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雍也第六 21 子曰知者樂水章

140(06-21)
子曰、知者樂水、仁者樂山。知者動、仁者靜。知者樂、仁者壽。
いわく、しゃみずたのしみ、仁者じんしゃやまたのしむ。しゃうごき、仁者じんしゃしずかなり。しゃたのしみ、仁者じんしゃ寿いのちながし。
現代語訳
  • 先生 ――「チエの人は水がすき、なさけの人は山がすき。チエの人は動き、なさけの人は静か。チエの人はたのしみ、なさけの人は長生きする。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「かりに知者と仁者とが水と山といずれを楽しむかを想像するならば、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむであろう。知者は動いて停滞ていたいせざること水のごとく、仁者は安んじて静かなること山のごとくだからである。そして知者は絶えず活動するから楽しみがきることなく、仁者はあくせくせぬから長寿をたもち得る。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    「知者は水に歓びを見出し、仁者は山に歓びを見出す。知者は活動的であり、仁者は静寂である。知者は変化を楽しみ、仁者は永遠のなかに安住する」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 知者 … 「智者」と同じ。物事の本質を見ぬき、道理に達した人。知恵のすぐれた人。
  • 仁者 … 仁の道をきわめた人。仁徳をそなえた人。
  • 寿 … 「いのちながし」と読む。長命である。長生きである。
補説
  • 『注疏』に「此の章は初めに知・仁の性を明らかにし、次に知・仁の用を明らかにし、三に知・仁の功を明らかにするなり」(此章初明知仁之性、次明知仁之用、三明知仁之功也)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 知者楽水 … 『集解』に引く包咸の注に「智者は其の才智をめぐらして以て世を治むること、水流れて之を已むことを知らざるが如きを楽しむなり」(智者樂運其才智以治世、如水流而不知已之也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「陸特進曰く、此の章は極めて智・仁の分を弁ずるなり。凡そ分かちて三段と為す。智者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむというより第一と為し、智・仁の性を明らかにす。又た智者は動き、仁者は静かなりというを第二と為し、智・仁の用を明らかにす。先ず既に性有り、性あるときは必ず用有るなり。又た智者は楽しみ、仁者は寿しというを第三と為し、智・仁の功を明らかにす。己に用有るときは、用は宜しく功有るべきなり、と。今、第一の智・仁の性を明らかにす。此れ智の性を明らかにするなり。智者は、用の義を識るなり。楽とは、楽を貪るの称なり。水とは、流動して息まざるの物なり。智者は其の智を運らして物を化し、水流の息まざるが如くなることを楽しむ。故に水を楽しむなり」(陸特進曰、此章極辨智仁之分也。凡分爲三段。自智者樂水仁者樂山爲第一、明智仁之性。又智者動仁者靜爲第二、明智仁之用。先既有性、性必有用也。又智者樂仁者壽爲第三、明智仁之功。己有用、用宜有功也。今第一明智仁之性。此明智性也。智者、識用之義也。樂者、貪樂之稱也。水者、流動不息之物也。智者樂運其智化物、如水流之不息。故樂水也)とある。極弁は、底本では極弃に作るが、知不足斎叢書本および四庫全書本に従い改めた。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「楽しむは、愛好するを謂う。言うこころは知者の性は、其の才知を運らせて以て世を治むること、水の流れて已止するを知らざるが如きを好むなり」(樂、謂愛好。言知者性、好運其才知以治世、如水流而不知已止也)とある。また『集注』に「楽は、喜び好むなり。知者は事理に達して、周流して滞り無きこと、水に似たる有り。故に水を楽しむ」(樂、喜好也。知者達於事理、而周流無滯、有似於水。故樂水)とある。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 知 … 『義疏』ではすべて「智」に作る。
  • 仁者楽山 … 『集解』の何晏の注に「仁者は山の安固にして、自然にして動かず、而るに万物のこれより生ずるが如きを楽しむなり」(仁者樂如山之安固、自然不動、而萬物生焉也)とある。また『義疏』に「此の章は仁者の性を明らかにするなり。仁とは、惻隠の義なり。山とは、不動の物なり。仁人の性、四方の安静を願うこと、山の動かざるが如し。故に山を楽しむと云うなり」(此章明仁者之性。仁者、惻隱之義。山者、不動之物也。仁人之性、願四方安靜、如山之不動。故云樂山也)とある。また『注疏』に「言うこころは仁者の性は、山の安固にして、自ずと然りて動かざるも、而も万物これより生ずるが如きを好み楽しむ」(言仁者之性、好樂如山之安固、自然不動、而萬物生焉)とある。また『集注』に「仁者は義理に安んじて、厚重にして遷らざること、山に似たる有り。故に山を楽しむ」(仁者安於義理、而厚重不遷、有似於山。故樂山)とある。
  • 知者動 … 『集解』に引く包咸の注に「自ら進む、故に動くなり」(自進、故動也)とある。また『義疏』に「此れ第二にして、用を明らかにするなり。智者は何の故に水の如くなるや。まさに自ら其の識を動かし進めんと欲すればなり。故に智者は動くと云うなり」(此第二、明用也。智者何故如水耶。政自欲動進其識。故云智者動也)とある。また『注疏』に「知者は常に進むことに務むるが故に動くを言う」(言知者常務進故動)とある。
  • 仁者静 … 『集解』に引く孔安国の注に「欲無し、故に静かなり」(無欲、故靜也)とある。また『義疏』に「仁者は何の故にくの如くなるや。其の心寧静ねいせいなるが故なり」(仁者何故如此耶。其心寧靜故也)とある。また『注疏』に「仁者は本と貪欲無きが故に静かなるを言う」(言仁者本無貪欲故靜)とある。
  • 知者楽 … 『集解』に引く鄭玄の注に「智者は自ら役して其の志を得、故に楽しむなり」(智者自役得其志、故樂也)とある。また『義疏』に「第三は功を明らかにするなり。楽は、よろこぶなり。智者は其の識を運らすを得。故に心に従いて暢ぶるを得。故に懽楽かんらくするなり」(第三明功也。樂、懽也。智者得運其識。故得從心而暢。故懽樂也)とある。また『注疏』に「言うこころは知者は才知を役用し、功を成し志を得、故に歓楽するなり」(言知者役用才知、成功得志、故歡樂也)とある。
  • 仁者寿 … 『集解』に引く包咸の注に「性は静かなり、故に寿考なり」(性靜、故壽考也)とある。寿考は、長生き。また『義疏』に「性静かなること山の安固なるが如し。故に寿考なり。然らば則ち仁既に寿いのちながくして亦た楽し。而るに智の楽しきは、必ずしも寿からず。役用えきようする所の多きに縁るが故なり」(性靜如山之安固。故壽考也。然則仁既壽亦樂。而智樂、不必壽。緣所役用多故也)とある。また『注疏』に「言うこころは仁者は思うこと少なく欲すること寡なく、性は常に安静なり、故に寿考多きなり」(言仁者少思寡欲、性常安靜、故多壽考也)とある。
  • 知者動、仁者静。知者楽、仁者寿 … 『集注』に「動・静は、体を以て言い、楽・寿は、効を以て言うなり。動きて括せず、故に楽しむ。静かにして常有り、故に寿し」(動靜、以體言、樂壽、以效言也。動而不括、故樂。靜而有常、故壽)とある。
  • 『集注』に引く程頤の注に「仁・知を体することの深き者に非ざれば、くの如く之を形容すること能わず」(非體仁知之深者、不能如此形容之)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「若し夫れ聖人の徳は、仕・止・久・速、変化窮まり無く、動きて能く静かに、静かにして能く動き、仁・智を兼ねて之を一にす、一徳を以て之を名づく可からざるや、至れり」(若夫聖人之德、仕止久速、變化無窮、動而能靜、靜而能動、兼仁智而一之、不可以一德名之也、至矣)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「知者の楽しみは水、仁者の楽しみは山、と。此の二句は、孔子の時の辞気に非ず。蓋し古言なり、而うして孔子之を誦す。下の四句は、乃ち孔子の之をしゃくするなり。……楽しみは水の流るるが如く、寿いのちながきは山の崩れざるが如し。豈に之を釈するの言に非ずや。古註に、智者の楽しみは其の才知をめぐらして以て世を治むること、水の流れて已むことを知らざるが如し。仁者の楽しみは山の安固にして、自然に動かずして万物生ずるが如し、と。朱註に勝ること万万ばんばんなり。……朱註に、事理に達し、義理に安んず、と。理に呫呫しょうしょうたる、にくむ可きことの甚だし」(知者樂水、仁者樂山。此二句、非孔子時辭氣。蓋古言也、而孔子誦之。下四句、乃孔子釋之也。……樂如水之流、壽如山之不崩。豈非釋之之言邪。古註、智者樂運其才知以治世、如水流而不知已。仁者樂如山之安固、自然不動而萬物生焉。勝朱註萬萬。……朱註、達於事理、安於義理。呫呫於理、可醜之甚)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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