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雍也第六 22 子曰齊一變章

141(06-22)
子曰、齊一變、至於魯。魯一變、至於道。
いわく、せい一変いっぺんせば、いたらん。一変いっぺんせば、みちいたらん。
現代語訳
  • 先生 ――「斉(セイ)が革新をやると、魯のようになる。魯が革新をやると、理想国になる。」(がえり善雄『論語新訳』)
  • 孔子様がおっしゃるよう、「せいが今一つ改善されるとぐらいになろう。魯が今一つ振興しんこうされると道義の国になれるのだがなあ。」(穂積重遠しげとお『新訳論語』)
  • 先師がいわれた。――
    せいが一飛躍したら魯のようになれるし、魯が一飛躍したら真の道義国家になれるのだが」(下村湖人『現代訳論語』)
語釈
  • 斉 … 周代に太公望りょしょうの建てた国。今の山東省に存在した。桓公の代に管仲を用いて覇者となった。戦国時代の斉(田斉)と区別して姜斉ともいう。ウィキペディア【姜斉】参照。
  • 一変 … 政治を変革する。
  • 魯 … 山東省の曲阜を都とする小国。周公旦の子、はくきんが成王によって封ぜられた。孔子の祖国。ウィキペディア【】参照。
  • 道 … 道義の国。秩序の保たれている理想的な国。
  • 至 … 飛躍的な発展をする。
補説
  • 『注疏』に「此の章は斉・魯に太公・周公の余化有るを言う」(此章言齊魯有太公周公之餘化)とある。『論語注疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 斉一変、至於魯。魯一変、至於道 … 『集解』に引く包咸の注に「言うこころは斉・魯に太公・周公の余化有るなり。太公は大賢、周公は聖人なり。今、其の政教衰うと雖も、若し明君の之を興す者有らば、斉は魯の如くならしむ可く、魯は大道行わるるの時の如くならしむ可きなり」(言齊魯有太公周公之餘化也。太公大賢、周公聖人。今其政教雖衰、若有明君興之者、齊可使如魯、魯可使如大道行之時也)とある。『論語集解』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『義疏』に「大公は営丘の地に封ぜられて斉国をおさめ、周公は曲阜の地に封ぜられて魯国を為む。周公は大聖にして、大公は大賢なり。賢聖既に優劣有り。同じく太平を致すと雖も、而れども其の化すこし異ならざることを得ず。故に末代の二国、斉に景公の昏闇なる有り、魯に定公の寡徳なる有り。然れども其の国猶お望・旦の遺風有り。故に礼記に云う、孔子曰く、吾魯を捨てて何くにかかんや、と。魯の猶お余国に勝れることを明らかにするなり。今、孔子其の君の並びに悪きことを歎ず。故に此の言有るなり。言うこころは若し斉に明君有りて一変せば、便ち魯の太平の日の如くなるを得ん。魯に明君有りて一変せば、便ち大道の時の如くならん。此れは是れ引汲の教えのみ。実理は則ち然らず。若し明君之を興さば、まさに当に各〻其の初めの如くなることを得べし。何ぞ淳に還り本に反ることを得けんや」(大公封於營丘之地為齊國、周公封於曲阜之地為魯國。周公大聖、大公大賢。賢聖既有優劣。雖同致太平、而其化不得不微異。故末代二國、齊有景公之昏闇、魯有定公之寡德。然其國猶有望旦之遺風。故禮記云、孔子曰、吾捨魯何適耶。明魯猶勝餘國也。今孔子歎其君之並惡。故有此言也。言若齊有明君一變、便得如魯太平之日。魯有明君一變、便如大道之時也。此是引汲之教耳。實理則不然矣。若明君興之、政當得各如其初。何容得還淳反本耶)とある。『論語義疏』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。また『注疏』に「太公は大賢、周公は聖人なり。今其の政教は衰えたりと雖も、若し明君の之を興すもの有らば、斉は一変して魯の如くならしむ可く、魯は一変して大道の行わるるの時の如くならしむ可きなり」(太公大賢、周公聖人。今其政教雖衰、若有明君興之、齊可一變使如於魯、魯可一變使如於大道行之時也)とある。
  • 『集注』に「孔子の時、斉の俗は功利に急にして、夸詐こさを喜ぶ。乃ち覇政の余習なり。魯は則ち礼教を重んじ、信義を崇ぶ。猶お先王の遺風有り。但だ人亡び政み、廃墜無きこと能わざるのみ。道は、則ち先王の道なり。言うこころは二国の政俗に、美悪有り。故に其の変じて道をくこと、難易有り」(孔子之時、齊俗急功利、喜夸詐。乃霸政之餘習。魯則重禮敎、崇信義。猶有先王之遺風焉。但人亡政息、不能無廢墜爾。道、則先王之道也。言二國之政俗、有美惡。故其變而之道、有難易)とある。夸詐は、ほらを吹く。虚偽を言うこと。『論語集注』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 『集注』に引く程頤の注に「夫子の時、斉は強く魯は弱し。たれか以て斉の魯に勝ると為さざらん。然れども魯は猶お周公の法制存す。斉は桓公の覇に由り、簡に従い功を尚ぶの治を為し、太公の遺法変易し尽く。故に一変すれば乃ち能く魯に至らん。魯は則ち廃墜するを修め挙ぐるのみ。一変すれば則ち先王の道に至らん」(夫子之時、齊強魯弱。孰不以爲齊勝魯也。然魯猶存周公之法制。齊由桓公之霸、爲從簡尚功之治、太公之遺法變易盡矣。故一變乃能至魯。魯則修舉廢墜而已。一變則至於先王之道也)とある。
  • 『集注』に「愚おもえらく、二国の俗、惟だ夫子のみ能く之を変ずることを為せども、試みらるるを得ず。然れども其の言に因りて以て之を考うれば、則ち其の施為しい緩急の序、亦た略〻ほぼ見る可し」(愚謂、二國之俗、惟夫子爲能變之、而不得試。然因其言以考之、則其施爲緩急之序、亦略可見矣)とある。
  • 伊藤仁斎『論語古義』に「此れ魯の為にして発するなり。……論に曰く、強の弱に勝つは、人皆之を知る。而るに礼楽の政刑に優ることは、則ち人未だ之を知らざるなり。斯の時に当たりて、斉強く魯弱し。たれか以て斉の魯に勝つと為さざらんや。然れども君子より之を観るは、魯弱しと雖も、尚お能く先王の法を守る、斉の能く及ぶ所に非ざるなり。況んや強は暴多くして、弱は徳多し。強き者は折れ易くして、弱き者は久しきに堪う。斉簡公に至りて、田氏之に代わる。魯は衰乱すと雖も、猶お能く其の国を保つ、是れ其の明効なり。惟だ仁能く強を持し、惟だ智能く弱をすくう。若し仁以て治を為し、智以て之を御せば、田氏斉をうばうこと能わず、魯は必ず政を天下におさむなり、惜しいかな」(此爲魯而發也。……論曰、強之勝弱、人皆知之。而禮樂之優於政刑、則人未之知也。當斯時、齊強魯弱。孰不以爲齊勝魯也哉。然自君子觀之、魯雖弱、尚能守先王之法、非齊之所能及也。況強多暴、而弱多德。強者易折、而弱者堪久。齊至於簡公、而田氏代之。魯雖衰亂、猶能保其國、是其明效也。惟仁能持強、惟智能拯弱。若仁以爲治、智以御之、田氏不能簒齊、魯必爲政於天下也、惜哉)とある。『論語古義』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
  • 荻生徂徠『論語徴』に「魯一変せば道に至らん、古註に、魯大道行わるるの時の如くならしむ可し、と。明白なりといっつ可し。朱註に、先王の道に至らんとは、殊に通ぜずとす」(魯一變至於道、古註、魯可使如大道行之時。可謂明白。朱註至於先王之道、殊爲不通)とある。『論語徴』(国立国会図書館デジタルコレクション)参照。
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