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先進第十一 16 季氏富於周公章

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季氏富於周公。而求也爲之聚斂而附益之。子曰、非吾徒也。小子鳴鼓而攻之可也。
季氏きししゅうこうよりもめり。しこうしてきゅうこれためしゅうれんしてこれえきす。いわく、あらざるなり。しょうつづみらしてこれめてなり。
現代語訳
  • (家老の)季は殿さまより金持ちなのに、求(冉有)は税金を取ってやって、ますますふとらせている。先生 ――「もう同志じゃないんだ。きみたちはジャンジャンあいつをやっつけるがいいぞ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「たいの季氏は殿様のご先祖の周公よりも富んでいる。君の物をわたくしたみの財を取るにあらずんばさように富むはずがない。しかるにぜんきゅうは季氏のさいしつ)となって、主人を正しき道に導くことをせず、かえってその意を迎えて租税の取立とりたてに骨折り、その富を増し加えている。われわれの仲間でない。若者どもよ 攻めつづみを鳴らして大いに攻撃してやるがよろしい。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「季氏は周公以上に富んでいる。しかるに、季氏の執事となったきゅうは、主人の意を迎え、租税を過酷に取り立てて、その富をふやしてやっている。彼はわれわれの仲間ではない。諸君は鼓を鳴らして彼を責めてもいいのだ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 季氏 … 魯の国の大夫、季孫氏。三桓の中で最も勢力があった。ウィキペディア【三桓氏】参照。
  • 周公 … ここは武王の弟の周公旦のことではなく、魯の国君を指す。
  • 求 … 冉有ぜんゆうのこと。求は名。あざなは子有。孔門十哲のひとり。「政事には冉有・季路」と評され、政治的才能があった。孔子より二十九歳年少。冉求、冉子とも。ウィキペディア【冉有】参照。
  • 聚斂 … 租税を厳しく取り立てる。
  • 附益 … 富を増やすこと。
  • 徒 … 門下の弟子。また「ともがら」とも読む。この場合は「仲間」「同志」の意となる。
  • 小子 … ここでは孔子が門人に呼びかける言葉。諸君。
  • 鳴鼓 … 罪を責めたてること。罪を言いふらすこと。実際に太鼓を叩くことではない。
  • 攻 … 責める。攻撃する。
補説
  • 『注疏』に「此の章は夫子冉求の賦税を重くするを責むるなり」(此章夫子責冉求重賦税也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 季氏富於周公 … 『集解』に引く孔安国の注に「周公は、天子の宰、卿士なり」(周公、天子之宰、卿士也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「季氏は、魯の臣なり。周公は天子の臣、周に食采す。爵は公たり。故に謂いて周公と為すなり。蓋し是れ公旦の後なり。天子の臣は、地広く禄大なり。故に周公宜しく富むべし。諸侯の臣は、地狭く禄小なり。季氏宜しく貧なるべし。而るに今僭濫して遂に天子の臣に勝れり。故に云う、季氏周公よりも富めり、と」(季氏、魯臣也。周公天子臣、食采於周。爵爲公。故謂爲周公也。蓋是公旦之後也。天子之臣、地廣禄大。故周公宜富。諸侯之臣、地狹禄小。季氏宜貧。而今僭濫遂勝天子臣。故云、季氏富於周公也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「季氏は、魯臣、諸侯の卿なり。周公は、天子の宰、卿士なり、魯は其の後なり。孔子の時、季氏専ら魯の政を執り、尽く其の民を征す。其の君は深宮に蚕食せられ、賦税は皆己の有に非ず。故に季氏周公より富めるなり」(季氏、魯臣、諸侯之卿也。周公、天子之宰、卿士、魯其後也。孔子之時、季氏專執魯政、盡征其民。其君蠶食深宮、賦税皆非己有。故季氏富於周公也)とある。また『集注』に「周公は王室の至親を以て、大功有り、ちょうさいに位す。其の富めることむべなり。季氏は諸侯の卿を以てして、富之に過ぐ。其の君を攘奪し、其の民を刻剥するに非ざれば、何を以てか此を得ん」(周公以王室至親、有大功、位冢宰。其富宜矣。季氏以諸侯之卿、而富過之。非攘奪其君、刻剥其民、何以得此)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 而求也為之聚斂而附益之 … 『集解』に引く孔安国の注に「冉求季氏の宰と為り、之が為に賦税を急にするなり」(冉求爲季氏宰、爲之急賦税也)とある。また『義疏』に「求は、冉求なり。季氏已に富めり。而して求、時に季氏に仕えて季氏の邑宰と為る。又た斂聚を助け、賦税を急にし、以て季氏の富を附益するなり」(求、冉求也。季氏已富。而求時仕季氏爲季氏邑宰。又助斂聚急賦税、以附益季氏之富也)とある。また『注疏』に「時に冉求季氏の家宰と為り、又た之が為に賦税を急にし、財物を聚斂して陪に附し、季氏に益すことを助くるなり」(時冉求爲季氏家宰、又爲之急賦税、聚斂財物而陪附、助益季氏也)とある。また『集注』に「冉求は季氏の宰と為り、又た之が為に賦税を急にして以て其の富を益す」(冉求爲季氏宰、又爲之急賦税以益其富)とある。
  • 求(冉有) … 『孔子家語』七十二弟子解に「冉求は字は子有。仲弓の宗族なり。孔子よりわかきこと二十九歳。才芸有り。政事を以て名を著す。仕えて季氏の宰と為る。進めば則ち其の官職をおさめ、退けば則ち教えを聖師に受く。性たること多く謙退す。故に子曰く、求や退、故に之を進ましむ、と」(冉求字子有。仲弓之宗族。少孔子二十九歳。有才藝。以政事著名。仕爲季氏宰。進則理其官職、退則受教聖師。爲性多謙退。故子曰、求也退、故進之)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「冉求、字は子有。孔子よりわかきこと二十九歳。季氏の宰と為る」(冉求字子有。少孔子二十九歳。爲季氏宰)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 而求也 … 『義疏』では「而求」に作る。
  • 附益之 … 『義疏』では「附益也」に作る。
  • 子曰、非吾徒也 … 『義疏』に「徒は、門徒なり。孔子言う、冉求、昔、是れ我が門徒と雖も、而れども我が門徒、皆仁義を尚ぶ。今、冉求遂に季氏の為に急に聚斂するは、則ち復た吾が門徒に非ざるなり。故に礼に云う、孟献子曰く、百乗の家は、聚斂の臣を畜わず、と。其の聚斂の臣を畜うよりは、寧ろ盗臣有らしめよ。言うこころは盗臣は乃ち財を傷う。而して聚斂の臣は、則ち仁義を傷う。財を傷うは、仁義を傷うに如かず」(徒、門徒也。孔子言、冉求昔雖是我門徒、而我門徒皆尚仁義。今冉求遂爲季氏急聚斂、則非復吾門徒也。故禮云、孟獻子曰、百乘之家不畜聚斂之臣。與其畜聚斂之臣、寧有盜臣。言盜臣乃傷財。而聚斂之臣、則傷仁義。傷財、不如傷仁義)とある。また『注疏』に「冉求も亦た夫子の門徒なれば、まさに仁義を尚ぶべし。今季氏の為に聚斂し、仁義に害あり、故に夫子之を責めて曰く、我が門徒に非ざるなり」(冉求亦夫子門徒、當尚仁義。今爲季氏聚斂、害於仁義、故夫子責之曰、非我門徒也)とある。また『集注』に「吾が徒に非ずは、之を絶つなり」(非吾徒、絶之也)とある。
  • 小子鳴鼓而攻之可也 … 『集解』に引く鄭玄の注に「小子は、門人なり。鼓を鳴らすは、其の罪を声して以て之を責むるをいう」(小子、門人也。鳴鼓、聲其罪以責之)とある。また『義疏』に「小子は、門徒、諸弟子なり。攻は、治なり。求、既に季氏の為に聚斂す。故に孔子先ず云う、復た我が門徒に非ず。又た諸弟子をして鼓を鳴らして之を治めしむるなり、と。鼓を鳴らす所以は、若しただ治めて、其の過ちを言わざれば、則ち之を聞く者はかぎる、故に鼓を鳴らして且く之を言う、則ち聞く者衆し。繆協云う、季氏諫を納るること能わず、故に求や匡救することを得ること莫し。匡救すること存せず、其の義屈す、故に曰く、吾が徒には非ざるなり、と。譏りを求に致して、深く季氏をにくむ所以なり。子然の問いは、其の義を明らかにするなり、と」(小子、門徒諸弟子也。攻、治也。求旣爲季氏聚斂。故孔子先云、非復我門徒。又使諸弟子鳴鼓治之也。所以鳴鼓者、若直爾而治、不言其過、則聞之者局、故鳴鼓而且言之、則聞者衆也。繆協云、季氏不能納諫、故求也莫得匡救。匡救不存、其義屈、故曰非吾徒也。致譏於求、所以深疾季氏。子然之問、明其義也)とある。また『注疏』に「小子は、門人なり。……其の門人をして鼓を鳴らして以て其の罪をべて之を攻責せしむるも、可なり、と」(小子、門人也。……使其門人鳴鼓以聲其罪而攻責之、可也)とある。また『集注』に「小子鼓を鳴らして之を攻むとは、門人をして其の罪を声して以て之を責めしむなり。聖人の悪に党して民を害するを悪むこと此くの如し。然れども師は厳にして友は親し。故に己は之を絶つも、猶お門人をして之を正さしむ。又た其の人を愛することの已む無きを見るなり」(小子鳴鼓而攻之、使門人聲其罪以責之也。聖人之惡黨惡而害民也如此。然師嚴而友親。故己絶之、而猶使門人正之。又見其愛人之無已也)とある。また『集注』に引く范祖禹の注に「冉有は政事の才を以て季氏に施す。故に不善を為すこと此くの如きに至る。其の心術明らかならざるに由り、これを身に反求すること能わずして、仕うるを以て急と為す故なり」(冉有以政事之才施於季氏。故爲不善至於如此。由其心術不明、不能反求諸身、而以仕爲急故也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「此れ季氏魯公よりも富めりと言わずして、周公よりも富めりと言う者は、蓋し記者の微意なり。……孟子曰く、政事無ければ則ち財用足らず、と。夫れ国家の財用を足らす所以の者は、亦た民の為にするのみ。冉有政事を以て称せらる。其の季氏の為に聚斂して附益せし処置調度は、当に其の方有るべし。未だ必ずしも後世のたんの為る所の如くならず。然れども季氏周公より富めるときは、則ち冉有たる者、宜しく之が為にぞくを散じ財を施し、其の民を救うを以て急と為すべし。而るに反って之に附益す。此れ夫子の深く之を責むる所以なり。夫れ下を損して以て上に益するは、まさに夫の上を損する所以なり。冉有の意、本と季氏の為にするに在りて、季氏の為にする所以を知らず。亦た惜しむ可からざるや」(此不言季氏富於魯公、而言富於周公者、蓋記者微意也。……孟子曰、無政事則財用不足。夫國家之所以足財用者、亦爲民而已。冉有以政事所稱。其爲季氏聚斂而附益處置調度、當有其方。未必如後世貪吏所爲。然季氏富於周公、則爲冉有者、宜爲之散粟施財、以救其民爲急。而反附益之。此夫子之所以深責之也。夫損下以益上、適所以損夫上也。冉有之意、本在於爲季氏、而不知所以爲季氏。不亦可惜乎)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「季氏周公より富む。魯公と言わずして周公と言う者は、全魯を以て之を言うなり。是の時に当たりて、三桓公室を四分し、而うして季氏其の二をたもてば、則ち魯公は豈に言うに足らんや。魯は宣公に税してより、季氏の二は、まさに周公の富と相当たり、而うして又た大夫は官をせざれば、則ち季氏の富、周公全魯の時に過ぎたり。或ひと曰く、周公はたんに非ざるなり、東西二周公を謂うなり、諸侯の卿を以てして、富み天子の卿に過ぐ、と。亦た通ず。季氏より附益之に至る十七字も、亦た孔子の言なり。故に求と曰う。子曰は中に在り。古文辞宜しくくの若くなるべきのみ。朱註は冉有を貶すること至れり。仁斎先生曰く、……善く論語を解すと謂う可きのみ。……殊に知らず政事に先後の序、緩急の施し有ることを。……是の時に当たりて、冉有の先にする所、未だ知る可からず。然れども必ず別に先にする所有りて、未だ賦税に及ぶにいとまあらざるなり。……罪を冉有に帰する者は、季氏をいましむる所以なり。はじめに周公より富むを以て端を起こす、以て見る可きのみ」(季氏富於周公。不言魯公而言周公者、以全魯言之也。當是時、三桓四分公室、而季氏有其二、則魯公豈足言乎。魯自宣公税畝、而季氏之二、適與周公之富相當、而又大夫不具官、則季氏之富、過於周公全魯之時矣。或曰、周公非旦也、謂東西二周公也、以諸侯之卿、而富過於天子之卿。亦通。季氏至附益之十七字、亦孔子之言。故曰求也。子曰在中。古文辭宜若是乎爾。朱註貶冉有至矣。仁齋先生曰、……可謂善解論語已。……殊不知政事有先後之序、緩急之施也。……當是時、冉有之所先、未可知矣。然必別有所先、而未暇及賦税也。……歸罪於冉有者、所以警季氏也。首以富於周公起端、可以見已)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十