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堯曰第二十 3 子曰不知命章

499(20-03)
孔子曰、不知命、無以爲君子也。不知禮、無以立也。不知言、無以知人也。
こういわく、めいらざれば、もっくんきなり。れいらざれば、もっきなり。げんらざれば、もっひときなり。
現代語訳
  • 先生 ――「運命を知らねば、人物というわけにはいかない。礼儀を知らねば、世に立ってゆけない。ことばを知らねば、人を理解できない。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「君子の身を修め世にしょする道は、『知命』『知礼』『知言』の三重点に存する。天命を知って人事をつくし、いかなる逆境ぎゃっきょうっても天をうらみず人をとがめず、信じかつ安んじて道を楽しみ得なくては、君子としての真価が保てぬぞ。礼を知らないと、進退度を失い品格備わらず、君子としての立場が守れぬぞ。言を知らないと、善悪ぜんあく正邪せいじゃべんぜず、義理人情に通ぜず、よく人を知るの君子たり得ぬぞ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「天命を知らないでは君子たる資格がない。礼を知らないでは世に立つことができない。言葉を知らないでは人を知ることができない」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 命 … 天命。天が与えた使命。
  • 礼 … 礼儀。社会の秩序、国の制度や習慣。
  • 立 … 自立すること。社会で活躍すること。
  • 知言 … 他人の言葉の真意を理解する。
補説
  • 『注疏』に「此の章は君子の進退時に合うを明らかにするなり」(此章明君子進退合時也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 不知命、無以為君子也 … 『集解』に引く孔安国の注に「命は、窮達の分を謂うなり」(命、謂窮達之分也)とある。窮達は、貧乏と富貴。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「此の章は、第三。若し命を知らざれば、以て君子たる無きを明らかにす。更に孔子命を知るを明らかにする所以なり。故に政を為さざるなり。命は、窮通夭寿を謂うなり。人生まれて命有り。之を受くるは天に由る。故に知らざる可からざるなり。若し知らずして強いて求むれば、則ち君子たるの徳を成さず。故に云う、以て君子たる無きなり、と」(此章、第三。明若不知命、無以爲君子。所以更明孔子知命。故不爲政也。命、謂窮通夭壽也。人生而有命。受之由天。故不可不知也。若不知而強求、則不成爲君子之德。故云、無以爲君子也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「孔子は敢えて為すこと能わざるに非ず、而るに為さざるは、天命を知ればなり。若し天命を知らず、妄動して干求もとむるは、君子に非ざるなり」(孔子非不敢能爲、而不爲者、知天命也。若不知天命、妄動干求、非君子也)とある。また『集注』に引く程頤の注に「命を知る者は、命有るを知りて之を信ずるなり。ひと命を知らざれば、則ち害を見ては必ず避け、利を見ては必ずはしる。何を以て君子と為さんや」(知命者、知有命而信之也。人不知命、則見害必避、見利必趨。何以爲君子)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 不知礼、無以立也 … 『義疏』に「礼は恭倹荘敬を主とし、身を立つるの本たり。人若し礼を知らざれば、以て其の身を世に立つるを得ること無きなり。故に礼運に云う、之を得る者は生き、之を失う者は死す、と。詩に云う、人にして礼無くんば、死せずして何をかたんとは、是れなり」(禮主恭儉莊敬、爲立身之本。人若不知禮者、無以得立其身於世也。故禮運云、得之者生、失之者死。詩云、人而無禮、不死何俟、是也)とある。また『注疏』に「礼は恭敬を主とし、是れ身を立つるの本なり。若し礼を知らずんば、以て其の身を立つること無きなり。夫れ礼は国に在りては、則ち宗廟を奉じ、貴賤を列す。家に於いては則ち父子は親しみ、兄弟は和し、長幼に序あり。鼠をるに体有り、人にして礼無くんば、なんすみやかに死せざると云う」(禮主恭敬、是立身之本也。若不知禮、無以立其身也。夫禮在國、則奉宗廟、列貴賤。於家則父子親、兄弟和、長幼序。云相鼠有躰、人而無禮、胡不遄死)とある。また『集注』に「礼を知らざれば、則ち耳目加うる所無く、手足措く所無し」(不知禮、則耳目無所加、手足無所措)とある。
  • 不知言、無以知人也 … 『集解』に引く馬融の注に「言を聴けば、則ち其の是非を別つなり」(聽言、則別其是非也)とある。また『義疏』に「江熙云う、言を知らざれば、則ち言を賞する能わず。言を賞する能わざれば、則ち彼を量る能わず。猶お短綆たんこう深井しんせいを測る可からざるがごときなり。故に以て人を知ること無きなり、と」(江熙云、不知言、則不能賞言。不能賞言、則不能量彼。猶短綆不可測於深井。故無以知人也)とある。短綆は、井戸の短いつるべの縄。また『注疏』に「若し言を知らずんば、人情の浅深を知らざること、猶お短の深を測る能わざるがごとし。前に一言以て智と為し、一言以て不智と為すと云うは、是れ其の言を聞きて、微旨を暁る可きことなり」(若不知言、不知人情淺深、猶短不能測深。前云一言以爲智、一言以爲不智、是可聞其言、曉微旨也)とある。また『集注』に「言の得失、以て人の邪正を知る可し」(言之得失、可以知人之邪正)とある。
  • 『集注』に引く尹焞の注に「斯の三者を知れば、則ち君子の事備わる。弟子此れを記して以て篇を終う。意無きことを得んや。学者わかくして之を読み、老いて一言の用う可しと為すことを知らざれば、聖言を侮る者にちかからざらんや。夫子の罪人なり。おもわざる可けんや」(知斯三者、則君子之事備矣。弟子記此以終篇。得無意乎。學者少而讀之、老而不知一言爲可用、不幾於侮聖言者乎。夫子之罪人也。可不念哉)とある。
  • この章の『注疏』において、阮刻本と宋本との文章が全く違っている。従って以下に阮刻本を掲載する。「此の章は君子の身を立て人を知るを言うなり。命は、窮達の分を謂う。言うこころは天の賦する命、窮達に時有り。当に時を待ちて動くべし。若し天命を知らずして妄動せば、則ち君子に非ざるなり。礼とは、恭倹荘敬、身を立つるの本なり。若し其れ知らずんば、則ち以て立つること無きなり。人の言を聴きては、当に其の是非を別かつべし。若し其の是非を別かつこと能わずんば、則ち以て人の善悪を知ること無きなり」(此章言君子立身知人也。命、謂窮達之分。言天之賦命、窮達有時。當待時而動。若不知天命而妄動、則非君子也。禮者、恭儉莊敬、立身之本。若其不知、則無以立也。聽人之言、當別其是非。若不能別其是非、則無以知人之善惡也)。ウィキソース「論語註疏/卷20」参照。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「輔氏広曰く、命を知れば則ち我に在る者、定見有り。礼を知れば則ち我に在る者、定守有り。言を知れば則ち人に在る者、遁情無し。斯の三者を知れば、則ち内は己の徳を成すに足り、外は人の情を尽くすに足る。故に君子の事備わる、と」(輔氏廣曰、知命則在我者、有定見。知禮則在我者、有定守。知言則在人者、無遁情。知斯三者、則内足成己之德、外足盡人之情。故君子之事備矣)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「命を知らざれば、以て君子たること無し。命なる者は道の本なり。天命を受けて天子と為り公卿と為り大夫士と為る。故に其の学其の政は、天職に非ざるは莫し。苟くも此れを知らざれば、以て君子たるに足らざるなり。蓋し君子なる者は上と為るの徳なり。君命を以て悦びと為す者は、人のしもたる者なり。君子は則ち然らざるなり。命を天よりく。其の伝うる所先王の道なるを以てなり。是れ其の大なる者にして、吉凶禍福は言うを待たざるなり。先儒多く吉凶禍福を以て之を言う。抑〻そもそも亦た末のみ。礼なる者は徳の則なり。故に礼を知らざれば、以て立つこと無し。立つとは、道に立つなり。先王の道、其の守りて以て則と為す可き者は、礼のみ。言とは、先王の法言なり。先王の法言は、猶お規矩準縄じゅんじょうのごときなり。夫れ規矩準縄に非ずんば、何を以て能く方円へいちょくを知らんや。此れに非ずして知るは、亦た目巧もくこうのみ。皆これを其のおくに取る者なり。諸を其の臆に取るときは、則ち人其の見る所をほしいままにし、何の窮極か有らん。故に先王の法言を知りて、而るのち知る所道に合す。故に人を知る。人を知るとは、賢者を知るを謂うなり。夫れ賢者は、其の徳行先王の道に合する者なり。故に先王の法言を以て之が規矩準縄と為して而る後に知る可きのみ。孟子の言を知るは、它人の言を知るなり。孔子のうったえを聴くこと吾れ猶お人のごとしを観れば、則ち它人の言を知るは、聖人も亦た敢えて吾れ之を能くすと言わず。夫れ聖人の敢えて之を能くすと言わざる所にして、孟子之を能くするは、豈に理ならんや。故に孟子の非なるを知るなり。先王の法言は詩書に在り。而うして先王の詩書礼楽は、君子の学ぶ所以なり。上論に学ぶと命を知るとをはじめとし、而うして下論に又た此れを以て之を終う。是れ編輯する者の意なり。王者出でて征すれば、これを天に告げ、命を廟に受け、成を学に受け、還れば亦たかくを学に献ず。学なる者は聖人の道の在る所なればなり。聖人の道を立つるは、天命を奉じて以て之を行う。故に君子の道、重きを天と聖人とに帰する者は、くとして然らざるは無し。論語の終始する所以、以て見る可きのみ。按ずるに注疏本に、此の章孔子曰に作る。朱子本は子曰に作る」(不知命、無以爲君子也。命者道本也。受天命而爲天子爲公卿爲大夫士。故其學其政、莫非天職。苟不知此、不足以爲君子也。蓋君子者爲上之德也。以君命爲悦者、爲人下者也。君子則不然也。禀命於天焉。以其所傳先王之道也。是其大者、而吉凶禍福不待言也。先儒多以吉凶禍福言之。抑亦末已。禮者德之則也。故不知禮、無以立。立者、立於道也。先王之道、其可守以爲則者、禮已。言者、先王之法言也。先王之法言、猶規矩準繩也。夫非規矩準繩、何以能知方圓平直哉。非此而知、亦目巧耳。皆取諸其臆者也。取諸其臆、則人恣其所見、有何窮極。故知先王之法言、而後所知合於道。故知人。知人者、謂知賢者也。夫賢者、其德行合於先王之道者也。故以先王之法言爲之規矩準繩而後可知已。孟子知言、知它人之言也。觀於孔子聽訟吾猶人也、則知它人之言、聖人亦不敢言吾能之矣。夫聖人所不敢言能之、而孟子能之、豈理乎哉。故知孟子之非也。先王之法言在詩書。而先王之詩書禮樂、君子所以學也。上論首學與知命、而下論又以此終之。是編輯者之意也。王者出征、告諸天、受命于廟、受成于學、還亦獻馘于學。學者聖人之道所在也。聖人之立道、奉天命以行之。故君子之道、歸重於天與聖人者、無適不然焉。論語之所以終始、可以見已。按注疏本、此章作孔子曰。朱子本作子曰)とある。目巧は、目分量。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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