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子罕第九 10 顔淵喟然歎章

215(09-10)
顏淵喟然歎曰、仰之彌高、鑽之彌堅。瞻之在前、忽焉在後。夫子循循然善誘人。博我以文、約我以禮。欲罷不能。旣竭吾才。如有所立卓爾。雖欲從之、末由也已。
顔淵がんえんぜんとしてたんじていわく、これあおげば弥〻いよいよたかく、これれば弥〻いよいよかたし。これればまえり、忽焉こつえんとしてしりえり。ふう循循じゅんじゅんぜんとしてひといざなう。われひろむるにぶんもってし、われやくするにれいもってす。めんとほっすれどもあたわず。すでさいくせり。ところりてたくたるがごとし。これしたがわんとほっすといえども、きのみ。
現代語訳
  • 顔淵がつくづく感心していう、「下から見ればいよいよ高く、もぐりこむにはいよいよかたい。まえにあると見るまに、たちまちうしろになる。先生は手順よく人をみちびかれる。文献で目をひらかせ、規律で身をひきしめる。やめようにもやめられず、こちらは精いっぱいだ。スックと高いところに立たれたようで、ついてはゆきたいが、手がかりがないんだ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 顔淵がんえん溜息ためいきをついて言うよう、「先生のお徳は、高山の仰げばいよいよ高くして登るべからざるがごとく、金石の切ればいよいよ堅くして刃がたたぬと同じである。またその真相のとらえがたきこと、今まで前に見えたかと思えばたちまちうしろに在るようなまつである。しかし先生は順序よく人を誘導ゆうどうされて、われわれのけんをひろむるに文字をもってし、われわれのこうりつするに礼をもってされるので、やめようにもやめられず、力いっぱいを出し切ってここまで追いすがってきた。ところがどこまで行ってみても、先生はわれわれの目の前にそびえ立っておられて、どうかして追いつこうと思っても、及びもつかない。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 顔淵がため息をつきながら讃嘆していった。――
    「先生の徳は高山のようなものだ。仰げば仰ぐほど高い。先生の信念は金石のようなものだ。ればるほど堅い。捕捉しがたいのは先生の高遠な道だ。前にあるかと思うと、たちまち後ろにある。先生は順序を立てて、一歩一歩とわれわれを導き、われわれの知識をひろめるには各種の典籍、文物制度をもってせられ、われわれの行動を規制するには礼をもってせられる。私はそのご指導の精妙さに魅せられて、やめようとしてもやめることができず、今日まで私の才能のかぎりをつくして努力して来た。そして今では、どうやら先生の道の本体をはっきり眼の前に見ることができるような気がする。しかし、いざそれに追いついてとらえようとすると、やはりどうにもならない」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 顔淵 … 前521~前490頃。孔子の第一の弟子、顔回。姓は顔、名は回。あざなえんであるので顔淵とも呼ばれた。の人。徳行第一といわれた。孔子より三十歳年少。早世し孔子を大いに嘆かせた。孔門十哲のひとり。ウィキペディア【顔回】参照。
  • 喟然 … 嘆息をつくさま。「然」は、形容する語のあとにつける助字。
  • 歎 … 感嘆する。
  • 仰之 … 仰ぎ見て尊敬する。うやまってそのようになろうと望む。「之」は、孔子を指す。
  • 弥 … ますます。
  • 鑚 … きりで穴をあける。先生の徳の堅固さを確かめようとするたとえ。
  • 瞻 … みる。「視」に同じ。
  • 忽焉 … にわかに。突然。「焉」は、形容する語のあとにつける助字。
  • 夫子 … 賢者・先生・年長者を呼ぶ尊称。ここでは孔子の弟子たちが孔子を呼ぶ尊称。
  • 循循然 … 順序を追ってゆくさま。「然」は、形容する語のあとにつける助字。
  • 善 … うまく。
  • 誘 … 人を導き、進歩させる。
  • 博 … 見識を広める。
  • 文 … 書物。古典。
  • 約 … 引き締める。なお、この部分から「博文約礼(広く文献を学び、礼で引き締める)」という熟語ができた。
  • 罷 … 途中でやめる。
  • 竭 … 出し尽くした。「尽」に同じ。
  • 卓爾 … 高くそびえ立つさま。「爾」は、形容する語のあとにつける助字。
  • 雖 … 「~といえども」と読み、「たとえ~であっても」「かりに~であっても」と訳す。
  • 末 … 「無」に同じ。
  • 由 … 方法。手段。「よし」と読んでもよい。
補説
  • 『注疏』に「此の章は夫子の道をむるなり」(此章美夫子之道也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 顔淵(顔回) … 『史記』仲尼弟子列伝に「顔回は、魯の人なり。あざなは子淵。孔子よりもわかきこと三十歳」(顏回者、魯人也。字子淵。少孔子三十歳)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『孔子家語』七十二弟子解に「顔回は魯人、字は子淵。孔子より少きこと三十歳。年二十九にして髪白く、三十一にして早く死す。孔子曰く、吾に回有りてより、門人日〻益〻親しむ、と。回、徳行を以て名を著す。孔子其の仁なるを称う」(顏回魯人、字子淵。少孔子三十歳。年二十九而髮白、三十一早死。孔子曰、自吾有回、門人日益親。回以德行著名。孔子稱其仁焉)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。
  • 喟然歎曰 … 『集解』の何晏の注に「喟然は、歎声なり」(喟然、歎聲也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「孔子は至聖、顔生は上賢なり。賢聖の道絶ゆ。故に顔歎を致すなり」(孔子至聖、顏生上賢。賢聖道絶。故顏致歎也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「喟は、歎声なり」(喟、歎聲也)とある。また『集注』に「喟は、歎声」(喟、歎聲)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 仰之弥高、鑚之弥堅 … 『集解』の何晏の注に「窮め尽くす可からざるを言うなり」(言不可窮盡也)とある。また『義疏』に「此れ歎ずる所の事なり。夫れ物高き者と雖も、若しぎょうせんせば則ちる可きなり。物堅き者と雖も、若し鑚錐せば則ち入る可きなり。顔、孔子の道に於いて、愈〻いよいよれば愈〻高く、弥〻いよいよ鑚れば弥〻堅し。己のさくりょくの能く得るに非ざるなり。故に孫綽曰く、夫れ有限の高き、嵩・岱と雖も陵す可し。有形の堅き、金石と雖も鑚る可し。乃ち弥〻高く弥〻堅きが若く、鑽仰するも逮ばざる所なり。故に絶域の高堅も、未だ以て力至る可からざるを知るなり、と」(此所歎之事也。夫物雖高者、若仰瞻則可覩也。物雖堅者、若鑽錐則可入也。顏於孔子道、愈瞻愈高、彌鑽彌堅。非己厝力之能得也。故孫綽曰、夫有限之高、雖嵩岱可陵。有形之堅、雖金石可鑽。若乃彌高彌堅、鑽仰所不逮。故知絶域之高堅、未可以力至也)とある。また『注疏』に「弥は、益なり。顔淵喟然として歎を発して言う、夫子の道は高堅なれば、窮尽す可からず。恍惚として形象を為す可からず。故に仰ぎて之を求むれば則ち益〻高く、鑽研して之を求むれば則ち益〻堅し」(彌、益也。顏淵喟然發歎言、夫子之道高堅、不可窮盡。恍惚不可爲形象。故仰而求之則益高、鑽研求之則益堅)とある。また『集注』に「仰げば弥〻いよいよ高くは、及ぶ可からず。れば弥〻いよいよ堅しは、入る可からず」(仰彌高、不可及。鑽彌堅、不可入)とある。
  • 瞻之在前、忽焉在後 … 『集解』の何晏の注に「忽怳こつこうとして形像を為す可からざるを言うなり」(言忽怳不可爲形像也)とある。忽怳は、ぼんやりとするさま。怳忽。また『義疏』に「さきには上下の絶域を仰鑽することを明らかにし、此には四方の窮まり無きことを明らかにするなり。若し四方にして瞻れば、復た遼遠と為す、故に怳惚として己の定むる所に非ず、所以に或いは前或いは後なり」(向明仰鑽上下之絶域、此明四方之無窮也。若四方而瞻、復爲遼遠、故怳惚非己所定、所以或前或後也)とある。また『注疏』に「之を瞻れば前に在るが若きに似たるも、忽然として又た復た後に在るなり、と」(瞻之似若在前、忽然又復在後也)とある。また『集注』に「前に在れば後に在るは、恍惚として象を為す可からず。此れ顔淵の深く夫子の道の、窮まり尽きること無く、方体無きことを知りて、之を歎ずるなり」(在前在後、恍惚不可爲象。此顏淵深知夫子之道、無窮盡、無方體、而歎之也)とある。
  • 夫子循循然善誘人 … 『集解』の何晏の注に「循循は、次序の貌なり。誘は、進なり。言うこころは夫子正すに此の道を以て人を勧進するに、次序有るなり」(循循、次序貌也。誘、進也。言夫子正以此道勸進人、有次序也)とある。また『義疏』に「又た聖道懸けたりと雖も、而れども人をして企慕せしむるを歎ずるなり。循循は、次序なり。誘は、進なり。言うこころは孔子聖道を以て人を勧進せしめて、次序有り。故に善く人を誘うと曰うなり」(又歎聖道雖懸、而令人企慕也。循循、次序也。誘、進也。言孔子以聖道勸進人、而有次序。故曰善誘人也)とある。また『注疏』に「循循は、次序の貌なり。誘は、進なり。言うこころは夫子は此の道を以て人に教うるに、循循然として次序有れば、善く人を進勧すと謂う可きなり」(循循、次序貌。誘、進也。言夫子以此道教人、循循然有次序、可謂善進勸人也)とある。また『集注』に「循循は、次序有るの貌。誘は、引き進むるなり」(循循、有次序貌。誘、引進也)とある。
  • 博我以文、約我以礼 … 『集解』に引く孔安国の注に「言うこころは夫子既に文章を以て我を開博し、又た礼節を以て我を節約す」(言夫子旣以文章開博我、又以禮節節約我)とある。また『義疏』に「此れ善く之を誘うの事を説くなり。博は、広なり。文は、文章なり。言うこころは孔子広むるに文章を以て我を誘引す。故に我を博むるに文章を以てすと云うなり。又た礼教を以て我を約束せしむ。故に我を約するに礼を以てすと云うなり」(此説善誘之事也。博、廣也。文、文章也。言孔子廣以文章誘引於我。故云博我以文章也。又以禮教約束我。故云約我以禮也)とある。また『注疏』に「言うこころは夫子既に我を開博するに文章を以てし、又た我を節約するに礼節を以てす」(言夫子既開博我以文章、又節約我以禮節)とある。また『集注』に「博文約礼は、教の序なり。言うこころは夫子の道高妙なりと雖も、而れども人を教うるに序有るなり」(博文約禮、教之序也。言夫子道雖高妙、而教人有序也)とある。また『集注』に引く侯仲良の注に「我を博むるに文を以てするは、知を致し物をただすなり。我を約するに礼を以てするは、己にちて礼にかえるなり」(博我以文、致知格物也。約我以禮、克己復禮也)とある。また『集注』に引く程頤の注に「此れ顔子の聖人を称することの最も切当なる処。聖人の人を教うるは、唯だ此の二事のみ」(此顏子稱聖人最切當處。聖人教人、唯此二事而已)とある。
  • 欲罷不能 … 『集解』に引く孔安国の注に「我をして罷めんと欲すれども能わざらしむ」(使我欲罷而不能)とある。また『義疏』に「文博く礼束なり。故に我はいせんと欲すと雖も、而れども止むこと能わざるなり」(文博禮束。故我雖欲罷止、而不能止也)とある。罷止は、廃止に同じ。また『注疏』に「我をしてはいせんと欲するも能わざらしむ」(使我欲罷止而不能)とある。
  • 既竭吾才 … 『義疏』に「竭は、尽なり。才は、才力なり。我罷む能わず。故に我が才力を尽竭じんけつして之を学ぶなり。故に孫綽曰く、既に文章を以て我が視聴を博くし、又た礼節を以てして我を約するに中を以てす。俯仰動止、景行せざるは莫し。才力已に竭くるも、猶お已む能わず。罷は、猶お罷息のごときなり」(竭、盡也。才、才力也。我不能罷。故盡竭我之才力學之也。故孫綽曰、旣以文章博我視聽、又以禮節約我以中。俯仰動止、莫不景行。才力已竭、猶不能已。罷、猶罷息也)とある。また『注疏』に「已に我が才を竭尽せり」(已竭盡我才矣)とある。
  • 如有所立卓爾 … 『集解』に引く孔安国の注に「已に我が才をくし、其れ立つ所有れば、則ち又た卓然として及ぶ可からず。言うこころは己に夫子の善誘を蒙ると雖も、猶お夫子の立つ所に及ぶこと能わざるがごときなり」(已竭我才矣、其有所立、則又卓然不可及。言己雖蒙夫子之善誘、猶不能及夫子之所立也)とある。また『義疏』に「此れは地を絶して言うことを得可からざるの処を明らかにするなり。卓は、高遠の貌なり。言うこころは自ら才力を竭すと雖も、学を以て文を博くし礼を約す。而るに孔子更に言述創立する所有れば、則ち卓爾として高絶するなり」(此明絶地不可得言之處也。卓、高遠貌也。言雖自竭才力、以學博文約禮。而孔子更有所言述創立、則卓爾高絶也)とある。また『注疏』に「其れ夫子は更に創立する所有りて、則ち又た卓然として絶異す」(其夫子更有所創立、則又卓然絶異)とある。また『集注』に「卓は、立つ貌」(卓、立貌)とある。また『集注』に引く呉棫の注に「所謂卓爾たるは、亦た日用行事の間に在り。所謂窈冥ようめい昏黙こんもくなる者に非ず」(所謂卓爾、亦在乎日用行事之間。非所謂窈冥昏默者)とある。
  • 雖欲從之、末由也已 … 『義疏』に「末は、無なり。言うこころは其の好妙高絶、己之に従わんと欲すと雖も、而れども及ぶ可きに由無きなり。故に孫綽曰く、常の事は皆循いて之を行う、若し興し立つる所有らば、卓然として視聴のほかに出づ、猶お天のはしにして升る可からざるがごとし、之に従うに将に何のよしあらんとす。此れ顔、孔の絶する所の処なり、と」(末、無也。言其好妙高絶、雖己欲從之、而無由可及也。故孫綽曰、常事皆循而行之、若有所興立、卓然出乎視聽之表、猶天之不可階而升、從之將何由也。此顏、孔所絶處也)とある。また『注疏』に「末は、無なり。……己之に従わんと欲すと雖も、得て及ぶによし無し。言うこころは己夫子の善誘を蒙ると雖も、猶お夫子の立つ所に及ぶこと能わざるなり」(末、無也。……己雖欲從之、無由得及。言己雖蒙夫子之善誘、猶不能及夫子之所立也)とある。また『集注』に「末は、無なり。此れ顔子自ら其の学の至る所を言うなり。蓋し之を悦ぶこと深くして、之をつとむること尽くし、見る所益〻親しくして、又た其の力を用うる所無きなり」(末、無也。此顏子自言其學之所至也。蓋悦之深、而力之盡、所見益親、而又無所用其力也)とある。また『集注』に引く程顥または程頤の注に「此の地位に到ること、功夫もっとも難し。直に是れ峻絶、又た大段に力を著くること得ず」(到此地位、功夫尤難。直是峻絶、又大段著力不得)とある。また『集注』に引く楊時の注に「欲す可きを之れ善と謂うよりして、充ちて大に至るは、力行の積なり。大にして之を化するは、則ち力行の及ぶ所に非ざるなり。此れ顔子の未だ達せざること一間なる所以なり」(自可欲之謂善、充而至於大、力行之積也。大而化之、則非力行所及矣。此顏子所以未達一間也)とある。
  • 『集注』に引く程頤の注に「此れ顔子の深く孔子を知りて善く之を学ぶと為す所以の者なり」(此顏子所以爲深知孔子而善學之者也)とある。
  • 『集注』に引く胡寅の注に「事を上ぐること無くしてぜんとして歎ず。此れ顔子の学既に得ること有り。故に其の先に難きの故、後に得るの由を述べて、功を聖人に帰するなり。高堅前後は、道体を語るなり。仰鑚瞻忽は、未だ其の要を領せざるなり。惟だ夫子のみ循循として善くみちびき、先ず我を博むるに文を以てし、我をして古今を知り、事変に達せしめ、然る後に我に約するに礼を以てし、我をして聞く所を尊び、知る所を行うこと、行者の家に赴き、食者の飽くを求むるが如くならしむ。ここを以て罷めんと欲すれども能わず、心を尽くし力を尽くし、少しも休廃せず。然る後に夫子立つ所の卓然たるを見、之に従わんと欲すと雖も、よしきのみとは、是れ蓋し従う所を怠らずして、必ず卓立の地に至らんことを求むるなり。抑〻そもそもの歎きや、其れ請う斯の語を事とせんの後、三月たがわずの時に在らんや」(無上事而喟然歎。此顏子學旣有得。故述其先難之故、後得之由、而歸功於聖人也。高堅前後、語道體也。仰鑽瞻忽、未領其要也。惟夫子循循善誘、先博我以文、使我知古今、達事變、然後約我以禮、使我尊所聞、行所知、如行者之赴家、食者之求飽。是以欲罷不能、盡心盡力、不少休廢。然後見夫子所立之卓然、雖欲從之、末由也已、是蓋不怠所從、必求至乎卓立之地也。抑斯歎也、其在請事斯語之後、三月不違之時乎)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「此れ顔子自ら其の終身学問の履歴をじょするなり。高堅前後は、其の初め徒らに道を見ること高遠にして、未だ其の実を得ざるを言うなり。博文約礼は、夫子の教えを受けて、学問始めて平実に就くを言うなり。罷めんと欲すれども能わず以下は、其の自得する所を言うなり。凡そ天下の人、りん聡敏そうびんなる者は、必ず心を高遠に遊ばしめ、力を艱深に用いて、道はもと日用常行の間に在りて、蕩蕩平平、甚だ至近なるを知らざるなり。其のおわりや、必ず異端・虚無・寂滅の流れと為る。唯だ顔子のみ資稟聡明にして、又た能く中庸をえらぶ。ここを以て夫子の善誘を領して、道にそむかざることを得たり。此れ其のついに亜聖の地にいたる所以なり」(此顏子自叙其終身學問之履歴也。高堅前後、言其初徒見道高遠、而未得其實也。博文約禮、言受夫子之教、而學問始就平實也。欲罷不能以下、言其所自得也。凡天下之人、資稟聰敏者、必遊心高遠、用力艱深、而不知道本在日用常行之間、蕩蕩平平、甚至近也。其卒也、必爲異端、虚無、寂滅之流。唯顏子資稟聰明、又能擇乎中庸。是以得領夫子之善誘、而弗畔乎道。此其所以卒造於亞聖之地也)とある。資稟は、生まれつきの性質。資性に同じ。亜聖は、聖人につぐ賢人。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「宋儒は道のたいを嘆ずと謂う。……且つ道体二字は、古え無き所なり。……孔子は即ち道、道は即ち孔子、故に孔門にもと道体の説無し。道に志す者はこれを孔子に求む。……仁斎は嘆の字にくらし。嘆は是れ嘆息なり、豈に喜ぶを以て之を解すけんや。……文はもと合わせて詩・書六芸りくげいを指せば、則ち礼は其のうちに在り。此れ礼と対して言えば、則ち礼は特にこれを己に守る者を謂う。其の実は文は礼を外にして之を言うに非ざるなり。……仁斎は高妙・平実を以て説を為す。亦た子思しし以後の説なり。要するに皆顔子の時の意に非ず。……孔子を学ぶには、必ず孔子の教えにしたがって、而うして後に其の立つ所を見る。則ち後世の学者、聖人を学ばんと欲し、而うして聖人の教法にしたがわず、だ其の心を以て之を学ぶは、いずくんぞ能く之を得んや」(宋儒謂嘆道體。……且道體二字、古所無也。……孔子即道、道即孔子、故孔門本無道體之説。志道者求諸孔子。……仁齋昧乎嘆字。嘆是嘆息、豈容以喜解之乎。……文本合指詩書六藝、則禮在其中。此與禮對言、則禮特謂守諸己者。其實文非外禮而言之也。……仁齋以高妙平實爲説。亦子思以後之説也。要皆非顏子時意。……學孔子、必遵孔子之教、而後見其所立。則後世學者、欲學聖人、而不遵聖人之教法、徒以其心學之、安能得之乎)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十