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憲問第十四 1 憲問恥章

333(14-01)
憲問恥。子曰、邦有道穀。邦無道穀、恥也。
けんはじう。いわく、くにみちればこくす。くにみちくしてこくするは、はじなり。
現代語訳
  • 原憲が恥じのことをきく。先生 ――「清潔な時代に給与をもらい、不潔な時代にも給与をもらうのは、恥じだな。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 原憲げんけんが、何が恥ずべきことかを、おたずねした。孔子様がおっしゃるよう、「国に道が行われている際仕えて俸禄ほうろくを受けるのは恥ではないが、国に道がなくて乱れている場合に、いさぎよく退しりぞくことができないでむなしく禄をはんでいるのは、恥ずべきことじゃ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • けんが恥についてたずねた。先師がこたえられた。――
    「国に道が行なわれている時、仕えてろくむのは恥ずべきことではない。しかし、国に道が行なわれていないのに、その禄を食むのは恥ずべきである」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 憲 … 前515~?。孔子の門人、原憲。姓は原、名は憲、字は子思。魯の人、また宋の人、また斉の人。孔子より三十六歳若い。原思とも。ウィキペディア【原憲】参照。
  • 邦 … 国。
  • 有道 … 道徳にかなった政治が行われている。
  • 穀 … 仕官して俸給を受けること。
  • 無道 … 道徳に反する政治が行われている。
  • この章を次章と合わせて一つの章とするテキストも多い。
補説
  • 憲問第十四 … 『集解』に「凡そ四十七章」(凡四十七章)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「憲とは、弟子の原憲なり。問とは、孔子に進仕の法を問うなり。前に次ぐ所以の者なり。顔・路既にまことに文、允に武なれば、則ち学の優なる者宜しく仕うべし。故に憲問は子路に次ぐなり」(憲者、弟子原憲也。問者、問於孔子進仕之法也。所以次前者。顏路既允文允武、則學優者宜仕。故憲問次於子路也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「此の篇は三王・二覇の迹、諸侯・大夫の行い、仁を為し恥を知り、己を修め民を安んずるを論ず。皆政の大節なり。故に類を以て相あつめ、政を問うに次するなり」(此篇論三王二霸之迹、諸侯大夫之行、爲仁知恥、脩己安民。皆政之大節也。故以類相聚、次於問政也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「胡氏曰く、此の篇疑うらくは原憲が記す所なるべし、と。凡そ四十七章」(胡氏曰、此篇疑原憲所記。凡四十七章)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 『注疏』に「此の章は恥辱及び仁徳を明らかにするなり」(此章明耻辱及仁德也)とある。
  • 原憲 … 『孔子家語』七十二弟子解に「原憲は宋人そうひと、字は子思。孔子よりわかきこと三十六歳。清浄にして節を守る。貧にして道を楽しむ。孔子魯の司寇と為り、原憲嘗て孔子の宰と為る。孔子しゅっしてのち、原憲退隠して、衛に居る」(原憲宋人、字子思。少孔子三十六歳。淸淨守節。貧而樂道。孔子爲魯司寇、原憲嘗爲孔子宰。孔子卒後、原憲退隱、居於衞)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「原憲、字は子思」(原憲字子思)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 憲問恥 … 『義疏』に「弟子の原憲、孔子に凡そ事を行うの最も恥ず可きことを為す者を問うなり」(弟子原憲問孔子凡行事最爲可恥者也)とある。また『注疏』に「憲は、弟子の原憲を謂う。夫子に問いて曰く、人の行い何を為さば恥辱とす可きか、と」(憲、謂弟子原憲。問於夫子曰、人之行何爲可恥辱也)とある。また『集注』に「憲は、原思の名」(憲、原思名)とある。
  • 子曰、邦有道穀 … 『集解』に引く孔安国の注に「穀は、禄なり。邦に道有れば、当に其の禄をむべきなり」(穀、祿也。邦有道、當食其祿也)とある。また『義疏』に「恥ず可き事に答うるなり。将に恥ず可き者を言わんとするに、先ず恥じざる者を挙ぐるなり。穀は、禄なり。若し道有らば則ち以て仕え、而して其の禄をむ可きなり」(答可恥事也。將言可恥者、先舉不恥者也。穀、祿也。若有道則可以仕、而食其祿也)とある。また『注疏』に「穀は、禄なり。孔子答えて言う、邦に道有るときは、当に禄を食むべし」(穀、祿也。孔子答言、邦有道、當食祿)とある。また『集注』に「穀は、禄なり」(穀、祿也)とある。
  • 邦無道穀、恥也 … 『集解』に引く孔安国の注に「きみ道無くして其の朝に在り、其の禄をむは、是れ恥辱なり」(君無道而在其朝、食其祿、是耻辱也)とある。また『義疏』に「此れ恥ず可き者なり。若し君道無くして仕え、其の禄を食まば、則ち恥と為す可きなり」(此可恥者。若君無道而仕、食其祿、則可爲恥也)とある。また『注疏』に「君道無くして其の朝に在り、其の禄を食むは、是れ恥辱なり」(君無道而在其朝、食其祿、是恥辱也)とある。また『集注』に「穀は、禄なり」(穀、祿也)とある。
  • 『集注』に「邦に道有るに為すこと有る能わず、邦に道無きに独り善くすること能わずして、但だ禄をむを知るは、皆恥ず可きなり。憲の狷介けんかい、其の邦に道無きに穀するの恥ず可きに於いては、固より之を知れり。邦に道有るに穀するの恥ず可きに至りては、則ち未だ必ずしも知らざるなり。故に夫子其の問いに因りてあわせて之を言い、以て其の志を広め、自ら勉むる所以を知りて、為すこと有るに進ましむるなり」(邦有道不能有爲、邦無道不能獨善、而但知食祿、皆可恥也。憲之狷介、其於邦無道穀之可恥、固知之矣。至於邦有道穀之可恥、則未必知也。故夫子因其問而幷言之、以廣其志、使知所以自勉、而進於有爲也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「愚おもえらく、士の世に於ける、独り其の身を善くするは易く、兼ねて天下を善くするは難し。其の恥ず可きの中に於いて、自ら軽重する所を知りて可なり」(愚謂、士之於世、獨善其身易、兼善天下難。其於可恥之中、自知所輕重可也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「孔安国曰く、穀は禄なり。邦道有れば、まさに禄をむべし。きみ道無くして其のちょうに在り其の禄をむは、是れ恥辱なり、と。古人善く古文辞を解する者くの如きかな。後世の儒者は古文辞を知らず。且つ秦漢よりして後、人皆以て宰相と為る可し。故に士は功名に急なり。ここいてか朱子の説有り。に孔子の時の意ならんや。且つ憲の狷介けんかいと曰うは、是れ果たして何の拠る所ぞ。宋儒はほしいままに己が意を以て古人を品目す。せんなるかな」(孔安国曰、穀祿也。邦有道、當食祿。君無道而在其朝食其祿、是恥辱。古人善解古文辭者如是夫。後世儒者不知古文辭。且秦漢而後、人皆可以爲宰相。故士急功名。於是乎有朱子之説。豈孔子時之意哉。且曰憲之狷介、是果何所據。宋儒恣以己意品目古人。僭哉)とある。品目は、品定めをする。批評する。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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