公冶長第五 27 子曰十室之邑章
119(05-27)
子曰、十室之邑、必有忠信如丘者焉。不如丘之好學也。
子曰、十室之邑、必有忠信如丘者焉。不如丘之好學也。
子曰く、十室の邑、必ず忠信丘の如き者有らん。丘の学を好むに如かざるなり。
現代語訳
- 先生 ――「十軒の小村にも、わたしぐらいのリチギ者はあるだろうが、ただわたしのほうが学問ずきだ。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 孔子様がおっしゃるよう、「家数十戸バカリの小村でも、丘ぐらいの忠実信義の者はひとりやふたりは必ずあろう。ただ丘ほどの学問好きがないのじゃ。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 先師がいわれた。――
「十戸ほどの小村にも、まじめで偽りがないというだけのことなら、私ぐらいな人はきっといるだろう。だが、学問を愛して道に精進している点では、私以上の人はめったにあるまい」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
- 十室之邑 … 戸数十軒くらいの小さな村。「邑」は、村。
- 忠信 … 誠実さと、偽りのないこと。忠実と信義。
- 丘 … 孔子の名。
- 有~者 … 「~者有らん」と読む。「~人はきっといるだろう」と訳す。
- 焉 … 置き字。読まない。
- 不如~也 … 「~にしかざるなり」と読み、「~には及ばない」と訳す。
補説
- 『注疏』に「此の章は夫子己の学に勤むるを言うなり」(此章夫子言己勤學也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 『集解』には、この章の注なし。
- 十室之邑、必有忠信如丘者焉 … 『義疏』に「丘は、孔子の名なり。孔子自ら名を称して言う。十室を邑と為す。其の中に必ず忠信丘の如き者有らん。但だ丘の学を好むが如きもの無きのみ」(丘、孔子名也。孔子自稱名言。十室爲邑。其中必有忠信如丘者焉也。但無如丘之好學耳)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「十室の邑は、邑の小なる者なり。其の邑小なりと雖も、亦た之を誣いせず。必ず忠信我の如き者有らん。……言うこころは十室の邑、小なりと雖も、必ず忠信我の如き者有らん」(十室之邑、邑之小者也。其邑雖小、亦不誣之。必有忠信如我者焉。……言十室之邑雖小、必有忠信如我者也)とある。また『集注』に「十室は、小邑なり」(十室、小邑也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 焉 … 『集注』に「焉は、字の如し。上句に属す」(焉、如字。屬上句)とある。
- 不如丘之好学也 … 『義疏』に「孫綽曰く、夫れ忠信の行、中人能くする所全きを存す。聖人と雖も以て加うる無きなり。学んで人の為にするは、未だ称するに足らざるなり。好の至なる者は、必ず鑚仰して怠らず。故に曰く、顔回という者有り、学を好めり、今や則ち亡し、と。今、十室の学、己に逮ばざるを云う。又曰く、我生まれながらにして之を知るに非ず。古を好んで敏にして求むるのみ、と。此れ皆深く教を崇ぶを陳べ、以て汲引の道を尽くせり、と。一家に云う、十室の中に若し忠信丘が如き者有らば、則ち其の余は焉んぞ丘の学を好むに如かざるなり。言うこころは今学を好まず、忠信あらざるのみ、と。故に衛瓘曰く、忠信丘に如かざる所以は、学を好むこと丘が如くすること能わざるに由るのみ。苟に能く学を好まば、則ち其れ忠信は丘が如くならしむ可きなり、と」(孫綽曰、夫忠信之行、中人所能存全。雖聖人無以加也。學而爲人、未足稱也。好之至者、必鑽仰不怠。故曰、有顏回者、好學、今也則亡。今云十室之學不逮於己。又曰、我非生而知之。好古敏而求耳。此皆陳深崇於教、以盡汲引之道也。一家云、十室中若有忠信如丘者、則其餘焉不如丘之好學也。言今不好學、不忠信耳。故衞瓘曰、所以忠信不如丘者、由不能好學如丘耳。苟能好學、則其忠信可使如丘也)とある。また『注疏』に「但だ我の学を好みて厭わざるに如かざるなり。……安くんぞ我の学を好むに如かざらんや。亦た我の学を好むが如き者有るを言うなり。義並びに通ずるを得、故に具に焉に存す」(但不如我之好學不厭也。……安不如我之好學也。言亦有不如我之好學者也。義並得通、故具存焉)とある。また『集注』に「忠信の聖人の如きは、生質の美なる者なり。夫子は生まれながらにして知りて、未だ嘗て学を好まずんばあらず。故に此を言いて以て人を勉めしむ。言うこころは美質は得易く、至道は聞き難し。学の至れるは、則ち以て聖人と為る可し。学ばざれば、則ち郷人たるを免れざるのみ。勉めざる可けんや」(忠信如聖人、生質之美者也。夫子生知而未嘗不好學。故言此以勉人。言美質易得、至道難聞。學之至、則可以爲聖人。不學、則不免爲郷人而已。可不勉哉)とある。
- 好學也 … 『義疏』では「好學者也已」に作る。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「夫子生知の聖を以て、而も復た学を好むと曰うは、蓋し道は本窮まり無し、故に学も亦た窮まり無し。故に聖人は聖人の学有り、賢人は賢人の学有り、学者は学者の学有り。其の道に造ること愈〻深ければ、則ち学を好むこと愈〻篤し。唯だ夫子のみ能く学を好むと為して、益〻其の郡聖人を度越することを見るなり。……後世専ら理を以て主と為して、一旦豁然を以て的と為す。是に於いて実徳愈〻病みて、聖門の旨と、日に相背馳す。学者宜しく鑑みるべし」(夫子以生知之聖、而復曰好學者、蓋道本無窮、故學亦無窮。故聖人有聖人之學、賢人有賢人之學、學者有學者之學。其造道愈深、則好學愈篤。唯夫子爲能好學、而益見其度越乎郡聖人也。……後世專以理爲主、而以一旦豁然爲的。於是實德愈病、而與聖門之旨、日相背馳。學者宜鑒焉)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』に「焉は於虔の切、下句に属す。……蓋し孔子の門人に、或いは仕えて邑の宰と為って学を興さず、乃ち人の学を好まざるを以て辞と為る者有り、故に云爾。……言うこころは極小の邑と雖も、必ず忠信なること我が如き者有れば、則ち豈に学を好む者無からんや、特だ未だ其れをして学ばしめざるのみ、苟くも之を学ばしむれば、必ず能く之を好まんとなり。孔子屢〻学を好むを以て自ら称し、人も亦た此を以て之を称す。故に皆我を以て之を言えり。夫れ学とは、人の天性なり。……朱註に、忠信聖人の如きは、生質の美なる者なり、と。忠信は誠に美質なり。然れども孔子の意は則ち然らず。孔子豈に美質を以て自ら居らんや。蓋し忠信なる者は中庸の徳、乃ち甚だ高く行い難きの事には非ず、故に以て自ら称し、又た必ず有りと曰うのみ」(焉於虔切、屬下句。……蓋孔子門人、或有仕爲邑宰而不興學、乃以人不好學爲辭者、故云爾。……言雖極小之邑、必有忠信如我者、則豈無好學者哉、特未使其學焉耳、苟使學之、必能好之也。孔子屢以好學自稱、人亦以此稱之。故皆以我言之。夫學者、人之天性也。……朱註、忠信如聖人、生質之美者也。忠信誠美質。然孔子之意則不然。孔子豈以美質自居乎。蓋忠信者中庸之德、乃非甚高難行之事、故以自稱、又曰必有耳)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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