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青青陵上柏(「古詩十九首」第三首)

青青陵上柏
青青(せいせい)たる陵上(りょうじょう)の柏(はく)
「古詩(こし)十九(じゅうきゅう)首(しゅ)」第(だい)三(さん)首(しゅ)
  • ウィキソース「青青陵上柏」「昭明文選/卷29」「六臣註文選 (四庫全書本)/卷29」参照。
  • この詩は、人生は無常ではあるが、それを悲しむより、しばらく遊び楽しみ、享楽的に生きたほうがよいという思いを詠んだもの。
  • 古詩十九首 … 『文選』巻二十九、雑詩の中に作者不詳として収められている五言古詩十九首のこと。前漢から後漢にかけて作られた作品。ウィキペディア【古詩十九首】参照。
靑靑陵上柏 磊磊澗中石
青青(せいせい)たる陵上(りょうじょう)の柏(はく)、磊磊(らいらい)たる澗(かん)中(ちゅう)の石(いし)
  • 『文選』李善注に「長く存するを言うなり。荘子(徳充符篇)に、仲尼曰く、命を地に受けたるは、唯だ松柏のみ独りなり、冬夏に在りて常に青青たり、と。楚詞(九歌・山鬼)に曰く、石(いし)磊磊として葛(かずら)蔓蔓たり、と。字林に曰く、磊磊は、衆(おお)くの石なり、と」(言長存也。莊子、仲尼曰、受命於地、唯松柏獨也、在冬夏常青青。楚詞曰、石磊磊兮葛蔓蔓。字林曰、磊磊、衆石也)とある。
  • 『文選』張銑注に「陵は、山なり。磊磊は、石の貌(さま)。此の詩は、人生促迫(そくはく)として憂い多きことを歎く。将(まさ)に宴楽の理(ことわり)を追わんとす」(陵、山也。磊磊、石貌。此詩、歎人生促迫多憂。將追宴樂之理)とある。促迫は、責め立てられること。
  • 青青 … 草が青々と茂るさま。畳語。『詩経』衛風・淇奥に「彼(か)の淇(き)奧(いく)を瞻(み)れば、緑(りょく)竹(ちく)青青(せいせい)たり」(瞻彼淇奧、綠竹靑靑)とある。淇は、川の名。奧は、隈。ウィキソース「詩經/淇奧」参照。また、古楽府「飲馬長城窟行」(『文選』巻二十七、『玉台新詠』巻一では蔡邕の作とする)に「青青たる河辺の草、綿綿として遠道を思う」(靑靑河邊草、綿綿思遠道)とある。ウィキソース「飲馬長城窟行 (蔡邕)」参照。
  • 陵上 … 丘の上。『呂氏春秋』壱行篇に「陵上の巨木、人以て期と為すは、知り易きが故なり。又た況んや士に於いてをや」(陵上巨木、人以爲期、易知故也。又況於士乎)とある。ウィキソース「呂氏春秋/卷二十二」参照。
  • 柏 … コノテガシワ。墓地に植えられる木。ウィキペディア【コノテガシワ】参照。
  • 磊磊 … 石がごろごろと数多く重なっているさま。畳語。『寒山詩』に「渓長くして石(いし)磊磊たり、澗(かん)闊(ひろ)くして草濛濛(もうもう)たり」(溪長石磊磊、澗闊草濛濛)とある。磊磊は、石がごろごろと重なるさま。澗は、谷。ウィキソース「全唐詩/卷806」参照。
  • 澗中石 … 谷川の石。『詩経』召南・采蘩(さいはん)に「于(ここ)に以て蘩(はん)を采(と)る、澗(かん)の中(うち)に」(于以采蘩、于澗之中)とあり、その毛伝に「山が水を夾(はさ)むを澗(かん)と曰う」(山夾水曰澗)とある。『毛詩』巻一(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
人生天地閒 忽如遠行客
人(ひと)の天(てん)地(ち)の間(あいだ)に生(い)くる、忽(こつ)として遠行(えんこう)の客(かく)の如(ごと)し
  • 『文選』李善注に「松と石に異なるを言うなり。尸子に、老萊子曰く、人の天地の間に生まるるは、寄するなり。寄する者は固(もと)より帰るなり、と。列子(天瑞篇)に曰く、死(し)人(じん)を帰(き)人(じん)と為せば、則ち生人(せいじん)を行人(こうじん)と為す、と。韓詩外伝(巻一)に曰く、枯魚の索を銜(ふく)む、幾何(いくばく)か蠹(く)ちざる。二親の寿は、忽として過客の如し、と」(言異松石也。尸子、老萊子曰、人生於天地之間、寄也。寄者固歸。列子曰、死人爲歸人、則生人爲行人矣。韓詩外傳曰、枯魚銜索、幾何不蠹。二親之壽、忽如過客)とある。
  • 『文選』呂向注に「柏石は、皆な貞堅の物、人生の促(そく)なること客の時に寄るが若し。其の死の速(すみ)やかなること反って帰に赴くが如し。信(まこと)に柏石の二物に如(し)かざるなり」(柏石、皆貞堅之物人生之促若客寄於時。其死之速反如赴歸。信不如柏石二物也)とある。
  • 遠行客 … 遠(とお)出(で)の旅人。盛唐の王維「春中(しゅんちゅう)田園の作」に「觴(さかずき)に臨んで忽(たちま)ち御(ぎょ)せず、遠行の客を惆悵(ちゅうちょう)す」(臨觴忽不御、惆悵遠行客)とある。惆悵は、なげき悲しむこと。ウィキソース「春中田園作」参照。
斗酒相娯樂 聊厚不爲薄
斗(と)酒(しゅ)相(あい)娯(ご)楽(らく)して、聊(いささ)かなりとも厚(あつ)くして薄(うす)きを為(な)さざらん
  • 『文選』李善注に「鄭玄毛詩箋に曰く、聊かは、粗略の辞なり、と」(鄭玄毛詩箋曰、聊、粗略之辭也)とある。
  • 『文選』劉良注に「人且つ相厚くするを以て本と為す、軽薄を為さざる者なり」(人且以相厚爲本、不爲輕薄者也)とある。
  • 斗酒 … 一斗(日本の一升くらい)の酒。わずかな酒をいう。「古楽府詩六首」(『玉台新詠』巻一)の第五首「皚(がい)たること山上の雪の如し」に「今日(こんにち)斗酒の会(かい)、明(みょう)旦(たん)溝水(こうすい)の頭(ほとり)」(今日斗酒會、明旦溝水頭)とある。明旦は、あくる朝。溝水は、お堀の溝の水。ウィキソース「皚如山上雪」参照。また、東晋の陶潜「雑詩十二首」の第一首に「歓(よろこ)びを得ては当(まさ)に楽しみを作(な)すべし、斗酒 比(ひ)隣(りん)を聚(あつ)む」(得歡當作樂、斗酒聚比鄰)とある。比隣は、近所の人々。ウィキソース「雜詩 (陶淵明)」参照。
  • 娯楽 … 笑い興じて楽しむこと。三国魏の阮籍「詠懐詩八十二首」の第五首(『文選』巻二十三では十七首中第八首)に「娯楽未だ終極せざるに、白日忽ち蹉跎(さた)たり」(娯樂未終極、白日忽蹉跎)とある。蹉跎は、空しく時を失うこと。ウィキソース「詠懷詩五言八十二首」「詠懷詩十七首」参照。
  • 聊厚不為薄 … ここでは、わずかばかりの酒でも不足だとは考えない、との意。
驅車策駑馬 遊戲宛與洛
車(くるま)を駆(か)り駑馬(どば)に策(むちう)ちて、宛(えん)と洛(らく)とに遊(ゆう)戯(ぎ)す
  • 『文選』李善注に「広雅に曰く、駑は、駘なり、馬の遅鈍なる者を謂うなり、と。漢書に、南陽郡は宛県に有り。洛は、東都なり、と」(廣雅曰、駑、駘也、謂馬遲鈍者也。漢書、南陽郡有宛縣。洛、東都也)とある。
  • 『文選』李周翰注に「宛は、南陽なり。洛は、洛陽なり。時に後(ご)漢(かん)此の南都に都(みやこ)するなり」(宛、南陽也。洛、洛陽也。時後漢都此南都也)とある。
  • 駑馬 … 足ののろい馬。漢代の鐃(どう)歌(か)「戦城南」に「梟(きょう)騎(き)は戦闘して死し、駑馬は徘徊して鳴く」(梟騎戰鬪死、駑馬徘徊鳴)とある。梟騎は、勇猛な騎兵。ウィキソース「樂府詩集/016卷」参照。
  • 宛・洛 … 宛は、後漢の南都。現在の河南省南陽市。ウィキペディア【南陽市 (河南省)】参照。洛は、洛陽。ウィキペディア【洛陽市】参照。
  • 遊戯 … 遊び戯れること。古楽府「善哉行」に「六(りく)竜(りょう)に参駕し、雲端(うんたん)に遊戯せん」(參駕六龍、遊戲雲端)とある。六竜は、天子の車を引く六頭の馬。雲端は、雲の端(はし)。ウィキソース「樂府詩集/036卷」参照。
洛中何鬱鬱 冠帶自相索
洛(らく)中(ちゅう)何(なん)ぞ鬱鬱(うつうつ)として、冠帯(かんたい)自(おの)ずから相(あい)索(もと)む
  • 『文選』李善注に「春秋説題辞に曰く、斉の俗、冠帯して礼を以て相提(ひっさ)ぐ、と。賈逵(かき)国語の注に曰く、索は、求むるなり、と」(春秋説題辭曰、齊俗、冠帶以禮相提。賈逵國語注曰、索、求也)とある。
  • 『文選』呂向注に「鬱鬱たるは、盛んなる貌(さま)。冠帯の人、自ら相追求するを言うなり」(鬱鬱、盛貌。言冠帶之人自相追求也)とある。
  • 洛中 … 都の中。
  • 鬱鬱 … ここでは、盛んなさま。畳語。「古詩、焦仲(しょうちゅう)卿(けい)の妻の為の作」(『玉台新詠』巻一)に「従(じゅう)人(にん)四五百、鬱鬱として郡門に登る」(從人四五百、鬱鬱登郡門)とある。ウィキソース「古詩為焦仲卿妻作」参照。
  • 冠帯 … 冠と帯。ここでは、衣冠装束の高官を指す。後漢の張衡「西京の賦」(『文選』巻二)に「冠帯交錯し、轅(ながえ)を方(なら)べ軫(よこぎ)を接(まじ)う」(冠帶交錯、方轅接軫)とある。ウィキソース「西京賦」参照。
  • 自相索 … 互いに訪問し合うのを常としていること。索は、求める。
長衢羅夾巷 王侯多第宅
長(ちょう)衢(く)夾(きょう)巷(こう)を羅(つら)ね、王侯(おうこう)第宅(ていたく)多(おお)し
  • 『文選』李善注に「魏王の奏事に曰く、出づるに里に由らず、門の大道に面(むか)う者を、名づけて第と曰う、と」(魏王奏事曰、出不由里、門面大道者、名曰第)とある。
  • 『文選』張銑注に「衢は、四達の道傍(どうぼう)に小巷羅列し、巷中に王侯の宅多し」(衢四達之道傍羅列小巷、巷中多王侯之宅)とある。四達は、道路が各方面へ通じていて、交通が便利なこと。四通八達に同じ。道傍は、道のかたわら。道ばた。小巷は、狭い路地。
  • 長衢 … 長い大通り。衢は、四方に通じる大通り。西晋の左思「詠史八首」(『文選』巻二十一)の第四首に「冠蓋(かんがい)は四(し)術(じゅつ)を蔭(おお)い、朱輪(しゅりん)は長衢に竟(わた)る」(冠蓋蔭四術、朱輪竟長衢)とある。冠蓋は、冠と車のおおい。高官の人が車に乗っていることを指す。四術は、四方に通じる道。蔭は、ここでは満ちる意。朱輪は、身分の高い人が乗った朱塗りの車。竟は、ここでは蔭と同じく、満ちる意。ウィキソース「詠史八首」参照。
  • 夾巷 … 狭い小路。
  • 羅 … 連ねる。並べる。
  • 第宅 … 屋敷。邸宅に同じ。
兩宮遙相望 雙闕百餘尺
両宮(りょうきゅう)遥(はる)かに相(あい)望(のぞ)み、双闕(そうけつ)百(ひゃく)余(よ)尺(しゃく)
  • 『文選』李善注に「蔡質の漢官典職に曰く、南宮北宮、相去ること七里、と」(蔡質漢官典職曰、南宮北宮、相去七里)とある。
  • 『文選』呂延済注に「洛陽に南北の両宮有り。双闕は闕の名なり」(洛陽有南北兩宮。雙闕闕名)とある。
  • 両宮 … 漢代、洛陽に南北の両宮があり、七里を隔てて相対していたという。
  • 双闕 … 宮殿の門外に建てられた一対の望楼。三国魏の曹植「徐幹に贈る」詩(『文選』巻二十四)に「聊且(しばら)く夜行きて遊び、彼の双闕の間に遊ぶ」(聊且夜行遊、遊彼双闕間)とある。ウィキソース「贈徐幹 (曹植)」参照。
極宴娯心意 戚戚何所迫
宴(えん)を極(きわ)めて心(しん)意(い)を娯(たの)しましめば、戚戚(せきせき)何(なん)の迫(せま)る所(ところ)ぞ
  • 『文選』李善注に「楚辞(九章・悲回風)に曰く、居りて戚戚として解(と)く可からず、と」(楚辭曰、居戚戚而不可解)とある。
  • 『文選』李周翰注に「言うこころは宮闕の間に於いて其の心意を楽しみ、則ち憂思何れの所にか相逼迫せん。戚戚は、憂思なり」(言於宮闕之間樂其心意、則憂思何所相偪迫哉。戚戚、憂思也)とある。
  • 極宴 … 酒宴を思う存分楽しむこと。北斉の蕭(しょう)愨(かく)の楽府「臨高台」に「春に臨んで今此くの若し、宴を極めて豈に窮まる無からんや」(臨春今若此、極宴豈無窮)とある。ウィキソース「樂府詩集/018卷」参照。
  • 娯 … 楽しませれば。
  • 戚戚 … 憂い恐れるさま。憂い悲しむさま。畳語。西晋の陸機「古詩に擬す十二首」の「行き行き重ねて行き行くに擬す」詩に「悠悠として行き邁(ゆ)くこと遠く、戚戚として憂い思うこと深し」(悠悠行邁遠、戚戚憂思深)とある。ウィキソース「昭明文選/卷30」参照。
  • 何所迫 … (人生の憂いなどは)どうして我が身に迫り近寄ることなどあろうか。
詩型・韻字
  • 五言古詩。
  • 柏・石・客(入声陌韻)、薄・洛・索・(入声薬韻)、宅・尺・迫(入声陌韻)通押。
テキスト
  • 『文選』巻二十九([梁]蕭統編/[唐]李善注、中国古典文学叢書、上海古籍出版社、1986年)
  • 『六臣註文選』巻二十九(『四部叢刊 初篇集部』所収、上海涵芬楼蔵宋刊本)
  • 『先秦漢魏晋南北朝詩』漢詩 巻十二 古詩(逯欽立輯校、中華書局、1983年)
  • 『古詩源』巻四 漢詩(中国古典文学基本叢書、中華書局、1963年)
  • 『古詩賞析』巻四 漢詩(『漢文大系 第十八巻』、冨山房、1914年)
歴代詩選
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巻三 五言律詩 巻四 五言排律
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詩人別
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