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公冶長第五 1 子謂公冶長章

093(05-01)
子謂公冶長、可妻也。雖在縲絏之中、非其罪也。以其子妻之。子謂南容、邦有道不廢。邦無道免於刑戮。以其兄之子妻之。
こうちょうう、めあわきなり。縲絏るいせつうちりといえども、つみあらざるなりと。もっこれめあわす。南容なんようう、くにみちればはいせられず。くにみちきも刑戮けいりくよりまぬかると。あにもっこれめあわす。
現代語訳
  • 先生は(弟子の)公冶長(コウヤ・チョウ)のことを ―― 「ムコにしてもいい。ナワつきになったとはいえ、かれの罪じゃないんだ。」といって娘をやった。また南容のことを ―― 「平和なときは、役につける。乱れた世にも、殺されはしまい。」といって兄の娘をやった。(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様が公冶長を評して、「あれなら娘を嫁にやってもよろしい。にゅうろうしたこともあるが、無実の罪だったのだ。」と言われ、自身の婿むこにされた。また南容を評して、「あれはつつしみ深い男だから、治まった国なら任用されようし、乱れた国でも刑罰にあうようなことはあるまい。」と言われ、兄さんの娘を嫁にやられた。(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がこうちょうを評していわれた。――
    「あの人物なら、娘を嫁にやってもよい。かつては縄目の恥をうけたこともあったが、無実の罪だったのだ」
    そして彼を自分の婿むこにされた。
    また先師は南容なんようを評していわれた。――
    「あの人物なら、国が治まっている時には必ず用いられるであろうし、国が乱れていても刑罰をうけるようなことは決してあるまい」
    そして兄上の娘を彼の嫁にやられた」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 「子謂南容~」以下が別の一章となっているテキストもある。
  • 謂 … ここでは批評するの意。
  • 公冶長 … 孔子の門人。姓は公冶、名は長、あざなは子長。せいの人、またの人。鳥の言葉を理解できたという。ウィキペディア【公冶長】参照。
  • 妻 … 「めあわす」と動詞に読む。娘を嫁にやる。
  • 縲絏 … 「縲」は、罪人を捕える黒縄。「絏」は、つなぐ意。転じて、牢屋。または投獄されること。
  • 其子妻之 … 孔子が自分の娘を公冶長に嫁がせた。
  • 南容 … 姓はなんきゅう、名はかつ(括)、またとう(韜)。あざなは子容。南容は、南宮子容の略。孔子の門人といわれているが異説もあり、はっきりしない。ウィキペディア【南宮括】参照。
  • 邦 … 諸侯の国。
  • 有道 … 社会秩序が守られている。
  • 不廃 … 見捨てられることなく、必ず用いられる。
  • 無道 … 社会秩序が乱れている。
  • 刑戮 … 刑罰に処されること。
  • 兄之子 … 孔子にはもうという異母兄がいた。その孟皮の娘のこと。
補説
  • 公冶長第五 … 『集解』に「凡そ二十九章」(凢二十九章)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「公冶長は、孔子の弟子なり。此の篇は、時に明君無くして、賢人の罪を獲る者を明らかにするなり。所以ゆえに前者に次す。言うこころは公冶、枉濫おうらん縲紲るいせつに在りと雖も、而れども聖師の証明を為す。若し仁に近からずんば、則ち曲直難弁す。故に公冶を里仁に次するなり」(公冶長者、孔子弟子也。此篇、明時無明君、賢人獲罪者也。所以次前者。言公冶雖在枉濫縲紲、而爲聖師證明。若不近仁、則曲直難辨。故公冶次里仁也)とある。枉濫は、法を乱すこと。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「此の篇の大指は、賢人・君子の仁・知・剛・直を明らかにす。前篇は仁者の里を択びて居る、故に学びて君子と為るを得るを以て、即ち下に、魯に君子無くんば、斯れいずくにか斯れを取らん、と云うは是れなり。故に里仁に次ぐ」(此篇大指、明賢人君子仁知剛直。以前篇擇仁者之里而居、故得學爲君子、即下云、魯無君子、斯焉取斯、是也。故次里仁)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「此の篇は、皆古今の人物の賢否得失を論ず。蓋し格物窮理の一端なり。凡そ二十七章。胡氏(胡寅)以為おもえらく疑うらくは子貢の徒の記す所多しと云う」(此篇、皆論古今人物賢否得失。蓋格物窮理之一端也。凡二十七章。胡氏以爲疑多子貢之徒所記云)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 『注疏』に「此の章は弟子公冶長の賢を明らかにするなり」(此章明弟子公冶長之賢也)とある。また「子謂南容~」以下を別の章とし、「此の章は孔子弟子の南容の賢行を評論するなり」(此章孔子評論弟子南容之賢行也)とある。
  • 公冶長 … 『孔子家語』七十二弟子解に「公冶長はひとあざなは子長。人とり能く恥を忍ぶ。孔子むすめを以て之にめあわす」(公冶長魯人、字子長。爲人能忍恥。孔子以女妻之)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「公冶長は斉人せいひと。字は子長」(公冶長齊人。字子長)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『集解』に引く孔安国の注に「公冶長は、弟子、魯人なり。姓は公冶、名は長なり」(公冶長、弟子、魯人也。姓公冶、名長也)とある。また『義疏』に「公冶長は、弟子なり」(公冶長、弟子也)とある。また『注疏』に「史記弟子伝を案ずるに云う、公冶長は斉人なり、と。而るに此に魯人と云うは、家語を用いて説を為すなり」(案史記弟子傳云、公冶長齊人。而此云魯人、用家語爲説也)とある。また『集注』に「公冶長は、孔子の弟子なり」(公冶長、孔子弟子)とある。
  • 可妻也 … 『義疏』に「めあわす可しとは、孔子むすめを以て之に嫁がしめんと欲す。故に先ず評論して云う、めあわす可きと謂うなり、と」(可妻者、孔子欲以女嫁之。故先評論云、謂可妻也)とある。また『注疏』に「むすめを人に納るるをめあわすと曰う。孔子弟子の公冶長の徳行もっぱら備われば、女を納れて之がために妻と為らしむ可きを評論するなり」(納女於人曰妻。孔子評論弟子公冶長德行純備、可納女與之爲妻也)とある。また『集注』に「妻は、之が妻と為すなり」(妻、為之妻也)とある。
  • 雖在縲絏之中、非其罪也 … 『集解』に引く孔安国の注に「縲は、黒索なり。紲は、れんなり。罪人をとらうる所以なり」(縲、黒索。紲、攣也。所以拘於罪人也)とある。また『義疏』に「既に之にめあわさんと欲す。故につぶさに其の由来を論ずるなり。縲は、黒索なり。紲は、攣なり。古えは黒索を用いて以て罪人に攣係するなり。冶長は賢人なり。時に枉濫を経て、縲紲の中に在り。然りと雖も、実は其の罪に非ざるなり」(既欲妻之。故備論其由來也。縲、黑索也。紲、攣也。古者用黑索以攣係罪人也。冶長賢人。于時經枉濫在縲紲之中。雖然、實非其罪也)とある。また『注疏』に「縲は、黒いなわ、絏は、くなり。古えの獄は黒索を以て罪人を拘攣こうれんす。時に於いて冶長は枉濫おうらんを以て繫がれる。故に孔子之を論じて曰く、縲絏の中に在りと雖も、実は其の冶長の罪に非ざるなり、と」(縲、黑索、絏、攣也。古獄以黑索拘攣罪人。於時冶長以枉濫被繫。故孔子論之曰、雖在縲絏之中、實非其冶長之罪也)とある。また『集注』に「縲は、黒索なり。絏は、攣なり。古えは獄中黒索を以て罪人を拘攣こうれんす。長の人とり、考うる所無し。而れども夫子其れ妻す可しと称すれば、其れ必ず以て之を取ること有らん。又た其の人嘗て縲絏の中に陥ると雖も、其の罪に非ずと言えば、則ち固より妻す可きに害無きなり。夫れ罪有り罪無しは、我に在るのみ。豈に外より至る者を以て、栄辱と為さんや」(縲、黑索也。絏、攣也。古者獄中以黑索拘攣罪人。長之爲人、無所考。而夫子稱其可妻、其必有以取之矣。又言其人雖嘗陷於縲絏之中、而非其罪、則固無害於可妻也。夫有罪無罪、在我而已。豈以自外至者、爲榮辱哉)とある。
  • 絏 … 『義疏』では「紲」に作る。唐以降、太宗の諱「世民」の「世」を避けて「絏」に改めている。避諱・改字。『十三經注疏』の校勘記には「唐人太宗の諱を避け、改めて絏に作る」(唐人避太宗諱改作絏)と記されている。また『史諱擧例』巻八には「世を改めて代と為す、或いは系と為す、世の字にしたがい改めて云に从う、或いは改めて曳に从う」(世改爲代、或爲系、从世之字改从云、或改从曳)とある。ウィキペディア【避諱】参照。
  • 以其子妻之 … 『義疏』に「之を評すること既に竟わり、而して遂にむすめを以て之にするなり。范寧曰く、公冶は行い正しくして罪を獲る、罪は其の罪に非ず、孔子は女を以て之にめあわす。将に以て大いに衰世の刑を用うることの枉濫おうらんたることを明らかにして、将来実に正を守るの人を勧めんとするなり、と」(評之既竟、而遂以女嫁之也。范寧曰、公冶行正獲罪、罪非其罪、孔子以女妻之。將以大明衰世用刑之枉濫、勸將來實守正之人也)とある。また『注疏』に「論じわり、遂に其の女子を以て之にめあわすなり」(論竟、遂以其女子妻之也)とある。
  • 子謂南容 … 『史記』仲尼弟子列伝に「南宮括、字は子容」(南宮括字子容)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『孔子家語』七十二弟子解に「南宮韜はひと、字は子容。智を以て自らまもる。世清くしててられず、世にごるもけがされず。孔子兄の子を以て之にめあわす」(南宮韜魯人、字子容。以智自將。世淸不廢、世濁不汚。孔子以兄子妻之)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。また『礼記』檀弓上篇に「南宮縚の妻の姑の喪に、夫子之におしえて曰く……」(南宮縚之妻之姑之喪、夫子誨之髽曰……)とある。ウィキソース「禮記/檀弓上」参照。また『集解』に引く王肅の注に「南容は、弟子の南宮縚なり。魯人なり。字は子容」(南容、弟子南宮縚也。魯人也。字子容)とある。また『義疏』に「又た南容を評するなり」(又評南容也)とある。また『集注』に「南容は、孔子の弟子、南宮に居る。名は縚、又た名は适、字は子容、おくりなは敬叔。孟子の兄なり」(南容、孔子弟子、居南宮。名縚、又名适、字子容、諡敬叔。孟懿子之兄也)とある。
  • 邦有道不廃、邦無道免於刑戮 … 『集解』に引く王肅の注に「廃せられずは、任用せらるるを言うなり」(不廢、言見任用也)とある。また『義疏』に「南容の徳を明らかにするなり。若し国君道有るに遭わば、則ち出でて官に仕え、己の才徳を廃せざるなり。若し君道無くんば、則ち行いをたかくして言はゆずり、以て刑戮を免るるなり。刑戮は通語のみ、亦た軽重を含むなり」(明南容之德也。若遭國君有道、則出仕官、不廢己之才德也。若君無道、則危行言遜、以免於刑戮也。刑戮通語耳、亦含輕重也)とある。また『注疏』に「此れ南容の徳なり。若し邦国に道有るときに遇わば、則ち常に用いられて官に在りて、廃棄せられざるを得。若し邦国に道無きときに遇わば、則ち必ず行いをたかしくして言はゆずり、以て刑罰・戮辱より脱免するなり」(此南容之德也。若遇邦國有道、則常得見用在官、不被廢棄。若遇邦國無道、則必危行言遜、以脱免於刑罰戮辱也)とある。また『集注』に「廃せられずは、必ず用いらるるを言うなり。其の言行を謹むを以て、故に能く治朝に用いられ、禍を乱世に免かるるなり。事又た第十一篇に見ゆ」(不廢、言必見用也。以其謹於言行、故能見用於治朝、免禍於亂世也。事又見第十一篇)とある。治朝は、政庁。第十一篇は、先進篇5を指す。
  • 以其兄之子妻之 … 『義疏』に「之を論ずること既に畢わり、孔子は己の兄のむすめを以て之にめあわすなり」(論之既畢、孔子以己兄女妻之也)とある。また『注疏』に「徳行此くの如し、故に其の兄のむすめを以て、之がために妻と為らしむるを言うなり」(言德行如此、故以其兄之女、與之爲妻也)とある。
  • 『集注』に「或ひと曰く(程頤に対する弟子の質問)、公冶長の賢は、南容に及ばず。故に聖人其の子を以て長にめあわせて、兄の子を以て容に妻す。蓋し兄に厚くして、己に薄くするなり、と」(或曰、公冶長之賢、不及南容。故聖人以其子妻長、而以兄子妻容。蓋厚於兄、而薄於己也)とあり、これに対する程頤の答えに「此れ己の私心を以て聖人を窺うなり。凡そ人の嫌を避くる者は、皆内足らざるなり。聖人は自ら至公、何の嫌を避くること之れ有らん。況んや女を嫁するに必ず其の才を量りて配を求む。尤も当に避くる所有るべからざるなり。孔子の事の若きは、則ち其の年の長幼、時の先後、皆知る可からず。惟だ以て嫌を避くると為せば、則ち大いに可ならず。嫌を避くるの事は、賢者すら且つ為さず。況んや聖人をや」(此以己之私心窺聖人也。凡人避嫌者、皆内不足也。聖人自至公、何避嫌之有。況嫁女必量其才而求配。尤不當有所避也。若孔子之事、則其年之長幼、時之先後、皆不可知。惟以爲避嫌、則大不可。避嫌之事、賢者且不爲。況聖人乎)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「正に夫子の人を取るに、惟だ是に之れ従いて、一に拘わらざることを見るなり。蓋し論語を編む者、二子の事を併せ録して、以て聖人の権度、変化方無きことを明らかにす。学者の当に心を尽くすべき所なり」(正見夫子之取人、惟是之從、不拘于一也。蓋編論語者、併録二子之事、以明聖人之權度、變化無方。學者之所當盡心也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「公冶長・南容は相ひとし。……後人以て優劣有りと為す者は非なり。南容は数〻しばしば論語に見る。而うして公冶長は復た見えず。……或いは謂う、南容の刑戮に免るると、公冶長の其の罪に非ざるとまさに相当たる、而うして不廃の一言を多くすれば、則ち長より優なり、と。殊に知らず南容は三家の族たり、三家者は有道にえば則ち必ず廃す、而るに此れ廃せず、故に不廃の一言を多くする者は、其の三家の族たるを以てのみなることを。長は縲絏の事有り。故に夫子は其の罪に非ざることを断ずるなり。すでに顕なる者に非ず、何ぞ必ずしも其の廃せざるを論ぜんや。……聖人と雖も亦たしかり。聖人の常人に異なる所以の者は、奇貨居く可くりて以て栄と為すの心無きのみ」(公冶長南容相等也。……後人以爲有優劣者非也。南容數見於論語。而公冶長不復見焉。……或謂南容免於刑戮、與公冶長非其罪也適相當、而多不廢一言、則優於長也。殊不知南容爲三家之族、三家者値有道則必廢、而此不廢、故多不廢一言者、以其爲三家之族耳。長有縲絏之事。故夫子斷非其罪也。業非顯者、何必論其不廢哉。……雖聖人亦爾。聖人所以異於常人者、無奇貨可居藉以爲榮之心爾)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十