述而第七 9 子食於有喪者之側章
156(07-09)
子食於有喪者之側、未嘗飽也。子於是日哭、則不歌。
子食於有喪者之側、未嘗飽也。子於是日哭、則不歌。
子、喪有る者の側に食すれば、未だ嘗て飽かざるなり。子、是の日に於いて哭すれば、則ち歌わず。
現代語訳
- 先生は不幸のあった人との食事では、あまりたべないのだった。死人をおくやみした日には、もう歌わなかった。(魚返善雄『論語新訳』)
- 孔子様は、喪中の人と同席の場合には、腹いっぱいにめしあがられなかった。また孔子様は、葬式や法事に行って泣いて来られた日には、歌など歌われなかった。(穂積重遠『新訳論語』)
- 先師は、喪中の人と同席して食事をされるときには、腹一ぱい召しあがることがなかった。先師は、人の死を弔われたその日には、歌をうたわれることがなかった。(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
- 有喪者 … 喪中の人。
- 未嘗飽也 … 腹一杯召し上がったことがない。
- 飽 … 満腹するまで食べること。
- 於是日哭 … 葬儀に参列し、声をあげて哭いたその日には。
- 哭 … 死者を弔うとき、声をあげて泣き叫ぶ礼法。
補説
- 『注疏』では「子食於有喪者之側、未嘗飽也」を本章とし、「此の章は孔子喪家を助け事を執る時なり、故に食有るを得るを言う」(此章言孔子助喪家執事時、故得有食)とある。また「子於是日哭、則不歌」を次章とし、「此の章は孔子是の日に於いて喪を聞き、或いは人を弔して哭するときは、則ち是の日を終うるまで歌わざるを言うなり」(此章言孔子於是日聞喪、或弔人而哭、則終是日不歌也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 子食於有喪者之側、未嘗飽也 … 『集解』の何晏の注に「喪ある者哀戚するに、其の側に飽食するは、是れ惻隠の心無きなり」(喪者哀戚、飽食於其側、是無惻隱之心也)とある。なお、底本では「惻隱之心之也」に作るが、改めた。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「孔子葬を助くるの時を謂うなり。応に事を執るべきを為す。故に必ず食するなり。必ず哀色有り。故に飽かざるなり。故に云う、礼に云う、飢えて事を廃するは、礼に非ざるなり。飽きて哀を忘るるも、亦た礼に非ざるなり、と」(謂孔子助葬時也。爲應執事。故必食也。必有哀色。故不飽也。故云、禮云、飢而廢事、非禮也。飽而忘哀、亦非禮也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「飢えて事を廃するは、非礼なり。飽きて哀を忘るるは、亦た非礼なり。故に食して飽かず。喪ある者は哀慼するを以て、若し其の側に飽食するは、是れ惻愴・隠痛の心無きなり」(飢而廢事、非禮也。飽而忘哀、亦非禮。故食而不飽。以喪者哀慼、若飽食於其側、是無惻愴隱痛之心也)とある。また『集注』に「喪に臨んでは哀しみ、甘しとすること能わざるなり」(臨喪哀、不能甘也)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『礼記』檀弓上篇には「喪有る者の側に食すれば、未だ嘗て飽かざるなり」(食於有喪者之側、未嘗飽也)とある。ウィキソース「禮記/檀弓上」参照。
- 子於是日哭、則不歌 … 『義疏』に「孔子喪に弔するの日を謂うなり。弔喪には必ず哭す。哭・歌日を同じうす可からず。故に是に於いて弔哭の日歌わざるなり。故に范寧曰く、是の日は、即ち弔赴の日なり。礼に歌哭日を同じうせざるなり。故に哭すれば則ち歌わざるなり、と」(謂孔子弔喪之日也。弔喪必哭。哭歌不可同日。故是於弔哭之日不歌也。故范寧曰、是日、即弔赴之日也。禮歌哭不同日也。故哭則不歌也)とある。また『注疏』に「若し一日の中、或いは哭し或いは歌うは、是れ礼容を褻瀆す、故に為さざるなり。檀弓に、人を弔するとき、是の日は楽せずと曰い、注に此の文を引くは、是れなり」(若一日之中、或哭或歌、是褻瀆於禮容、故不爲也。檀弓曰、弔於人、是日不樂、注引此文、是也)とある。また『集注』に「哭は、弔哭を謂う。一日の内、余哀未だ忘れず、自ら歌うこと能わざるなり」(哭、謂弔哭。一日之内、餘哀未忘、自不能歌也)とある。また『礼記』曲礼上篇には「哭する日には歌わず」(哭日不歌)とある。ウィキソース「禮記/曲禮上」参照。
- 是日哭 … 『義疏』では「是日也哭」に作る。
- 『集注』に引く謝良佐の注に「学者此の二者に於いて、聖人の情性の正しきを見る可きなり。能く聖人の情性を識り、然る後に以て道を学ぶ可し」(學者於此二者、可見聖人情性之正也。能識聖人之情性、然後可以學道)とある。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「聖人の心は、慈愛惻怛、至らざる所無し。故に凶変の事、他人に在りと雖も、而も己之れ有るが若くす。其の事過ぐと雖も、余情已まず」(聖人之心、慈愛惻怛、無所不至。故凶變之事、雖在他人、而若己有之。其事雖過、而餘情不已)とある。惻怛は、同情して悲しむこと。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』に「是れ聖人の余哀有りて余怒無きなり。諸老先生粗鹵の甚だしき、其の七情に於けるや均しく之を視る。故に程正叔は乃ち慶するの日には弔せざらんと欲せり」(是聖人之有餘哀而無餘怒也。諸老先生粗鹵之甚、其於七情也均視之。故程正叔乃欲慶之日不弔)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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