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衛霊公第十五 9 子貢問爲仁章

388(15-09)
子貢問爲仁。子曰、工欲善其事、必先利其器。居是邦也、事其大夫之賢者、友其士之仁者。
こうじんすことをう。いわく、こうことくせんとほっすれば、かならにす。くにるや、たい賢者けんじゃつかえ、仁者じんしゃともとす。
現代語訳
  • 子貢が人の道のふみかたをきく。先生 ――「しごとをうまくやるには、まず道具をよくする。どこの国に住んでいても、そこの家老のかしこい人につかえ、そこの家来のよくできた人とつきあうこと。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • こうが仁を行う方法をおたずねした。孔子様がおっしゃるよう、「だいい仕事をしようと思えば、まず、のみをとぐようなもので、仁を行うにはまずもって自身の仁徳をみがかねばならぬ。それにはその国々で、たいかしこい人をえらんでこれにつかえ、仁徳あるの士をえらんでこれを友とすることが肝要かんようじゃ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 子貢が仁を行なう道についてたずねた。先師がこたえられた。――
    「大工はよい仕事をやろうと思うと、必ずまず自分の道具を鋭利にする。同様に、仁を行なうには、まず自分の身を磨かなければならない。それには、どこの国に住まおうと、その国の賢大夫を選んでこれに仕え、その国の仁徳ある士を選んでこれを友とするがよい」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 子貢 … 前520~前446。姓は端木たんぼく、名は。子貢はあざな。衛の人。孔子より三十一歳年少の門人。孔門十哲のひとり。弁舌・外交に優れていた。また、商才もあり、莫大な財産を残した。ウィキペディア【子貢】参照。
  • 為仁 … 仁徳を修めて実践すること。
  • 工 … 大工などの職人。
  • 善其事 … 自分の仕事を上手にしようとする。
  • 利其器 … 道具を鋭利にする。道具を磨いて手入れをする。
  • 居是邦 … ある国にいるとき。どの国にいても。
  • 大夫 … 周代、諸侯国の家老。一国の重臣。
  • 賢者 … 賢い人。
  • 士 … 卿・大夫・士の士で、中堅の役人層を指す。
  • 仁者 … 仁徳のある人。
補説
  • 『注疏』に「此の章は仁を為すの法を明らかにするなり」(此章明爲仁之法也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子貢 … 『史記』仲尼弟子列伝に「端木賜は、衛人えいひとあざなは子貢、孔子よりわかきこと三十一歳。子貢、利口巧辞なり。孔子常に其の弁をしりぞく」(端木賜、衞人、字子貢、少孔子三十一歳。子貢利口巧辭。孔子常黜其辯)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『孔子家語』七十二弟子解に「端木賜は、あざなは子貢、衛人。口才こうさい有りて名を著す」(端木賜、字子貢、衞人。有口才著名)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。
  • 問為仁 … 『義疏』に「仁を為す人の法を問うなり」(問爲仁人之法也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「子貢仁を為さんことを欲するも、未だ其の法を知らず、故に之を問う」(子貢欲爲仁、未知其法、故問之)とある。
  • 工欲善其事、必先利其器 … 『集解』に引く孔安国の注に「言うこころは工は利器を以て用と為す」(言工以利器爲用)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「将に仁術を為すに答えんと欲す。故に先ず為に譬えを設くるなり。工は、巧師なり。器は、斧斤の属なり。言うこころは巧師は巧芸般輸の若しと雖も、而れども作器利ならざれば、則ち巧事成らず。如し其の作事する所善からんと欲せば、必ず先ず磨きて其の器を利にするなり」(將欲答於爲仁術。故先爲設譬也。工、巧師也。器、斧斤之屬也。言巧師雖巧藝若般輸、而作器不利、則巧事不成。如欲其所作事善、必先磨利其器也)とある。また『注疏』に「将に仁を為すことに答えんとし、先ず為に譬えを設くるなり。若し百工其の為す所の事を善くせんと欲せば、当に先ず用うる所の器を脩利すべし」(將答爲仁、先爲設譬也。若百工欲善其所爲之事、當先脩利所用之器)とある。
  • 居是邦也、事其大夫之賢者、友其士之仁者 … 『集解』に引く孔安国の注に「人は賢友を以て助けと為すなり」(人以賢友爲助也)とある。また『義疏』に「合わせ譬えて答えを成すなり。是は、猶お此のごときなり。言うこころは人賢才美質有りと雖も、而れども此の国に居住し、若し賢に事えず、仁を友とせずんば、則ち其の行い成らず。工器の利ならざるが如きなり。必ず行い成らんことを欲せば、当に此の国の大夫の賢者に事え、又た此の国の士の仁者を友とすべきなり。大夫は貴きが故に事うと云い、士は賤しきが故に友と云うなり。大夫に賢と言い、士に仁と云うは、之を互言するなり」(合譬成答也。是、猶此也。言人雖有賢才美質、而居住此國、若不事賢、不友於仁、則其行不成。如工器之不利也。必欲行成、當事此國大夫之賢者、又友此國士之仁者也。大夫貴故云事、士賤故云友也。大夫言賢、士云仁、互言之也)とある。また『注疏』に「此れ譬えを設くるなり。言うこころは工は器をくするを以て用を為し、人は賢友を以て助けと為す。大夫は尊きが故に事と言い、士は卑しきが故に友と言う。大夫に賢と言い、士に仁と言うは、互文なり」(此設譬也。言工以利器爲用、人以賢友爲助。大夫尊故言事、士卑故言友。大夫言賢、士言仁、互文也)とある。また『集注』に「賢は、事を以て言い、仁は、徳を以て言う。夫子嘗て謂う、子貢己に若かざる者を悦ぶ、と。故にれを以て之に告ぐ。其の厳憚げんたん切磋する所有りて以て其の徳を成さんと欲するなり」(賢、以事言、仁、以德言。夫子嘗謂、子貢悦不若己者。故以是告之。欲其有所嚴憚切磋以成其德也)とある。厳憚は、恐れはばかること。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 仁者 … 『義疏』では「仁者也」に作る。
  • 『集注』に引く程頤の注に「子貢仁を為さんことを問いて、仁を問うに非ざるなり。故に孔子之に告ぐるに仁を為すの資を以てするのみ」(子貢問爲仁、非問仁也。故孔子告之以爲仁之資而已)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「為は、猶お助のごときなり。猶お衛の君をたすくの為のごとし。……工、其の器を利にせざれば、則ち其の事善ならず。人、賢師友無ければ、則ち其の徳成らず。薫陶漸磨の益、甚だ大なりと謂う可し」(爲、猶助也。猶爲衞君之爲。……工不利其器、則其事不善。人無賢師友、則其德不成。薫陶漸磨之益、可謂甚大)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「子貢仁をるを問う。仁をは、己をくして礼をむは仁をるなりの如し。仁政を行うを謂うなり。程子曰く、仁を問うに非ざるなり。故に孔子之を告ぐるに仁を為すのたすけを以てするのみ、と。仁斎又た資の字に因りて為を訓じてたすくと為す。夫れ衛君をたすくの為を助と訓ずる者は、其の去声たるを明らかにするなり。豈に義をことにせんや。倭人と謂う可きかな。蓋し子貢は智多く、自ら用うるの失有り。故に之に仁政を行わんと欲せば、必ず人才をつことを告ぐるなり。其の大夫の賢者に事え、其の士の仁者を友とすとは、子貢の今日に拠りて之を言うのみ。子賤ぜんの宰と為る。父事ふじする所の者三人、けいする所の者五人、友とする所の者十一人、と。豈に然らざらんや。且つ先王民を安んずるの道、仁之を尽くせり。然れども勇智忠和種種の徳有る者は、仁必ず衆徳を待ちて而うしてのち成る。故に先王の道、仁之を尽くせり。而も未だ嘗て仁之を尽くすと言わざる者は、是れが為の故なり。故に王者の天下を治むるは、必ず人才をちて而うしてのち治まる。又た按ずるに、孔子仁を許すこと少なければ、則ち仁者は宜しく少なきがごとかるべし。而るにここに其の士の仁者と曰う。是れ仁者も亦たやすきなり。蓋し其の大夫の賢者に事え、其の士の仁者を友とするも、亦た古語にして、孔子之を称するのみ」(子貢問爲仁。爲仁、如克己復禮爲仁。謂行仁政也。程子曰、非問仁也。故孔子告之以爲仁之資而已。仁齋又因資字而訓爲爲助。夫爲衞君之爲訓助者、明其爲去聲也。豈異義乎。可謂倭人哉。蓋子貢多智、有自用之失。故告之欲行仁政、必須人才也。事其大夫之賢者、友其士之仁者、據子貢之今日而言之耳。子賤爲單父宰。所父事者三人、所兄事者五人、所友者十一人。豈不然乎。且先王安民之道、仁盡之矣。然有勇智忠和種種之德者、仁必待衆德而後成焉。故先王之道、仁盡之矣。而未嘗言仁盡之者、爲是故。故王者之治天下、必須人才而後治。又按、孔子少許仁、則仁者宜若少。而此曰其士之仁者。是仁者亦易得也。蓋事其大夫之賢者、友其士之仁者、亦古語、而孔子稱之耳)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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