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子張第十九 21 子貢曰君子之過也章

492(19-21)
子貢曰、君子之過也、如日月之食焉。過也人皆見之。更也人皆仰之。
こういわく、くんあやまちや、日月じつげつしょくごとし。あやまつやひとみなこれる。あらたむるやひとみなこれあおぐ。
現代語訳
  • 子貢 ――「りっぱな人のあやまちは、日食や月食のようなものだ。あやまちをすると、みんなに見られる。あらためると、みんなが見なおす。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • こうの言うよう、「君子でもしつはあるが、君子の過失はしょうじんの過失と違う。君子の過失はにっしょくげっしょくのようなもので、少しもかくてをしないから、衆人がこれを見て、あの君子にしてこの過ちあるかと驚くこと、日食月食を見て太陽が黒くなった、月が暗くなったと驚きあやしむようなものである。しかしその過ちはさっそく改められるので、人々がさすがは君子だと感服かんぷくすること、食が終って後の日月がたちまち再びまどかにして光輝前に倍するのを仰ぎ見るごとくである。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 子貢がいった。――
    「君子の過ちは日蝕や月蝕のようなものである。過ちがあると、すべての人がそのかげりを見るし、過ちを改めると、すべての人がその光を仰ぐのだから」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 子貢 … 前520~前446。姓は端木たんぼく、名は。子貢はあざな。衛の人。孔子より三十一歳年少の門人。孔門十哲のひとり。弁舌・外交に優れていた。また、商才もあり、莫大な財産を残した。ウィキペディア【子貢】参照。
  • 君子之過也 … 君子の過ちというものは。「~之…也」の形は「~の…や」と読み、「~の…は」「~が…するのは」「~が…するときは」と訳す。
  • 君子 … 道徳的に立派な人。
  • 如日月之食 … 日食や月食のようなものだ。隠し立てをしないので、人々がそれを見て驚き怪しむ。
  • 更 … 改める。
  • 仰 … 仰ぎ見る。尊敬する。
  • 過ちに対する君子の態度については「学而第一8」「子罕第九24」参照。小人の態度については「子張第十九8」参照。
補説
  • 『注疏』に「此の章は君子のあやまつこと、日月の食に似たるを論ずるなり」(此章論君子之過、似日月之食也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子貢 … 『史記』仲尼弟子列伝に「端木賜は、衛人えいひとあざなは子貢、孔子よりわかきこと三十一歳。子貢、利口巧辞なり。孔子常に其の弁をしりぞく」(端木賜、衞人、字子貢、少孔子三十一歳。子貢利口巧辭。孔子常黜其辯)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『孔子家語』七十二弟子解に「端木賜は、あざなは子貢、衛人。口才こうさい有りて名を著す」(端木賜、字子貢、衞人。有口才著名)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。
  • 君子之過也、如日月之食焉 … 『義疏』に「日月の食は、日月のことさらに為すに非ず。君子の過ちは、君子のことさらに為すに非ず。故に云う、日月の蝕の如し、と」(日月之食、非日月故爲。君子之過、非君子故爲。故云、如日月之蝕也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 食焉 … 『義疏』では「蝕也」に作る。
  • 過也人皆見之 … 『義疏』に「日月の食は人並びに之を見る。君子過ち有りて隠さずして、人も亦た之を見るが如きなり」(日月之食人竝見之。如君子有過不隱、人亦見之也)とある。
  • 更也人皆仰之 … 『集解』に引く孔安国の注に「更は、改なり」(更、改也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「更は、改なり。日月の蝕みて、闇を改め明にあらたむれば、則ち天下皆並びにせんぎょうす。君子の徳も亦た先の過ちを以て累を為さざるなり」(更、改也。日月蝕罷、改闇更明、則天下皆竝瞻仰。君子之德亦不以先過爲累也)とある。また『注疏』に「更は、改なり。言うこころは君子苟くも過ち有れば、則ち衆の知る所と為ること、日月の食時に正当せば、則ち万物皆観るが如きなり。其の過ちを改むるの時に及びては、則ち人皆復た其の徳を仰ぐこと、日月の明生するの後に、則ち万物も亦た皆其の明を仰ぐが如し」(更、改也。言君子苟有過也、則爲衆所知、如日月正當食時、則萬物皆觀也。及其改過之時、則人皆復仰其德、如日月明生之後、則萬物亦皆仰其明)とある。また『集注』に「更は、平声」(更、平聲)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「君子の心は至誠なり。故に微過びかと雖も、人皆之を見る。猶お日月の体至明なり、故に繊翳せんえいと雖も、天下之を見るがごとし。明白見易く、亦た之を掩い蔵さざるを言うなり。而して其の過ちたるや、必ず改めざる所無くして、其の之を改むるに及びては、人益〻之を仰ぎ慕う。小人は之に反す。子貢日月の蝕を以て、君子の過ちに喩うるは、其の旨深し」(君子之心至誠。故雖微過、人皆見之。猶日月之體至明、故雖纖翳、天下見之。言明白易見、亦不掩藏之也。而其爲過也、必無所不改、而及乎其改之也、人益仰慕之。小人反之。子貢以日月之蝕、喩君子之過、其旨深矣)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「君子の過つや、日月の食の如し。在上の者を以て之を言う。君子の徳は、民のともる所、是れ之を明徳と謂う。故に其の過つや得て掩う可からず。是れ子貢の意なり。有徳の人は、在上の器なり。故に亦た之を君子と謂う。故に徳望有る者、其の過つや亦た猶お是くの若し。後世の註家、皆其の旁意を得るのみ」(君子之過也、如日月之食焉。以在上者言之。君子之德、民所具瞻、是謂之明德。故其過也不可得而掩焉。是子貢之意也。有德之人、在上之器也。故亦謂之君子。故有德望者、其過也亦猶若是焉。後世註家、皆得其旁意耳)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十