従軍行(楊烱)
從軍行
従軍行
従軍行
- 五言律詩。京・平・城・聲・生(下平声庚韻)。
- ウィキソース「從軍行 (楊炯)」参照。
- 従軍行 … 楽府題の一つ。従軍の歌。行は、歌・曲の意。軍旅の苦辛を述べて作る。『楽府古題要解』巻下、従軍行の条に「皆軍旅の苦辛を述ぶるの詞なり」(皆述軍旅苦辛之詞也)とある。ウィキソース「樂府古題要解」参照。
- 楊炯 … 650~?(693~695?卒)。初唐の詩人。華陰(陝西省渭南市華陰市)の人。字は不詳。高宗の顕慶四年(659)、十歳で神童の試験に及第、顕慶五年(660)、弘文館の待制(待命)となり、上元三年(676)、応制挙に及第、校書郎を授かった。永淳元年(682)、崇文館学士、及び皇太子の詹事司直となった。則天武后の垂拱元年(685)、徐敬業の反乱に連座し、梓州(四川省綿陽市南部)の司法参軍に左遷された。のちに盈川県(浙江省衢州市)の県令に転出した。王勃・盧照鄰・駱賓王とともに初唐四傑の一人に数えられる。『楊盈川集』十巻がある。ウィキペディア【楊炯】参照。
烽火照西京
烽火 西京を照らし
- 烽火 … のろし。烽煙。烽燧。『漢書』賈誼伝に「斥候烽燧を望んで、臥すことを得ず」(斥候望烽燧、不得臥)とあり、その注に「文穎曰く、辺方胡の寇に備うるに、高土櫓を作り、櫓上に桔皐を作り、桔皐は兜零を頭にし、薪草を以て其の中に置き、常には之を低れ、寇有れば即ち火を然やし之を挙げ、以て相告ぐるを、烽と曰う。又多く薪を積み、寇至れば即ち之を燃やし、以て其の煙を望むを、燧と曰う。張晏曰く、昼は烽を挙げ、夜は燧を燔くなり。師古曰く、張が説は誤れり。昼は則ち燧を燔き、夜は則ち烽を挙ぐ」(文穎曰、邊方備胡寇、作高土櫓、櫓上作桔皐、桔皐頭兜零、以薪草置其中、常低之、有寇即火然舉之、以相告、曰烽。又多積薪、寇至即燃之、以望其煙、曰燧。張晏曰、晝舉烽、夜燔燧也。師古曰、張說誤也。晝則燔燧、夜則舉烽)とある。ウィキソース「漢書/卷048」参照。
- 西京 … 長安。
心中自不平
心中 自ずから平らかならず
- 不平 … 穏やかでない。
牙璋辭鳳闕
牙璋 鳳闕を辞し
- 牙璋 … 軍隊を出陣させるときに使う割り符。
- 鳳闕 … 天子の宮殿。
鐵騎繞龍城
鉄騎 竜城を繞る
- 鉄騎 … 鉄のよろいをつけた精鋭の騎兵部隊。
- 竜城 … 匈奴の築いたとりで。
雪暗凋旗畫
雪暗くして旗画凋み
- 旗画 … 軍旗の絵模様。
風多雜鼓聲
風多くして鼓声雑わる
寧爲百夫長
寧ろ百夫の長と為らんも
- 百夫長 … 百人くらいの兵を指揮する小隊長。夫は兵のこと。
勝作一書生
一書生と作るに勝れり
- 書生 … 読書の人。
テキスト
- 『箋註唐詩選』巻三(『漢文大系 第二巻』、冨山房、1910年)※底本
- 『全唐詩』巻五十(排印本、中華書局、1960年)
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