>   論語   >   公冶長第五   >   20

公冶長第五 20 子曰甯武子章

112(05-20)
子曰、甯武子、邦有道則知、邦無道則愚。其知可及也。其愚不可及也。
いわく、ねい武子ぶしは、くにみちればすなわくにみちければすなわなり。およきなり。およからざるなり。
現代語訳
  • 先生 ――「甯武(ネイブ)さんは、平和な世では切れ者、みだれた世ではバカになった。あの切れかたはまねしても、あんなにバカにはなりきれない。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「ねい武子ぶしは、国が治まっているときはおもてに立って腕をふるい、あっぱれ知恵ちえしゃだといわれるが、国が乱れるとかげにまわって損なやくまわりを買い、利害を知らぬばか者のように見える。その知恵者たるところはまねができるが、そのばか者たるところは及びもつかない。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    ねい武子ぶしは国に道が行われている時には、見事に腕をふるって知者だといわれ、国が乱れている時には、損な役割を引きうけて愚者だといわれた。その知者としての働きは真似ができるが、愚者としての働きは容易に真似のできないところだ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 甯武子 … 生没年不詳。衛の大夫。姓は甯、名は、武はおくりな。暗愚な成公に仕え、助けたという。孔子より約百年前の人。ウィキペディア【甯武子】(中文)参照。
  • 邦有道 … 国が治まっている。国の秩序が保たれている。
  • 邦無道 … 国が乱れている。国の秩序が失われている。
  • 其知 … その知者ぶり。「其」は、甯武子を指す。
  • 可及也 … 真似ができる。
  • 其愚 … その愚者ぶり。愚者のふりをすること。「其」は、甯武子を指す。
  • 不可及也 … 真似ができない。
補説
  • 『注疏』に「此の章は衛の大夫の甯武子の徳をむるなり」(此章美衞大夫甯武子之德也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 甯武子 … 『集解』に引く馬融の注に「衛の大夫のねいなり。武は、諡なり」(衞大夫甯兪也。武、諡也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「武子の徳をむるなり」(美武子德也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「謚法に云う、剛彊にして理に直なるを武と曰う、と」(謚法云、剛彊直理曰武)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「甯武子は、衛の大夫、名は兪」(甯武子、衛大夫、名兪)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 邦有道則知 … 『義疏』に「言うこころは武子若し邦君の有道にわば、則ち己の智識をほしいままにして以て明時をたすくるなり」(言武子若値邦君有道、則肆己智識以贊明時也)とある。明時は、平和によく治まっている世のこと。また『注疏』に「此れ其の徳なり。若し邦国の有道に遇わば、則ち其の知謀を顕らかにす」(此其德也。若遇邦國有道、則顯其知謀)とある。
  • 邦無道則愚 … 『義疏』に「若し国主の無道にわば、則ち智を巻き明を蔵す、いつわくらくして愚に同じうするなり」(若値國主無道、則卷智藏明、詳昏同愚也)とある。また『注疏』に「若し無道に遇わば、則ちつつみて其の知をおさめて愚をいつわる」(若遇無道、則韜藏其知而佯愚)とある。
  • 其知可及也 … 『義疏』に「是れ其の中人の識量は、当に其の智をほしいままにするの目なるべし。故に世人の及ぶ可しと為すなり」(是其中人識量、當其肆智之目。故爲世人之可及也)とある。また『注疏』に「言うこころは道有るときに則ち知なるは、人或いは及ぶ可し」(言有道則知、人或可及)とある。
  • 其愚不可及也 … 『集解』に引く孔安国の注に「愚をいつわること実に似たり。故に及ぶ可からざるなりと曰う」(詳愚似實。故曰不可及也)とある。また『義疏』に「時の人多く聡明をてらう。故に智識武子に及ぶ者有れども、敢えていつわり愚にして智を隠すこと、武子の如き者無し。故に其の愚には及ぶ可からざるなりと云う。詳は、詐なり」(時人多衒聰明。故智識有及於武子者、而無敢詳愚隱智如武子者。故云其愚不可及也。詳、詐也)とある。また『注疏』に「愚をいつわること実に似たるは、及ぶ可からざるなり」(佯愚似實、不可及也)とある。また『集注』に「春秋伝を按ずるに、武子衛に仕うるは、文公・成公の時に当たる。文公道有りて、武子ことの見る可き無し。此れ其の知の及ぶ可きなり。成公道無く、国を失うに至りて武子其の間に周旋し、心を尽くし力をくし、艱険かんけんを避けず。凡そ其の処する所は、皆智巧の士、深く避けて為すをがえんぜざる所の者にして、能くついに其の身を保ち、以て其の君をすくう。此れ其の愚の及ぶ可からざるなり」(按春秋傳、武子仕衞、當文公成公之時。文公有道、而武子無事可見。此其知之可及也。成公無道、至於失國而武子周旋其間、盡心竭力、不避艱險。凡其所處、皆智巧之士、所深避而不肯爲者、而能卒保其身、以濟其君。此其愚之不可及也)とある。
  • 『集注』に引く程顥または程頤の注に「邦に道無ければ、能く沈かいして以て患を免る。故に及ぶ可からずと曰う。亦た愚に当たらざる者有り。かんは是れなり」(邦無道、能沈晦以免患。故曰不可及也。亦有不當愚者。比干是也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「邦に道有れば、則ち上明らかに下直に、是を是とし非を非とし、忌み憚る所無し。是の時にあたりて、まことに智を用いて以て事をし易し。邦に道無ければ、則ち上くらく下へつらい、是非貿乱ぼうらんす。是の時にあたりて、既に道を枉げて以て希合せず、亦た倖直にして以て禍を取らず、是れ能くし難しと為すなり。此れ其の知には及ぶ可くして、其の愚には及ぶ可からざる所以なり」(邦有道、則上明下直、是是非非、無所忌憚。方是時也、固易用智以濟事。邦無道、則上昏下諛、是非貿亂。方是時也、既不枉道以希合、亦不倖直以取禍、是爲難能也。此所以其知可及、而其愚不可及也)とある。貿乱は、乱れること。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「甚だしいかな人のこのんで賢知を以て自らあらわるること。……其の心賢知に在りて忠に在らざればなり。其の心賢知に在る者は、其の身をくするに止まるのみ。其の心忠に在る者は、仁の道なり。甯武子の愚の、孔子に取らるる者は、此れを以てなるか。然れども其の愚の及ぶ可からざるは、亦た甯武子の性なり。孔子明らかに及ぶ可からずと言う。人のせいは、聖人と雖も亦た及ぶこと能わざるなり。後世の儒者は此の意を知らず」(甚矣哉人之喜以賢知自見也。……其心在賢知而不在忠也。其心在賢知者、止於淑其身而已矣。其心在忠者、仁之道也。甯武子之愚、見取於孔子者、以此歟。然其愚之不可及、亦甯武子之性也。孔子明言不可及也。人之至性、雖聖人亦不能及也。後世儒者不知此意)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十