子張第十九 8 子夏曰小人之過也必文章
479(19-08)
子夏曰、小人之過也必文。
子夏曰、小人之過也必文。
子夏曰く、小人の過つや必ず文る。
現代語訳
- 子夏 ――「俗物がヘマをやると、とりつくろう。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 子夏の言うよう、「君子は過って改むるに憚らぬが、小人が過ちをすると、色々とつくりかざって言訳を言い、人を欺き自らを欺き、過ちを重ねる。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 子夏がいった。――
「小人が過ちを犯すと、必ずそれをかざるものである」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
- 子夏 … 前507?~前420?。姓は卜、名は商、字は子夏。衛の人。孔子より四十四歳年少。孔門十哲のひとり。「文学には子游・子夏」といわれ、子游とともに文章・学問に優れていた。ウィキペディア【子夏】参照。
- 小人 … 教養がなく、人格が低くてつまらない人。反対は君子。
- 過也 … 過失。過ちをおかす。「あやまちや」とも読む。「也」は「や」と読み、強調する働きを示す。
- 小人之過也 … 「~之…也」の形は「~の…や」と読み、「~が…すると」「~が…したとき」と訳す。
- 文 … 飾る。表面を飾る。言い訳をする。うわべを取り繕う。
- 過ちに対する君子の態度については、「学而第一8」「子罕第九24」「衛霊公第十五29」「子張第十九21」参照。
補説
- 『注疏』に「此の章は小人の過ちを改むること能わざるを言うなり」(此章言小人不能改過也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 子夏 … 『孔子家語』七十二弟子解に「卜商は衛人、字は子夏。孔子より少きこと四十四歳。詩を習い、能く其の義に通ず。文学を以て名を著す。人と為り性弘からず。好みて精微を論ず。時人以て之に尚うる無し。嘗て衛に返り、史志を読る者を見る。云う、晋の師、秦を伐つ。三豕河を渡る、と。子夏曰く、非なり。己亥のみ。史志を読む者、諸を晋の史に問う。果たして己亥と曰う。是に於いて衛、子夏を以て聖と為す。孔子卒して後、西河の上に教う。魏の文侯、之に師事して国政を諮る」(卜商衞人、字子夏。少孔子四十四歳。習於詩、能通其義。以文學著名。爲人性不弘。好論精微。時人無以尚之。嘗返衞見讀史志者。云、晉師伐秦。三豕渡河。子夏曰、非也。己亥耳。讀史志者、問諸晉史。果曰己亥。於是衞以子夏爲聖。孔子卒後、教於西河之上。魏文侯師事之、而諮國政焉)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「卜商字は子夏。孔子より少きこと四十四歳」(卜商字子夏。少孔子四十四歳)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
- 小人之過也必文 … 『集解』に引く孔安国の注に「其の過ちを文飾して、其の情実を言わざるなり」(文餝其過、不言其情實也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「君子に過ち有るは、是れ已に誤り行う。故為に非ざるなり。故に之を知れば則ち改む。而るに小人過ち有るは、是れ知りて故為す。故に愈〻之を文飾す。肯えて己の非を言わざるなり。故に繆播云う、君子の過ちは及ばざるに由る。及ばずして失し、心の病に非ず。務めて行いを改むるに在り。故に吝無きなり。其の失の理明らかにして、然る後に能くするの理著われ、得失既に弁ず。故に過ちては復た改む可きなり。小人の過ちは情偽に生ず。故に能く飾らずんばあらず。飾れば則ち弥〻張る。乃ち是れ過ちと謂うなり、と」(君子有過、是已誤行。非故爲也。故知之則改。而小人有過、是知而故爲。故愈文飾之。不肯言己非也。故繆播云、君子過由不及。不及而失、非心之病。務在改行。故無吝也。其失之理明、然後得之理著、得失既辨。故過可復改也。小人之過生於情偽。故不能不飾。飾則彌張。乃是謂過也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「小人の過ち有るや、必ず其の過ちを文飾し、彊いて辞理を為し、情実を言わざるなり」(小人之有過也、必文飾其過、彊爲辭理、不言情實也)とある。また『集注』に「文は、之を飾るなり。小人過ちを改むるを憚りて、自ら欺くを憚らず。故に必ず文りて以て其の過ちを重ぬ」(文、飾之也。小人憚於改過、而不憚於自欺。故必文以重其過)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 必文 … 『義疏』では「必則文」に作る。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「子夏此れを言う所以の者は、蓋し人の此れを以て自ら考えんことを欲するなり。……故に君子は過ち無きに終わりて、小人は則ち過大にして救う可からざるに至るなり。思わざるのみ」(子夏所以言此者、蓋欲人以此自考也。……故君子終於無過、小人則至過大而不可救也。弗思焉耳)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』に「小人の過ちや必ず文る。小人は本と細民を謂うなり。細民の過ちは、得て文る可し。其の郷党閭巷の間に在るを以て、人孰か之を知らんや。君子は本と在位の称、顕顕たる君子は、邦家の望、其の過ちは日月の食の如し、過つときは則ち人皆之を知る。故に君子の過ちは、得て之を文る可からず。日月も亦た之を食すること有り。君子何ぞ必ずしも過ち無からん。改むるときは則ち衆皆之を仰ぐ。故に之を改むるを貴しと為す。上位に在りと雖も、其れ猶お小人たるなり。必ず其の過ちを文るは、其の心細民の如きを以てなり。下位に在りと雖も、其れ能く君子たるなり。過ちては則ち之を改むるは、其の先王の道を学びて以て民に長たるの徳を成すを以てなり。是れ亦た心を操るの大小の分存す。後儒は是の義を知らず、誠偽を以て論ず。抑〻亦た末なるのみ」(小人之過也必文。小人本謂細民也。細民之過、可得而文。以其在郷黨閭巷之間、人孰知之也。君子本在位之稱、顯顯君子、邦家之望、其過如日月之食、過則人皆知之。故君子之過、不可得而文之。日月亦有食之。君子何必無過。改則衆皆仰之。故改之爲貴。雖在上位、其猶爲小人也。必文其過、以其心如細民也。雖在下位、其能爲君子也。過則改之、以其學先王之道以成長民之德也。是亦操心大小之分存焉。後儒不知是義、以誠僞論。抑亦末也已)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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