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述而第七 10 子謂顔淵曰用之則行章

157(07-10)
子謂顏淵曰、用之則行、舍之則藏。唯我與爾有是夫。子路曰、子行三軍、則誰與。子曰、暴虎馮河、死而無悔者、吾不與也。必也臨事而懼、好謀而成者也。
顔淵がんえんいていわく、これもちうればすなわおこない、これつればすなわかくる。われなんじとのみるかな。子路しろいわく、三軍さんぐんらば、すなわたれともにせん。いわく、ぼうひょうし、してものは、われともにせざるなり。かならずやことのぞみておそれ、はかりごとこのみてさんものなり。
現代語訳
  • 先生が顔淵(エン)にいわれた、「地位につけばやるし、浪人すれば引っこめる。わしときみだけだな、それがやれるのは。」子路がいう、「先生が総司令官だと、だれと組みます…。」先生 ――「トラを手どりにし川をおしわたる、いのち知らずの人とは、わしは組まないね。なんとしても用心ぶかくて、計画的にやる人とだな。」(魚返おがえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様が顔淵がんえんに向かって、「古語に『これを用うればすなわち行い、これをけばすなわちかくる』とあるが、かくしゅっしょ進退しんたいよろしきを得るのは、まずわしとお前ぐらいのものかな。」と言われた。すると子路しろが進み出て、「なるほどそうでござりましょうが、先生が大軍をひきいて出陣される場合には、だれをおつれになりましょうかな。」と言った。その時には顔淵ではお役に立ちますまい、この子路でなくては、という意味いみいがこつである。そこで孔子様が子路をたしなめておっしゃるよう、「とらちにしたり河をかちわたりしたりして犬死いぬじにしても後悔こうかいしないような野猪いのしししゃみちれはごめんだね。もしいくさに行くならば、事に当る前にはおくびょうなくらいに用心し十分に計画を立ててそれを遂行すいこうし得る分別者ふんべつもの参謀さんぼうにしたい。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師が顔淵に向っていわれた。
    「用いられれば、その地位において堂々と道を行なうし、用いられなければ、天命に安んじ、退いて静かにひとり道を楽しむ。こういった出処進退ができるのは、まず私とおまえぐらいなものであろう」
    すると子路がはたからいった。――
    「もし一国の軍隊をひきいて、いざ出陣という場合がありましたら、先生は誰をおつれになりましょうか」
    先師はこたえられた。――
    素手すでで虎を打とうとしたり、徒歩で大河をわたろうとしたりするような、無謀なことをやって、死ぬことをなんとも思わない人とは、私は事を共にしたくない。私の参謀には、臆病なぐらい用心深く、周到な計画のもとに確信をもって仕事をやりとげて行くような人がほしいものだ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 謂~曰 … ~に向かって言う。
  • 顔淵 … 前521~前490頃。孔子の第一の弟子、顔回。あざなえんであるので顔淵とも呼ばれた。の人。徳行第一といわれた。孔子より先に死去、孔子を大いに嘆かせた。ウィキペディア【顔回】参照。
  • 用之 … 世の中が自分を認めて任用する。ここの「之」は、上の語が動詞であることを示すだけで、何かを指示しない。
  • 行 … 進んで道を天下に行う。
  • 舎之 … 「舎」は「捨」に同じ。世の中が自分を見捨てて用いないこと。ここの「之」も何も指示しない。
  • 蔵 … 抱負を心の中にひそめて、退き引きこもる。故事成語「用行舎蔵」参照。
  • 唯 … 限定の副詞。「ただ…のみ」と読む。
  • 与 … 「と」と読み、「~と」と訳す。「A与B」の場合は、「AとB」と読む。「與」は「与」の旧字体。
  • 爾 … 汝に同じ。
  • 夫 … 詠嘆の意を示す。「かな」と読む。
  • 子路 … 前542~前480。姓はちゅう、名は由。あざなは子路、または季路。魯のべんの人。孔門十哲のひとり。孔子より九歳年下。門人中最年長者。政治的才能があり、また正義感が強く武勇にも優れていた。ウィキペディア【子路】参照。
  • 三軍 … 大国の持つ37,500人の軍隊。一軍は12,500人。転じて、大軍。
  • 行 … 「やる」と読む。
  • 誰与 … 疑問形。「たれとともにせん」と読む。
  • 暴虎 … あばれる虎を素手で打つこと。暴は「搏」の仮借。故事成語「暴虎馮河」参照。
  • 馮河 … 「馮」は「凌」の意で、波をしのいで渡るの意。「河」は黄河・大河。黄河を歩いて渡るおと。無謀で、命知らずな行動に喩える。
  • 不与也 … 行動をいっしょにしない。「与」は「ともにす」、または「くみす」と読む。
  • 事 … 軍事をはじめ、すべてのものごと。
  • 懼 … おそれつつしむ。慎重の意。
  • 好謀 … 計画を練る。
  • 成者 … 成功させる人。
補説
  • 顔淵(顔回) … 『史記』仲尼弟子列伝に「顔回は、魯の人なり。あざなは子淵。孔子よりもわかきこと三十歳」(顏回者、魯人也。字子淵。少孔子三十歳)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『孔子家語』七十二弟子解に「顔回は魯人、字は子淵。孔子より少きこと三十歳。年二十九にして髪白く、三十一にして早く死す。孔子曰く、吾に回有りてより、門人日〻益〻親しむ、と。回、徳行を以て名を著す。孔子其の仁なるを称う」(顏回魯人、字子淵。少孔子三十歳。年二十九而髮白、三十一早死。孔子曰、自吾有回、門人日益親。回以德行著名。孔子稱其仁焉)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。
  • 用之則行、舎之則蔵。唯我与爾有是夫 … 『集解』に引く孔安国の注に「言うこころは行う可きは則ち行い、止む可きは則ち止む。唯だ我と顔淵と同じきのみ」(言可行則行、可止則止。唯我與顏淵同耳也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「此れ顔・孔事に於いて行蔵を等しうするを明らかにするなり。用とは、時世之を行う可き事に宜しきを謂うなり。蔵とは、時世之を行う事に宜しからざるを謂う。爾は、汝なり。降聖より以下にして賢人能く得。故に行用す可きは、則ち顔・孔同じうする所なり。故に云う、用行・捨蔵は、唯だ我と爾とのみ是れ有るかな、と。孫綽曰く、聖人の徳は天地に合し、用て四時にかなう。自ら盛明を昏ならしめず、独り幽夜に曜くのみならず。顔は其の度を斉しうす。故に動止違うこと無し、と」(此明顏孔於事等於行藏也。用者、謂時世宜可行之事也。藏者、謂時世不宜行之事。爾、汝也。自降聖以下而賢人能得。故可行用、則顔孔所同。故云、用行捨藏、唯我與爾有是夫。孫綽曰、聖人德合於天地、用契於四時。不自昏於盛明、不獨曜於幽夜。顔齊其度。故動止無違)とある。底本の「降幾」は四庫全書本に従い、「降聖」に改めた。降聖は、聖王降誕の意。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『集注』に引く尹焞の注に「用・舎は己にあずかること無く、行・蔵は遇う所に安んず。命はうに足らざるなり。顔子聖人にちかし。故に亦た之を能くす」(用舍無與於己、行藏安於所遇。命不足道也。顏子幾於聖人。故亦能之)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子路 … 『孔子家語』七十二弟子解に「仲由は卞人べんひと、字は子路。いつの字は季路。孔子よりわかきこと九歳。勇力ゆうりき才芸有り。政事を以て名を著す。人と為り果烈にして剛直。性、にして変通に達せず。衛に仕えて大夫と為る。蒯聵かいがいと其の子ちょうと国を争うに遇う。子路遂に輒の難に死す。孔子之を痛む。曰く、吾、由有りてより、悪言耳に入らず、と」(仲由卞人、字子路。一字季路。少孔子九歳。有勇力才藝。以政事著名。爲人果烈而剛直。性鄙而不達於變通。仕衞爲大夫。遇蒯聵與其子輒爭國。子路遂死輒難。孔子痛之。曰、自吾有由、而惡言不入於耳)とある。ウィキソース「家語 (四庫全書本)/卷09」参照。また『史記』仲尼弟子列伝に「仲由、字は子路、べんの人なり。孔子よりもわかきこと九歳。子路性いやしく、勇力を好み、志こうちょくにして、雄鶏を冠し、とんび、孔子を陵暴す。孔子、礼を設け、ようやく子路をいざなう。子路、後に儒服してし、門人に因りて弟子たるを請う」(仲由字子路、卞人也。少孔子九歳。子路性鄙、好勇力、志伉直、冠雄鷄、佩豭豚、陵暴孔子。孔子設禮、稍誘子路。子路後儒服委質、因門人請爲弟子)とある。伉直は、心が強くて素直なこと。豭豚は、オスの豚の皮を剣の飾りにしたもの。委質は、はじめて仕官すること。ここでは孔子に弟子入りすること。ウィキソース「史記/卷067」参照。
  • 子行三軍、則誰与 … 『集解』に引く孔安国の注に「大国は三軍なり。子路、孔子の独り顔淵のみをむるを見て、以為おもえらく己に勇有り、夫子に三軍の将と為るに至りては、亦た当に唯だ己のみと倶にすべしと。故に此の問いを発するなり」(大國三軍。子路見孔子獨美顏淵、以爲己有勇、至於夫子爲三軍將、亦當唯與己倶。故發此問也)とある。また『義疏』に「子路は孔子の行蔵を論じて、独り顔淵のみをむるを聞く。然れども芳し三軍をらば、必ず当におのれともにすべし。おのれ勇有るが故なり。故に問う、則ち誰と之をともにせん、と。天子は六軍、大国は三軍、小国は一軍、軍は一万二千五百人なり。将は、猶おそちのごときなり。孔子三軍の帥と為るを得たる時を謂うなり」(子路聞孔子論行藏、而獨美顏淵。然芳行三軍、必當與己。己有勇故也。故問、則誰與之。天子六軍、大國三軍、小國一軍、軍一萬二千五百人也。將、猶帥也。謂孔子得爲三軍帥時也)とある。帥は、「そち」「そつ」と読む。軍をひきいる大将のこと。また『集注』に「万二千五百人を軍と為す。大国は、三軍なり。子路、孔子の独り顔淵のみをむるを見て、其の勇を自負し、夫子若し三軍をれば、必ず己と同じくせんとおもえり」(萬二千五百人爲軍。大國、三軍。子路、見孔子獨美顏淵、自負其勇、意夫子若行三軍、必與己同)とある。
  • 暴虎馮河 … 『集解』に引く孔安国の注に「暴虎は、はくなり。憑河は、しょうなり」(暴虎、徒搏也。憑河、徒渉也)とある。徒搏は、素手で獣を殺すこと。徒渉は、歩いて川を渡ること。また『義疏』に「孔子は子路の勇をてらうを聞く。故に之を抑うるなり。空手もて虎をつを暴虎と為し、舟無くして河を渡るを憑河と為す。言うこころは虎をつに杖をもちい、河を渡るに舟を須う。然る後に身命全かる可し。若し杖無くして虎を搏ち、舟無くして河を渡らば、必ず傷溺を致さん。若し此の勇たらば、則ち我三軍をるも、あずからざる所なり。以て子路の勇をしりぞく。必ず其の死を得ざること然るなり。繆播曰く、聖教は物にしたがう。各〻其の求めに応じて、長短に随いて以て抑引し、志分に随いて以て誘導し、道に通合するの中に会するを帰せしむ。以ての故に剛勇者には屈するに優柔を以てし、倹弱者には励するに求及を以てす。由の性や、勇を以て累と為す。常に其の分を失い功をもとめ長をてらうこと有るを恐る。故に題目回するに因りて、三軍を挙げて以て問いを致す。将に道訓を仰叩するを以て、情性を陶染せしめんとす。故に夫子応ずるに篤く誨うるを以てし、以のの中を示すなり。徒は、空なり。空手もてつを謂うなり。爾雅に云う、暴虎は、はくなり、と。郭注に云う、空手もて執るなり、と。又た云う、憑河は、徒渉なり、と。郭云う、舟檝しゅうしゅう無きなり、と」(孔子聞子路之衒勇。故抑之也。空手搏虎爲暴虎、無舟渡河爲憑河。言挌虎須杖、渡河須舟。然後身命可全。若無杖而搏虎、無舟而渡河、必致傷溺。若爲此勇、則我行三軍、所不與也。以斥子路之勇。必不得其死然也。繆播曰、聖教軌物。各應其求、隨長短以抑引、隨志分以誘導、使歸於會通合乎道中。以故剛勇者屈以優柔、儉弱者勵以求及。由之性也、以勇爲累。常恐有失其分覓功衒長。故因題目於回、舉三軍以致問。將以仰叩道訓、陶染情性。故夫子應以篤誨、以示厥中也。徒、空也。謂空手搏也。爾雅云、暴虎、徒搏也。郭注云、空手執也。又云、憑河、徒渉也。郭云、無舟檝也)とある。舟檝は、舟とかい。また舟のこと。また『集注』に「暴虎は、徒搏なり。馮河は、徒渉なり」(暴虎、徒搏。馮河、徒渉)とある。
  • 必也臨事而懼、好謀而成者也 … 『義疏』に「孔子既に子路を抑う。而して又た云う、我くみする所以の者は、政は須らく事に臨んで懼るることを欲すべく、又た好んで謀り事を為して必ず成す者ならん。沈居士曰く、若し子路顔淵に与するを不平として、其の勇を尚ばば、鄙昧のみなること甚だし。孔子之を以て暴虎憑河に比し、之を悪に陥るは、実に大深たり。余以為おもえらく子路は孔子の顔を許すことの遠きを聞き、悦びて之を慕う。自ら己の才の近くして、唯だ強きのみなるを恨む。故に問いて曰く、子三軍をらば、則ち誰と与にせん、と。必ず与に己を許すを言うなり。己を許すにきんなるを以てするを言うなり。故に夫子因りて慰めて之を広む。言うこころは若し三軍在らば、暴虎憑河の如きは、則ち賤しむ可くして敢えて取らざらん。世の麤勇を謂うなり。懼れて能く謀るが若くす。抑〻そもそも亦た仁賢の次流、子路を謂うなり。此の三軍の如きは、則ち独り麤近のみならざるなり」(孔子既抑子路。而又云、我所以與者、政欲須臨事而懼、又好爲謀事而必成者也。沈居士曰、若子路不平與顏淵、而尚其勇、鄙昧也已甚。孔子以之比暴虎憑河、陷之於惡、實爲大深。余以爲子路聞孔子許顏之遠、悦而慕之。自恨己才之近、唯強而已。故問曰、子行三軍、則誰與。言必與許己也。言許己以麤近也。故夫子因慰而廣之。言若在三軍、如暴虎憑河、則可賤而不敢取。謂世之麤勇也。若懼而能謀。抑亦仁賢之次流、謂子路也。如此三軍、則不獨麤近也)とある。また『集注』に「懼は、其の事を敬するを謂う。成は、其の謀を成すを謂う。此を言うは、皆以て其の勇を抑えて之を教うるなり。然れども師を行うの要は、実に此に外ならず。子路蓋し知らざるなり」(懼、謂敬其事。成、謂成其謀。言此、皆以抑其勇而教之。然行師之要、實不外此。子路蓋不知也)とある。
  • 『集注』に引く謝良佐の注に「聖人の行・蔵の間に於いて、意無く必無し。其の行は位を貪るに非ず。其の蔵は独り善くするに非ざるなり。若し欲する心有らば、則ち用いられざるも行うを求め、之をてらるれどもかくれず。ここを以て惟だ顔子のみ以て此に与る可しと為す。子路は欲する心有る者に非ずと雖も、然れども未だひつ無きこと能わざるなり。三軍をるを以て問を為すに至りては、則ち其の論益〻卑し。夫子の言、蓋し其の失に因りて之を救う。夫れ謀らざれば成ること無く、懼れざれば必ず敗る。小事すら尚お然り。しかるをいわんや三軍をるに於いてをや」(聖人於行藏之間、無意無必。其行非貪位。其藏非獨善也。若有欲心、則不用而求行、舍之而不藏矣。是以惟顏子爲可以與於此。子路雖非有欲心者、然未能無固必也。至以行三軍爲問、則其論益卑矣。夫子之言、蓋因其失而救之。夫不謀無成、不懼必敗。小事尚然。而況於行三軍乎)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「之を用うるときは則ち能く行うの道有り、之をつるときは則ち能く蔵するの徳有り。……夫の事を敬して妄りに動かず、慮りをくして其の成を要する者の若き、実に君子の心、衆の倚頼する所なり。……説者乃ち謂う、淵仕うることを願わずと。是れ其のあとを以て、其の心を知らざるなり。邦をおさむるの問い、おおよそ見る可し」(用之則有能行之道、舍之則有能藏之德。……若夫敬事而不妄動、悉慮而要其成者、實君子之心、衆之所倚賴。……説者乃謂、淵不願仕。是以其迹、而不知其心也。爲邦之問、槩可見矣)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「行とは、道を天下に行うなり。蔵とは、巻いて之をふところにするなり。命を知ることを謂うなり。顔子は道の全きを知れり、故にしかう。仁斎先生曰く、之を用うるときは則ち能く行うの道有り、之をつるときは則ち能く蔵するの徳有り、と。是れ道徳の字にくらし。其の意はおもえらく道・徳は二物に非ず、行えば則ち道、蔵すれば則ち徳と。是れ宋儒の旧套、荘周が内聖外王の説に本づく。……又た此の章に拠りて之を観るに、顔子は聖人なり、故に孔子は語るに制作の道を以てす。而るに後世せいを以て顔子を称す。是れ其の意におもえらく聖人は如来、亜聖は補処菩薩とし、ここに於いてか妄りに己が意を以て階級を作為す。後儒せんならずと謂うは、則ち吾は信ぜず。……はかりごとを好むとは、営為する所有りて、而うして必ずしも勇に任せてちょくすいせざるなり。仁斎先生曰く、慮りをくして其の成を要す、と、字義を失せり。蓋し謀と慮とは殊なり。謀とは心に営為する所有るなり、慮とは之を思うこと委曲なるなり。謀を出だし慮りをおこすの如き、以て見る可きのみ」(行者、行道於天下也。藏者、巻而懐之也。謂知命也。顏子知道之全、故云爾。仁齋先生曰、用之則有能行之道、舍之則有能藏之德。是昧乎道德之字矣。其意謂道德非二物、行則道、藏則德。是宋儒舊套、本於莊周内聖外王之説。……又據此章観之、顏子聖人也、故孔子語以制作之道。而後世以亞聖稱顏子。是其意謂聖人如來、亞聖補處菩薩、於是乎妄以己意作爲階級。謂後儒不僭、則吾不信矣。……好謀者、有所營爲、而不必任勇直遂也。仁齋先生曰、悉慮而要其成、失字義矣。蓋謀與慮殊。謀者心有所營爲也、慮者思之委曲也。如出謀發慮、可以見已)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
学而第一 為政第二
八佾第三 里仁第四
公冶長第五 雍也第六
述而第七 泰伯第八
子罕第九 郷党第十
先進第十一 顔淵第十二
子路第十三 憲問第十四
衛霊公第十五 季氏第十六
陽貨第十七 微子第十八
子張第十九 堯曰第二十