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子張第十九 9 子夏曰君子有三變章

480(19-09)
子夏曰、君子有三變。望之儼然。卽之也溫。聽其言也厲。
子夏しかいわく、くん三変さんぺんり。これのぞめば儼然げんぜんたり。これくやおんなり。げんくやはげし。
現代語訳
  • 子夏 ――「よくできた人は三ども変わる。遠くからだと、いかつい。そばまでゆくと、あたたかい。話すのをきくと、きびしい。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 子夏の言うよう、「君子の容態ようたいには三変化がある。遠くから望み見ると威儀いぎ堂々どうどうとしておそるべく、近く接すればがんしょくおんにして親しむべく、しかもその言葉を聴くと厳正げんせいにしておかがたい。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 子夏がいった。――
    「君子に接すると三つの変化が見られる。遠くから望むと厳然としており、近づいて見ると柔和な顔をしており、その言葉をきくと確乎として犯しがたい」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 子夏 … 前507?~前420?。姓はぼく、名は商、あざなは子夏。衛の人。孔子より四十四歳年少。孔門十哲のひとり。「文学には子游・子夏」といわれ、子游とともに文章・学問に優れていた。ウィキペディア【子夏】参照。
  • 三変 … 三つの変化。
  • 望 … 遠くから見る。
  • 儼然 … 厳か。いかめしく威厳がある。
  • 即 … 側に近づく。
  • 温 … 温和。温かい。
  • 厲 … 激しい。厳しい。
補説
  • 『注疏』に「此の章は君子の徳を論ずるなり」(此章論君子之德也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子夏 … 『孔子家語』七十二弟子解に「卜商は衛人えいひとあざなは子夏。孔子よりわかきこと四十四歳。詩を習い、能く其の義に通ず。文学を以て名を著す。人と為り性弘からず。好みて精微を論ず。じん以て之にくわうる無し。嘗て衛に返り、史志を読る者を見る。云う、晋の師、秦を伐つ。さん河を渡る、と。子夏曰く、非なり。がいのみ。史志を読む者、これを晋の史に問う。果たして己亥と曰う。是に於いて衛、子夏を以て聖と為す。孔子しゅっして後、西河のほとりに教う。魏の文侯、之に師事して国政をはかる」(卜商衞人、字子夏。少孔子四十四歳。習於詩、能通其義。以文學著名。爲人性不弘。好論精微。時人無以尚之。嘗返衞見讀史志者。云、晉師伐秦。三豕渡河。子夏曰、非也。己亥耳。讀史志者、問諸晉史。果曰己亥。於是衞以子夏爲聖。孔子卒後、教於西河之上。魏文侯師事之、而諮國政焉)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「卜商あざなは子夏。孔子よりわかきこと四十四歳」(卜商字子夏。少孔子四十四歳)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 君子有三変 … 『義疏』に「変ずる者三有り。其の事但だ一時に在るのみなり」(變者有三。其事但在一時也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 望之儼然 … 『義疏』に「一なり。君子は其の衣冠を正しくして嚴然たり。人望みて之を畏るるなり」(一也。君子正其衣冠嚴然。人望而畏之也)とある。また『集注』に「儼然とは、貌の荘なるなり」(儼然者、貌之莊)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 儼 … 『義疏』では「嚴」に作る。
  • 即之也温 … 『義疏』に「二なり。即は、就なり。近きに就いて視れば、則ち其の体は温なり。温は、潤なり。而して人之を憎まざるなり。袁氏の注に曰く、温は、和潤なり、と」(二也。即、就也。就近而視、則其體温。温、潤也。而人不憎之也。袁氏注曰、温、和潤也)とある。また『集注』に「温とは、色の和なるなり」(温者、色之和)とある。
  • 聴其言也厲 … 『集解』に引く鄭玄の注に「厲は、厳正なり」(厲、嚴正也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「三なり。厲は、厳正なり。其の和潤を見ると雖も、而れども言を出だすこと其れ厳正なり。前巻に君子は温にしてはげしと云う所以は是れなり」(三也。厲、嚴正也。雖見其和潤、而出言其嚴正也。所以前卷云君子温而厲是也)とある。また『注疏』に「望之・即之及び聴其言也、此の三者の変易有るは、常人の事なり。厲は、厳正なり。常人之を遠望せば、則ち多くかいなり。之に即き近づけば、則ち顔色は猛厲なり。其の言を聴けば、則ち多く佞邪なり。唯だ君子のみ則ち然らず。人之を遠望せば、則ち其の衣冠を正し、其のせんを尊くし、常に儼然たるなり。之に就き近づけば、則ち顔色は温和、其の言辞を聴くに及びては、則ち厳正にして佞邪無きなり」(望之、即之、及聽其言也、有此三者變易、常人之事也。厲、嚴正也。常人遠望之、則多懈惰。即近之、則顏色猛厲。聽其言、則多佞邪。唯君子則不然。人遠望之、則正其衣冠、尊其瞻視、常儼然也。就近之、則顏色溫和、及聽其言辭、則嚴正而無佞邪也)とある。また『集注』に「厲とは、辞の確なり」(厲者、辭之確)とある。
  • 『集注』に引く程顥または程頤の注に「他人儼然たれば則ち温ならず。温なれば則ち厲ならず。惟だ孔子のみ之を全うす」(他人儼然則不温。温則不厲。惟孔子全之)とある。
  • 『集注』に引く謝良佐の注に「此れ変ずるに意有るに非ず。蓋し並行して相もとらざるなり。良玉の温潤にして栗然りつぜんたるが如し」(此非有意於變。蓋並行而不相悖也。如良玉温潤而栗然)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「之を望みて儼然たるは、礼の存するなり。之に即くや温なるは、仁のあらわるるなり。其の言や厲なるは、義の発するなり。蓋し盛徳の至り、光輝の著るること、自ずから是れくの如し」(望之儼然、禮之存也。即之也温、仁之著也。其言也厲、義之發也。蓋盛德之至、光輝之著、自是如此)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「仁斎先生曰く、之を望むに儼然たるは、礼の存するなり、之に即くや温なるは、仁の著るるなり。其の言や厲なるは、義の発するなり。蓋し盛徳の至り、光輝の著るること、自ずから是れ此くの如し、と。味わい有るかな其の之を言うこと。然りと雖も、何ぞだ盛徳の人のみ独り然らんや。君子は仁を体し礼を履みて義に由る。上に在る者は皆当に此くの如くなるべし。道を学ぶ者も亦た皆当に此くの如くなるべし。程子曰く、惟だ孔子のみ之を全うす、と。謝氏曰く、此れ変に意有るに非ず、蓋し並び行われて相もとらざるなり、と。此れ皆宋儒の失、聖人を知らざるに在り。ああ、是れ未だ以て聖人と為すに足らざるなり。古えの賢者皆しかり」(仁齋先生曰、望之儼然、禮之存也、即之也温、仁之著也。其言也厲、義之發也。蓋盛德之至、光輝之著、自是如此。有味乎其言之。雖然、何啻盛德之人獨然哉。君子體仁履禮而由義。在上者皆當如此。學道者亦皆當如此。程子曰、惟孔子全之。謝氏曰、此非有意於變、蓋並行而不相悖也。此皆宋儒之失、在不知聖人焉。吁、是未足以爲聖人也。古之賢者皆爾)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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