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子張第十九 5 子夏曰日知其所亡章

476(19-05)
子夏曰、日知其所亡、月無忘其所能、可謂好學也已矣。
子夏しかいわく、ところり、つきくするところわするることきは、がくこのむときのみ。
現代語訳
  • 子夏 ――「日ごとにたりないところを知り、月ごとに取りえを見うしなわねば、学問ずきといえるだろうな。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 子夏の言うよう、「毎日毎日自分のまだ知らないところを知り得て知識を広め、毎月毎月既に知り得たところを忘れぬように心がけてこそ、真に学を好む者というべきじゃ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 子夏がいった。――
    「日ごとに自分のまだ知らないことを知り、月ごとに、すでに知り得たことを忘れないようにつとめる。そういう心がけであってこそ、真に学問を好むといえるだろう」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 子夏 … 前507?~前420?。姓はぼく、名は商、あざなは子夏。衛の人。孔子より四十四歳年少。孔門十哲のひとり。「文学には子游・子夏」といわれ、子游とともに文章・学問に優れていた。ウィキペディア【子夏】参照。
  • 日 … 毎日。日ごとに。
  • 所亡 … まだ自分の知らないこと。
  • 月 … 毎月。月ごとに。
  • 所能 … すでに自分が知り得たこと。
補説
  • 『注疏』に「此の章は学を勧むるなり」(此章勸學也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子夏 … 『孔子家語』七十二弟子解に「卜商は衛人えいひとあざなは子夏。孔子よりわかきこと四十四歳。詩を習い、能く其の義に通ず。文学を以て名を著す。人と為り性弘からず。好みて精微を論ず。じん以て之にくわうる無し。嘗て衛に返り、史志を読る者を見る。云う、晋の師、秦を伐つ。さん河を渡る、と。子夏曰く、非なり。がいのみ。史志を読む者、これを晋の史に問う。果たして己亥と曰う。是に於いて衛、子夏を以て聖と為す。孔子しゅっして後、西河のほとりに教う。魏の文侯、之に師事して国政をはかる」(卜商衞人、字子夏。少孔子四十四歳。習於詩、能通其義。以文學著名。爲人性不弘。好論精微。時人無以尚之。嘗返衞見讀史志者。云、晉師伐秦。三豕渡河。子夏曰、非也。己亥耳。讀史志者、問諸晉史。果曰己亥。於是衞以子夏爲聖。孔子卒後、教於西河之上。魏文侯師事之、而諮國政焉)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「卜商あざなは子夏。孔子よりわかきこと四十四歳」(卜商字子夏。少孔子四十四歳)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 日知其所亡 … 『集解』に引く孔安国の注に「日に其の未だ聞かざる所を知るなり」(日知其所未聞也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「此れ人に学を勧むるなり。亡は、無なり。従来未だ経て識る所ならざる者を謂うなり。人をして日に其の徳を新たにせしめ、日に未だ識らざる所の者を知りて、識録せしむるなり」(此勸人學也。亡、無也。謂從來未經所識者也。令人日新其德、日知所未識者、令識録也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「亡は、無なり。と聞くこと無き者は、当に之を学びて日に其の未だ聞かざる所を知らしむべし」(亡、無也。舊無聞者、當學之使日知其所未聞)とある。また『集注』に「亡は、無なり。己の未だ有らざる所を謂う」(亡、無也。謂己之所未有)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 日知 … 明末清初の顧炎武(1613~1682)の主著『日知録』の書名は、ここから来ている。ウィキペディア【日知録】参照。
  • 月無忘其所能 … 『義疏』に「能くする所は、己識りて心に在る者を謂うなり。既に日日に未だ知らざる所を識りて、又た月月に其の能くする所を忘るること無し。故に識と云うなり」(所能、謂己識在心者也。既日日識所未知、又月月無忘其所能。故云識也)とある。また『注疏』に「と已に能くする者は、当に之を温尋して、月に忘るること無からしむるなり」(舊已能者、當溫尋之、使月無忘也)とある。
  • 可謂好学也已矣 … 『義疏』に「能く上の事の如くし、故に学を好むと謂う可き者なり。然れども此れ即ち是れ故きを温めて新しきを知るなり。日に其の亡き所を知る、是れ新しきを知るなり。月に能くする所を忘るること無し、是れ故きを温むるなり。学を好むと謂う可しは、是れ師と為るを謂うなり」(能如上事、故可謂好學者也。然此即是温故而知新也。日知其所亡、是知新也。月無忘所能、是温故也。可謂好學、是謂爲師也)とある。また『注疏』に「能く此くの如くする者は、以て之を学を好むと謂う可し」(能如此者、可以謂之好學)とある。
  • 『集注』に引く尹焞の注に「学を好む者は、日に新たにして失わず」(好學者、日新而不失)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「論に曰く、天下の美、学を知るより大なるは莫く、天下の善、学を好むより大なるは莫し。……故に聖人学を好むを以て、人の美称と為す。而して其の顔子に於ける、其のえいを称せずして、其の学を好むを称すれば、則ち見る可し、学を好むの善には、天下以て加うることきを」(論曰、天下之美、莫大於知學、天下之善、莫大於好學。……故聖人以好學、爲人之美稱。而其於顏子、不稱其穎悟、而稱其好學、則可見好學之善、天下蔑以加焉)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「邢昺曰く、亡は無なり。後儒之に因る。然れども一章の内、まさに亡・無ふたつながら用うべからず。故に亡とは失なり。日〻に其の亡失する所の者を知って、而るのち能く月〻に其の能くする所を忘るること無し。日と曰う者は、其の自ら省みるのすみやかなるを言うなり。月と曰う者は、其のせいぶるの辞なり。孔子曰く、おんして新を知る、と。人に教うる者を以て之を言う。子夏はだ学ぶ者を以て之を言う。故に温故を語りて知新に及ばざるなり。後儒求むるの深きや、必ず一言にして兼ね尽くさんことを欲す。其の失そつたり」(邢昺曰、亡無也。後儒因之。然一章之内、不容亡無兩用。故亡者失也。日知其所亡失者、而後能月無忘其所能。曰日者、言其自省之亟也。曰月者、要其成之辭。孔子曰、温故而知新。以教人者言之。子夏祗以學者言之。故語温故而不及知新也。後儒求之深也、必欲一言而兼盡焉。其失率爾)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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