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里仁第四 18 子曰事父母幾諫章

084(04-18)
子曰、事父母幾諫。見志不從、又敬不違、勞而不怨。
いわく、父母ふぼつかえてはかんす。こころざししたがわざるをては、またけいしてたがわず、ろうしてうらみず。
現代語訳
  • 先生 ――「親には、それとなくいさめる。きいてもらえなくても、さからわずにおく。つらくてもうらまない。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「父母にあやまちのある場合には、としていさめねばならぬが、きびしくとがめてするような態度でなく、かどたぬようジワジワと諫むべきだ。そして諫言かんげんがきかれない場合にもほんとに困ったわからずやだなどと敬意を失った気持をもたず、いくらろう迷惑めいわくしてもうらみがましくない、それがこうというものじゃ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「父母に仕えて、その悪を黙過するのは子の道ではない。言葉をやわらげてそれをいさめるがいい。もし父母がきかなかったら、いっそう敬愛の誠をつくして、根気よくいさめることだ。苦しいこともあるだろうが、決して親をうらんではならない」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 幾諫 … それとなく遠回しにいさめること。「幾」は、それとなくの意。
  • 見志不従 … 父母の気持ちが、こちらの諫めに従いそうにないようであれば。「志」は、気持ち。
  • 敬不違 … 敬意を払って、その気持ちに逆らわない。
  • 労而不怨 … 苦労させられても文句を言わない。「労」は、労苦。苦労する。
補説
  • 『注疏』に「此れ并びに下の四章は、皆父母に孝事するを明らかにす」(此并下四章、皆明孝事父母)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 事父母幾諫 … 『集解』に引く包咸の注に「幾は、微なり。当にひそかに諫め、善言を父母にるるなり」(幾、微也。當微諫、納善言於父母也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「幾は、微なり。子父母に事え、義は恭従を主とす。父母若し過失有れば、則ち子致極して諫めざるを獲ず。復た致諫すと雖も、猶お当に微微として善言を納進すべきは、頟頟がくがくたらしめざればなり。此の章の下四章は孝を明らかにす」(幾、微也。子事父母、義主恭從。父母若有過失、則子不獲不致極而諫。雖復致諫、猶當微微納進善言、不使頟頟也。此章下四章明孝)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「幾は、微なり。父母に過ち有れば、当に微かに善言を納れて、以て父母を諫むべきなり」(幾、微也。父母有過、當微納善言、以諫於父母也)とある。また『集注』に「此の章は内則だいそくの言と相表裏す。幾は、微なり。ひそかに諫むは、所謂父母に過ち有れば、気を下し色をよろこばしめ、声を柔らかにして以て諫むるなり」(此章與内則之言相表裏。幾、微也。微諫、所謂父母有過、下氣怡色、柔聲以諫也)とある。内則は、『礼記』内則篇のこと。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 見志不従、又敬不違 … 『集解』に引く包咸の注に「志を見るとは、父母の志を見る。已に諫むるに従わざるの色有れば、則ち又た当に恭敬すべし。敢えて父母の意に違いて己の諫めを遂げざるなり」(見志者、見父母志。有不從已諫之色、則又當恭敬。不敢違父母意而遂己之諫也)とある。また『義疏』に「許と雖も諫むる有り。若し父母の志、己の諫めに従わざるを見れば、則ち己仍りてさらに敬し起に孝して、且つ父母の志に違距せざるなり。父母の悦ぶを待ちて、乃ち更に諫むるなり。故に礼記に云う、父母過ち有れば、気を下し声を柔らかにし、色をよろこばし以て諫む。諫め若し入れられざれば、さらに敬し起に孝す。悦べば則ち復た諫むとは、是れなり」(雖許有諫。若見父母志不從己諫、則己仍起敬起孝、且不違距於父母之志也。待父母悦、乃更諫也。故禮記云、父母有過、下氣柔聲、怡色以諫。諫若不入、起敬起孝。悦則復諫、是也)とある。また『注疏』に「父母の志に己の諫めに従わざるの色有るを見ては、則ち又た当に恭敬して、敢えて父母の意に違いて己の諫めを遂げざるべきなり」(見父母志有不從己諫之色、則又當恭敬、不敢違父母意而遂己之諫也)とある。また『集注』に「志の従わざるを見れば、又た敬して違わずとは、所謂諫めの若し入れられざれば、さらに敬し起に孝し、悦べば則ち復た諫むるなり」(見志不從、又敬不違、所謂諫若不入、起敬起孝、悦則復諫也)とある。
  • 敬不違 … 『義疏』では「敬而以不違」に作る。
  • 労而不怨 … 『義疏』に「若し諫め又た従われずして、或いは十たびに至り百たびに至らば、則ち己敢えて己の労を辞して以て親を怨みざるなり。故に礼記に云う、凡そ之をむちうちて血を流すと雖も、敢えて疾怨せずとは、是れなり」(若諫又不從、或至十至百、則己不敢辭己之勞以怨於親也。故禮記云、凡雖撻之流血、不敢疾怨、是也)とある。また『注疏』に「父母は己を使うに労辱の事を以てし、己は当に力を尽くして其の勤めに服すべく、父母を怨むを得ざるなり」(父母使己以勞辱之事、己當盡力服其勤、不得怨父母也)とある。また『集注』に「労して怨まずとは、所謂其の罪を郷党・しゅうりょに得るよりは、むしろ孰諫せよ。父母怒りて悦ばずして、之をむちうち血を流すとも、敢えて疾怨せず、さらに敬し起に孝するなり」(勞而不怨、所謂與其得罪於郷黨州閭、寧孰諫。父母怒不悦、而撻之流血、不敢疾怨、起敬起孝也)とある。郷党・州閭は、ともに村里、地元の意。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「父母を諫むるの道、尤も径直を忌む。要は其の詞を微婉にし、以て之を委曲つばらに諷導するに在るのみ。若し父母過ち有りて諫めざれば、則ち親を不義におとしいる。諫めて親の意にさからえば、則ち亦た不孝たり。唯だ能く敬し能く労し、違わず怨みずして、而る後に能く父母に事うるの道を得たりと為すなり。いやしくもくの如くなれば則ち父母の心、亦た感ずる所有りて、諫めも行わることを得るなり」(諫父母之道、尤忌徑直。要在微婉其詞、以委曲諷導之焉耳。若父母有過而不諫、則陥親於不義。諫而忤親之意、則亦爲不孝。唯能敬能勞、不違不怨、而後爲能得事父母之道也。苟如此則父母之心、亦有所感、而諫得行也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「父母に事うるに幾諫す。朱子の内則を引くは、大いに古学の意を得たり」(事父母幾諫。朱子引内則、大得古學之意)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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