学而第一 1 子曰學而時習之章
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子曰、學而時習之、不亦說乎。有朋自遠方來、不亦樂乎。人不知而不慍、不亦君子乎。
子曰、學而時習之、不亦說乎。有朋自遠方來、不亦樂乎。人不知而不慍、不亦君子乎。
子曰く、学びて時に之を習う、亦た説ばしからずや。朋有り遠方より来たる、亦た楽しからずや。人知らずして慍らず、亦た君子ならずや。
現代語訳
- 先生 ――「ならってはおさらいするのは、たのしいことだね。なかまが遠くからくるのは、うれしいことだね。知られなくても平気なのは、りっぱな人じゃないか。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 孔子様がおっしゃるよう、「先生に就きまた書物を読んで道理を学ぶのがまず第一だが、ただ通り一遍に学んだだけでなく、その上にまがなすきがな繰り返し思索したり実行したりしてみると、だんだんと学問が身につき道理が心にとけこんでくる。何とうれしいことではないか。さて学問が進み修養が積んでくると、勉学修養の志を同じくする人たちが遠方からまで集って来て、どうぞ教えてください、いっしょに修行しましょう、ということになる。何と楽しいことではないか。ところである程度学問が進み修行ができると、自分はこれだけになったのになぜ世間が知ってくれないのだろうかと、不平も起りそうなことだが、もともと学問し修養するのも自分の人物をみがくためで、それがおのずから世のため人のためになることであろうとも、けっして他人に認識してもらうための学問修養ではない。そういう気持で『人知らずしていきどおらず』一心不乱に学問修養をつづける人があるならば、それこそ本当の君子ではあるまいか。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 先師がいわれた。――
「聖賢の道を学び、あらゆる機会に思索体験をつんで、それを自分の血肉とする。なんと生き甲斐のある生活だろう。こうして道に精進しているうちには、求道の同志が自分のことを伝えきいて、はるばると訪ねて来てくれることもあるだろうが、そうなったら、なんと人生は楽しいことだろう。だが、むろん、名聞が大事なのではない。ひたすらに道を求める人なら、かりに自分の存在が全然社会に認められなくとも、それは少しも不安の種になることではない。そして、それほどに心が道そのものに落ちついてこそ、真に君子の名に値するのではあるまいか」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
- 子 … 先生。男子の尊称。ここでは孔子を指す。
- 曰 … 「曰く」と読む。学校教育の場では「曰ハク」に統一されているが、本来は「曰く」「曰わく」のどちらでもよいので「曰く」で統一した。なお、「曰わく」と読んでもよい。「のたまわく」は「いわく」の尊敬語であり、したがって孔子に対してだけは「のたまわく」の方がよいと思われるが、煩雑になるので採用しなかった。
- 学 … 学問する。ここでは『詩経』と『書経』を読み、礼と楽を学ぶこと。
- 而 … 接続詞の働きをする置き字。「~して」「~て」と、直前の語に続けて読み、訓読しないことが多い。
- 時 … やれる時はいつでもの意。「ときどき」の意ではない。
- 習 … 反復する。復習する。
- 不亦説乎 … 「またよろこばしからずや」と読む。「不亦~乎」は、「また~ずや」と読み、「なんと~ではないか」と訳す。詠嘆の形。
- 亦 … 語調をゆるやかにする語。「~もまた」の意ではない。「亦た」「亦」のどちらでもよい。
- 説 … 「悦」に同じ。「よろこぶ」と読む。
- 朋 … 学問について志を同じくする友人。
- 自 … 「より」と読み、「~から」と訳す。返読文字。時間・場所などの起点を示す。
- 不亦楽乎 … 「またたのしからずや」と読む。詠嘆の句形。
- 人不知而 … 「ひとしらずして」と読む。人が自分の学徳を認めてくれないこと。
- 不慍 … 「慍らず」「慍みず」と読んでもよい。腹を立てない、不平不満をいだかないこと。
- 不亦君子乎 … 「またくんしならずや」と読む。「なんと君子ではないか」と訳す。
- 君子 … 徳の高い立派な人。人格者。反対は小人。
補説
- 学而第一 … 『集解』に「凡そ十六章」(凢十六章)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「論語は是れ此の書の総名なり。学而を第一篇の別目と為す。中間の講説、多く分かちて科段と為す。侃、昔師に業を受けしとき、学而より堯曰に至るまで凡そ二十篇なり。首末相次ぎ別科の重ね無し。而して学而を以て最先とするは、言うこころは降聖以下、皆須らく学ぶべくして成る。故に学記に云う、玉琢かざれば器を成さず。人学ばざれば道を知らず、と。是れ人は必ず須らく学ぶべくして乃ち成るを明らかにす。此の書既に遍く衆典を該ね、以て一切を教う。故に学而を以て先と為すなり。而とは、因仍なり。第とは、審諦なり。一とは、数の始めなり。既に篇次を諦定して、学而を以て首に居く。故に学而第一と曰うなり」(論語是此書總名。學而爲第一篇別目。中間講說、多分爲科段矣。侃昔受師業、自學而至堯曰凡二十篇。首末相次無別科重。而以學而最先者、言降聖以下皆須學成。故學記云、玉不琢不成器。人不學不知道。是明人必須學乃成。此書既遍該衆典以教一切。故以學而爲先也。而者、因仍也。第者、審諦也。一者、數之始也。既諦定篇次、以學而居首。故曰學而第一也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「此れより堯曰に至るまでは、是れ魯論語二十篇の名及び第次なり。弟子の論撰の時に当たり、論語を以て此の書の大名と為し、学而以下を当篇の小目と為す。其の篇中に載する所は、各〻旧聞を記し、意及べば則ち言い、義例を為さず。或いは亦た類を以て相従う。此の篇は君子・孝弟・仁人・忠信・国を道くの法・友を主とするの規・政を聞くは徳を行うに在り・礼に由りて和を用うるを貴ぶ・安飽を求むる無くして以て学を好む・能く自ら切磋して道を楽しむを論ず。皆人の行いの大なる者なり、故に諸篇の先と為す。既に学を以て章首と為せば、遂に以て篇に名づく。人は必ず須らく学ぶべきを言うなり。為政以下の諸篇の次する所、先儒意無くんばあらざるも、当篇にて各〻其の指を言い、此には煩説せず。第の訓は、次なり。一は、数の始なり。此の篇は次に於いて一に当たるを言うなり」(自此至堯曰、是魯論語二十篇之名及第次也。當弟子論撰之時、以論語爲此書之大名、學而以下爲當篇之小目。其篇中所載、各記舊聞、意及則言、不爲義例。或亦以類相從。此篇論君子、孝弟、仁人、忠信、道國之法、主友之規、聞政在乎行德、由禮貴於用和、無求安飽以好學、能自切磋而樂道。皆人行之大者、故爲諸篇之先。既以學爲章首、遂以名篇。言人必須學也。爲政以下諸篇所次、先儒不無意焉、當篇各言其指、此不煩説。第訓、次也。一、數之始也。言此篇於次當一也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に「此れ書の首篇たり。故に記す所、本を務むるの意多し。乃ち道に入るの門、徳を積むの基にして、学者の先務なり。凡そ十六章」(此爲書之首篇。故所記多務本之意。乃入道之門、積德之基、學者之先務也。凡十六章)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 『注疏』に「此の章は人に学びて君子と為るを勧むるなり」(此章勸人學爲君子也)とある。
- 子曰 … 『集解』に引く馬融の注に「子とは、男子の通称なり。孔子を謂うなり」(子者、男子通稱。謂孔子也)とある。また『義疏』に「子とは、孔子を指すなり。子は是れ有徳の称、古者は師を称して子と為すなり。曰とは、発語の端なり。許氏の説文に云う、口を開き舌を吐く、之を謂いて曰と為す、と。此れより以下は、是れ孔子口を開きて談説するの語なり、故に子曰を称して首めと為すなり。然れども此の一書、或いは是れ弟子の言、或いは時俗の語有り、悉くに孔子の語に非ずと雖も、当時皆孔子の印可を被むるなり。必ず印可を被むれば、乃ち預り録することを得、故に此の子曰を称して、通して一書に冠らしむるなり」(子者指於孔子也。子是有德之稱、古者稱師爲子也。曰者發語之端也。許氏說文云、開口吐舌、謂之爲曰。此以下、是孔子開口談説之語、故稱子曰爲首也。然此一書、或是弟子之言、或有時俗之語、雖非悉孔子之語、而當時皆被孔子印可也。必被印可、乃得預錄、故稱此子曰、通冠一書也)とある。また『注疏』に「古人は師を称して子と曰う。子は、男子の通称なるも、此に子と言うは、孔子を謂うなり。曰とは、説文に云う、詞なり。口に従う乙の声。亦た口気の出づるに象るなり、と。然らば則ち曰とは、発語の詞なり。此の下は是れ孔子の語なるを以て、故に子曰を以て之に冠す。或いは孔子曰と言うは、記するを以て一人に非ず、各〻意を以て載するに、義例無きなり」(古人稱師曰子。子、男子之通稱、此言子者、謂孔子也。曰者、說文云詞也。從口乙聲。亦象口氣出也。然則曰者、發語詞也。以此下是孔子之語、故以子曰冠之。或言孔子曰者、以記非一人、各以意載、無義例也)とある。
- 學而時習之 … 『集解』に引く王粛の注に「時とは、学ぶ者の時を以て之を誦習す。誦習するに時を以てし、学の廃業する無きは、悦懌たる所以なり」(時者、學者以時誦習之。誦習以時、學無廢業、所以爲悦懌也)とある。悦懌は、しこりがほぐれて喜ぶこと。また『義疏』に「此れより以下は孔子の言なり。此の一章に就いて、分けて三段と為す、此れより亦た悦ばしからずやというに至りてを第一と為す、学者幼少の時を明らかにするなり。学は幼より起こる、故に幼を以て先と為すなり。又た朋有りより亦た楽しからずやというに至りてを第二と為す、学業稍く成りて、能く朋を招き友を聚むるの由を明らかにするなり。既に学んで已に時を経う、故に能く友を招くを次と為すなり。故に学記に云く、一年にして経を離し志を弁ずることを視る、三年にして業を敬み群を楽しむを視る、五年にして博く習いて師を親しむことを視る、七年にして学を論じ友を取ることを視る、之を小成と謂う、是れなり。又た人知らずというより君子ならずやに訖うるまで、第三と為す、学業已に成りて、能く師と為り君と為るの法を明らかにするなり。先ず能く友を招く、故に後に乃ち学成りて、師君と為るなり、故に学記に云く、九年にして類を知り、通達強立して反かず、之を大成と謂う。又た云く、能く博く喩して、然して後に能く師と為る、能く師と為り、然して後に能く長と為る、能く長と為り、然して後に能く君と為る、是れなり。今此の段は学者少時の法を明らかにするなり。謂えらく学者たることは、白虎通に云く、学は覚なり、悟なり、言うこころは先王の道を用いて、人の情性を導きて、自らをして覚悟せしむ、而して非を去け是を取りて、積みて君子の徳を成すなり。時とは、凡そ学ぶに三時有り。一は是れ人身中に就くを時と為す。二は年中に就くを時と為す。三は日中に就くを時と為す。一の身中に就くとは、凡そ学を受くるの道は、時を択ぶを先と為す。長なれば則ち捍格し、幼なれば則ち迷昏す。故に学記に云う、発して然る後に禁ずれば、則ち捍格して勝えず。時過ぎて然る後に学べば、則ち勤苦して成り難しとは、是れなり。既に必ず時を須つ、故に内則に云く、六年にして之に数と方名とを教う、七年にして男女席を同じうせず、八年にして始めて之に譲を教う、九年にして之に日を数うることを教う、十年にして書計を学び、十三年にして楽を学び、詩を誦し勺を舞す、十五年にして童と成りて、象を舞す。並びに是れ身中に就いての時と為すなり。二に年の中に就いて時と為すとは、夫れ学は時気に随えば、則ち業を受くること入り易し。故に王制に云く、春夏には詩楽を学び、秋冬には書礼をぶ、是れなり。春夏は是れ陽なり、陽の体は軽く清めり、詩楽は是れ声なり、声も亦た軽く清めり。軽く清めるの時に、軽く清めるの業を学べば、則ち入り易しと為すなり。秋冬は是れ陰なり、陰の体は重く濁れり、書礼は是れ事なり。事も亦た重く濁れり。重く濁れる時に、重く濁れるの業を学べば、亦た入り易きなり。三に日の中に就いて時と為すとは、前の身の中年の中の二の時にして、学ぶ所、並びに日に日に修習して、暫くも廃せざるなり。故に学記に云く、蔵し、修し、息し、游すとは、是れなり。今学びて時に之を習うと云うは、而は猶お因仍のごときなり、時とは是れ日中の時なり、習とは是れ故きを修むるの称なり。言うこころは人学ばざるは則ち已む、既に学びて必ず因仍して修習し、日夜替ること無きなり。之とは、学ぶ所の業に之くなり」(此以下孔子言也。就此一章、分爲三段、自此至不亦悦乎爲第一、明學者幼少之時也。學從幼起、故以幼爲先也。又從有朋至不亦樂乎爲第二、明學業稍成、能招朋聚友之由也。既學已經時、故能招友爲次也。故學記云、一年視離經辨志、三年視敬業樂羣、五年視博習親師、七年視論學取友、謂之小成、是也。又從人不知訖不君子乎、爲第三、明學業已成、能爲師爲君之法也。先能招友、故後乃學成、爲師君也。故學記云、九年知類、通達強立而不反、謂之大成。又云、能博喩、然後能爲師、能爲師、然後能爲長、能爲長、然後能爲君、是也。今此段明學者少時法也。謂爲學者、白虎通云、學覺也、悟也、言用先王之道、導人情性、使自覺悟、而去非取是、積成君子之德也。時者、凡學有三時。一是就人身中爲時。二就年中爲時。三就日中爲時也。一就身中者、凡受學之道、擇時爲先、長則捍格、幼則迷昏。故學記云、發然後禁、則捍格而不勝。時過然後學、則勤苦而難成、是也。既必須時、故内則云、六年教之數與方名、七年男女不同席、八年始教之讓、九年教之數日、十年學書計、十三年學樂、誦詩舞勺、十五年成童、舞象。竝是就身中爲時也。二就年中爲時者、夫學随時氣、則受業易入。故王制云、春夏學詩樂、秋冬學書禮、是也。春夏是陽、陽體輕清、詩樂是聲、聲亦輕清。輕清時、學輕清之業、則爲易入也。秋冬是陰、陰體重濁、書禮是事。事亦重濁。重濁時、學重濁之業、亦易入也。三就日中爲時者、前身中年中二時、而所學、竝日日修習、不暫廢也。故學記云、藏焉、修焉、息焉、游焉、是也。今云學而時習之者、而猶因仍也、時是日中之時也、習是修故之稱也。言人不學則已、既學必因仍而修習、日夜無替也。之、之於所學之業也)とある。捍格は、相手を受け入れないこと。学記は、『礼記』の篇名。また『注疏』に「白虎通に云う、学とは、覚なり。未だ知らざる所を覚悟するなり、と」(白虎通云、學者、覺也。覺悟所未知也)とある。また『集注』に「学の言たる、效なり。人の性は皆善なり、而して覚るに先後有り。後に覚る者は、必ず先覚の為す所に效う。乃ち以て善を明らかにして、而して其の初めに復る可きなり。習は、鳥の数〻飛ぶなり。之を学んで已まざること、鳥の数〻飛ぶが如くするなり」(學之爲言效也。人性皆善、而覺有先後。後覺者必效先覺之所爲。乃可以明善而復其初也。習、鳥數飛也。學之不已、如鳥數飛也)とある。また『集注』に引く程頤の注に「習とは、重ねて習うなり。時に復た思繹し、中に浹洽すれば、則ち説ぶなり」(習、重習也。時復思繹、浹洽於中、則說也)とある。思繹は、考えたずねること。浹洽は、すみずみまで行き渡ること。また『集注』に引く謝良佐の注に「時に習うとは、時として習わざる無きなり。坐するに尸の如くすとは、坐する時に習うなり、立つには斉の如くすとは、立つ時に習うなり」(時習者、無時而不習。坐如尸、坐時習也、立如齊、立時習也)とある。
- 不亦説乎 … 『義疏』に「亦は、猶お重のごときなり。悦とは、懐抱欣暢の謂なり。言うこころは学ぶことを知りて已に欣ぶ可しと為す、又た能く修習して廃せず、是れ日〻に其の亡き所を知り、月〻に其の能くする所を忘るること無きは、弥〻重ねて悦ぶ可しと為す。故に云く、亦た悦ばしからずや、と。之を問うが如くにして然り」(亦、猶重也。悦者、懷抱欣暢之謂也。言知學已爲可欣、又能修習不廢、是日知其所亡、月無忘其所能、彌重爲可悦。故云、不亦悦乎。如問之然也)とある。懐抱は、懐に抱くこと。欣暢は、喜んで心がのびのびすること。また『注疏』に「孔子曰く、学ぶ者にして能く時を以て其の経業を誦習し、廃落すること無からしむるは、亦た説懌ならずや」(孔子曰、學者而能以時誦習其經業、使無廢落、不亦説懌乎)とある。説懌は、しこりがほぐれて喜ぶこと。また『集注』に「説は、喜ぶの意なり。既に学んで又た時時に之を習えば、則ち学ぶ所の者熟し、而して中心喜説し、其の進むこと自ずから已む能わざるなり」(說、喜意也。既學而又時時習之、則所學者熟、而中心喜說、其進自不能已矣)とある。また『集注』に引く程顥または程頤の注に「学ぶ者は将に以て之を行わんとするや、時に之を習えば、則ち学ぶ所の者我に在り。故に説ぶ」(學者將以行之也、時習之、則所學者在我。故說)とある。
- 説 … 『義疏』では「悦」に作る。
- 有朋自遠方来、不亦楽乎 … 『集解』に引く包咸の注に「同門を朋と曰うなり」(同門曰朋也)とある。また『義疏』に「此の第二段は、友交を取ることを明らかにするなり。同処師門を朋と曰う。同に一志を執るを友と為す。朋は猶お党のごときなり。共に党類を為して師門に在るなり。友とは、有なり。共に一志を執りて、寒暑に綢繆として、飢飽に契闊たり、有無を相知るなり。自は、猶お従のごときなり。学記に云く、独り学びて友無くんば、則ち孤陋にして聞くこと寡なし。君子其の言を出だすこと善なれば、則ち千里の外、之に応ず、其の言を出だすこと善からざれば、則ち千里の外、之に違う。今我が師の徳高きに由りて、故に朋遠方よりして来たり、我と門を同じうし、共に相講説すること有り、故に楽と為す可きなり。遠方と云う所以は、師の徳洽く被りて、遠しと雖も必ず集うことを明らかにするなり。朋を招きて己自ら欣びと為す可し、遠きより至ること弥〻復た楽しむ可し、故に亦たと云うなり。然して朋は疎にして友は親し、朋至るときは既に楽し、友至るが故に言を忘る。但だ来たりて必ず先ず門を同じうす、故に朋を挙ぐるのみ。悦と之れ楽とは倶に是れ懽欣なり、心に在りては常に等し、而して貌跡は殊なること有り。悦は則ち心多くして貌少なし、楽は則ち心貌倶に多し。然る所以は、向に講習するを得て、我に在りて懐抱に自得す、故に心多きを悦と曰う。今朋友講説して、義味相交り、徳音往復す、形彰れて外に在り、故に心貌倶に多きを楽と曰うなり。故に江熙云く、君子は朋友を以て講習す、其の言を出だすこと善なれば、則ち千里の外、之に応ず。遠人且た至る、況んや其れ近き者をや。道同じうして味を斉しくす、歓然として願いに適う、楽しむ所以なり、と」(此第二段、明取友交也。同處師門曰朋。同執一志爲友。朋猶黨也。共爲黨類在師門也。友者、有也。共執一志、綢繆寒暑、契闊飢飽、相知有無也。自、猶從也。學記云、獨學而無友、則孤陋而寡聞。君子出其言善、則千里之外應之、出其言不善、則千里之外違之。今由我師德高、故有朋從遠方而來、與我同門、共相講説、故可爲樂也。所以云遠方者、明師德洽被、雖遠必集也。招朋己自可爲欣、遠至彌復可樂、故云亦也。然朋疎而友親、朋至既樂、友至故忘言。但來必先同門、故舉朋耳。悦之與樂倶是懽欣、在心常等、而貌跡有殊。悦則心多貌少、樂則心貌倶多。所以然者、向得講習、在我自得於懷抱、故心多曰悦。今朋友講説、義味相交、德音往復、形彰在外、故心貌倶多曰樂也。故江熙云、君子以朋友講習、出其言善、則千里之外、應之。遠人且至、況其近者乎。道同齊味、歡然適願、所以樂也)とある。『注疏』に「学業稍く成り、能く朋友を招き、同門の朋有りて、遠方よりして来たり、己と講習するは、亦た楽しからずや」(學業稍成、能招朋友、有同門之朋、從遠方而來、與己講習、不亦樂乎)とある。また『集注』に「朋は、同類なり。遠方より来たれば、則ち近き者知る可し」(朋、同類也。自遠方來、則近者可知)とある。また『集注』に引く程頤の注に「善を以て人に及ぼせば、信じ従う者衆し。故に楽しむ可し。又た曰く、説ぶことは心に在り、楽は発散して外に在るを主とす」(以善及人、而信從者衆、故可樂。又曰、說在心、樂主發散在外)とある。
- 有朋自遠方来 … 後藤点(後藤芝山のつけた訓点)では「朋有り、遠方より来たる」、道春点(林羅山のつけた訓点)では「朋、遠方より来たる有り」と読む。なお、武内義雄は「有朋(友朋)遠方より来る」と読んでいる(『論語』岩波文庫、『武内義雄全集 第二巻』所収)。
- 人不知而不慍、不亦君子乎 … 『集解』の何晏の注に「慍は、怒なり。凡そ人知らざる所有るも、君子は慍らざるなり」(慍、怒也。凡人有所不知、君子不慍也)とある。また『義疏』に「此の第三段は、学んで已に成る者を明らかにするなり。人は、凡人を謂うなり。慍は、怒るなり。君子は、徳有るの称なり。此に二の釈有り、一に言う、古えの学は己の為にす、己先王の道を学び得て、章を含んで内に映ず、而れども他人に知られず、而るを我怒らず、此れは是れ君子の徳なり。有徳己に貴ぶ可き所と為す、又た人の知らざるを怒らず、故に亦たと曰うなり。又た一通に云う、君子は事え易し、一人に備ならんことを求めず、故に教誨の道を為すに、若し人鈍根にして知解すること能わざる者有れども、君子は之を恕して之を慍怒せざるなり。君子たる者亦た然り」(此第三段、明學已成者也。人、謂凡人也。慍、怒也。君子、有德之稱也。此有二釋、一言、古之學者爲己、己學得先王之道、含章内映、而他人不見知、而我不怒、此是君子之德也。有德己爲所可貴、又不怒人之不知、故曰亦也。又一通云、君子易事、不求備於一人、故爲教誨之道、若人有鈍根不能知解者、君子恕之而不慍怒之也。爲君子者亦然也)とある。また『注疏』に「既に成徳有るに、凡そ人の知らずして之を怒らざるは、亦た君子ならずや、と。言うこころは誠の君子なり。君子の行は一に非ず、此れは其の一行なるのみ、故に亦と云うなり」(既有成德、凡人不知而不怒之、不亦君子乎。言誠君子也。君子之行非一、此其一行耳、故云亦也)とある。また『集注』に「慍は、怒りを含むの意。君子は、成徳の名」(慍、含怒意。君子、成德之名)とある。
- 慍 … 『説文解字』巻十下、心部に「慍は、怒るなり」(慍、怒也)とある。ウィキソース「說文解字/10」参照。
- 『集注』に引く尹焞の注に「学は己に在り、知ると知らざるは人に在り、何の慍ることか之れ有らん」(學在己、知不知在人、何慍之有)とある。
- 『集注』に引く程頤の注に「人に及ぼすを楽しむと雖も、是とせられずして悶ゆる無し、乃ち所謂君子なり」(雖樂於及人、不見是而無悶、乃所謂君子)とある。
- 『集注』に「愚謂えらく、人に及ぼして楽しむは、順にして易く、知らずして慍らざるは、逆にして難し。故に惟だ成徳なる者のみ之を能くす。然れども徳の成る所以も、亦た学の正、習の熟、説の深くして已まざるを曰うのみ」(愚謂及人而樂者、順而易、不知而不慍者、逆而難。故惟成德者能之。然德之所以成、亦曰學之正、習之熟、說之深而不已焉耳)とある。
- 『集注』に引く程頤の注に「楽は説に由りて而る後に得、楽に非ざれば以て君子を語るに足らず」(樂由說而後得、非樂不足以語君子)とある。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「夫子天地の為に道を立て、生民の為に極を建て、万世の為に太平を開きし所以の者も、亦た学の功なり。故に論語に学の一字を以て、一部の開首と為せり。而して門人此の章を以て諸を一書の首に置けり。蓋し一部の小論語と云う」(夫子所以爲天地立道、爲生民建極、爲萬世開太平者、亦學之功也。故論語以學之一字、爲一部開首。而門人以此章置諸一書之首。蓋一部小論語云)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』に「蓋し先王の道は、民を安んずるの道なり。学とは、之を学ぶなり」(蓋先王之道、安民之道也。學者、學之也)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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