顔淵第十二 24 曾子曰君子以文會友章
302(12-24)
曾子曰、君子以文會友、以友輔仁。
曾子曰、君子以文會友、以友輔仁。
曾子曰く、君子は文を以て友を会し、友を以て仁を輔く。
現代語訳
- 曽先生 ――「人物は学芸をもって交際し、交際により人格をみがく。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 曾子が言うよう、「君子の友達づきあいは学問文藝が中心であり、そして友達づきあいを仁徳修養のおぎないにする。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 曾先生がいわれた。――
「君子は、教養を中心にして友人と相会し、友情によって仁をたすけあうものである」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
補説
- 『注疏』に「此の章も、亦た友を論ず」(此章、亦論友)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 曾子 … 『孔子家語』七十二弟子解に「曾参は南武城の人、字は子輿。孔子より少きこと四十六歳。志孝道に存す。故に孔子之に因りて以て孝経を作る」(曾參南武城人、字子輿。少孔子四十六歳。志存孝道。故孔子因之以作孝經)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「曾参は南武城の人。字は子輿。孔子より少きこと四十六歳。孔子以為えらく能く孝道に通ずと。故に之に業を授け、孝経を作る。魯に死せり」(曾參南武城人。字子輿。少孔子四十六歳。孔子以爲能通孝道。故授之業、作孝經。死於魯)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
- 君子以文会友 … 『集解』に引く孔安国の注に「友は文徳を以て合するなり」(友以文德合也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「言うこころは朋友相会するには、文徳を以て本と為すなり」(言朋友相會、以文德爲本也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 以友輔仁 … 『集解』に引く孔安国の注に「友は相切磋するの道有り。己の仁を輔成する所以なり」(友有相切磋之道。所以輔成己之仁也)とある。また『義疏』に「須らく友とすべき所以の者は、政に己の仁を輔成するの道を持するが故なり」(所以須友者、政持輔成己仁之道故也)とある。
- 『集注』に「学を講じて以て友を会せば、則ち道益〻明らかなり。善を取りて以て仁を輔くれば、則ち徳日〻に進む」(講學以會友、則道益明。取善以輔仁、則德日進)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「言うこころは君子徒らに友を会せず。其の之を会するや、必ず講磨の益を取る。己に如かざる者を友とすること無し。其の之を友とするや、必ず仁を輔くるの人を取る。此れ君子の日〻に其の徳を新たにする所以なり」(言君子不徒會友。其會之也、必取講磨之益。無友不如己者。其友之也、必取輔仁之人。此君子之所以日新其德也)とある。講磨は、学問を講じ、知を磨くこと。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』に「文を以て友を会す、古え宴会は、皆礼楽を用う。文とは礼楽なり。直を友とし、諒を友とし、多聞を友とすは、仁を輔くる所以なり。徳を輔くと言わずして仁を輔くと言うは、是れ道なる者は先王の道なり、而うして学者は仁に依る」(以文會友、古者宴會、皆用禮樂。文者禮樂也。友直、友諒、友多聞、所以輔仁也。不言輔德而言輔仁、是道也者先王之道也、而學者依於仁)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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