憲問第十四 1 憲問恥章
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憲問恥。子曰、邦有道穀。邦無道穀、恥也。
憲問恥。子曰、邦有道穀。邦無道穀、恥也。
憲、恥を問う。子曰く、邦に道有れば穀す。邦に道無くして穀するは、恥なり。
現代語訳
- 原憲が恥じのことをきく。先生 ――「清潔な時代に給与をもらい、不潔な時代にも給与をもらうのは、恥じだな。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 原憲が、何が恥ずべきことかを、おたずねした。孔子様がおっしゃるよう、「国に道が行われている際仕えて俸禄を受けるのは恥ではないが、国に道がなくて乱れている場合に、いさぎよく退くことができないでむなしく禄をはんでいるのは、恥ずべきことじゃ。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 憲が恥についてたずねた。先師がこたえられた。――
「国に道が行われている時、仕えて禄を食むのは恥ずべきことではない。しかし、国に道が行われていないのに、その禄を食むのは恥ずべきである」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
補説
- 憲問第十四 … 『集解』に「凡そ四十七章」(凡四十七章)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「憲とは、弟子の原憲なり。問とは、孔子に進仕の法を問うなり。前に次ぐ所以の者なり。顔・路既に允に文、允に武なれば、則ち学の優なる者宜しく仕うべし。故に憲問は子路に次ぐなり」(憲者、弟子原憲也。問者、問於孔子進仕之法也。所以次前者。顏路既允文允武、則學優者宜仕。故憲問次於子路也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「此の篇は三王・二覇の迹、諸侯・大夫の行い、仁を為し恥を知り、己を修め民を安んずるを論ず。皆政の大節なり。故に類を以て相聚め、政を問うに次するなり」(此篇論三王二霸之迹、諸侯大夫之行、爲仁知恥、脩己安民。皆政之大節也。故以類相聚、次於問政也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「胡氏曰く、此の篇疑うらくは原憲が記す所なるべし、と。凡そ四十七章」(胡氏曰、此篇疑原憲所記。凡四十七章)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 『注疏』に「此の章は恥辱及び仁徳を明らかにするなり」(此章明耻辱及仁德也)とある。
- 原憲 … 『孔子家語』七十二弟子解に「原憲は宋人、字は子思。孔子より少きこと三十六歳。清浄にして節を守る。貧にして道を楽しむ。孔子魯の司寇と為り、原憲嘗て孔子の宰と為る。孔子卒して後、原憲退隠して、衛に居る」(原憲宋人、字子思。少孔子三十六歳。淸淨守節。貧而樂道。孔子爲魯司寇、原憲嘗爲孔子宰。孔子卒後、原憲退隱、居於衞)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「原憲、字は子思」(原憲字子思)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
- 憲問恥 … 『義疏』に「弟子の原憲、孔子に凡そ事を行うの最も恥ず可きことを為す者を問うなり」(弟子原憲問孔子凡行事最爲可恥者也)とある。また『注疏』に「憲は、弟子の原憲を謂う。夫子に問いて曰く、人の行い何を為さば恥辱とす可きか、と」(憲、謂弟子原憲。問於夫子曰、人之行何爲可恥辱也)とある。また『集注』に「憲は、原思の名」(憲、原思名)とある。
- 子曰、邦有道穀 … 『集解』に引く孔安国の注に「穀は、禄なり。邦に道有れば、当に其の禄を食むべきなり」(穀、祿也。邦有道、當食其祿也)とある。また『義疏』に「恥ず可き事に答うるなり。将に恥ず可き者を言わんとするに、先ず恥じざる者を挙ぐるなり。穀は、禄なり。若し道有らば則ち以て仕え、而して其の禄を食む可きなり」(答可恥事也。將言可恥者、先舉不恥者也。穀、祿也。若有道則可以仕、而食其祿也)とある。また『注疏』に「穀は、禄なり。孔子答えて言う、邦に道有るときは、当に禄を食むべし」(穀、祿也。孔子答言、邦有道、當食祿)とある。また『集注』に「穀は、禄なり」(穀、祿也)とある。
- 邦無道穀、恥也 … 『集解』に引く孔安国の注に「君道無くして其の朝に在り、其の禄を食むは、是れ恥辱なり」(君無道而在其朝、食其祿、是耻辱也)とある。また『義疏』に「此れ恥ず可き者なり。若し君道無くして仕え、其の禄を食まば、則ち恥と為す可きなり」(此可恥者。若君無道而仕、食其祿、則可爲恥也)とある。また『注疏』に「君道無くして其の朝に在り、其の禄を食むは、是れ恥辱なり」(君無道而在其朝、食其祿、是恥辱也)とある。また『集注』に「穀は、禄なり」(穀、祿也)とある。
- 『集注』に「邦に道有るに為すこと有る能わず、邦に道無きに独り善くすること能わずして、但だ禄を食むを知るは、皆恥ず可きなり。憲の狷介、其の邦に道無きに穀するの恥ず可きに於いては、固より之を知れり。邦に道有るに穀するの恥ず可きに至りては、則ち未だ必ずしも知らざるなり。故に夫子其の問いに因りて并せて之を言い、以て其の志を広め、自ら勉むる所以を知りて、為すこと有るに進ましむるなり」(邦有道不能有爲、邦無道不能獨善、而但知食祿、皆可恥也。憲之狷介、其於邦無道穀之可恥、固知之矣。至於邦有道穀之可恥、則未必知也。故夫子因其問而幷言之、以廣其志、使知所以自勉、而進於有爲也)とある。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「愚謂えらく、士の世に於ける、独り其の身を善くするは易く、兼ねて天下を善くするは難し。其の恥ず可きの中に於いて、自ら軽重する所を知りて可なり」(愚謂、士之於世、獨善其身易、兼善天下難。其於可恥之中、自知所輕重可也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』に「孔安国曰く、穀は禄なり。邦道有れば、当に禄を食むべし。君道無くして其の朝に在り其の禄を食むは、是れ恥辱なり、と。古人善く古文辞を解する者是くの如きかな。後世の儒者は古文辞を知らず。且つ秦漢よりして後、人皆以て宰相と為る可し。故に士は功名に急なり。是に於いてか朱子の説有り。豈に孔子の時の意ならんや。且つ憲の狷介と曰うは、是れ果たして何の拠る所ぞ。宋儒は恣に己が意を以て古人を品目す。僭なるかな」(孔安国曰、穀祿也。邦有道、當食祿。君無道而在其朝食其祿、是恥辱。古人善解古文辭者如是夫。後世儒者不知古文辭。且秦漢而後、人皆可以爲宰相。故士急功名。於是乎有朱子之説。豈孔子時之意哉。且曰憲之狷介、是果何所據。宋儒恣以己意品目古人。僭哉)とある。品目は、品定めをする。批評する。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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