述而第七 11 子曰富而可求也章
158(07-11)
子曰、富而可求也、雖執鞭之士、吾亦爲之。如不可求、從吾所好。
子曰、富而可求也、雖執鞭之士、吾亦爲之。如不可求、從吾所好。
子曰く、富にして求む可くんば、執鞭の士と雖も、吾も亦た之を為さん。如し求む可からずんば、吾が好む所に従わん。
現代語訳
- 先生 ――「金持ちになれるものなら、馬かたのしごとでも、わしはやるんだが…。もしなれないものなら、すきな道をゆこう。」(魚返善雄『論語新訳』)
- 孔子様がおっしゃるよう、「もし富なるものがこちらから求むべきものならば、『下に下に』の足軽役でもわしはつとめるが、もし求むべきものでないならば、わしはわしの好む聖人の道を楽しみたい。」(穂積重遠『新訳論語』)
- 先師がいわれた。――
「もし富というものが、人間として進んで求むべきものであるなら、それを得るためには、私は喜んで行列のお先払いでもやろう。だが、それが求むべきものでないなら、私は私の好む道に従って人生をわたりたい」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
- 富而可求也 … もしも富が正当な方法で得られるものならば。「而」は、ここでは「如し」に同じ。「可」は、可能の意。
- 執鞭之士 … 王侯が出入するとき、鞭を執って道路の行く者を払いのける役。行列の露払い。ここでは卑しい仕事の喩え。
- 雖 … 「~といえども」と読み、「たとえ~でも」と訳す。逆接の仮定条件の意を示す。
- 為之 … これをしよう。「之」は、執鞭を指す。
- 如不可求 … もしも富が正当な方法で得られるものでないなら。
- 従吾所好 … 自分の好きなようにして生きたい。
補説
- 『注疏』に「此の章は孔子己の徳を修め道を好み、諂いて富貴を求めざるを言うなり」(此章孔子言己修德好道、不諂求富貴也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 富而可求也、雖執鞭之士、吾亦為之 … 『集解』に引く鄭玄の注に「富貴は求めて得可からざる者なり。当に徳を修めて以て之を得べし。若し道に於いて求む可き者なれば、執鞭の賤職と雖も、我亦た之を為さん、と」(富貴不可求而得者也。當修德以得之。若於道可求者、雖執鞭賤職、我亦爲之矣)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「孔子意いて云う、夫れ富貴貧賤は皆天に稟くるの命にして、苟且にも求む可からず。若し求む可くして得る者は、仮令執鞭の賤職と雖も、而れども吾も亦た之を為す、則ち辞せざらん。繆協袁氏を称して曰く、執鞭は、君の御士なり。亦た禄位朝に有るなり、と」(孔子意云、夫富貴貧賤皆稟天之命、不可苟且求。若可求而得者、雖假令執鞭賤職、而吾亦爲之、則不辭矣。繆協稱袁氏曰、執鞭、君之御士。亦有祿位於朝也)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「言うこころは富貴は求めて之を得可からず。当に徳を修めて以て之を得べし。若し富貴にして道に於いて求む可き者ならば、執鞭の賤職と雖も、我亦た之を為さん」(言富貴不可求而得之。當修德以得之。若富貴而於道可求者、雖執鞭賤職、我亦爲之)とある。また『集注』に「鞭を執るは、賤者の事。設言するに、富若し求む可くんば、則ち身は賤役を為して以て之を求むと雖も、亦た辞せざる所なり。然れども命有りて、之を求めて得可きに非ざれば、則ち義理に安んずるのみ。何ぞ必ずしも徒らに辱めを取らんや」(執鞭、賤者之事。設言、富若可求、則雖身爲賤役以求之、亦所不辭。然有命焉、非求之可得也、則安於義理而已矣。何必徒取辱哉)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 如不可求、從吾所好 … 『集解』に引く孔安国の注に「好む所とは、古人の道なり」(所好者、古人之道也)とある。また『義疏』に「既に求む可からざれば、則ち当に我が性の好む所に随うべし。我が性の好む所の者は、古人の道なり」(既不可求、則當隨我性所好。我性所好者、古人之道也)とある。また『注疏』に「如し求む可からずんば、則ち当に吾が好む所の者、古人の道に従うべきなり」(如不可求、則當從吾所好者、古人之道也)とある。
- 如不可求 … 『義疏』では「如不可求者」に作る。
- 『集注』に引く蘇軾の注に「聖人未だ嘗て富を求むるに意有らざるなり。豈に其の可不可を問わんや。此の語を為すは、特に以て其の決して求む可からざるを明らかにするのみ」(聖人未嘗有意於求富也。豈問其可不可哉。爲此語者、特以明其決不可求爾)とある。
- 『集注』に引く楊時の注に「君子は富貴を悪みて求めざるに非ず。其の天に在るを以て、求む可きの道無きなり」(君子非惡富貴而不求。以其在天、無可求之道也)とある。
- 伊藤仁斎『論語古義』に「嘗て曰えり、十室の邑、必ず忠信丘の如き者有らん。丘の学を好むに如かざるなり、と。執鞭の士と雖も、吾亦た之を為さんとは、豈に学問を外にして、夫子之を言わんや」(嘗曰、十室之邑、必有忠信如丘者焉。不如丘之好學也。雖執鞭之士、吾亦爲之者、豈外學問、而夫子言之乎)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
- 荻生徂徠『論語徴』に「孔子の好む所、孔安国は以て古人の道とし、朱子は以て義理に安んずとし、仁斎先生は丘の学を好むに如かずを引く。三子の好む所殊なり。且つ義理に安んずは、吾が好む所に従う所以のみ。若し其の好む所は、何ぞ唯だに義理のみならんや。学は古人の道を学ぶなり。孔子は又た曰く、古えを好むと。仁斎古えを舎てて学を取る、其の意謂えらく孔子の道は先王と殊なりと。豈に見る所に牽かるるならずや。孰れか漢儒を聖人の意を失せりと謂うや。貴と言わずして富と言うは、春秋の時、爵位は唯だ世〻にす、故に人の貴を求むる者鮮なし。秦・漢以後の如きは、乃ち此れに反せり」(孔子所好、孔安國以爲古人之道、朱子以爲安於義理、仁齋先生引不如丘之好學。三子之所好殊焉。且安於義理、所以從吾所好耳。若其所好、何唯義理而已哉。學學古人之道也。孔子又曰好古。仁齋舍古而取學、其意謂孔子之道與先王殊矣。豈不牽所見乎。孰謂漢儒失於聖人之意也。不言貴而言富、春秋之時、爵位唯世、故人求貴者鮮矣。如秦漢以後、乃反此)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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