに。まして。さらに加えて。「復」は、ここでは「況」を強調する助字。
- 秦兵 … 長安付近出身の兵士。この地方の兵士は勇敢で、戦いも強いと言われる。
- 耐苦戦 … 苦しい戦いにも耐え忍ぶ。
被驅不異犬與雞
駆らるること 犬と鶏とに異ならず
- 被駆 … 駆り立てられる。追い立てられる。こき使われる。
- 被 … 「る」「らる」と読み、「~される」と訳す。受身の意を示す。
- 与 … 「と」と読み、「~と」と訳す。「A与B」の場合は、「AとB与」と読む。「與」は「与」の旧字体。
長者雖有問
長者 問う有りと雖も
- 長者 … あなたさま。年長者に対する敬称。杜甫を指す。
- 雖有問 … お尋ねではありますが。
- 雖 … 「~といえども」と読み、「たとえ~でも」と訳す。逆接の仮定条件の意を示す。
役夫敢申恨
役夫 敢えて恨みを申べんや
- 役夫 … 出征兵士である私。兵士の自称。「役」は、労役。兵役。
- 敢申恨 … どうして恨みごとを言い尽くせようか。
- 敢 … どうして~しようか、いや、~しない。ここでは反語の意を示す。
- 申 … 充分に述べる。言い尽くす。『九家集注本』『杜陵詩史』『分門集注本』『草堂詩箋』『詳注本』『文苑英華』『古文真宝前集』では「伸」に作る。
且如今年冬
且つ今年の冬の如きは
- 且如 … まずさしあたり~の場合は。まずさしあたって~を例にとれば。
未休關西卒
未だ関西の卒を休めず
- 関西 … 函谷関以西。今の陝西省。
- 関 … 『全唐詩』『九家集注本』『杜陵詩史』『銭注本』『詳注本』には「一作隴」とある。
- 卒 … 兵士。
- 休 … 故郷に帰し、休息させる。
縣官急索租
県官 急に租を索むるも
- 県官 … 県の役人。
- 急 … 厳しく。一説に、慌ただしく。性急に。
- 租 … 穀物を納める税。唐代の税制である租庸調の一つ。ウィキペディア【租庸調】参照。
- 索 … 取り立てる。
- 縣官急索租 … 『全唐詩』には「一作縣官云急索」とある。『草堂詩箋』では「縣官云急索」に作る。
租稅從何出
租税 何くより出でん
- 従何出 … いったいどこから出せましょうか。「何」は、どこ。
- 従 … 「より」と読み、「~から」と訳す。「自」と同じ。
信知生男惡
信に知る 男を生むは悪しく
- 信知 … 本当によく分かりました。身にしみて分かりました。
反是生女好
反って是れ 女を生むは好きを
- 反是 … かえって~である。当時の常識に反して~である。反対に。
生女猶得嫁比鄰
女を生まば 猶お比隣に嫁するを得るも
- 得 … 『全唐詩』『銭注本』では「是」に作り、「一作得」とある。『宋本』『九家集注本』『杜陵詩史』『楽府詩集』では「是」に作る。
- 比隣 … 隣近所。
- 嫁 … 嫁がせる。嫁にやる。
生男埋沒隨百草
男を生まば 埋没して百草に随う
- 男 … 『全唐詩』『銭注本』には「一作兒」とある。
- 埋没 … 戦場の土に埋められる。
- 随百草 … 多くの雑草とともに朽ち果てる。
君不見 青海頭
君見ずや 青海の頭
- 君不見 … 見たまえ。ごらんなさい。読者に呼びかける言葉。
- 青海 … 今の青海省東部にある湖。ココ・ノール。ウィキペディア【青海湖】参照。
- 頭 … ほとり。辺り。すぐそば。
古來白骨無人收
古来 白骨 人の収むる無し
- 古来 … 昔から。
- 白骨 … 戦死者の白骨。
- 無人収 … 拾ってくれる人もないまま。
新鬼煩冤舊鬼哭
新鬼は煩冤し 旧鬼は哭し
- 新鬼 … 最近死んだばかりの兵士の亡霊。「鬼」は、死者の霊。
- 煩冤 … もだえ苦しむ。
- 旧鬼 … 死んで久しい兵士の亡霊。
- 哭 … 泣き叫ぶ。
天陰雨濕聲啾啾
天陰 雨湿 声啾啾たり
- 天陰 … 空が曇る。
- 雨湿 … 雨が降って湿っぽい。
- 濕 … 「湿」の旧字といわれているが本来は俗字。『全唐詩』では「溼」に作る。「溼」が本来の「湿」の旧字。
- 声 … 亡霊たちの泣き声。『全唐詩』『九家集注本』『分門集注本』『杜陵詩史』『銭注本』『詳注本』には「一作悲」とある。
- 啾啾 … 小声で恨めしげに泣く声の形容。
こちらもオススメ!
歴代詩選 | |
古代 | 前漢 |
後漢 | 魏 |
晋 | 南北朝 |
初唐 | 盛唐 |
中唐 | 晩唐 |
北宋 | 南宋 |
金 | 元 |
明 | 清 |
唐詩選 | |
巻一 五言古詩 | 巻二 七言古詩 |
巻三 五言律詩 | 巻四 五言排律 |
巻五 七言律詩 | 巻六 五言絶句 |
巻七 七言絶句 |
詩人別 | ||
あ行 | か行 | さ行 |
た行 | は行 | ま行 |
や行 | ら行 |