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堯曰第二十 2 子張問於孔子章

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子張問於孔子曰、何如斯可以從政矣。子曰、尊五美、屏四惡、斯可以從政矣。子張曰、何謂五美。子曰、君子惠而不費、勞而不怨、欲而不貪、泰而不驕、威而不猛。子張曰、何謂惠而不費。子曰、因民之所利而利之。斯不亦惠而不費乎。擇可勞而勞之。又誰怨。欲仁而得仁。又焉貧。君子無衆寡、無小大、無敢慢。斯不亦泰而不驕乎。君子正其衣冠、尊其瞻視。儼然人望而畏之。斯不亦威而不猛乎。子張曰、何謂四惡。子曰、不教而殺、謂之虐。不戒視成、謂之暴。慢令致期、謂之賊。猶之與人也、出納之吝、謂之有司。
ちょうこういていわく、何如いかなればもっまつりごとしたがきか。いわく、五美ごびたっとび、あくしりぞくれば、ここもっまつりごとしたがし。ちょういわく、なにをか五美ごびう。いわく、くんけいしてついやさず、ろうしてうらみず、ほっしてむさぼらず、たいにしておごらず、ありてたけからず。ちょういわく、なにをかけいしてついやさずとう。いわく、たみするところりてこれす。けいしてついやさざるにあらずや。ろうきをえらびてこれろうす。たれをかうらまん。じんほっしてじんたり。いずくんぞむさぼらん。くんしゅうく、しょうだいく、えてあなどし。たいにしておごらざるにあらずや。くんかんただしくし、せんたっとくす。儼然げんぜんとしてひとのぞみてこれおそる。ありてたけからざるにあらずや。ちょういわく、なにをかあくう。いわく、おしえずしてころす、これぎゃくう。いましめずしてるをる、これぼうう。れいみだりにしていたす、これぞくう。ひとしくひとあたうるなり、出納すいとうやぶさかなる、これゆうう。
現代語訳
  • 子張が孔先生にたずねる、「どんなだったら政治のことがやれますか。」先生 ――「五つのよいことをたっとび、四つのわるいことをやめれば、政治のことがやれる。」子張 ――「五つのよいこととはなんでしょう…。」先生 ――「人物になると、めぐんでも金をかけず、人を使ってもうらまれず、もとめても欲ばらず、ドッシリとしても高ぶらず、気品はあるがきつくない。」子張 ――「めぐんでも金をかけずというのは…。」先生 ――「人民たちにかせぐところでかせがせるのじゃ。それならめぐんでも金はかかるまいよ。当然のつとめに人を使えば、だれがうらもう…。人の道をもとめて身につける、それは欲ばりじゃない。人物になると相手の数や、事の大小によって、バカにはしない。ドッシリとしても高ぶらないわけじゃな。人物は服装をキチンとし、見るから品格があり、その気高さに人はかしこまるのじゃ。気品はあるがきつくないとはそのことじゃな。」子張 ――「四つのわるいこととはなんでしょう…。」先生 ――「野ばなしのままで殺す、それはむごたらしい。抜き打ちに成績を見る、それはあらっぽい。命令はノンビリで期限がやかましい、それはひどい。どうせくれるものを、出し入れをしぶる、それは役人根性じゃ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • ちょうが孔子様に向かって、「どうしたら政治を担当たんとうすることができましょうか。」とおたずねした。孔子様がおっしゃるよう、「五美を尊んで四悪をのぞけば、政治に従事し得るぞ。」「五美とは何を申しますか。」「人の上に立つ者は、『けいにしてついやさず』『労してうらまれず』『ほっしてむさぼらず』『やすくしておごらず』『ありてたけからず』でなくてはならぬ。これが五美じゃ。」「それでは『恵にして費さず』とはどういう意味でござりますか。以下順次ご説明を願います。」「必ずしも金をかけずとも、人民の利益になるようなせつふうして生活の便をはかってやれば、『恵にして費さず』ではあるまいか。人民を使えきするだけの十分の理由のある仕事をえらんで働かせれば、人民は喜んで勤労きんろうする、何でだれうらもうや。当局者の欲するところが私利でなくて仁であれば、その結果おのずから民心と風俗とが振興しんこうされる次第であって、すなわち『仁を欲して仁を得たり』ということになるのだから、その上何をよくばる必要があろうか。君子は相手が大勢おおぜいでも少人数でも、事が大きくても小さくても、あるいは恐れてしりごみしたり、あるいはあなどかろんじたりすることがないから、すなわち『泰くして驕らず』ではないか。君子はまたかんをキチンとつけ、目のつけどころに心を用いてキョロキョロしたりしないから、『威あって猛からず』ではあるまいか。」「それでは四悪とは何でござりますか。」「四悪とは、ぎゃくぼうぞくりんじゃ。人民にすべき事、為すべからざる事を教えてもおかずに、悪事をしたからとてこれを殺すのが『虐』である。十分に指導し警告もしないで、足元から鳥が立つごとく成績を督促とくそくするのが『暴』である。命令をゆるがせにしておきながら期限に間に合わぬとて罰したりするのは、人民をそこない害するものであるから、これを『賊』という。どうせ与えねばならぬ金だのに何のかのと出しおしみをするのが『吝』であって、それが『かんりょう』というものじゃ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 子張が先師にたずねていった。――
    「どんな心がけであれば政治の任にあたることができましょうか」
    先師がこたえられた。――
    「五つの美を尊んで四つの悪を退けることができたら、政治の任にあたることができるであろう」
    子張がたずねた。――
    「五つの美というのは、どういうことでございましょう」
    先師がこたえられた。――
    「君子は恩恵を施すのに費用をかけない。民に労役を課して怨まれない。欲することはあるがむさぼることはない。泰然としているが驕慢きょうまんではない。威厳はあるが猛々たけだけしくはない。これが五つの美だ」
    子張がその説明を求めた。先師はこたえられた。――
    「人民みずから利とするところによって人民を利する、いいかえると安んじて生業にいそしませる、それが何よりの恩恵で、それにはいたずらに財物を恵むような失費を必要としないであろう。正当な労役や人民が喜ぶような労役をえらんで課するならば、誰を人民が怨もう。欲することが仁であり、得ることが仁であるならば、むさぼるということにはならないではないか。君子は相手の数の多少にかかわらず、また事の大小にかかわらず、慢心をおこさないで慎重に任務に当る。これが泰然として驕慢でないということではないか。君子は服装を正しくし、容姿を厳粛にするので、自然に人に畏敬される。これが威厳があって猛々しくないということではないか」
    子張がたずねた。――
    「四つの悪というのは、どういうことでございましょう」
    先師がこたえられた。――
    「民を教化しないで罪を犯すものがあると殺す、それは残虐というものだ。なんの予告も与えないでやにわに成績をしらべる、それは無茶というものだ。命令を出す時をいい加減にして、実行の期限だけをきびしくする。それは人民をわなにかけるというものだ。どうせ出すものは出さなければならないのに、もったいをつけて出し惜しみをする、それは小役人根性というものだ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 子張 … 前503~?。孔子の弟子。姓は顓孫せんそん、名は師、あざなは子張。陳の人。孔子より四十八歳年少。ウィキペディア【子張】参照。
  • 従政 … 政治に携わる。政治を担当する。なお、君主の場合は「為政」という。「雍也第六6」参照。
  • 五美 … 五つの美徳。
  • 四悪 … 四つの悪徳。
  • 屏 … 除く。
  • 恵而不費 … 恩恵を与えるが無駄な費用をかけない。
  • 労而不怨 … 労働をさせても怨まれない。「里仁第四18」参照。
  • 欲而不貪 … 求めてもむさぼりはしない。
  • 泰而不驕 … ゆったりとしているが傲慢ではない。「子路第十三26」参照。
  • 威而不猛 … 威厳はあるが荒々しくない。「述而第七37」参照。
  • 因民之所利而利之 … 民衆が利益とするところに応じて、利益を与える。民衆に利益を与えられるような政策をとること。
  • 択可労而労之 … 働きがいのあることを自分で選んで働かせる。
  • 欲仁而得仁 … 仁徳を得ようと願い、結局仁徳を身につけた。「述而第七14」参照。
  • 無衆寡… 相手が多数でも少数でもかかわりない。
  • 無小大 … 仕事が大きくても小さくてもかかわりない。仕事がやさしかろうと難しかろうとかかわりない。
  • 無敢慢 … 絶対に軽視しない。
  • 衣冠 … 衣服とかんむり。
  • 瞻視 … ものを見ること。
  • 儼然 … おごそか。いかめしく威厳がある。
  • 不教而殺 … 教育しないで殺すこと。
  • 虐 … むごい。残酷。
  • 不戒視成 … 戒告しないで急に成績を調べること。
  • 暴 … にわか。無茶。不意打ち。
  • 慢令致期 … いい加減な命令をしておきながら、期限を切って責め立てること。
  • 賊 … 損害を与える。賊害。
  • 猶之 … 「ひとしくれ」と読む。
  • 出納之吝 … 出し入れをけちけちする。出し惜しみする。「吝」は、吝嗇。
  • 有司 …役人。小役人。ここでは、役人根性。
補説
  • 『注疏』に「此の章は政の理を論ずるなり」(此章論政之理也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子張 … 『史記』仲尼弟子列伝に「顓孫せんそんは陳の人。あざなは子張。孔子よりわかきことじゅうはちさい」(顓孫師陳人。字子張。少孔子四十八歳)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『孔子家語』七十二弟子解に「顓孫師は陳人ちんひと、字は子張。孔子より少きこと四十八歳。人とり容貌資質有り。寬沖にして博く接し、従容として自ら務むるも、居りて仁義の行いを立つるを務めず。孔子の門人、之を友とするも敬せず」(顓孫師陳人、字子張。少孔子四十八歳。為人有容貌資質。寬沖博接、從容自務、居不務立於仁義之行。孔子門人、友之而弗敬)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。
  • 子張問於孔子曰 … 『義疏』では「子張問政於孔子曰」に作る。
  • 何如斯可以従政矣 … 『義疏』に「此の章の第二なり。孔子は堯・舜諸聖の尊きに同じきを明らかにするなり。子張孔子に問いて、為政の法を求むるなり」(此章第二。明孔子同於堯舜諸聖之尊也。子張問於孔子、求爲政之法也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 尊五美、屏四悪、斯可以従政矣 … 『集解』に引く孔安国の注に「屏は、除なり」(屏、除也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「尊は、崇び重んずるなり。孔子答えて曰く、若し政に従わんと欲すれば、当に五事の美なる者を尊崇すべきなり。屏は、除なり。又た四事の悪しき者を除くなり。若し五を尊び四を除せば、則ち此れ以て政に従う可きなり、と」(尊、崇重也。孔子答曰、若欲從政、當尊崇於五事之美者也。屏、除也。又除於四事之惡者也。若尊五除四、則此可以從政也)とある。また『注疏』に「屏は、除なり。子張其に政術を問う。孔子答えて曰く、当に五種の美事を尊崇し、四種の悪事を屏除せば、則ち可なるべきなり、と」(屏、除也。子張問其政術。孔子答曰、當尊崇五種美事、屏除四種惡事、則可也)とある。
  • 何謂五美 … 『義疏』に「子張曰く、何をか五美と謂う、と。子張并びに五美四悪をさとらず。未だ敢えて并びぬ問わず。今且つ分かちて五美をう。故に云う、何をか五美と謂う、と」(子張曰、何謂五美也。子張幷不曉五美四惡。未敢幷問。今且分諮五美。故云、何謂五美也)とある。また『注疏』に「未だ其の目を知らず、故に復た之を問う」(未知其目、故復問之)とある。
  • 君子恵而不費 … 『義疏』に「あまねく五に答う。此れ其の一なり。言うこころは為政の道能く民下をして潤恵を荷せしめて、我費損する所無し。故に云う、恵にして費さず、と」(歴答於五。此其一也。言爲政之道能令民下荷於潤惠、而我無所費損。故云、惠而不費也)とある。また『注疏』に「此れ孔子為に五美の目を述ぶるなり」(此孔子爲述五美之目也)とある。
  • 労而不怨 … 『義疏』に「二なり。君民をして労苦せしむるも、民甘心して怨むこと無し。故に云う、労して怨みず、と」(二也。君使民勞苦、而民甘心無怨。故云、勞而不怨也)とある。
  • 欲而不貪 … 『義疏』に「三なり。君能く遂に己の欲する所なれども、貪吝するに非ざるなり」(三也。君能遂己所欲、而非貪吝也)とある。
  • 泰而不驕 … 『義疏』に「四なり。君能く恒に寛泰にして驕傲せざるなり」(四也。君能恆寛泰而不驕傲也)とある。
  • 威而不猛 … 『義疏』に「五なり。君能く威厳有りて、猛厲にして物を傷らざるなり」(五也。君能有威嚴、而不猛厲傷物也)とある。
  • 何謂恵而不費 … 『義疏』に「子張も亦た并びに未だ五事を暁らず。故に且つ先ず第一に従いて更にうなり」(子張亦幷未曉五事。故且先從第一而更諮也)とある。また『注疏』に「子張其の目を聞くと雖も、猶お未だ其の理に達せず、故に復た之を問う」(子張雖聞其目、猶未達其理、故復問之)とある。
  • 因民之所利而利之。斯不亦恵而不費乎 … 『集解』に引く王粛の注に「民を利するは政に在り、財を費やすこと無きなり」(利民在政、無費於財也)とある。また『義疏』に「之に答うるなり。民の利する所に因りて之を利するは、民の水居する者には魚塩蜃蛤しんこうに在りて利し、山居する者には果実材木を利するを謂う。明君の政を為すや即して之を安んず。水なる者をして山に居らしめ、渚なる者は中原に居らしめず。是れ民の利する所に因りて之を利するなり。而して君に於いて損費する所無きなり」(答之也。因民所利而利之、謂民水居者利在魚鹽蜃蛤、山居者利於果實材木。明君爲政即而安之。不使水者居山、渚者居中原。是因民所利而利之。而於君無所損費也)とある。また『注疏』に「此れ孔子為に其の恵して費やさずの一美を説くなり。民は五土に居り、利する所は同じからず。山なる者は其の禽獣を利し、渚なる者は其の魚塩を利し、中原は其の五穀を利す。人君は其の利する所に因り、各〻をして其の安んずる所に居らしめ、其の利を易えずんば、則ち是れ恵愛して民を利するは政に在りて、且つ財を費やさざるなり」(此孔子爲説其惠而不費之一美也。民居五土、所利不同。山者利其禽獸、渚者利其魚鹽、中原利其五穀。人君因其所利、使各居其所安、不易其利、則是惠愛利民在政、且不費於財也)とある。
  • 択可労而労之。又誰怨 … 『義疏』に「孔子は子張並びに疑うを知る。故に并びに歴答するなり。言うこころは凡そ民を使うの法は、各〻等差有り。其の労役に応ず可き者を択びて之を労役すれば、則ち民各〻其の労に服して、敢えて怨みざるなり」(孔子知子張並疑。故幷歴答也。言凡使民之法、各有等差。擇其可應勞役者而勞役之、則民各服其勞、而不敢怨也)とある。また『注疏』に「孔子子張の未だことごとくは達すること能わざるを知る。故に既に恵して費やさずと答え、其の問うをたずして、即ち為に其の余りの者を陳ぶ。此れ労して怨みずを説く者なり。労す可きを択びて之を労すとは、民を使うに時を以てすれば、則ち又た誰をか怨恨せんやと謂う」(孔子知子張未能盡達。故既答惠而不費、不須其問、即爲陳其餘者。此説勞而不怨者也。擇可勞而勞之、謂使民以時、則又誰怨恨哉)とある。
  • 擇可勞 … 『義疏』では「擇其可勞」に作る。
  • 欲仁而得仁。又焉貧 … 『義疏』に「欲に多塗有り。財色を欲するの欲有り、仁義を欲するの欲有り。仁義を欲する者は廉たり、財色を欲する者は貪たり。言うこころは人君当に仁義を欲すべくして、仁義をして事顕ならしめて、財色を欲するの貪を為さず。故に云う、仁を欲して仁を得たり。又た焉くんぞ貪らん、と。江熙云う、我仁を欲すれば、則ち仁至る、貪るに非ざるなり、と」(欲有多塗。有欲財色之欲、有欲仁義之欲。欲仁義者爲亷、欲財色者爲貪。言人君當欲於仁義、使仁義事顯、不爲欲財色之貪。故云、欲仁而得仁。又焉貪也。江熙云、我欲仁、則仁至、非貪也)とある。また『注疏』に「此れ欲して貪らざるを説くなり。言うこころは常人の欲、失は財を貪るに在り。我は則ち仁を欲して、仁ここに至る。又た安くんぞ貪ることを為すを得んや」(此説欲而不貪也。言常人之欲、失在貪財。我則欲仁、而仁斯至矣。又安得爲貪乎)とある。
  • 君子無衆寡、無小大、無敢慢。斯不亦泰而不驕乎 … 『集解』に引く孔安国の注に「言うこころは君子は寡小を以てしてあなどらざるなり」(言君子不以寡小而慢也)とある。また『義疏』に「言うこころは我が富財の衆きを以て、彼の寡少にしのがざるなり。又た我が貴勢の大なるを以て、彼の小に加うるを得ざるなり。我衆大なりと雖も、而れども愈〻寡小に敬す。故に敢えて慢る所無きなり。衆きを能くし大を能くす、是れ我の泰なり。敢えて寡小を慢らず。是れ驕らざるなり。故に云う、泰にして驕らざるなり、と。殷仲堪云う、君子は心を処するに虚を以てす。物に接するに敬を為すを以てす。衆寡を以て情を異にせず。大小意を改め、敢えて慢る所無し。斯れ驕らざるなり、と」(言不以我富財之衆、而陵彼之寡少也。又不得以我貴勢之大、加彼之小也。我雖衆大、而愈敬寡小。故無所敢慢也。能衆能大、是我之泰。不敢慢於寡小。是不驕也。故云、泰而不驕也。殷仲堪云、君子處心以虚。接物以爲敬。不以衆寡異情。大小改意、無所敢慢。斯不驕也)とある。また『注疏』に「此れ泰にして驕らざるを説くなり。常人の情、衆大を敬して寡小を慢る。君子は則ち寡小を以てして之を慢らざるなり。此れ亦た是れ君子の安泰にして驕慢せざるにあらずや」(此説泰而不驕也。常人之情、敬衆大而慢寡小。君子則不以寡小而慢之也。此不亦是君子安泰而不驕慢乎)とある。
  • 君子正其衣冠、尊其瞻視。儼然人望而畏之。斯不亦威而不猛乎 … 『義疏』に「衣はぬること無く、冠はぐこと無きなり。視瞻はめぐらすこと無きなり。思うこと以てかたちを為すが若きなり。之を望めば儼然たり。之に即くや温にして、其の言を聴くや厲なり。故に服して之を畏るるなり。望みて之を畏る、是れ其の威なり。之に即くや温なりは、是れ猛からざるなり」(衣無撥、冠無免也。視瞻無回也。若思以爲容也。望之儼然。即之也温、聽其言也厲。故服而畏之也。望而畏之、是其威也。即之也温、是不猛也)とある。また『注疏』に「此れ威ありて猛からずを説くなり。言うこころは君子は常に其の衣冠を正し、其の瞻視を尊重し、端居して儼然たれば、人は則ち望みて之を畏る、斯れ亦た威厳有りと雖も而も猛厲ならざる者にあらずや」(此説威而不猛也。言君子常正其衣冠、尊重其瞻視、端居儼然、人則望而畏之、斯不亦雖有威嚴而不猛厲者乎)とある。
  • 何謂四悪 … 『義疏』に「己五美を聞く。故に次に更に四悪をうなり」(己聞五美。故次更諮四惡也)とある。また『注疏』に「子張未だ四悪の義を聞かず、故に復た之を問う」(子張未聞四惡之義、故復問之)とある。
  • 不教而殺、謂之虐 … 『義疏』に「一悪なり。為政の道は必ず先ず教えを施す。教えて若し従わずんば、然る後に乃ち殺す。若し先に教えを行わずして、即ち殺すことを用うれば、則ち是れ酷虐の君なり」(一惡也。爲政之道必先施教。教若不從、然後乃殺。若不先行教、而即用殺、則是酷虐之君也)とある。また『注疏』に「此の下は孔子四悪を歴答するなり。為政の法は、当に先ず教令を民に施し、猶お復た丁寧にかさねて之をいましめ、教令既に治まるに、而も民従わずして、後に乃ち誅すべきなり。若し未だ嘗て教え告げずして即ち之を殺すは、之を残虐と謂う」(此下孔子歴答四惡也。爲政之法、當先施教令於民、猶復丁寧申勑之、教令既治、而民不從、後乃誅也。若未嘗教告而即殺之、謂之殘虐)とある。また『集注』に「虐は、残酷不仁なるを謂う」(虐、謂殘酷不仁)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 不戒視成、謂之暴 … 『集解』に引く馬融の注に「宿あらかじめ戒めずして目前の成るを責む、成るを視ると為すなり」(不宿戒而責目前成、爲視成也)とある。また『義疏』に「二悪なり。君上と為りて民の不善を見、當に宿あらかじめ戒めて之に語ぐべし。戒めて若し従わずんば、然る後に責む可し。若し先にかいきょくせずして、急卒に責むるをす。目前に之を視て成るを取る。此れは是れ風化漸無し。故に暴卒の君と為すなり。虐よりも暴浅するなり」(二惡也。爲君上見民不善、當宿戒語之。戒若不從、然後可責。若不先戒勗、而急卒就責。目前視之取成。此是風化無漸。故爲暴卒之君也。暴淺於虐也)とある。また『注疏』に「おもえらく宿あらかじめ戒めずして目前の成るを責む、之を卒暴と謂う」(謂不宿戒而責目前成、謂之卒暴)とある。また『集注』に「暴は、卒遽そっきょにして漸無きを謂う」(暴、謂卒遽無漸)とある。
  • 慢令致期、謂之賊 … 『集解』に引く孔安国の注に「民と信無くして、虚しく期を刻むなり」(與民無信、而虚刻期也)とある。また『義疏』に「三悪なり。民と信無くして、期を虚しうす。期はしんちょく丁寧ならず。是れ令を慢にして期を致すなり。期若し至らずして誅罰を行えば、此れ賊害の君なり。袁氏云う、之に令するも明ならずして、急に之に期するなり、と」(三惡也。與民無信、而虚期。期不申勑丁寧。是慢令致期也。期若不至而行誅罸、此賊害之君也。袁氏云、令之不明、而急期之也)とある。また『注疏』に「民と信無くして、虚しく期を刻むを謂う。期至らずんば則ち罪之を罰す、之を賊害と謂う」(謂與民無信、而虚刻期。期不至則罪罰之、謂之賊害)とある。また『集注』に「期を致すは、期を刻するなり。賊とは、切に害するの意なり。前に緩にして後に急に、以て其の民を誤らせて必ず之を刑するは、是れ之を賊害するなり」(致期、刻期也。賊者、切害之意。緩於前而急於後、以誤其民而必刑之、是賊害之也)とある。
  • 猶之与人也、出納之吝、謂之有司 … 『集解』に引く孔安国の注に「財物を謂うなり。倶に当に人に与うべきも、出内に吝嗇して之を惜しみはばかる。此れ有司の任なるのみ、人君の道に非ざるなり」(謂財物也。倶當與人、而吝嗇於出内惜難之。此有司之任耳、非人君之道也)とある。また『義疏』に「四悪なり。ひとしく之れ人に与うるは、物を以て彼の人に献与するを謂う。必ず止むを得ざる者なり。吝は、之をはばかり惜しむなり。ひとしくかならず応に人に与えて其の出入に吝惜りんせきすべきなり。故に云う、出内のやぶさかなり、と。有司は、典物をつかさどるを謂う者なり。猶お庫吏の属のごときなり。庫史官物有りと雖も、而れども自由なるを得ず。故に物出入に応ずる者、必ず諮問する所有りて、敢えて擅易せず。人君若し物人に与えてやぶさかなれば、即ち庫吏と異なる無し。故に云う、之を有司と謂う、と」(四惡也。猶之與人、謂以物獻與彼人。必不得止者也。吝、難惜之也。猶會應與人而其吝惜於出入也。故云、出内之吝也。有司、謂主典物者也。猶庫吏之屬也。庫史雖有官物、而不得自由。故物應出入者、必有所諮問、不敢擅易。人君若物與人而吝、即與庫吏無異。故云、謂之有司也)とある。また『注疏』に「財物は倶に当に人に与うべきに、而も人君出納に吝嗇して、之を惜しみはばかるを謂う。此れ有司の任なるのみ。人君の道に非ず。是れ四悪なり」(謂財物倶當與人、而人君吝嗇於出納、而惜難之。此有司之任耳。非人君之道。是四惡也)とある。また『集注』に「ひとしく之れは、猶お之を均しくすと言うがごとし。之を物を以て人に与うるに均しくして、其の出納の際に於いて、乃ち或いはやぶさかにして果たさざれば、則ち是れ有司の事にして、政を為すの体に非ず。与うる所多しと雖も、人も亦た其の恵をおもわざるなり。項羽人を使うに、功有りて当にほうずべきに、刻印けずれども、忍びてあたうること能わず。卒に以て敗を取るも、亦た其のしるしなり」(猶之、猶言均之也。均之以物與人、而於其出納之際、乃或吝而不果、則是有司之事、而非爲政之體。所與雖多、人亦不懷其惠矣。項羽使人、有功當封、刻印刓、忍弗能予。卒以取敗、亦其驗也)とある。
  • 出納 … 『義疏』では「出内」に作る。
  • 『集注』に引く尹焞の注に「政を問うに告ぐる者多し。未だ此くの如きの備うる者有らざるなり。故に之を記して以て帝王の治に継ぐれば、則ち夫子の政たるや知る可きなり」(告問政者多矣。未有如此之備者也。故記之以繼帝王之治、則夫子之爲政可知也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「此の二者は、民を治むるの要。此の三者は、身を修むるの要。身を修むるは、即ち民を治むるの本なり。恵は費やし易く、労は怨み易く、欲は貪り易く、泰は驕り易く、威は猛〻し易し。しかいま皆然らずんば、故に以て美と為すなり。……政を為すは仁を以て本と為し、不仁を以て戒と為す。此の章論説甚だ長しと雖も、然れども其の要は此の二端を過ぎず。察せざる可からず」(此二者、治民之要。此三者、修身之要。修身、即治民之本。惠易費、勞易怨、欲易貪、泰易驕、威易猛。而今皆不然、故以爲美也。……爲政以仁爲本、以不仁爲戒。此章雖論説甚長、然其要不過此二端。不可不察焉)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「五美、仁斎曰く、恵すれば費やし易く、労すれば怨み易く、欲すれば貪り易く、泰なれば驕り易く、威なればもうなり易し。而も今皆然らず。故に以て美と為すなり、と。之を得たり。又た曰く、恵すれども費やさず、労すれども怨みず、二者は民を治むるの要。欲すれども貪らず、泰なれども驕らず、威なれども猛ならず、三者は身を修むるの要。身を修むるは即ち民を治むるの本、と。亦た之を得たり。但だ仁を欲して仁を得たりも、亦た民を治むるの要なり。彼れ其の解を得ざるが故に云うことしかり。仁を欲して仁を得たりとは、即ち仁を求めて仁を得たるなり。仁人を求めて之を得るを謂うなり。凡そ求むる所の切なる、皆以て貪ると為す可し。但だ賢を求むるは、貪るの失無きのみ。後儒皆以て仁道と為すは、是れは則ち学問にして、何ぞ政に従うを待ちて而るのち之を言わんや。且つ其の説を究むるに、亦た宋儒の一事の仁にして、古え是の説有ること莫し。従う可からず。或いは曰わん、孔子は仁を許すこと少なし、而るに今仁人を求めて之を得と曰えば、則ち何ぞ仁人の得易きや、と。是れは則ち然らず。仁を欲して仁を得たり、及び子貢に答うる、是の邦に居てや、其の大夫の賢者に事え、其の士の仁者を友とすというが如きは、皆古語にして孔子之を誦す。故に亦た深くこうせざるのみ。政に従うには人を得るを貴ぶ。故に云うことしかり。戒めずして成を視る、馬融曰く、宿あらかじめ戒めずして目前の成を責むるを成を視ると為す、と。蓋しを是れ視ずして唯だ成を是れ視る、故に成を視ると曰う。或いは成を督すというを以て之を解す。視に豈に督の義有らんや。令を慢にして期を致す、孔安国曰く、民と信無くして虚しく期を刻す、と。虚の字は解す可からず。朱子曰く、期を致すとは期を刻するなり。賊とは切害の意。前に緩にして後に急にし、以て其の民を誤らしめて必ず之を刑す。是れ之を賊害するなり、と。期を刻すとは期を約するなり。而れども止だ期を致すとは期を刻するなりと言うのみならば、則ち致字の義無し。蓋し慢とは、怠慢なり。令とは、三令五申の令の如し。其の之を令申する所以の者勤めずして、民をして其の事に怠り、覚えず期にせまらしむ。是れことさらに民を刑におとしいるるの意有り。故に之を賊と謂う。致とは、至らしむるなり。民をして覚えず期に至らしむるを謂うなり。戒めずして成を視るが如きは、則ち絶えて告戒の事無し。況んや令申するをや。唯だ其の成を視るのみ。是れ其の意を暴悪と為す。故に之を暴と謂う。凡そ暴君及び桀紂民をひきいるに暴を以てすというが如きは、皆暴悪の義なり。其の虐と殊なる者は、其の之を殺すを以て之を虐と謂う。暴は必ずしも殺さず、やや虐より軽きのみ。朱子卒遽そっきょにしてぜんにすること無しというを以て之を解す。非なり」(五美、仁齋曰、惠易費、勞易怨、欲易貪、泰易驕、威易猛。而今皆不然。故以爲美也。得之。又曰、惠而不費、勞而不怨、二者治民之要。欲而不貪、泰而不驕、威而不猛、三者修身之要。修身即治民之本。亦得之。但欲仁而得仁、亦治民之要。彼不得其解故云爾。欲仁而得仁、即求仁而得仁。謂求仁人而得之也。凡所求之切、皆可以爲貪。但求賢、無貪之失耳。後儒皆以爲仁道、是則學問、何待從政而後言之乎。且究其説、亦宋儒一事之仁、古莫有是説。不可從矣。或曰、孔子少許仁、而今曰求仁人而得之、則何仁人之易得也。是則不然。如欲仁而得仁、及答子貢居是邦也、事其大夫之賢者、友其士之仁者、皆古語而孔子誦之。故亦不深拘耳。從政貴得人。故云爾。不戒視成、馬融曰、不宿戒而責目前成爲視成。蓋不它是視而唯成是視、故曰視成。或以督成解之。視豈有督義乎。慢令致期、孔安國曰、與民無信而虚刻期。虚字不可解。朱子曰、致期刻期也。賊者切害之意。緩於前而急於後、以誤其民而必刑之。是賊害之也。刻期約期也。而止言致期刻期也、則無致字之義。蓋慢者、怠慢也。令者、如三令五申之令。其所以令申之者不勤、而俾民怠於其事、不覺逼期。是有故陷民于刑意。故謂之賊。致者、使至也。謂使民不覺至期也。如不戒視成、則絶無告戒之事。况令申乎。唯視其成耳。是其意爲暴惡。故謂之暴。凡如暴君及桀紂帥民以暴、皆暴惡之義。其與虐殊者、以其殺之謂之虐。暴不必殺、稍輕於虐耳。朱子以卒遽無漸解之。非矣)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十