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夜送趙縦(楊烱)

夜送趙縱
夜(よる)、趙縦(ちょうしょう)を送(おく)る
楊烱(ようけい)
  • ウィキソース「夜送趙縱」参照。
  • この詩は、ある夜、趙縦(ちょうしょう)という人が郷里に帰るのを見送って詠んだもの。一説に、彼はどこかの郡守であったとし、上京したが栄転できず、再び元の郡に帰ることとなった。したがって作者が彼の不遇を慰めたものとする。
  • 詩題 … 『文苑英華』では「夜送」に作り、「集作餞」と注する。
  • 趙縦 … 人物については不詳。
  • 楊炯 … 650~?(693~695?卒)。初唐の詩人。華陰(陝西省渭南市華陰市)の人。字(あざな)は不詳。高宗の顕慶四年(659)、十歳で神童の試験に及第、顕慶五年(660)、弘文館の待制(待命)となり、上元三年(676)、応制挙に及第、校書郎を授かった。永淳元年(682)、崇文館学士、及び皇太子の詹(せん)事(じ)司直となった。則天武后の垂拱元年(685)、徐敬業の反乱に連座し、梓州(四川省綿陽市南部)の司法参軍に左遷された。のちに盈川(えいせん)県(浙江省衢(く)州(しゅう)市)の県令に転出した。王勃・盧照鄰・駱賓王とともに初唐四傑の一人に数えられる。『楊盈川集』十巻がある。ウィキペディア【楊炯】参照。
趙氏連城璧
趙(ちょう)氏(し) 連(れん)城(じょう)の璧(たま)
  • 趙氏 … 戦国時代、趙の王、恵文王。在位前298~前266。名は何(か)。武霊王の子。廉(れん)頗(ぱ)・藺(りん)相(しょう)如(じょ)らを用い、斉・魏と戦って国の威力を高めた。ウィキペディア【恵文王 (趙)】参照。
  • 連城璧 … 趙の恵文王の持っていた「和氏(かし)の璧(たま)」とよばれる宝玉を、秦の昭王が十五の城を連ねて交換したいと言ったので連城の璧という。『史記』藺相如伝に「趙の恵文王の時、楚の和氏の璧を得たり。秦の昭王之を聞き、人をして趙王に書を遺(おく)らしめ、願わくは十五城を以て璧に易えんと請う。……秦王、章台に坐して相如を見る。相如、璧を奉じて秦王に奏(すす)む。秦王大いに喜び、伝えて以て美人及び左右に示す。左右、皆な万歳と呼ぶ。相如、秦王の趙に城を償(つぐな)うに意無きを視、乃ち前(すす)みて曰く、璧に瑕(きず)有り、請う王に指示せん、と。王、璧を授く。相如、因りて璧を持ち、却(きゃく)立(りつ)して柱に倚(よ)り、怒(ど)髪(はつ)上(のぼ)りて冠(かんむり)を衝(つ)く。秦王に謂いて曰く、……臣、大王の趙王に城邑を償うに意無きを観、故に臣復た璧を取る。大王必ず臣を急にせんと欲せば、臣の頭(こうべ)、今、璧と倶に柱に砕けん、と。相如、其の璧を持ち、柱を睨(にら)み、以て柱に撃たんと欲す。秦王、其の璧を破らんことを恐れ、乃ち辞謝して固(かた)く請い、有司を召して図を案じ、此れより以(い)往(おう)十五都を趙に予(あた)えよと指(ゆび)さす」(趙惠文王時、得楚和氏璧。秦昭王聞之、使人遺趙王書、願以十五城請易璧。……秦王坐章臺見相如。相如奉璧奏秦王。秦王大喜、傳以示美人及左右。左右皆呼萬歳。相如視秦王無意償趙城、乃前曰、璧有瑕、請指示王。王授璧。相如因持璧、卻立倚柱、怒髮上衝冠。謂秦王曰、……臣觀大王無意償趙王城邑、故臣復取璧。大王必欲急臣、臣頭今與璧倶碎於柱矣。相如持其璧、睨柱、欲以撃柱。秦王恐其破璧、乃辭謝固請、召有司案圖、指從此以往十五都予趙)とある。ウィキソース「史記/卷081」参照。また、南朝陳の張正見の楽府「関山月」(『古詩紀』巻一百十二)に「暈(うん)は連城の璧を逐い、輪(りん)は出塞の車に随う」(暈逐連城璧、輪隨出塞車)とある。暈は、月のかさ。輪は、月輪。ウィキソース「古詩紀 (四庫全書本)/卷112」参照。
由來天下傳
由(ゆ)来(らい) 天(てん)下(か)に伝(つた)う
  • 由来 … かねてより。以前から。元来に同じ。劉宋の謝霊運「田南に園を樹(た)て、流れを激(げき)し援(えん)を植う」詩(『文選』巻三十)に「樵(しょう)隠(いん)は倶に山に在るも、由来事(こと)は同じからず」(樵隱倶在山、由來事不同)とある。援は、生垣。樵隠は、木こりと隠者。事不同は、仕事は同じではない。ウィキソース「昭明文選/卷30」参照。
  • 天下伝 … (宝として)天下に伝えられてきたものだ。『史記』藺相如伝に「相如、秦王特(た)だに詐(さ)詳(しょう)を以て趙に城を予(あた)うるを為し、実は得可(うべ)からざらんと度(はか)り、乃ち秦王に謂いて曰く、和氏の璧は、天下の共に伝えて宝とする所なり、と」(相如度秦王特以詐詳爲予趙城、實不可得、乃謂秦王曰、和氏璧、天下所共傳寶也)とあるのに基づく。ウィキソース「史記/卷081」参照。また、西晋の盧(ろ)諶(しん)「覧古の詩」(『文選』巻二十一)に「趙氏に和(か)璧(へき)有り、天下伝えざる無し。秦人(しんぴと)は来たりて市(か)わんことを求む、厥(そ)の価(あたい)は徒(た)だ空言(くうげん)のみ。……連城は既に偽(いつわ)り往(ゆ)き、荊玉も亦た真に還る」(趙氏有和璧、天下無不傳。秦人來求市、厥價徒空言。……連城既偽往、荊玉亦眞還)とある。ウィキソース「覽古詩 (盧諶)」参照。
送君還舊府
君(きみ)が旧(きゅう)府(ふ)に還(かえ)るを送(おく)れば
  • 旧府 … ここでは、趙縦がもと働いていた役所の意と、趙縦の郷里の意との二つの解釈があり、どちらでもよい。府は、役所の意のほか、唐から清代にかけての行政区画の呼称でもあり、州の上位に位置し、州・県を統轄する。『晋書』羊(よう)祜(こ)伝に「時に長(ちょう)吏(り)官を喪えば、後人(こうじん)之を悪(にく)みて、多く旧府を毀(き)壊(かい)す」(時長吏喪官、後人惡之、多毀壞舊府)とある。長吏は、地位の高い役人。ウィキソース「晉書/卷034」参照。また、中唐の武元衡「盧起居を送る」詩(『唐詩選』巻七)に「旧府 東山(とうざん) 余妓(よぎ)在り、重ねて歌舞を将(も)って君が帰るを送らん」(舊府東山餘妓在、重將歌舞送君歸)とある。起居は、官名。天子の側近に仕えて、その言行を記録する官。ウィキソース「全唐詩/卷317」参照。
  • 送 … 見送る。
明月滿前川
明月(めいげつ) 前川(ぜんせん)に満(み)つ
  • 明月 … 明るく輝く月の光。『楚辞』九弁に「明月を卬(あお)いで太息(たいそく)し、列星に歩(ほ)して明(めい)に極(いた)る」(卬明月而太息兮、歩列星而極明)とある。太息は、ため息。列星は、空に列(つら)なる星。明に極(いた)るとは、明け方に至る。ウィキソース「九辯」参照。また、三国魏の文帝(曹丕)の楽府「燕歌行二首」(『楽府詩集』巻三十二、『文選』巻二十七、『玉台新詠』巻九)の第一首に「明月皎皎(きょうきょう)として我が床(しょう)を照らし、星漢(せいかん)西に流れて夜未だ央(つ)きず」(明月皎皎照我床、星漢西流夜未央)とある。皎皎は、明るいさま。星漢は、天の川。未だ央(つ)きずとは、尽きない。終わらない。ウィキソース「燕歌行 (曹丕)」参照。また、三国魏の曹植「公讌(こうえん)の詩」(『文選』巻二十)に「明月に清景澄み、列(れっ)宿(しゅく)正に参(しん)差(し)たり」(明月澄清景、列宿正參差)とある。列宿は、大空に連なる多くの星。参差は、ばらばらに散らばるさま。ウィキソース「公讌詩 (曹子建)」参照。また、南朝梁の湘東王繹(えき)(蕭(しょう)繹(えき)、後の元帝)「寒宵三韻」詩(『玉台新詠』巻七)に「池水明月を浮かべ、寒風擣(とう)衣(い)を送る」(池水浮明月、寒風送擣衣)とある。池水は、池の水面。擣衣は、洗った着物を砧(きぬた)に載せて棒で叩くこと。ウィキソース「寒宵三韻」参照。
  • 前川 … 目の前の川(かわ)面(も)。盛唐の李白の詩「廬山の瀑布の水を望む二首」(『全唐詩』巻一百八十)の第二首に「日は香炉を照らして紫煙を生ず、遥かに看る 瀑布の前川に挂(か)かるを」(日照香爐生紫煙、遙看瀑布挂前川)とある。ウィキソース「望廬山瀑布水二首」参照。『文苑英華』『唐詩紀事』では「秦川」に作る。
  • 満 … (月の光が)満ち溢れる。『全唐詩』には「一作照」と注する。『文苑英華』には「集作照」と注する。
詩型・韻字
  • 五言絶句。
  • 傳・川(下平声先韻)。
テキスト
  • 『箋註唐詩選』巻六(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
  • 『全唐詩』巻五十(排印本、中華書局、1960年)
  • 『唐詩解』巻二十一(順治十六年刊、内閣文庫蔵)
  • 『唐詩品彙』巻三十八([明]高棅編、[明]汪宗尼校訂、上海古籍出版社、1982年)
  • 『文苑英華』巻二百六十六(影印本、中華書局、1966年)※詩題:夜送
  • 『唐詩紀事』巻七([宋]計有功輯撰、上海古籍出版社、1987年)
  • 『古今詩刪』巻二十(寛保三年刊、『和刻本漢詩集成 総集篇9』所収、汲古書院)
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