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子罕第九 12 子貢曰有美玉於斯章

217(09-12)
子貢曰、有美玉於斯。韞匵而藏諸。求善賈而沽諸。子曰、沽之哉、沽之哉。我待賈者也。
こういわく、ここぎょくり。とくおさめてこれぞうせんか。ぜんもとめてこれらんか。いわく、これらんかな、これらんかな。われものなり。
現代語訳
  • 子貢 ―― 「きれいな宝石があります。箱にしまっておきましょうか、いい値段で売りましょうか。」先生 ――「売るんだな。売るんだな。わしも売り物に出てるよ。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • こうが「ここに美しい玉がありますが、ひつに入れてしまっておきましょうか、あるいはい買い手をさがして売りましょうか。」と言ったところ、孔子様がおっしゃるよう、「売ろうとも、売ろうとも、わしは買い手を待っているのじゃ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 子貢が先師にいった。――
    「ここに美玉があります。箱におさめて大切にしまっておきましょうか。それとも、よい買手を求めてそれを売りましょうか」
    先師はこたえられた。――
    「売ろうとも、売ろうとも。私はよい買手を待っているのだ」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 子貢 … 前520~前446。姓は端木たんぼく、名は。子貢はあざな。衛の人。孔子より三十一歳年少の門人。孔門十哲のひとり。弁舌・外交に優れていた。ウィキペディア【子貢】参照。
  • 美玉 … 美しい宝石。孔子を美玉で喩えている。
  • 匵 … 箱。
  • 韞 … おさめる。しまっておく。
  • 蔵諸 … 「蔵之乎」に同じ。しまっておきましょうか。
  • 善賈 … よい商人。ここでは、よい君主に喩える。
  • 沽 … 「沽」には「売る」「買う」の両方の意味があるが、ここでは「売る」の意。
  • 沽之哉、沽之哉 … 売ろうとも、売ろうとも。
補説
  • 『注疏』に「此の章は孔子徳を蔵して用いらるるを待つを言うなり」(此章言孔子藏德待用也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 子貢 … 『史記』仲尼弟子列伝に「端木賜は、衛人えいひとあざなは子貢、孔子よりわかきこと三十一歳。子貢、利口巧辞なり。孔子常に其の弁をしりぞく」(端木賜、衞人、字子貢、少孔子三十一歳。子貢利口巧辭。孔子常黜其辯)とある。ウィキソース「史記/卷067」参照。また『孔子家語』七十二弟子解に「端木賜は、あざなは子貢、衛人。口才こうさい有りて名を著す」(端木賜、字子貢、衞人。有口才著名)とある。ウィキソース「孔子家語/卷九」参照。
  • 有美玉於斯 … 『義疏』に「子貢は孔子の聖徳、蔵用の何如を観んと欲す。故に事に託して以てそうを諮るなり。美玉は、孔子の聖道に譬うるなり。言うこころは孔子は聖道有りて重かる可し。世間は美玉有りて此に在るが如きなり」(子貢欲觀孔子聖德藏用何如。故託事以諮臧否也。美玉、譬孔子聖道也。言孔子有聖道可重。如世閒有美玉而在此也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「子貢孔子の聖徳の蔵用の何如を観んと欲す、故に玉に託して以て諮問するなり」(子貢欲觀孔子聖德藏用何如、故託玉以諮問也)とある。
  • 韞匵而蔵諸。求善賈而沽諸 … 『集解』に引く馬融の注に「うんは、蔵なり。とくは、なり。これとくちゅうおさむ。沽は、売なり。善賈を得て、寧ろ之を売らんか」(韞、藏也。匵、匱也。藏諸匵中。沽、賣也。得善賈、寧賣之耶也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「諸は、之なり。うんは、之をつつむなり。とくは、匣櫃こうひつ之れを謂うなり。善賈は、貴賈なり。沽は、売るなり。言うこころは孔子の聖道、美玉の此に在るが如し。為に当に韞匣して之を蔵すべし。為に当に貴賈を得て之を売らんとすべきやいなや。し人有りて聖道を請い求めなば、為に当に之を与うべきやいなや」(諸、之也。韞、裹之也。匵、謂匣櫃之也。善賈、貴賈也。沽、賣也。言孔子聖道如美玉在此。爲當韞匣而藏之。爲當得貴賈而賣之不乎。假有人請求聖道、爲當與之不耶)とある。また『注疏』に「韞は、蔵なり。匵は、匱なり。諸は、之なり。沽は、売なり。言うこころは人此に美玉有り、蔵して匵中に在りて之を蔵す。若し善貴の賈を求め得たらば、寧ろ肯えて之を売らんか。君子玉に於いて徳に比す。子貢の意、言うこころは夫子には美徳有れども之を懐蔵す、若し人虚心に礼を尽くして之を求むれば、夫子肯えて之に与えんか」(韞、藏也。匵、匱也。諸、之也。沽、賣也。言人有美玉於此、藏在匵中而藏之。若求得善貴之賈、寧肯賣之邪。君子於玉比德。子貢之意、言夫子有美德而懷藏之、若人虚心盡禮求之、夫子肯與之乎)とある。また『集注』に「うんは、おさむるなり。とくは、なり。沽は、売るなり」(韞、藏也。匵、匱也。沽、賣也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 沽之哉、沽之哉 … 『集解』に引く包咸の注に「之をらんかなは、衒売げんばいせざるの辞なり」(沽之哉、不衒賣之辭也)とある。衒売は、商人が品物の外見をよく見せたり、ほめたりして売り込むこと。また『義疏』に「答えて云う、我は之を衒売せざる者なり、と。故に重ねて云う、之を沽らんかな、と。衒売せざることの深きを明らかにするなり」(答云、我不衒賣之者也。故重云、沽之哉。明不衒賣之深也)とある。また『注疏』に「孔子答えて言う、我之を売らんかな、と。衒売せざるの辞なり」(孔子答言、我賣之哉。不衒賣之辭)とある。
  • 我待賈者也 … 『集解』に引く包咸の注に「我は居りて賈を待つ者なり」(我居而待賈者也)とある。また『義疏』に「又た言う、我衒売せずと雖も、然れども我も亦た貴賈を待つのみ、と。求むる者有らば、則ち之に与うるなり」(又言、我雖不衒賣、然我亦待貴賈耳。有求者、則與之也)とある。また『注疏』に「衒売せずと雖も、我は居りて賈を待たん。言うこころは人虚心に礼を尽くして以て我が道を求むること有らば、我は即ち之に与えておしまざるなり」(雖不衒賣、我居而待賈。言有人虚心盡禮以求我道、我即與之而不吝也)とある。また『集注』に「子貢、孔子の道有りて仕えざるを以て、故に此の二端を設けて以て問うなり。孔子言う、固より当に之を売るべし。但だ当に賈を待つべくして、当に之を求むべからざるのみ、と」(子貢以孔子有道不仕、故設此二端以問也。孔子言固當賣之。但當待賈、而不當求之耳)とある。
  • 『集注』に引く范祖禹の注に「君子は未だ嘗て仕えんことを欲せずんばあらざるなり。又た其の道に由らざるを悪む。士の礼を待つは、猶お玉の賈を待つがごとし。伊いんの野に耕し、伯夷太公の海浜に居るが若きは、世に成湯文王無ければ、則ちここに終らんのみ。必ず道をげて以て人に従い、玉をてらいてれんことを求めざるなり」(君子未嘗不欲仕也。又惡不由其道。士之待禮、猶玉之待賈也。若伊尹之耕於野、伯夷太公之居於海濱、世無成湯文王、則終焉而已。必不枉道以從人、衒玉而求售也)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「論に曰く、范氏の論当たれり。……若し夫れとくおさめてぞうす者は、乃ち異端の流れ、狷介けんかいの士の好む所にして、儒者の道に非ざるなり」(論曰、范氏之論當矣。……若夫韞匵而藏者、乃異端之流、狷介之士所好、而非儒者之道也)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「善賈とは、賈人の善なる者なり。……邢昺の以て善価と為してよりして、朱子之に因り、おんとす。……当に賈人を謂うなるべし。未だあたいを貴くする、之を善価と謂うことを聞かず。謬れりと謂う可し。……是れ玉は識り難し、故に必ず賈人を待つ、古えの道なり」(善賈者、賈人之善者也。……自邢昺以爲善價、而朱子因之、音嫁。……當謂賈人。未聞貴價謂之善價。可謂謬矣。……是玉難識、故必待賈人、古之道也)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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